咽喉が、痛いです。
この数日、なんだかずっと眠い気がしていたのですが、体の中で風邪との戦いが行われていた模様。
そして、とうとう負けてきたらしい。
今のところまだ熱はないですが、ヤバイくらいの咽喉の痛みです。
しかし。今は、読みかけの本を読み終わり、とても良い気分♪
最近は、久しぶりに続けて読書をしています。やっぱり、本を読むのは好きです。
でも、読むのがすごく遅いし、最近は年のせいか集中力が続かなくて^^;あまり読んでなかったのです。
そして、改めて私は「読む」のが好きなんだなと、思いました。
書くのは、本当に苦手なのですが…。
とはいえ、思った事を記録していくには「書き留める」しか、方法がないわけで。
読むのは勿論、書くのはもっと遅いので、ほんの短い文章でも、バカみたいに時間がかかって書いています。
まあ、それでもこんなつまらないブログなんですけど。
しかし、気がつけば、もうすぐ青年館の楽の日から、一ヶ月もたってしまうのですね。
はやっ!!!
まだまだ、書き終わってない感想があるのに、もはや、間抜けな感じになってきました。
まあ、ディナーショーまでネタも無いからいいかなーと、のんびり思っていたのですが。
だんだん、今更…という気にもなってきた^^;
この数日、なんだかずっと眠い気がしていたのですが、体の中で風邪との戦いが行われていた模様。
そして、とうとう負けてきたらしい。
今のところまだ熱はないですが、ヤバイくらいの咽喉の痛みです。
しかし。今は、読みかけの本を読み終わり、とても良い気分♪
最近は、久しぶりに続けて読書をしています。やっぱり、本を読むのは好きです。
でも、読むのがすごく遅いし、最近は年のせいか集中力が続かなくて^^;あまり読んでなかったのです。
そして、改めて私は「読む」のが好きなんだなと、思いました。
書くのは、本当に苦手なのですが…。
とはいえ、思った事を記録していくには「書き留める」しか、方法がないわけで。
読むのは勿論、書くのはもっと遅いので、ほんの短い文章でも、バカみたいに時間がかかって書いています。
まあ、それでもこんなつまらないブログなんですけど。
しかし、気がつけば、もうすぐ青年館の楽の日から、一ヶ月もたってしまうのですね。
はやっ!!!
まだまだ、書き終わってない感想があるのに、もはや、間抜けな感じになってきました。
まあ、ディナーショーまでネタも無いからいいかなーと、のんびり思っていたのですが。
だんだん、今更…という気にもなってきた^^;
反省すること。
食べ過ぎ、飲み過ぎ。
…楽しかったし、美味しかったので、つい。
クレジットカードの請求。
…一つずつのお買い物は、たいした額ではないので、つい。
夜更かし。
…ぼんやり、本を読んだり、ネットを見てたら、ついこんな時間に。
散らかし。
…ちょっと掃除をさぼって、見て見ぬ振りをしていたら、こんな事に。
どうやったら、まっとうに生きていく事ができるようになるんだろう。
食べ過ぎ、飲み過ぎ。
…楽しかったし、美味しかったので、つい。
クレジットカードの請求。
…一つずつのお買い物は、たいした額ではないので、つい。
夜更かし。
…ぼんやり、本を読んだり、ネットを見てたら、ついこんな時間に。
散らかし。
…ちょっと掃除をさぼって、見て見ぬ振りをしていたら、こんな事に。
どうやったら、まっとうに生きていく事ができるようになるんだろう。
「SORA」-空の奇跡−
2008年2月18日 花組ものすごく、今更ですが。
大空さんディナーショーのタイトルが発表されましたね。
「SORA」-空の奇跡−
うーん。やっぱりタイトルは“S”から始まるのね。
空の奇跡かぁ。
「大空祐飛」の、「空」。
「自己アピールが苦手。でもそれが、私。」と言った大空さんが、自分の名前を一字使ったタイトル。
言葉で自己アピールするのが苦手な大空さんが、自分の舞台で、自分を表現してくれると思っていいのかな?
やっぱり、舞台人は舞台が全て。
ファンとしては「舞台で、表現していきたい」…という、アピールのように思えるのだけれど。
しかも、奇跡ですよ。
確かに、今の宝塚では奇跡のような存在と言えるかもしれない、不思議なポジションの人ですしね。
この学年で組替というのも、今までの前例があてはまらない。
劇団が売っていこうとする生徒ではないのに。
こんな不安定な扱いのまま、なにものかに反抗するように舞台で戦い続けて。今後どういう道を拓いていくのか、まだわかりませんが。
奇跡。でも、軌跡、という言葉と掛けてあればいいなぁ、とも願います。
本公演で、月組に別れを告げる事のできなかった、突然の組替だから。長年在籍して、こんなにも愛してきた月組での経験を、ゆっくり振り返って見せてくれれば嬉しいな。
この、一つのとても大きな別れを、噛締めて味わう時間を作って欲しい。
…新しい挑戦を、始める為に。
そして、「空の奇跡」という言葉から、単純に思いつくのは夕陽の空です。
一秒ごとに少しずつ様子を変えていく空模様の、奇跡のような美しさ。
雲の流れる様や、雲間から零れる日の光の美しさや、昇ってきた月が少しずつ輝きを増していく様子など。
美しい風景に無縁の町の生活での、何気ない日常生活で見る事ができる、いちばん美しいもの。
「HOLLYWOOD LOVER」で、幸せな恋人達の思い出として語られるのが、海辺にサンセットを見に行く事…というのが、とても好きでした。美しい景色を見る感動を、二人で分かち合う…それが“幸福”の象徴である事が。
そんな事をイメージしながら、ディナーショーを待つのが、更に楽しみになりました。
今まで、三回のディナーショーを経験して、そのたびごとに、舞台での存りかたが変わっていく姿を見てきたので。
「大空祐飛」の名前で催されるショーは、本公演とは違って「大空祐飛」の為の、もの。
「大空祐飛」の魅力を見せるために、「大空祐飛」のファンに向けて作られるもの。
私たち、ファンにとってはお祭りのようなものです。…そのぶん参加費は高くて、何度も見られるものではないですけど^^;
今度は、どんなショーを見せて下さるのか。
新しい「大空祐飛」の魅力。そして、4人の可愛い花のような娘役さん達の魅力。
きっと、しっかり堪能させて下さるものと思います。
待ち遠しいです(^^)
大空さんディナーショーのタイトルが発表されましたね。
「SORA」-空の奇跡−
うーん。やっぱりタイトルは“S”から始まるのね。
空の奇跡かぁ。
「大空祐飛」の、「空」。
「自己アピールが苦手。でもそれが、私。」と言った大空さんが、自分の名前を一字使ったタイトル。
言葉で自己アピールするのが苦手な大空さんが、自分の舞台で、自分を表現してくれると思っていいのかな?
やっぱり、舞台人は舞台が全て。
ファンとしては「舞台で、表現していきたい」…という、アピールのように思えるのだけれど。
しかも、奇跡ですよ。
確かに、今の宝塚では奇跡のような存在と言えるかもしれない、不思議なポジションの人ですしね。
この学年で組替というのも、今までの前例があてはまらない。
劇団が売っていこうとする生徒ではないのに。
こんな不安定な扱いのまま、なにものかに反抗するように舞台で戦い続けて。今後どういう道を拓いていくのか、まだわかりませんが。
奇跡。でも、軌跡、という言葉と掛けてあればいいなぁ、とも願います。
本公演で、月組に別れを告げる事のできなかった、突然の組替だから。長年在籍して、こんなにも愛してきた月組での経験を、ゆっくり振り返って見せてくれれば嬉しいな。
この、一つのとても大きな別れを、噛締めて味わう時間を作って欲しい。
…新しい挑戦を、始める為に。
そして、「空の奇跡」という言葉から、単純に思いつくのは夕陽の空です。
一秒ごとに少しずつ様子を変えていく空模様の、奇跡のような美しさ。
雲の流れる様や、雲間から零れる日の光の美しさや、昇ってきた月が少しずつ輝きを増していく様子など。
美しい風景に無縁の町の生活での、何気ない日常生活で見る事ができる、いちばん美しいもの。
「HOLLYWOOD LOVER」で、幸せな恋人達の思い出として語られるのが、海辺にサンセットを見に行く事…というのが、とても好きでした。美しい景色を見る感動を、二人で分かち合う…それが“幸福”の象徴である事が。
そんな事をイメージしながら、ディナーショーを待つのが、更に楽しみになりました。
今まで、三回のディナーショーを経験して、そのたびごとに、舞台での存りかたが変わっていく姿を見てきたので。
「大空祐飛」の名前で催されるショーは、本公演とは違って「大空祐飛」の為の、もの。
「大空祐飛」の魅力を見せるために、「大空祐飛」のファンに向けて作られるもの。
私たち、ファンにとってはお祭りのようなものです。…そのぶん参加費は高くて、何度も見られるものではないですけど^^;
今度は、どんなショーを見せて下さるのか。
新しい「大空祐飛」の魅力。そして、4人の可愛い花のような娘役さん達の魅力。
きっと、しっかり堪能させて下さるものと思います。
待ち遠しいです(^^)
薔薇とマーガレット その2
2008年2月15日 月組 コメント (2)なんだか、随分時間がたってしましまいましたが、続きます。
ローズとマギー。…薔薇と、マーガレット。
バウの初日では、恋人に「深紅の薔薇」と名付けたステファーノさんのロマンチストぶりが印象的で、アニメ版「ベルばら」の主題歌を思い出したのですが。その後で、一度だけ呼ばれる「マーガレット・コーマン」という名前が心に残りました。
そして、またあの歌を思い出して。
ああ、「マーガレット」って“名も知れず咲く花”のイメージなんだなぁ…と、思いまして。
景子先生のセンスに感心しつつ、ちょっと切なくなったのでした。
まあマーガレットは”草むらに咲く”花ではなく、園芸種だと思いますが…少なくとも日本では。素朴で可憐な、庶民的な花であることは間違いないと思います。お値段も、だいぶお安いかと思いますし^^;
花言葉は「恋を占う」「貞節」「誠実」「心に秘めた愛」「真実の友情」だそうです。
マギーを思い出すと…なんとも、ビミョーですね。花占いに使う花、という所からきているようですが。
女性にとっては「マーガレットの花のよう」と言われるのは、褒め言葉でよね。
清楚で可憐で。清潔感があり、花の姿は明朗でお日様を連想させる。「幸せ」のイメージの花だと思います。
でも、隣に深紅の薔薇の花が咲いていたら?
美しく薫り高く、鋭い棘を持つ、優雅でゴージャスな花が。
8年前の彼女達については詳細は語られてはいませんが、ステファーノがローズを主演女優として連れてきたのが、マギーとローズとの出会いだと思われます。まだ18歳くらいの、孤児院育ちのローラ。おそらく、孤児院を出て一人で生活し始めて間もない頃でしょう。
マギーは先輩女優として、少し年下のローラに色々と教えてあげたりしたんじゃないかな?女性じゃないと教えられない事は多いと思いますし。
世間に怯えた目を向ける孤児の少女に、ステファーノは「ローズ・クリムソン」と名づけて、愛し始める。
そして、おそらくローズ本人も知らなかった彼女の魅力を、「ハリウッド・ラバー」シリーズの映画で描き出していく。短編のシリーズという事ですから、二人の関係が深まっていく事と並行して、一作ごとに彼女の魅力が花開いていくように作られていた事と思います。
ステファーノに愛されて、映画のヒロインとして周りに認められて。
「孤児のローラ」から、「女優のローズ・クリムソン」に変貌していく。
…それはきっと、固い薔薇の蕾が少しずつほころんでいくような、鮮やかな変化だったのではないでしょうか。
やがてローズは、ハリウッドの帝王を魅了してしまう程の、艶やかな花の姿になる。
マギーは、ローズのすぐ近くで、その変化を見ていた。
孤児として愛に飢えて育ったローズは、おそらくその“飢え”こそが、マギーなどが持ち得ない魅力として、人を惹きつけた。
安い居酒屋で(ダニエルの店って、そういう設定ですよね?)一緒にビールかなにかを飲んでいたとしても、周囲から浮き上がって見えるような存在だったのではないでしょうか。
そして。すぐそばで、薔薇の花が咲いたら。マーガレットの花は、自分を見て貰おうとは思わなくなる。
女優の道を諦めて、暖かい陽だまりの庭で咲く幸せを選んで。
やがて、リチャードの手で過去を消されたローズとは住む世界が違ってしまい…8年後。
彼女は、「ともだち」を裏切った。
「大女優」としての成功を捨てて、ハリウッドを逃げ出そうとするローズを引き止める為。
それが間違いだと、ローズに気づかせる為に。
せっかく手に入れた「大女優」の地位を捨てるなんて。恋人を捨ててまで、手に入れたその地位を。
そんなにも、欲しかったものの筈なのに。
アメリカ中の女の子が憧れる。…自分が心の底から憧れた、その立場を捨てるなんて、いけない事。
だから、引き止めなくては。ローズの為に、ダメだと言ってあげなければ。
私はこのマギーというキャラクターは、この作中で一番痛々しく、リアリティのあるキャラクターだな〜と思うんです。
いますよねー、こういう人。
世の中に、自分の考え方と違う価値観があるという事が、見えない人。自分の考えを疑う事なく、その価値観を人に押し付ける…というつもりもなく、みんなが自分と同じように考えると思っている人。無邪気に、まっすぐに、善良に、そう信じている。
最初に見た時から、そのリアリティが恐ろしくて。とても痛くて。
多分、このマギーという人には「真実」という言葉の意味が、一生分からない。
だって、世の中に一つの考え方しか無いのだから。その奥に隠された「真実」というものも、存在しない。
私は、マギーの「あれは事故だったのよ!」という叫びは、本心からの叫びだと思うんです。
数年後には「あの事故さえなければ、あの二人は幸せになれたのにね〜」と、無邪気に、心から話していると思うんですよ。
ある意味、誰よりも丈夫な心を持った人だと思います。自分の心の底を、疑う事を知らないのだから。
マギーはローズに「あなたは、選んだ」と言いますが、同時に彼女はローズが「選ばれた」と思っているのではないか、とも感じました。
“ローズ”は選ばれた。ハリウッドから。…運命から。
リチャードからのプロポーズは、その結果に過ぎない事だと。
そして、ローズはその運命を受け入れた。
ステファーノに対するローズの葛藤を知らないマギーには、その選択は、あんなにも幸せな恋人との関係を捨てる程の、成功への強い意志での決断だったように見えたのでしょう。
それ程の強い意思も覚悟も、自分は持てない。だからこれ以上女優を続ける意味は、無い。そう納得して、ビリーとの結婚を選んだのだと思います。たとえ実際にマギーには、そのチャンスは無かったとしても。
バウの最初の頃に見た時には、あの裏切りはローズへの嫉妬によるものか…と思ったんですが。青年館のあたりでは、感じ方が変わってきました。
マギーは、ハリウッドの大女優に憧れていた。ガルボもディートリッヒも、そして、ローズ・ラムーアにも。
その憧れが大きすぎて。特に若い頃から知っているローズに対しては、格別大きな憧れと、同時に敗北感もあって。
自分が負けた「ローズ」には、ハリウッドに君臨する、輝いた女性であって欲しい。
恋の為に全てを捨てる、ただの普通の女になんか、なっちゃいけない。そんな葛藤を心の底に持ち…でもそれを意識する事は無く。
ただ、女優ローズ・ラムーアに憧れて「ハリウッドを去って欲しくない」という思いだけが強くあって、ああいう行動を取ったんだろうと思ったんです。本人にとっては、純粋な憧れの気持ちの結果として。
異性のファンより同性のファンのほうが、タチが悪いよねー、と、自分自身への感想も混ぜて思ったりして^^;
というのも、あの場面、特にローズの孤独を強く感じたんですよ。
誰からも理解されない“大スター”のローズ。夫は勿論、彼女のファンも周りの人間達もまた、「夢の女」として彼女の意思を、心を、否定する。ただただ、美しい幻であって欲しいと願う。
…そんなローズの孤独な現実を、ステファーノに見せる場面のように感じました。
8年前の幸せな恋人時代を知るマギーまでが、その幸せを取り戻す事よりも、スターの栄光のほうが大切と思う。
それが、“ハリウッドの狂気”の一つの形なのかな…と。
だって、狂ってますよね?
普通は「ともだち」だったら、その幸福を一番に考えるものでしょうに。
その狂気と、それを自覚しない心の在り方が、痛いなーと思ったのです。
後日談。
公演が終わってしばらくして。
マギーの事を、ものすごくリアリティのあるキャラクターとして感じていた意味が分かりました。
いるよねー、こういう人。
世の中に、自分の考え方と違う価値観や考え方があるという事が、見えない人。無邪気に、まっすぐに、自分の考えを信じて善良に暮らしている人。お説教されると、仕方なく「あなたが正しいわ」と、言うほか無い。
…うちの、親だ^^;
どうりで、恐ろしいほどのリアリティだよ。
やっぱり、植田景子氏は恐ろしい作家だわ。
ローズとマギー。…薔薇と、マーガレット。
バウの初日では、恋人に「深紅の薔薇」と名付けたステファーノさんのロマンチストぶりが印象的で、アニメ版「ベルばら」の主題歌を思い出したのですが。その後で、一度だけ呼ばれる「マーガレット・コーマン」という名前が心に残りました。
そして、またあの歌を思い出して。
ああ、「マーガレット」って“名も知れず咲く花”のイメージなんだなぁ…と、思いまして。
景子先生のセンスに感心しつつ、ちょっと切なくなったのでした。
まあマーガレットは”草むらに咲く”花ではなく、園芸種だと思いますが…少なくとも日本では。素朴で可憐な、庶民的な花であることは間違いないと思います。お値段も、だいぶお安いかと思いますし^^;
花言葉は「恋を占う」「貞節」「誠実」「心に秘めた愛」「真実の友情」だそうです。
マギーを思い出すと…なんとも、ビミョーですね。花占いに使う花、という所からきているようですが。
女性にとっては「マーガレットの花のよう」と言われるのは、褒め言葉でよね。
清楚で可憐で。清潔感があり、花の姿は明朗でお日様を連想させる。「幸せ」のイメージの花だと思います。
でも、隣に深紅の薔薇の花が咲いていたら?
美しく薫り高く、鋭い棘を持つ、優雅でゴージャスな花が。
8年前の彼女達については詳細は語られてはいませんが、ステファーノがローズを主演女優として連れてきたのが、マギーとローズとの出会いだと思われます。まだ18歳くらいの、孤児院育ちのローラ。おそらく、孤児院を出て一人で生活し始めて間もない頃でしょう。
マギーは先輩女優として、少し年下のローラに色々と教えてあげたりしたんじゃないかな?女性じゃないと教えられない事は多いと思いますし。
世間に怯えた目を向ける孤児の少女に、ステファーノは「ローズ・クリムソン」と名づけて、愛し始める。
そして、おそらくローズ本人も知らなかった彼女の魅力を、「ハリウッド・ラバー」シリーズの映画で描き出していく。短編のシリーズという事ですから、二人の関係が深まっていく事と並行して、一作ごとに彼女の魅力が花開いていくように作られていた事と思います。
ステファーノに愛されて、映画のヒロインとして周りに認められて。
「孤児のローラ」から、「女優のローズ・クリムソン」に変貌していく。
…それはきっと、固い薔薇の蕾が少しずつほころんでいくような、鮮やかな変化だったのではないでしょうか。
やがてローズは、ハリウッドの帝王を魅了してしまう程の、艶やかな花の姿になる。
マギーは、ローズのすぐ近くで、その変化を見ていた。
孤児として愛に飢えて育ったローズは、おそらくその“飢え”こそが、マギーなどが持ち得ない魅力として、人を惹きつけた。
安い居酒屋で(ダニエルの店って、そういう設定ですよね?)一緒にビールかなにかを飲んでいたとしても、周囲から浮き上がって見えるような存在だったのではないでしょうか。
そして。すぐそばで、薔薇の花が咲いたら。マーガレットの花は、自分を見て貰おうとは思わなくなる。
女優の道を諦めて、暖かい陽だまりの庭で咲く幸せを選んで。
やがて、リチャードの手で過去を消されたローズとは住む世界が違ってしまい…8年後。
彼女は、「ともだち」を裏切った。
「大女優」としての成功を捨てて、ハリウッドを逃げ出そうとするローズを引き止める為。
それが間違いだと、ローズに気づかせる為に。
せっかく手に入れた「大女優」の地位を捨てるなんて。恋人を捨ててまで、手に入れたその地位を。
そんなにも、欲しかったものの筈なのに。
アメリカ中の女の子が憧れる。…自分が心の底から憧れた、その立場を捨てるなんて、いけない事。
だから、引き止めなくては。ローズの為に、ダメだと言ってあげなければ。
私はこのマギーというキャラクターは、この作中で一番痛々しく、リアリティのあるキャラクターだな〜と思うんです。
いますよねー、こういう人。
世の中に、自分の考え方と違う価値観があるという事が、見えない人。自分の考えを疑う事なく、その価値観を人に押し付ける…というつもりもなく、みんなが自分と同じように考えると思っている人。無邪気に、まっすぐに、善良に、そう信じている。
最初に見た時から、そのリアリティが恐ろしくて。とても痛くて。
多分、このマギーという人には「真実」という言葉の意味が、一生分からない。
だって、世の中に一つの考え方しか無いのだから。その奥に隠された「真実」というものも、存在しない。
私は、マギーの「あれは事故だったのよ!」という叫びは、本心からの叫びだと思うんです。
数年後には「あの事故さえなければ、あの二人は幸せになれたのにね〜」と、無邪気に、心から話していると思うんですよ。
ある意味、誰よりも丈夫な心を持った人だと思います。自分の心の底を、疑う事を知らないのだから。
マギーはローズに「あなたは、選んだ」と言いますが、同時に彼女はローズが「選ばれた」と思っているのではないか、とも感じました。
“ローズ”は選ばれた。ハリウッドから。…運命から。
リチャードからのプロポーズは、その結果に過ぎない事だと。
そして、ローズはその運命を受け入れた。
ステファーノに対するローズの葛藤を知らないマギーには、その選択は、あんなにも幸せな恋人との関係を捨てる程の、成功への強い意志での決断だったように見えたのでしょう。
それ程の強い意思も覚悟も、自分は持てない。だからこれ以上女優を続ける意味は、無い。そう納得して、ビリーとの結婚を選んだのだと思います。たとえ実際にマギーには、そのチャンスは無かったとしても。
バウの最初の頃に見た時には、あの裏切りはローズへの嫉妬によるものか…と思ったんですが。青年館のあたりでは、感じ方が変わってきました。
マギーは、ハリウッドの大女優に憧れていた。ガルボもディートリッヒも、そして、ローズ・ラムーアにも。
その憧れが大きすぎて。特に若い頃から知っているローズに対しては、格別大きな憧れと、同時に敗北感もあって。
自分が負けた「ローズ」には、ハリウッドに君臨する、輝いた女性であって欲しい。
恋の為に全てを捨てる、ただの普通の女になんか、なっちゃいけない。そんな葛藤を心の底に持ち…でもそれを意識する事は無く。
ただ、女優ローズ・ラムーアに憧れて「ハリウッドを去って欲しくない」という思いだけが強くあって、ああいう行動を取ったんだろうと思ったんです。本人にとっては、純粋な憧れの気持ちの結果として。
異性のファンより同性のファンのほうが、タチが悪いよねー、と、自分自身への感想も混ぜて思ったりして^^;
というのも、あの場面、特にローズの孤独を強く感じたんですよ。
誰からも理解されない“大スター”のローズ。夫は勿論、彼女のファンも周りの人間達もまた、「夢の女」として彼女の意思を、心を、否定する。ただただ、美しい幻であって欲しいと願う。
…そんなローズの孤独な現実を、ステファーノに見せる場面のように感じました。
8年前の幸せな恋人時代を知るマギーまでが、その幸せを取り戻す事よりも、スターの栄光のほうが大切と思う。
それが、“ハリウッドの狂気”の一つの形なのかな…と。
だって、狂ってますよね?
普通は「ともだち」だったら、その幸福を一番に考えるものでしょうに。
その狂気と、それを自覚しない心の在り方が、痛いなーと思ったのです。
後日談。
公演が終わってしばらくして。
マギーの事を、ものすごくリアリティのあるキャラクターとして感じていた意味が分かりました。
いるよねー、こういう人。
世の中に、自分の考え方と違う価値観や考え方があるという事が、見えない人。無邪気に、まっすぐに、自分の考えを信じて善良に暮らしている人。お説教されると、仕方なく「あなたが正しいわ」と、言うほか無い。
…うちの、親だ^^;
どうりで、恐ろしいほどのリアリティだよ。
やっぱり、植田景子氏は恐ろしい作家だわ。
月組集合日。
退団者の発表がありました。
(月組)
出雲 綾
北嶋麻実
彩乃かなみ ―すでに発表済み―
姿樹えり緒
この数日、「血と砂−愛と死のアラビア−」を読み、その後も家にある本を読み漁って読書三昧の毎日でした。
怖くて怖くて。
昨年の末、月組東京公演が終わってから、立て続けに退団が発表されて。少しずつ大事な月組生達は去っていき。次の集合日が怖くて、目をそむける為に読書三昧に溺れていました。
そして、とうとう来てしまった恐怖の日。
…えりおっと(T_T)
私に残されていた、最大の希望の星が。…また。
ああ、そういえば。なんとなく嫌な予感はあった気がする。考えないようにはしてきたけれども。
かなみちゃんの退団も残念です。あの歌声は、本当に貴重だった。
東京の「THE LAST PARTY」で、「俺のゼルダ」だった方なので。やっぱり、寂しい。…もう、ラスパのメンバーも随分減ってしまったんだなぁ。
トップさんの場合、色々な都合が絡み合いますから、いつまでもいて下さいと望んではいけないのかもしれませんが。
最後の公演、宝塚の月組娘役のトップとしての人生を楽しんで下さいね。
タキさんの退団にも、驚きました。一度専科に入られた後の組長就任だったので、任期を終えて専科に戻られる事はあっても、退団というのは考えてなかったし。
新しい副組長が正式就任する初めての大劇場公演で、組長さんが退団なんて(*_*)そんな事、あり得る事だとは思っていなかった。
ナホちゃんにとっては、最初っから大きな試練だなぁ…と思います。ちょっと気の毒な気がします。
それに、かなみちゃんと同時に、あの素晴らしい歌声を失うのは寂しい事ですね。実力といい、キャリアといい、これ程の歌姫は今後もそう出てくるものではないと思います。宝塚全体にとって、大きな損失ですね。
まちお先輩は。
とうとう、この時が来たのか…という感慨が^^;
月組77期の最後のお一人。前回の東京公演中に、ケロさんのブログで「月組の楽屋に、同期に会いに行った」というような事が書かれた時に「もしや?」とは思っていたのですが。でも、この作品でなら、月組生として退団作品になるのは良い事なのでしょうね。
それにしても、えりおっとの退団は痛い。
えりおっとの芝居、本当に好きなのに。
ハートがあって、いつでもキッチリと抑制が効いていて。それでいて、ちょっとトボけたような味があって。
色を出し過ぎない抑制具合が“品の良さ”に繋がって、ショーでのおじ様振りの美しさは、とても印象的でした。
良い男役さんになってくれたものだと、すごく喜んでいたのに。
これからの「芝居の月組」を支えてくれる人だと、月組男役の芝居の指針として、新しい世界を作ってくれる人だと思っていたのに。
今の月組男役上級生は、みなさんキャラクター勝負の人達であって、お芝居のできる人達ではないので^^;
いえ、それぞれのキャラは貴重で、皆さん大好きなんですけどね。他に退団者がいなくて、本当にホッとしていますけど。
…えりおっと一人だけで、十分に過ぎる程に痛いので(T_T)
やっぱり、月組は何かに呪われているような気がする。
どうしてこうも、芝居のできる、月組らしい“役者”ばかりが。
「芝居の月組」「月組の芝居」は、月組ファンの誇り。
息をするように自然に芝居をする…ように見せる、才能のある役者達が。僅かの間にこんなにも、一気にいなくなってしまうなんて。
勿論、皆さんの人生。ご自分で選んだ道は、確かなものだと思います。その決断は、正しいものと信じます。
…ただ、寂しいのです。あの芝居が、もう見られなくなるのが。もっともっと成長して、もっともっと良い役者さんになって…という姿を期待して楽しみにしていたので、寂しいのです。
どうか、最後の公演を、思う存分に楽しんで下さいね。そして、いっぱいいっぱい幸せになって下さいね。
ちゃんと、しっかり見に行きますから。
退団者の発表がありました。
(月組)
出雲 綾
北嶋麻実
彩乃かなみ ―すでに発表済み―
姿樹えり緒
この数日、「血と砂−愛と死のアラビア−」を読み、その後も家にある本を読み漁って読書三昧の毎日でした。
怖くて怖くて。
昨年の末、月組東京公演が終わってから、立て続けに退団が発表されて。少しずつ大事な月組生達は去っていき。次の集合日が怖くて、目をそむける為に読書三昧に溺れていました。
そして、とうとう来てしまった恐怖の日。
…えりおっと(T_T)
私に残されていた、最大の希望の星が。…また。
ああ、そういえば。なんとなく嫌な予感はあった気がする。考えないようにはしてきたけれども。
かなみちゃんの退団も残念です。あの歌声は、本当に貴重だった。
東京の「THE LAST PARTY」で、「俺のゼルダ」だった方なので。やっぱり、寂しい。…もう、ラスパのメンバーも随分減ってしまったんだなぁ。
トップさんの場合、色々な都合が絡み合いますから、いつまでもいて下さいと望んではいけないのかもしれませんが。
最後の公演、宝塚の月組娘役のトップとしての人生を楽しんで下さいね。
タキさんの退団にも、驚きました。一度専科に入られた後の組長就任だったので、任期を終えて専科に戻られる事はあっても、退団というのは考えてなかったし。
新しい副組長が正式就任する初めての大劇場公演で、組長さんが退団なんて(*_*)そんな事、あり得る事だとは思っていなかった。
ナホちゃんにとっては、最初っから大きな試練だなぁ…と思います。ちょっと気の毒な気がします。
それに、かなみちゃんと同時に、あの素晴らしい歌声を失うのは寂しい事ですね。実力といい、キャリアといい、これ程の歌姫は今後もそう出てくるものではないと思います。宝塚全体にとって、大きな損失ですね。
まちお先輩は。
とうとう、この時が来たのか…という感慨が^^;
月組77期の最後のお一人。前回の東京公演中に、ケロさんのブログで「月組の楽屋に、同期に会いに行った」というような事が書かれた時に「もしや?」とは思っていたのですが。でも、この作品でなら、月組生として退団作品になるのは良い事なのでしょうね。
それにしても、えりおっとの退団は痛い。
えりおっとの芝居、本当に好きなのに。
ハートがあって、いつでもキッチリと抑制が効いていて。それでいて、ちょっとトボけたような味があって。
色を出し過ぎない抑制具合が“品の良さ”に繋がって、ショーでのおじ様振りの美しさは、とても印象的でした。
良い男役さんになってくれたものだと、すごく喜んでいたのに。
これからの「芝居の月組」を支えてくれる人だと、月組男役の芝居の指針として、新しい世界を作ってくれる人だと思っていたのに。
今の月組男役上級生は、みなさんキャラクター勝負の人達であって、お芝居のできる人達ではないので^^;
いえ、それぞれのキャラは貴重で、皆さん大好きなんですけどね。他に退団者がいなくて、本当にホッとしていますけど。
…えりおっと一人だけで、十分に過ぎる程に痛いので(T_T)
やっぱり、月組は何かに呪われているような気がする。
どうしてこうも、芝居のできる、月組らしい“役者”ばかりが。
「芝居の月組」「月組の芝居」は、月組ファンの誇り。
息をするように自然に芝居をする…ように見せる、才能のある役者達が。僅かの間にこんなにも、一気にいなくなってしまうなんて。
勿論、皆さんの人生。ご自分で選んだ道は、確かなものだと思います。その決断は、正しいものと信じます。
…ただ、寂しいのです。あの芝居が、もう見られなくなるのが。もっともっと成長して、もっともっと良い役者さんになって…という姿を期待して楽しみにしていたので、寂しいのです。
どうか、最後の公演を、思う存分に楽しんで下さいね。そして、いっぱいいっぱい幸せになって下さいね。
ちゃんと、しっかり見に行きますから。
薔薇とマーガレット その1
2008年1月31日 月組うめちゃん、休演との事。
心配ですね。初日を目前にした怪我で、本当につらい事と思います。
うめちゃんも辛いけど、代役になられる方も。やっぱり、私はどうしても「黒い瞳」の時の事を思い出してしまいました。
あの時は、急な代役の大空さんが心配で、私も本当に緊張しました。りかさんを心配して、客席の空気も尋常じゃなかった記憶があります。
宙組ファンの皆様、大変な時だと思いますが、どうか、頑張って生徒さんがたを応援してあげて下さいm(__)m
うめちゃんの、一日も早い回復を遠くから祈っております。
さてさて。
少しずつ「HOLLYWOOD LOVER」感想を書いていきます。
今回、「HOLLYWOOD LOVER」でホッとしたのは、エンターテイメントに徹した作品にして下さった事。
私にとって植田景子氏は、心の一番痛い処をついてくる、怖い作家です。
本当に痛くて痛くて…「THE LAST PARTY」の時は、大変でした。胸が痛くて。
比喩では無く肉体的に、本当に胸が痛くなる程に全身に力を入れて、見て、泣いていました。
植田景子氏は、作品を通して繰り返し語り、問いかけます。
愛し合っているのに、理解しあえない人々の痛みを
裏切る事、裏切られる事、そして許すことの痛みを
自分より恵まれた才能に憧れ、自分を否定してしまう事の痛みを
この三つのテーマを、色々な形で繰り返し繰り返し、描き続ける。
いや、他にも共通したテーマがあるかもしれないですが、私の心にいつも引っかかるのは、この三つです。
主に、創造に関わる人々を通しての問いかけではあるけれど、日常的に普通の人々も経験する普遍的な痛み。
…私も、経験している、痛みです。
最初にこの三つのテーマを意識したのは、「THE LAST PARTY」の時。
あれは、心に斬りこんでくるような、作品でした。
主人公のスコットが、この三つの痛み全てに真正面からぶつかって、ボロボロになる作品。
避ける事もできずに不器用に痛みを受け、傷ついて、苦しんで。
それでも人生を諦めず、愛し、許し、憧れ続けて、最期の時を迎える人でした。
大空さんは、スコット役に入りこんで、大空祐飛との区別がつかなくなってるのでは?と思いながら見ていました。自身が持っている、心の弱さも醜さも、全て客席にさらけだして見せて。そして、絶望の奥にある希望を、しなやかに力強く描いて見せてくれた…と思います。
私も感情移入してしまって、泣き過ぎて大変な事になっていました。本当に体力を使った公演だった(^^ゞ
今回の「HOLLYWOOD LOVER」では、エンターテイメントに徹して、真正面からこの「痛み」を問いかける事はしなかった。
それが、ホッとした事。前作とは違うジャンルの作品というのが嬉しかったし、今回は大空ファンも色々とツラかったし^^;
涙の量はラスパの時と同じくらいだけど、胸の痛みかたはかなり違ってました。有難い事でした。
でも、正面からではなくとも、さりげなく物語り中にまぎれて描かれていますね。
ただし、今回は主人公のステファーノさんは、除外されてます。
彼は裏切られた傷を負ってはいるものの、ローズを許す事には葛藤が無い。
ずっと愛していたのだから、許すも何も…という感じですよね。
今回、この“問いかけ”を担うのは、ローズとリチャード、そして、マギーです。
ローズは8年前、愛し合っていた男と理解しあえず、裏切った。ずっと、その痛みを抱えて生きている。
リチャードは、ローズを愛しているのに、まったく理解しあえない。彼女は彼を裏切って、ステファーノの元へ行こうとしている。
更に、ステファーノという才能ある男が撮った映画で、自分を否定されてしまう。
そして。
裏切り者のマギー。「ともだち」を裏切った…。
さて、やっと本題に取り掛かったところで、今回はこれまで(^^ゞ
心配ですね。初日を目前にした怪我で、本当につらい事と思います。
うめちゃんも辛いけど、代役になられる方も。やっぱり、私はどうしても「黒い瞳」の時の事を思い出してしまいました。
あの時は、急な代役の大空さんが心配で、私も本当に緊張しました。りかさんを心配して、客席の空気も尋常じゃなかった記憶があります。
宙組ファンの皆様、大変な時だと思いますが、どうか、頑張って生徒さんがたを応援してあげて下さいm(__)m
うめちゃんの、一日も早い回復を遠くから祈っております。
さてさて。
少しずつ「HOLLYWOOD LOVER」感想を書いていきます。
今回、「HOLLYWOOD LOVER」でホッとしたのは、エンターテイメントに徹した作品にして下さった事。
私にとって植田景子氏は、心の一番痛い処をついてくる、怖い作家です。
本当に痛くて痛くて…「THE LAST PARTY」の時は、大変でした。胸が痛くて。
比喩では無く肉体的に、本当に胸が痛くなる程に全身に力を入れて、見て、泣いていました。
植田景子氏は、作品を通して繰り返し語り、問いかけます。
愛し合っているのに、理解しあえない人々の痛みを
裏切る事、裏切られる事、そして許すことの痛みを
自分より恵まれた才能に憧れ、自分を否定してしまう事の痛みを
この三つのテーマを、色々な形で繰り返し繰り返し、描き続ける。
いや、他にも共通したテーマがあるかもしれないですが、私の心にいつも引っかかるのは、この三つです。
主に、創造に関わる人々を通しての問いかけではあるけれど、日常的に普通の人々も経験する普遍的な痛み。
…私も、経験している、痛みです。
最初にこの三つのテーマを意識したのは、「THE LAST PARTY」の時。
あれは、心に斬りこんでくるような、作品でした。
主人公のスコットが、この三つの痛み全てに真正面からぶつかって、ボロボロになる作品。
避ける事もできずに不器用に痛みを受け、傷ついて、苦しんで。
それでも人生を諦めず、愛し、許し、憧れ続けて、最期の時を迎える人でした。
大空さんは、スコット役に入りこんで、大空祐飛との区別がつかなくなってるのでは?と思いながら見ていました。自身が持っている、心の弱さも醜さも、全て客席にさらけだして見せて。そして、絶望の奥にある希望を、しなやかに力強く描いて見せてくれた…と思います。
私も感情移入してしまって、泣き過ぎて大変な事になっていました。本当に体力を使った公演だった(^^ゞ
今回の「HOLLYWOOD LOVER」では、エンターテイメントに徹して、真正面からこの「痛み」を問いかける事はしなかった。
それが、ホッとした事。前作とは違うジャンルの作品というのが嬉しかったし、今回は大空ファンも色々とツラかったし^^;
涙の量はラスパの時と同じくらいだけど、胸の痛みかたはかなり違ってました。有難い事でした。
でも、正面からではなくとも、さりげなく物語り中にまぎれて描かれていますね。
ただし、今回は主人公のステファーノさんは、除外されてます。
彼は裏切られた傷を負ってはいるものの、ローズを許す事には葛藤が無い。
ずっと愛していたのだから、許すも何も…という感じですよね。
今回、この“問いかけ”を担うのは、ローズとリチャード、そして、マギーです。
ローズは8年前、愛し合っていた男と理解しあえず、裏切った。ずっと、その痛みを抱えて生きている。
リチャードは、ローズを愛しているのに、まったく理解しあえない。彼女は彼を裏切って、ステファーノの元へ行こうとしている。
更に、ステファーノという才能ある男が撮った映画で、自分を否定されてしまう。
そして。
裏切り者のマギー。「ともだち」を裏切った…。
さて、やっと本題に取り掛かったところで、今回はこれまで(^^ゞ
意地っ張りで、素直じゃなくて
2008年1月30日 月組そろそろ心を落ち着けて、「Hollywood Lover」の感想を書きたいと思いましたが、思う事が沢山あり過ぎます^^;
纏まらないので、思いついた事から垂れ流していきます。
以前「深紅の薔薇」というタイトルでローズについて書いた時に、私は物語のキャラクターとして意地っ張りの女の子が大好きなんです、と書きました。
女の子が感情を持て余して、ぐっと言葉につまって、つい意地を張ってしまう。
…そんな場面を見ると可愛いくて、きゅんきゅんしちゃうんです。
でも、この作品を見て確信しました。
植田景子先生も、間違いなく私と同じだ!
そして、多分、大空氏も。
絶対、意地っ張りの女の子にきゅんきゅんしてます。
可愛くて可愛くて可愛くて、どうしようもないんだと思います。
だって、お二人とも、ローズに対して全肯定ですよね。
彼女の心の弱さも、そこからくる意地っ張りも、お二人の目にはとても可愛く映っているのが、舞台から伝わってきます。
CSの「NOW ON STAGE」の雑談^^;で、悪いのは全てローズなんじゃ?
という話になったとき、大空さんは「ローズは悪くないの!弱かっただけなの、仕方ないの!」というような事を言って“ローズ”をかばってましたね。
バウの時は、一幕ラストでローズの真実の心を知ってから、ローズの意地っ張りや弱さを可愛いく思って抱きしめるような印象がありました。
(青年館では、ローズの心に気づかなかった自分を責めているようなイメージに変わった気がしましたが)
バウでは初日に見た時からずっと、「こんな男、いないよーー!!」と思って見ていました(^^ゞ
この、女の子の「意地っ張りで素直じゃない」所って、男性には理解されないもののような気がするんですけど、どうでしょう?
男性視点のフィクションを見る限り、女の子の可愛い我侭に振り回される…という風にしか思われていないような気がします。
多分、私のように可愛くてきゅんきゅんしたり、しないと思う。
そして、植田景子作品においては、「意地っ張りで素直じゃない」女の子は、肯定的に扱われているような気がします。
そんな所も、植田景子作品を、現実離れしたキレイ事の話と呼ぶ人がいる要因の一つかもしれないなーと思ったり。
でも私は、そんな女の子が大好きです(^^)
さて、まだまだ書きたい事はたくさんありますが、ぽつぽつと書いていきたいと思います。
できる事から一つずつ。
纏まらないので、思いついた事から垂れ流していきます。
以前「深紅の薔薇」というタイトルでローズについて書いた時に、私は物語のキャラクターとして意地っ張りの女の子が大好きなんです、と書きました。
女の子が感情を持て余して、ぐっと言葉につまって、つい意地を張ってしまう。
…そんな場面を見ると可愛いくて、きゅんきゅんしちゃうんです。
でも、この作品を見て確信しました。
植田景子先生も、間違いなく私と同じだ!
そして、多分、大空氏も。
絶対、意地っ張りの女の子にきゅんきゅんしてます。
可愛くて可愛くて可愛くて、どうしようもないんだと思います。
だって、お二人とも、ローズに対して全肯定ですよね。
彼女の心の弱さも、そこからくる意地っ張りも、お二人の目にはとても可愛く映っているのが、舞台から伝わってきます。
CSの「NOW ON STAGE」の雑談^^;で、悪いのは全てローズなんじゃ?
という話になったとき、大空さんは「ローズは悪くないの!弱かっただけなの、仕方ないの!」というような事を言って“ローズ”をかばってましたね。
バウの時は、一幕ラストでローズの真実の心を知ってから、ローズの意地っ張りや弱さを可愛いく思って抱きしめるような印象がありました。
(青年館では、ローズの心に気づかなかった自分を責めているようなイメージに変わった気がしましたが)
バウでは初日に見た時からずっと、「こんな男、いないよーー!!」と思って見ていました(^^ゞ
この、女の子の「意地っ張りで素直じゃない」所って、男性には理解されないもののような気がするんですけど、どうでしょう?
男性視点のフィクションを見る限り、女の子の可愛い我侭に振り回される…という風にしか思われていないような気がします。
多分、私のように可愛くてきゅんきゅんしたり、しないと思う。
そして、植田景子作品においては、「意地っ張りで素直じゃない」女の子は、肯定的に扱われているような気がします。
そんな所も、植田景子作品を、現実離れしたキレイ事の話と呼ぶ人がいる要因の一つかもしれないなーと思ったり。
でも私は、そんな女の子が大好きです(^^)
さて、まだまだ書きたい事はたくさんありますが、ぽつぽつと書いていきたいと思います。
できる事から一つずつ。
花組 大空祐飛さん 初日
2008年1月26日 花組 コメント (2)本日から、花組 大空祐飛さんのファンとして、新しく生まれ変わる事になりました。
花組ファンの皆様、どうぞ、よろしくお願いしますm(__)m
昨日は楽を観劇後、ファン仲間達と飲んだくれて帰りまして。
でも、日付が変わる前に一言叫びたい!と、慌てて書き込んだ後、ちゃんとした感想も書こうと思いつつ、沈没。
昼近くまで爆睡しました。この数日、睡眠時間が少なくて。でも観劇して、眠くならない自分を褒めていたのですが…、終わった途端に糸が切れたように眠ってしまった。沢山寝ても、今日はずっと眠くて…ほとんど、一日寝ていたのと変わらないような^^;
さて、昨日の「HOLLYWOOD LOVER」千秋楽。
暖かくて、愛に満ちた、良い楽でした。
出演者の皆さまは、最後に最高の芝居を見せて下さいました。短い公演でしたが、全員が、素晴らしい成長を見せて下さって。
こんなにも大きな成長を見られるなんて、驚きでした。
全員が、あの時間、役の人物として舞台の上で生きていた。みんなが生き生きとして、キラキラと輝いて…本当に綺麗だった。
そして、祐飛さんは。
大事に大事にステファーノ・グランディとしての時間を過ごしていました。
ラストの若い頃の二人の写真を見て泣くあたりから、過去のローズが投げたダーツの矢を拾う場面では、本当に泣いていたようですね。
大空氏は以前からずっと、舞台の上で役者が泣く事を拒否してきたように感じていました。
退団者の挨拶などの場合、涙が零れそうなのにいつもグッと我慢して、頑なに泣く事を拒否していたような。
その結果、ものすごく怖い顔になってしまっている姿は、大空祐飛の定番でした^^;
ラスパのスコットも二幕の「LIFE」の場面、ポロッと涙をこぼす事はありましたが、昨日は何か違う印象でした。
思わず流れた涙を、素直に、ありのままに受け入れた姿のように感じて。
…泣きました。
今まであった心を覆う鎧のようなものを落として、真実の大空祐飛のまま、客席に向かいあってくれたように感じたのです。
沢山の人に愛されて、幸せそうな笑顔で。
「月組 大空祐飛」さんは、舞台でキラキラと輝いて。
去って行きました。
今日から「花組 大空祐飛」さんとして、歩きだしている。
最初のお仕事は、ディナーショー。
どんな、新しいお姿を見せて下さるのか。
新しく生まれ変わった祐飛さんを、楽しみに待っております。
花組ファンの皆様、どうぞ、よろしくお願いしますm(__)m
昨日は楽を観劇後、ファン仲間達と飲んだくれて帰りまして。
でも、日付が変わる前に一言叫びたい!と、慌てて書き込んだ後、ちゃんとした感想も書こうと思いつつ、沈没。
昼近くまで爆睡しました。この数日、睡眠時間が少なくて。でも観劇して、眠くならない自分を褒めていたのですが…、終わった途端に糸が切れたように眠ってしまった。沢山寝ても、今日はずっと眠くて…ほとんど、一日寝ていたのと変わらないような^^;
さて、昨日の「HOLLYWOOD LOVER」千秋楽。
暖かくて、愛に満ちた、良い楽でした。
出演者の皆さまは、最後に最高の芝居を見せて下さいました。短い公演でしたが、全員が、素晴らしい成長を見せて下さって。
こんなにも大きな成長を見られるなんて、驚きでした。
全員が、あの時間、役の人物として舞台の上で生きていた。みんなが生き生きとして、キラキラと輝いて…本当に綺麗だった。
そして、祐飛さんは。
大事に大事にステファーノ・グランディとしての時間を過ごしていました。
ラストの若い頃の二人の写真を見て泣くあたりから、過去のローズが投げたダーツの矢を拾う場面では、本当に泣いていたようですね。
大空氏は以前からずっと、舞台の上で役者が泣く事を拒否してきたように感じていました。
退団者の挨拶などの場合、涙が零れそうなのにいつもグッと我慢して、頑なに泣く事を拒否していたような。
その結果、ものすごく怖い顔になってしまっている姿は、大空祐飛の定番でした^^;
ラスパのスコットも二幕の「LIFE」の場面、ポロッと涙をこぼす事はありましたが、昨日は何か違う印象でした。
思わず流れた涙を、素直に、ありのままに受け入れた姿のように感じて。
…泣きました。
今まであった心を覆う鎧のようなものを落として、真実の大空祐飛のまま、客席に向かいあってくれたように感じたのです。
沢山の人に愛されて、幸せそうな笑顔で。
「月組 大空祐飛」さんは、舞台でキラキラと輝いて。
去って行きました。
今日から「花組 大空祐飛」さんとして、歩きだしている。
最初のお仕事は、ディナーショー。
どんな、新しいお姿を見せて下さるのか。
新しく生まれ変わった祐飛さんを、楽しみに待っております。
予想どおり、観劇仲間と飲んでばかりな日々を過ごしています。
もはや、かまわないだろうと思い、ネタばれ感想いきますv。
ご覧になってない方は、どうぞお読みにならないで下さいませm(__)m
ローズという女性が大好きです。可愛くてしょうがないです。
バウで見た時からですが、青年館に来てから、もっともっと可愛いです。
私は物語のキャラクターとして、意地っ張りの女の子が大好きなんですよ。
感情表現が素直じゃなくて、思っている事をそのまま伝える事ができない子。
笑いたいのに、つんけんしたり。優しくしたいのに、憎まれ口をきいたり。
女の子が感情を持て余して、ぐっと言葉につまって、つい意地を張ってしまう。
そんな場面を見ると「可愛い〜」と思ってしまうんです。特に可愛い娘役さんがやると、きゅんきゅんしちゃいます。
というワケで、ローズが可愛くて。
孤独に生きてきた孤児の女の子が、突然、あんなに優しい男からの丸ごとの愛情に包まれてしまったら。
今まで周りに虚勢を張って、一人で必死に生きてきた事でしょう。
でも多分、ステファーノには虚勢も無意味で。
自分の美貌を頼りにしていた部分もあると思うのですが、彼にはそれはローズの魅力の一つでしかない。
どんなに意地を張っても、優しく包みこまれてしまう。
そりゃ、パニックも起こしますよね。
今までの人生を根本から覆される相手です。彼に愛されてから、彼女にとって、世界は全く違うもの変わってしまった。
でも、その生活がどんなに幸せでも、いえ、幸せだからこそ。
幸せを失う事があるとしたら…と思うのは、どれだけ恐ろしい事か。
怖さのあまり、自分をがんじがらめにしてしまった。そして失う恐怖に耐えかねて、自分から全て壊してしまった。
他にも色々と、複雑な想いはあったのでしょうけれど。その恐怖だけでも、逃げ出してしまう気持ちはわかる。
青年館では、一幕ラストの告白で「ひと時も離れられない程に」というような台詞が追加されて、より彼女が身近な存在になった気もします。孤児院で育った孤独な少女ではなくても、恋人に対して甘えや不安を持つのは当然の事ですから。初めての本気の恋なら、それが当然の事だという事もわからないでしょうし…。
バウで初日に見た時から、「ローズ・クリムソン」という名前の存在が大きく心に残っておりました。
恋人に「深紅の薔薇」なんて名を付ける男なんて、すっごくロマンチスト!
けれど、まだ若い彼女にとって、そのロマンと愛は…きっと重過ぎるものだったろうなー、と。
演技の経験の無い彼女に一から芝居を教えた彼の言葉は、おそらく絶対的なものであった筈。その上、年上で、愛と理解がある人ですから。8年前の二人は、ステファーノのリードの上で、ローズが自由に振舞う…という形だったのではないでしょうか。
結果的に、彼の言葉に従う事の多い彼女は「ローズ・クリムソン」と名付けられた時、無意識に深紅の薔薇のイメージを自分に重ねてしまった気がしたのです。そして、自ら「薔薇の定め」を、自分に課してしまった。「華やかに激しく生きろ」と。
そう、アニメ版「ベルばら」のあの歌です(^^)著作権に詳しくないので、歌詞は書きません。心の中で歌って下さいませね。
「ああ、ローズだ」という気がしますよね?
深紅の薔薇。華やかなスカーレット(真紅)や、明るいバーミリオン(朱色)ではなく、少し紫のかかった深く昏い紅。…彼がつけたその名前に影響されて、彼女はその後の人生を生きる事になったのではないかなー、と思えて。
切なくも、いじらしい女じゃないか、と思うのです。
そして都合の良い男・リチャードと結婚した後には、リチャードの「夢の女」を演じ続けた。
愛されていると思って結婚したけれど、リチャードは結局、本来の彼女とはかけ離れた映画の中の「夢の女」しか求めていなかった。彼女の心がその「夢の女」とは別人である事に、気づかない程。
…まあ、本当は彼女もそれがわかっていて、リチャードを選んだのだと思いますが。
他人の幻想や勝手なイメージを押し付けられるのって、普通の女性にとっては、かなり苦痛だと思うんですよね。
彼女が本当に望むもの、やりたい事ではなく、リチャードの都合の良いように生きてきた。リチャードが望むような事を、彼女が望んでいるように演じる、不自然な人間関係だったのでしょう。
彼女が「夢の女」であって欲しいリチャードにとって、一番あってはならないものは、本当はローズの、いえ「ローラ・オズモンド」の心。
それは、リチャードの望みではないから。
でも、彼女はリチャードの無茶な要求に応えようと、8年間も生真面目に頑張ってきた。
…まるで、愛する人を捨てた、罰を受けるように。
ステファーノを失った後、彼女自身が本当に望むものも、やりたい事も、無かったのかもしれない。
ローズが心から笑うことは、8年間、無かったのかもしれない。
そして赤狩りの犠牲になった俳優は、少しステファーノの面影があったのかもしれない。
彼女も孤独だったから「家庭」に憧れる部分もあったのかな?黙って「理想の夫婦」であろうと、頑張った。心や体が壊れる程に、頑張った。
リチャードが、「私たちを愛し合っている」と言い訳できる程には、表面上は「愛のある夫婦」らしい生活があったのでしょう。
極度のスランプで「困ったものよね、女優なのに」なんて、外の人からは軽く言われていますが、それは現代ならば、治療を必要とする心の病なのではないかと。リチャードがその頼みを断れない程に、彼女は壊れかけていたのだと思います。
でなければ、彼だって本当は「昔の男」なんて、呼びたくはないでしょう。
彼女の望みを全て叶えるという約束でも、今まではリチャード自身が嫌な事は、結果的に叶えてやらない事が多かったような気がします。
そして彼女はステファーノに別れを告げる為に、彼を呼んだのではないかな、と思います。カマラの占いのせいでは無く、押し殺し続けて苦しい心が、死に向かっているから。
あのまま二人の心が寄り添う事なく、無事に映画ができて彼がイタリアに帰ってしまっていたら…彼女は壊れてしまったんじゃないか、と思えるのです。その時は、彼女は一人で、死に向かったのかもしれないな、と。
でも、悲鳴をあげる彼女の心に、ステファーノが気付く事は、十分に予想ができた筈。
彼女の心が、彼に助けを求めてしまう事も。
だから、この物語の結末は、本当はステファーノがハリウッドに着く前に、もう決まっていたようなものだと思います。
青年館に来てから、あいあいの芝居がすごく良くなってます。
特に、一幕終わりに二人の心が通じあってからの変化が、鮮やかで、甘やかで。
二幕の撮影所で、ローズはすっかり頼り切った甘えた目で、ずっーーーとステファーノを見てるんです。もう、他の全ての事が見えてない程に、うっとりと。
「二人きりで会いたい」と頼む時も、現実の全てがどうでもいいような甘えた雰囲気で。恋する乙女、丸出しです。公演を重ねるごとに、どんどん、少女のように甘く初々しくなってきてます。
あれじゃあ、撮影所の関係者みんなに「この二人、デキてる」と、バレバレなんじゃないかと^^;
愛される喜びが、自信と余裕に繋がって、眩しいばかり。
電話で駆け落ちを約束した後なんて、愛される喜びに輝いて、リチャードにもとても優しくなっていますね。
リチャードがどんなに頑張っても彼女を取り戻す事は不可能だと、打ちひしがれて当然。
後は、無理やりこの世から連れ去る他に、手はありません。
私は映画「サラ・ベルナール」のローズを見て、リチャードは全てを捨てる決意したのではないかと思っています。
いきいきとして、キラキラと輝いて、本当に綺麗な…「真実」のローズの姿を見て。
リチャードが恋して作り上げた「ローズ・ラムーア」は、映画「ハリウッド・ラバー」でステファーノが切り取って見せた、ローズの魅力の一部分の、拡大コピーに過ぎない事を思い知って。
そして、彼女の心がその「夢の女」とは別人である事に、気づいてしまった。
だから、その映画をズタズタにしようとして。けれど、それも阻まれて。
多分、人生の全ての意味で、ステファーノに敗北感を抱いたのでしょう。…でも、今までの人生を否定する事もできなくて。
あひちゃんは、青年館の数日で、見違える程に良い芝居をするようになりましたね。
この作品に出演してくれて、この役を作り上げてくれて、良かった…と思います。
この公演も、あっという間に、あと二日。
ものすごい勢いで白熱していく舞台に、圧倒されています。
祐飛ステファーノは有無を言わさぬ迫力で、観客を泣かせにかかります。
どんな事があるか、何度も見てわかっていても、どうしても泣いてしまうのです。理屈を超えて、ステファーノの悲しみに連れ去られてしまいます。このまま、最後はどうなってしまうのか。
…楽しみなような、怖いような^^;
もはや、かまわないだろうと思い、ネタばれ感想いきますv。
ご覧になってない方は、どうぞお読みにならないで下さいませm(__)m
ローズという女性が大好きです。可愛くてしょうがないです。
バウで見た時からですが、青年館に来てから、もっともっと可愛いです。
私は物語のキャラクターとして、意地っ張りの女の子が大好きなんですよ。
感情表現が素直じゃなくて、思っている事をそのまま伝える事ができない子。
笑いたいのに、つんけんしたり。優しくしたいのに、憎まれ口をきいたり。
女の子が感情を持て余して、ぐっと言葉につまって、つい意地を張ってしまう。
そんな場面を見ると「可愛い〜」と思ってしまうんです。特に可愛い娘役さんがやると、きゅんきゅんしちゃいます。
というワケで、ローズが可愛くて。
孤独に生きてきた孤児の女の子が、突然、あんなに優しい男からの丸ごとの愛情に包まれてしまったら。
今まで周りに虚勢を張って、一人で必死に生きてきた事でしょう。
でも多分、ステファーノには虚勢も無意味で。
自分の美貌を頼りにしていた部分もあると思うのですが、彼にはそれはローズの魅力の一つでしかない。
どんなに意地を張っても、優しく包みこまれてしまう。
そりゃ、パニックも起こしますよね。
今までの人生を根本から覆される相手です。彼に愛されてから、彼女にとって、世界は全く違うもの変わってしまった。
でも、その生活がどんなに幸せでも、いえ、幸せだからこそ。
幸せを失う事があるとしたら…と思うのは、どれだけ恐ろしい事か。
怖さのあまり、自分をがんじがらめにしてしまった。そして失う恐怖に耐えかねて、自分から全て壊してしまった。
他にも色々と、複雑な想いはあったのでしょうけれど。その恐怖だけでも、逃げ出してしまう気持ちはわかる。
青年館では、一幕ラストの告白で「ひと時も離れられない程に」というような台詞が追加されて、より彼女が身近な存在になった気もします。孤児院で育った孤独な少女ではなくても、恋人に対して甘えや不安を持つのは当然の事ですから。初めての本気の恋なら、それが当然の事だという事もわからないでしょうし…。
バウで初日に見た時から、「ローズ・クリムソン」という名前の存在が大きく心に残っておりました。
恋人に「深紅の薔薇」なんて名を付ける男なんて、すっごくロマンチスト!
けれど、まだ若い彼女にとって、そのロマンと愛は…きっと重過ぎるものだったろうなー、と。
演技の経験の無い彼女に一から芝居を教えた彼の言葉は、おそらく絶対的なものであった筈。その上、年上で、愛と理解がある人ですから。8年前の二人は、ステファーノのリードの上で、ローズが自由に振舞う…という形だったのではないでしょうか。
結果的に、彼の言葉に従う事の多い彼女は「ローズ・クリムソン」と名付けられた時、無意識に深紅の薔薇のイメージを自分に重ねてしまった気がしたのです。そして、自ら「薔薇の定め」を、自分に課してしまった。「華やかに激しく生きろ」と。
そう、アニメ版「ベルばら」のあの歌です(^^)著作権に詳しくないので、歌詞は書きません。心の中で歌って下さいませね。
「ああ、ローズだ」という気がしますよね?
深紅の薔薇。華やかなスカーレット(真紅)や、明るいバーミリオン(朱色)ではなく、少し紫のかかった深く昏い紅。…彼がつけたその名前に影響されて、彼女はその後の人生を生きる事になったのではないかなー、と思えて。
切なくも、いじらしい女じゃないか、と思うのです。
そして都合の良い男・リチャードと結婚した後には、リチャードの「夢の女」を演じ続けた。
愛されていると思って結婚したけれど、リチャードは結局、本来の彼女とはかけ離れた映画の中の「夢の女」しか求めていなかった。彼女の心がその「夢の女」とは別人である事に、気づかない程。
…まあ、本当は彼女もそれがわかっていて、リチャードを選んだのだと思いますが。
他人の幻想や勝手なイメージを押し付けられるのって、普通の女性にとっては、かなり苦痛だと思うんですよね。
彼女が本当に望むもの、やりたい事ではなく、リチャードの都合の良いように生きてきた。リチャードが望むような事を、彼女が望んでいるように演じる、不自然な人間関係だったのでしょう。
彼女が「夢の女」であって欲しいリチャードにとって、一番あってはならないものは、本当はローズの、いえ「ローラ・オズモンド」の心。
それは、リチャードの望みではないから。
でも、彼女はリチャードの無茶な要求に応えようと、8年間も生真面目に頑張ってきた。
…まるで、愛する人を捨てた、罰を受けるように。
ステファーノを失った後、彼女自身が本当に望むものも、やりたい事も、無かったのかもしれない。
ローズが心から笑うことは、8年間、無かったのかもしれない。
そして赤狩りの犠牲になった俳優は、少しステファーノの面影があったのかもしれない。
彼女も孤独だったから「家庭」に憧れる部分もあったのかな?黙って「理想の夫婦」であろうと、頑張った。心や体が壊れる程に、頑張った。
リチャードが、「私たちを愛し合っている」と言い訳できる程には、表面上は「愛のある夫婦」らしい生活があったのでしょう。
極度のスランプで「困ったものよね、女優なのに」なんて、外の人からは軽く言われていますが、それは現代ならば、治療を必要とする心の病なのではないかと。リチャードがその頼みを断れない程に、彼女は壊れかけていたのだと思います。
でなければ、彼だって本当は「昔の男」なんて、呼びたくはないでしょう。
彼女の望みを全て叶えるという約束でも、今まではリチャード自身が嫌な事は、結果的に叶えてやらない事が多かったような気がします。
そして彼女はステファーノに別れを告げる為に、彼を呼んだのではないかな、と思います。カマラの占いのせいでは無く、押し殺し続けて苦しい心が、死に向かっているから。
あのまま二人の心が寄り添う事なく、無事に映画ができて彼がイタリアに帰ってしまっていたら…彼女は壊れてしまったんじゃないか、と思えるのです。その時は、彼女は一人で、死に向かったのかもしれないな、と。
でも、悲鳴をあげる彼女の心に、ステファーノが気付く事は、十分に予想ができた筈。
彼女の心が、彼に助けを求めてしまう事も。
だから、この物語の結末は、本当はステファーノがハリウッドに着く前に、もう決まっていたようなものだと思います。
青年館に来てから、あいあいの芝居がすごく良くなってます。
特に、一幕終わりに二人の心が通じあってからの変化が、鮮やかで、甘やかで。
二幕の撮影所で、ローズはすっかり頼り切った甘えた目で、ずっーーーとステファーノを見てるんです。もう、他の全ての事が見えてない程に、うっとりと。
「二人きりで会いたい」と頼む時も、現実の全てがどうでもいいような甘えた雰囲気で。恋する乙女、丸出しです。公演を重ねるごとに、どんどん、少女のように甘く初々しくなってきてます。
あれじゃあ、撮影所の関係者みんなに「この二人、デキてる」と、バレバレなんじゃないかと^^;
愛される喜びが、自信と余裕に繋がって、眩しいばかり。
電話で駆け落ちを約束した後なんて、愛される喜びに輝いて、リチャードにもとても優しくなっていますね。
リチャードがどんなに頑張っても彼女を取り戻す事は不可能だと、打ちひしがれて当然。
後は、無理やりこの世から連れ去る他に、手はありません。
私は映画「サラ・ベルナール」のローズを見て、リチャードは全てを捨てる決意したのではないかと思っています。
いきいきとして、キラキラと輝いて、本当に綺麗な…「真実」のローズの姿を見て。
リチャードが恋して作り上げた「ローズ・ラムーア」は、映画「ハリウッド・ラバー」でステファーノが切り取って見せた、ローズの魅力の一部分の、拡大コピーに過ぎない事を思い知って。
そして、彼女の心がその「夢の女」とは別人である事に、気づいてしまった。
だから、その映画をズタズタにしようとして。けれど、それも阻まれて。
多分、人生の全ての意味で、ステファーノに敗北感を抱いたのでしょう。…でも、今までの人生を否定する事もできなくて。
あひちゃんは、青年館の数日で、見違える程に良い芝居をするようになりましたね。
この作品に出演してくれて、この役を作り上げてくれて、良かった…と思います。
この公演も、あっという間に、あと二日。
ものすごい勢いで白熱していく舞台に、圧倒されています。
祐飛ステファーノは有無を言わさぬ迫力で、観客を泣かせにかかります。
どんな事があるか、何度も見てわかっていても、どうしても泣いてしまうのです。理屈を超えて、ステファーノの悲しみに連れ去られてしまいます。このまま、最後はどうなってしまうのか。
…楽しみなような、怖いような^^;
「HOLLYWOOD LOVER」青年館初日前
2008年1月19日 月組気がつけば、明日は「HOLLYWOOD LOVER」青年館初日です。…というかもう今日ですね(^^)
まだすごく先のような、もうすぐのような落ち着かない気分の毎日を過ごして。あっという間にこの日がきてしまいました。
公演が始まれば、観劇仲間と飲んでばかりな事は目に見えています。始まる前にに書いておかなければ…と思っていた、細々した感想も書けないままですが^^;
ともかく、初日です。おめでとうございます。
この公演が、月組 大空祐飛さんにとって、また出演者全ての皆様にとって、幸せな公演となりますように、お祈りしています。
今、この時に、この作品に出会えた事に感謝しています。
月組 大空祐飛の為に書かれた作品。
大空祐飛と城咲あいを中心に、全ての出演者の魅力を見せる為に書かれた作品。
主人公ステファーノ・グランディは、理想の男性像であり、多分誰が演じても素敵な役であるとは思うけれど。
でも、この役は大空祐飛をイメージして書かれた、大空祐飛の為の役。
別の人の主演での再演は可能だけれども。「これは大空祐飛の為の役だから」と言っても許される役が与えられるのって、ファン的にはすごく嬉しい(^^)
「THE LAST PARTY」は、植田景子の作品だけれども、この「HOLLYWOOD LOVER」は、大空祐飛の作品…と言えるように、景子先生が作って下さった事に感謝しています。
ラスパに続いて、景子先生の作品で主演…という事がわかった時「作品のクオリティの高さは保証済み♪」と、かなり喜んだのです。きっと、前作を超えるようなものを見せて下さるに違いない、と。
でも、果たしてあの東京公演の「THE LAST PARTY」を超えるものなんて、できるものなんだろうか?とも思いました。
ちょっと、それはハードルが高いのでは?それができるなら、景子先生は天才…というか、ネ申?とも思いました。
そして、ドキドキしながらバウの初日を見て。
すごく、嬉しかった。
この「HOLLYWOOD LOVER」が、前作とは、まるで違うジャンルの作品で。
エンターテイメント性の強い恋愛ドラマという、前作とは違う地平を目指しながら、且つクオリティの高い作品で。
…私、あの東京公演の「THE LAST PARTY」のスコット・フィッツジェラルドを超えるものって、実は見たくなかったんだ。
あの大切な思い出は、美しいままにしておきたかった。
他の先生の違う世界ならばいいと思うのですが、あのスコット・フィッツジェラルドを生み出した植田景子先生の手では。
初めてその事に気付いて。改めて景子先生に感謝したのでした。
朝、起きたら、青年館の初日。
バウからちょっと時間をおいて…その間にオオゾラさんの立場は変わってしまって。
月組とのお別れとなる、この作品。
多分、演じるほうも見るほうも、バウとはちょっと違う気持ちで向かい合う事になるでしょう。
演技もちょっと変わっている事と思います。
精一杯の気持ちで、しっかりと「月組 大空祐飛」と、その仲間達を見つめていきたいと思います。
物凄く寒くなってきましたが、皆様がお元気でこの一週間を過ごされますように。
まだすごく先のような、もうすぐのような落ち着かない気分の毎日を過ごして。あっという間にこの日がきてしまいました。
公演が始まれば、観劇仲間と飲んでばかりな事は目に見えています。始まる前にに書いておかなければ…と思っていた、細々した感想も書けないままですが^^;
ともかく、初日です。おめでとうございます。
この公演が、月組 大空祐飛さんにとって、また出演者全ての皆様にとって、幸せな公演となりますように、お祈りしています。
今、この時に、この作品に出会えた事に感謝しています。
月組 大空祐飛の為に書かれた作品。
大空祐飛と城咲あいを中心に、全ての出演者の魅力を見せる為に書かれた作品。
主人公ステファーノ・グランディは、理想の男性像であり、多分誰が演じても素敵な役であるとは思うけれど。
でも、この役は大空祐飛をイメージして書かれた、大空祐飛の為の役。
別の人の主演での再演は可能だけれども。「これは大空祐飛の為の役だから」と言っても許される役が与えられるのって、ファン的にはすごく嬉しい(^^)
「THE LAST PARTY」は、植田景子の作品だけれども、この「HOLLYWOOD LOVER」は、大空祐飛の作品…と言えるように、景子先生が作って下さった事に感謝しています。
ラスパに続いて、景子先生の作品で主演…という事がわかった時「作品のクオリティの高さは保証済み♪」と、かなり喜んだのです。きっと、前作を超えるようなものを見せて下さるに違いない、と。
でも、果たしてあの東京公演の「THE LAST PARTY」を超えるものなんて、できるものなんだろうか?とも思いました。
ちょっと、それはハードルが高いのでは?それができるなら、景子先生は天才…というか、ネ申?とも思いました。
そして、ドキドキしながらバウの初日を見て。
すごく、嬉しかった。
この「HOLLYWOOD LOVER」が、前作とは、まるで違うジャンルの作品で。
エンターテイメント性の強い恋愛ドラマという、前作とは違う地平を目指しながら、且つクオリティの高い作品で。
…私、あの東京公演の「THE LAST PARTY」のスコット・フィッツジェラルドを超えるものって、実は見たくなかったんだ。
あの大切な思い出は、美しいままにしておきたかった。
他の先生の違う世界ならばいいと思うのですが、あのスコット・フィッツジェラルドを生み出した植田景子先生の手では。
初めてその事に気付いて。改めて景子先生に感謝したのでした。
朝、起きたら、青年館の初日。
バウからちょっと時間をおいて…その間にオオゾラさんの立場は変わってしまって。
月組とのお別れとなる、この作品。
多分、演じるほうも見るほうも、バウとはちょっと違う気持ちで向かい合う事になるでしょう。
演技もちょっと変わっている事と思います。
精一杯の気持ちで、しっかりと「月組 大空祐飛」と、その仲間達を見つめていきたいと思います。
物凄く寒くなってきましたが、皆様がお元気でこの一週間を過ごされますように。
長々と語ってきた「A-“R”ex」の、最後の語り。
エピローグで、アレックスに寄り添うロクサーヌ。
アレックスに何も求める事なく、ただ傍にいると語りかける優しい存在。
彼の全てをまるごと受け入れ、ただ無償の愛を与える人。
彼女はアレックスが求めていて、与えられなかった「母の無償の愛」ではないか…と思いました。
アレックスが感情を動かしたのは「母」に対してだけだったから。
他人を愛さず受け入れないアレックスが、唯一受け入れた人は、対等の人間関係であるとは思えなくて。
彼がどんな人間でも関係なく、何をしても許して、優しく包んでくれる暖かな胸だけなのではないかと。
というのも、実はオギーには「マザコン」のイメージがあって^^;
私は何故か、宝塚の荻田作品の芝居は「螺旋のオルフェ」しか見ていないんです。
見ているのは、外部で作・演出をした「四谷怪談」と「人魚姫」の二作。このどちらも、恐ろしく自分勝手な、マザコン男が話の中心なのです。
特に「四谷怪談」は親が愛してくれなかったからという理由で、周り中を不幸にする極悪男が主役で、もの凄く嫌な気分になる作品でした。今の感覚でいえば、親に愛されなかったと喚いて家庭内で暴力をふるう、ニートの男(33才)のようなイメージ。
しかし、外部で男優さんが演じると気味の悪いマザコン男を書いてしまうオギーも、宝塚で男役が演じれば、普遍的な親子のすれ違いの物語になるんだな…と思いつつ。
でも私はやっぱり、この物語の主人公「アレックス」も、好きにはなれなかった。
両親の勝手に振り回されたとはいえ。全篇をとおして、自分が愛されなかったという被害者意識の強さが、ちょっと怖い気がして。自分が傷付けられたから、周りの人々もどうなってもいい…みたいな。
全ての人々を欺いて利用するだけの人間というのが、うすら寒い感じがしました。
自分の望みを叶える為に、人々を欺いて利用した…というのも、「誰も見たことのない世界の果てが見たい」という部分を、夢とか希望として描いてくれれば感情的に少しは収まりがつくんですけどね。。
インドまで行って、ともかくその望みは叶えられたのか、本当はまだ先まで行きたかったのか。その部分は語られず、旅が続けられなくなった絶望だけ描かれて。
そして、自分で夢の実現の為に周りの人々を利用するだけだったのに、でも、愛されない事には傷ついているらしいのも、ちょっと納得できない気がしたような。
まあ、そうは言っても。作品としては、色々考える事ができたので面白かったです。見にいって良かった(^^)
シビさん、りんかちゃんも最後にちゃんと見る事ができましたし。
お二人の今後の幸せを、お祈りしております。
れみちゃんも、月組を離れるのは寂しいけれど、花組に一緒に行ってくれて嬉しいです。これからも、しっかり見ますね♪
そして。
みつきねこさんから、バトンというものをよろしくされてしまいました。
最初で最後かもしれないけれど、なんとかおこたえ。
Q1.バトンを回す人を5人挙げて下さい。
お友達、いないんです(^^ゞ
私でストップです。ごめんなさい。
Q2. あなたの名前は?
いつか
オオゾラユウヒさんという存在に出会った日、と昨年の月組東京公演初日、10月5日を記念して。
今では、トーコさんの日になってるらしいので、便乗して安蘭けいさんグッズを買ってみました(^^)
Q3. あなたの好きなものは?
フィクション。
以前は本を読むことだと思っていましたが。宝塚ファンになってから、読書量が激減しました。
人生に必要なフィクションを、宝塚で摂取する事ができるらしいです。
Q4.恋人はいる?
恋人は、いない。
やはり、ご贔屓さんを心の恋人と呼ぶのには、ちょっと抵抗があります。なんだかもう少し、現実的な存在です。
Q5.(いる人)その人との出会いは?
なし
Q6.好きなタイプは?
さみしい目をしているひと。
瞳で感情の揺らぎを語るひと。
舞台での場合は、ストイックである事と、ラインの美しい人が好き。キレイなスタイルで、キレイなポーズを。
Q7. 嫌いなタイプは?
目に感情が見えない人。
自己陶酔型の人。「可哀想な私」というのがほの見えると、ダメみたいです。
Q8.好きな漫画、ゲーム、小説、映画は?
ゲームは、Windowsに入っている「ソリティア」。たまに、無性にやりたくなります。
映画は、昔好きな映画があった筈なんだけど、忘れてしまった。びっくり。本当に好きだったんだろうか…。
最近見たなかでは、「指輪物語」は面白かったかな。映画は映像的な面白さがあるものが好き。宮崎駿作品の空を飛ぶ場面や、「マトリックス」等、新しい世界を見せてくれるもの。
漫画は、水上澄子、吉野朔実、内田善美、佐々木淳子、水樹和佳、中山星香、山岸涼子、萩尾望都、筒井百々子、紫堂恭子、遠藤淑子、槇村さとる…他いろいろ
小説は、川上弘美 江國香織、梨木香歩、倉橋由美子、新井素子、タニス・リー、ティプトリーJr.、マキャフリー、R.サトクリフ、モンゴメリ、ジュリー・アンドリュース…他いろいろ
田辺聖子、佐野洋子、上野千鶴子、池上正太郎のエッセイ(小説はあんまり読んでなくて、エッセイばかり^^;)
基本的に、短編小説の面白い人と、エッセイが好き。
でも、本は文庫にならないと買いません。重いから。
Q9.回してくれた人の心の色は?
なんとなく寒色系のイメージなので「ダーク・グリーン」はいかがでしょう(^^)?
エピローグで、アレックスに寄り添うロクサーヌ。
アレックスに何も求める事なく、ただ傍にいると語りかける優しい存在。
彼の全てをまるごと受け入れ、ただ無償の愛を与える人。
彼女はアレックスが求めていて、与えられなかった「母の無償の愛」ではないか…と思いました。
アレックスが感情を動かしたのは「母」に対してだけだったから。
他人を愛さず受け入れないアレックスが、唯一受け入れた人は、対等の人間関係であるとは思えなくて。
彼がどんな人間でも関係なく、何をしても許して、優しく包んでくれる暖かな胸だけなのではないかと。
というのも、実はオギーには「マザコン」のイメージがあって^^;
私は何故か、宝塚の荻田作品の芝居は「螺旋のオルフェ」しか見ていないんです。
見ているのは、外部で作・演出をした「四谷怪談」と「人魚姫」の二作。このどちらも、恐ろしく自分勝手な、マザコン男が話の中心なのです。
特に「四谷怪談」は親が愛してくれなかったからという理由で、周り中を不幸にする極悪男が主役で、もの凄く嫌な気分になる作品でした。今の感覚でいえば、親に愛されなかったと喚いて家庭内で暴力をふるう、ニートの男(33才)のようなイメージ。
しかし、外部で男優さんが演じると気味の悪いマザコン男を書いてしまうオギーも、宝塚で男役が演じれば、普遍的な親子のすれ違いの物語になるんだな…と思いつつ。
でも私はやっぱり、この物語の主人公「アレックス」も、好きにはなれなかった。
両親の勝手に振り回されたとはいえ。全篇をとおして、自分が愛されなかったという被害者意識の強さが、ちょっと怖い気がして。自分が傷付けられたから、周りの人々もどうなってもいい…みたいな。
全ての人々を欺いて利用するだけの人間というのが、うすら寒い感じがしました。
自分の望みを叶える為に、人々を欺いて利用した…というのも、「誰も見たことのない世界の果てが見たい」という部分を、夢とか希望として描いてくれれば感情的に少しは収まりがつくんですけどね。。
インドまで行って、ともかくその望みは叶えられたのか、本当はまだ先まで行きたかったのか。その部分は語られず、旅が続けられなくなった絶望だけ描かれて。
そして、自分で夢の実現の為に周りの人々を利用するだけだったのに、でも、愛されない事には傷ついているらしいのも、ちょっと納得できない気がしたような。
まあ、そうは言っても。作品としては、色々考える事ができたので面白かったです。見にいって良かった(^^)
シビさん、りんかちゃんも最後にちゃんと見る事ができましたし。
お二人の今後の幸せを、お祈りしております。
れみちゃんも、月組を離れるのは寂しいけれど、花組に一緒に行ってくれて嬉しいです。これからも、しっかり見ますね♪
そして。
みつきねこさんから、バトンというものをよろしくされてしまいました。
最初で最後かもしれないけれど、なんとかおこたえ。
Q1.バトンを回す人を5人挙げて下さい。
お友達、いないんです(^^ゞ
私でストップです。ごめんなさい。
Q2. あなたの名前は?
いつか
オオゾラユウヒさんという存在に出会った日、と昨年の月組東京公演初日、10月5日を記念して。
今では、トーコさんの日になってるらしいので、便乗して安蘭けいさんグッズを買ってみました(^^)
Q3. あなたの好きなものは?
フィクション。
以前は本を読むことだと思っていましたが。宝塚ファンになってから、読書量が激減しました。
人生に必要なフィクションを、宝塚で摂取する事ができるらしいです。
Q4.恋人はいる?
恋人は、いない。
やはり、ご贔屓さんを心の恋人と呼ぶのには、ちょっと抵抗があります。なんだかもう少し、現実的な存在です。
Q5.(いる人)その人との出会いは?
なし
Q6.好きなタイプは?
さみしい目をしているひと。
瞳で感情の揺らぎを語るひと。
舞台での場合は、ストイックである事と、ラインの美しい人が好き。キレイなスタイルで、キレイなポーズを。
Q7. 嫌いなタイプは?
目に感情が見えない人。
自己陶酔型の人。「可哀想な私」というのがほの見えると、ダメみたいです。
Q8.好きな漫画、ゲーム、小説、映画は?
ゲームは、Windowsに入っている「ソリティア」。たまに、無性にやりたくなります。
映画は、昔好きな映画があった筈なんだけど、忘れてしまった。びっくり。本当に好きだったんだろうか…。
最近見たなかでは、「指輪物語」は面白かったかな。映画は映像的な面白さがあるものが好き。宮崎駿作品の空を飛ぶ場面や、「マトリックス」等、新しい世界を見せてくれるもの。
漫画は、水上澄子、吉野朔実、内田善美、佐々木淳子、水樹和佳、中山星香、山岸涼子、萩尾望都、筒井百々子、紫堂恭子、遠藤淑子、槇村さとる…他いろいろ
小説は、川上弘美 江國香織、梨木香歩、倉橋由美子、新井素子、タニス・リー、ティプトリーJr.、マキャフリー、R.サトクリフ、モンゴメリ、ジュリー・アンドリュース…他いろいろ
田辺聖子、佐野洋子、上野千鶴子、池上正太郎のエッセイ(小説はあんまり読んでなくて、エッセイばかり^^;)
基本的に、短編小説の面白い人と、エッセイが好き。
でも、本は文庫にならないと買いません。重いから。
Q9.回してくれた人の心の色は?
なんとなく寒色系のイメージなので「ダーク・グリーン」はいかがでしょう(^^)?
「A-“R”ex」-或る“王”の話- その3
2008年1月16日 月組この作品を見た時、以前に久世星佳さんが出演したので見た、別役実の「マッチ売りの少女」という芝居と、倉橋由美子の小説を思い出しました。
共通点は、登場人物に名前が無い事。
時も場所も明確な設定は観客には明かされず、ただ状況に即した会話だけが繰り広げられるなかで、人間の普遍的なものを問いかけたり、表現したりする…というもの。
いつか、どこかの町で。或る男性と、或る女性が会話を交わす。観客はワケがわからないまま、次第に濃密になっていくドラマに翻弄される。
多分、60年代から70年代くらいに使われた「不条理劇」の手法なのかな?演劇では、今でも普通に使われますよね、多分。
倉橋由美子の60年代から70年代頃の小説では、キャラクターが「A氏」等で表記されるものがあります。
でも、宝塚では“A”といえば、“ヒッピーA”、“王A”というようにショーの役名ですよね。
なるほどなーと、面白くて。
そのズレを、上手く使ったのがこの「A-“R”ex」という作品なんじゃないかなー、と思ったんです。
作品中の人間達のキャラクターは、いつか何処かの芝居に出演している、ある役者“A”。
けれどそれを演じているのは、宝塚の男役「瀬奈じゅん」で、この場面の役名は“王A”(トップさんだから“S”の方がいいんだけど、A-“R”exだから^^;)
他の出演者は、役名“ヒッピーA”の「龍真咲」であり「綾月せり」である。
もともと設定などないのだから、「役」として“芝居”をする事は不可能なんですね。
誰でもない、“或る役者”、“或る王”だから、それを演じるには「瀬奈じゅん」や「龍真咲」が、そのままで舞台に立つしかない。
演劇では「不条理劇」として表現されるものが、宝塚で同じ事をやると、それは限りなくショーに近い芝居になる。
この作品、「宝塚的じゃないから外部でやればよかったのに」というような声もあったようですが、その外部の演劇と宝塚との“ズレ”こそが、オギーの狙った所じゃないかな、と思いまして。
だからこそ、この作品の主役は“ショースター”「瀬奈じゅん」に宛てて書かれたんだと思います。
解りやすいからヒッピーで書いていますが、神々の三人も同じ事です。舞台にいるのは、ディオの台詞を喋る「霧矢大夢」だと思うのですが。
この作品、もともとアイディアがあって「瀬奈じゅん」主演をオギーが担当する事になった時、持っているアイデアストックの中から一番彼女に合うものとして選んだのではないか、と思います。
もともと先にアイディアがあったんじゃないかと思うのは、このアイディアは「霧矢大夢」には合っていなかったから。
キャラクターの方向性として、誘惑者・狂気の神…というのが、まず全く合わないとは誰しも感じる事だと思うのですが^^;
まあ、いつでも「又七っつぁん」ばかりをやるワケにはいかないので、そこまでは仕方のない事として。
「霧矢大夢」のまま、限りなくショーに近い芝居、というのが合わなかったと思うんですよね。
本能的に“情”で芝居をするタイプの役者さんには、やりにくい事だったような気がしました。このメンバーのなかではきりやんと、響れおなちゃんは、どうもあの作品世界と上手く馴染んではいなかったように思えました。
さすがに実力者のきりやんは、なんとか技術でねじ伏せていましたが。
でも、きりやんの持つ芝居の魅力は封印されてしまった気がしました。
歌と台詞の上手さは、もう文句無く圧倒的だったので、これも一つの経験…というしか無いでのしょうけれども。
かなみちゃんのニケは、娘役ならたいていの人は合いそうな存在だったので、良かったと思います。これが、檀ちゃんやみどりちゃんのような情の強い芝居をする娘役さんだったら、やはりちょっと合わなかったと思いますけどね。
そして、ただ一人「人間」としてのドラマを背負っていた「母親」オリンピアスを除き、全員が劇中劇の“或る役者”として、幻影のようなショーのような世界を作るこの舞台。
間違いなく「瀬奈じゅん」の為に宛書きされた作品、なんだと思います。
あ、前回書いたように、物語の中心となる「アレックス」は、一見孤独に傷付いた男にみえて、実は誰も愛さず、故に誰からも愛されず、自分の目的の為に周りの人間を欺き、利用しては捨て去る…という怖い人間だと思うので。
或る役者が演じている「アレックス」の利己的で冷酷な男の部分は、宛て書きでは有り得ないと思うのですが^^;
ショースターの延長として、この二重三重の仕掛けを力づくで押し通す「瀬奈じゅん」のパワーを利用した、オギーの勝利、かな?
共通点は、登場人物に名前が無い事。
時も場所も明確な設定は観客には明かされず、ただ状況に即した会話だけが繰り広げられるなかで、人間の普遍的なものを問いかけたり、表現したりする…というもの。
いつか、どこかの町で。或る男性と、或る女性が会話を交わす。観客はワケがわからないまま、次第に濃密になっていくドラマに翻弄される。
多分、60年代から70年代くらいに使われた「不条理劇」の手法なのかな?演劇では、今でも普通に使われますよね、多分。
倉橋由美子の60年代から70年代頃の小説では、キャラクターが「A氏」等で表記されるものがあります。
でも、宝塚では“A”といえば、“ヒッピーA”、“王A”というようにショーの役名ですよね。
なるほどなーと、面白くて。
そのズレを、上手く使ったのがこの「A-“R”ex」という作品なんじゃないかなー、と思ったんです。
作品中の人間達のキャラクターは、いつか何処かの芝居に出演している、ある役者“A”。
けれどそれを演じているのは、宝塚の男役「瀬奈じゅん」で、この場面の役名は“王A”(トップさんだから“S”の方がいいんだけど、A-“R”exだから^^;)
他の出演者は、役名“ヒッピーA”の「龍真咲」であり「綾月せり」である。
もともと設定などないのだから、「役」として“芝居”をする事は不可能なんですね。
誰でもない、“或る役者”、“或る王”だから、それを演じるには「瀬奈じゅん」や「龍真咲」が、そのままで舞台に立つしかない。
演劇では「不条理劇」として表現されるものが、宝塚で同じ事をやると、それは限りなくショーに近い芝居になる。
この作品、「宝塚的じゃないから外部でやればよかったのに」というような声もあったようですが、その外部の演劇と宝塚との“ズレ”こそが、オギーの狙った所じゃないかな、と思いまして。
だからこそ、この作品の主役は“ショースター”「瀬奈じゅん」に宛てて書かれたんだと思います。
解りやすいからヒッピーで書いていますが、神々の三人も同じ事です。舞台にいるのは、ディオの台詞を喋る「霧矢大夢」だと思うのですが。
この作品、もともとアイディアがあって「瀬奈じゅん」主演をオギーが担当する事になった時、持っているアイデアストックの中から一番彼女に合うものとして選んだのではないか、と思います。
もともと先にアイディアがあったんじゃないかと思うのは、このアイディアは「霧矢大夢」には合っていなかったから。
キャラクターの方向性として、誘惑者・狂気の神…というのが、まず全く合わないとは誰しも感じる事だと思うのですが^^;
まあ、いつでも「又七っつぁん」ばかりをやるワケにはいかないので、そこまでは仕方のない事として。
「霧矢大夢」のまま、限りなくショーに近い芝居、というのが合わなかったと思うんですよね。
本能的に“情”で芝居をするタイプの役者さんには、やりにくい事だったような気がしました。このメンバーのなかではきりやんと、響れおなちゃんは、どうもあの作品世界と上手く馴染んではいなかったように思えました。
さすがに実力者のきりやんは、なんとか技術でねじ伏せていましたが。
でも、きりやんの持つ芝居の魅力は封印されてしまった気がしました。
歌と台詞の上手さは、もう文句無く圧倒的だったので、これも一つの経験…というしか無いでのしょうけれども。
かなみちゃんのニケは、娘役ならたいていの人は合いそうな存在だったので、良かったと思います。これが、檀ちゃんやみどりちゃんのような情の強い芝居をする娘役さんだったら、やはりちょっと合わなかったと思いますけどね。
そして、ただ一人「人間」としてのドラマを背負っていた「母親」オリンピアスを除き、全員が劇中劇の“或る役者”として、幻影のようなショーのような世界を作るこの舞台。
間違いなく「瀬奈じゅん」の為に宛書きされた作品、なんだと思います。
あ、前回書いたように、物語の中心となる「アレックス」は、一見孤独に傷付いた男にみえて、実は誰も愛さず、故に誰からも愛されず、自分の目的の為に周りの人間を欺き、利用しては捨て去る…という怖い人間だと思うので。
或る役者が演じている「アレックス」の利己的で冷酷な男の部分は、宛て書きでは有り得ないと思うのですが^^;
ショースターの延長として、この二重三重の仕掛けを力づくで押し通す「瀬奈じゅん」のパワーを利用した、オギーの勝利、かな?
「A-“R”ex」-或る“王”の話- その2
2008年1月15日 月組 コメント (2)さて、作品について。公演が終わったので、ネタばれもしてしまいます。
「A-“R”ex」というタイトルは、「或る“王”」という意味なんですよね。見終わった後、改めて、成る程なーと思いました。
アレクサンダーを題材にしているけれども、本当のところ、語られているのは誰でもない。その為に劇中劇という体裁をとって、そこで語られるのはあくまでも「或る“王”」の話。ある、孤独な王の物語。
王である為の孤独。王であるからこその孤独。…孤独の為に王である、男の物語。
幕開きに「みんながいいなら」という台詞の後に登場したアレックスは、最初から孤独な男である事を見せ続ける。
印象的なのは、多くの人が何度も繰り返しアレックスに語りかける「王である事だけが、あなたの存在の意味」という台詞。
多くの人に王である事だけを望まれ、王である彼しか必要とされない、その孤独。
彼を利用しようとする神々も、自分の感情を押し付けるだけの両親も、誰も、彼そのものを見ない。理解しようとも、愛そうともしない。
そんな彼の孤独が淡々と描かれる。
そして王になる事と、戦に行く事は同じ事で。誰一人、彼の身を案ずる事もなく前線に立つ事を望まれ、最高指揮官として兵を率いる責任を押し付けられる。周りの人々の言葉の言いなりになるしかない事への抵抗感は、孤独と絶望と虚無感となって彼を痛めつける。
そしてここで気づくのは、役名に「ヒッピー」と書かれてない父や教師も含めて、彼をとりまく人間のキャラクター達はみんなアンサンブルである事。すべての人間たちは、アレックスの状況を説明する為だけに存在する、実体を持たない幻影。
これは作劇の上の事だけではなく、アレックスにとっては、どの人物も一人の人間としての重みを持たない。彼は誰にも心を開く事がない。
…ただ一人だけ、「母親」オリンピアスだけを除いて。
この作品の中では、オリンピアスだけがドラマを背負った一人の人間として登場し、ただ一人、人間としての“芝居”をする。
そしてアレックスは、彼女にだけは激しい感情をぶつける。彼を傷付けられるのは、この「母親」のみなんですね。
彼の心には、母の他には影響を与えられる人間はいないという、更なる孤独。
そして、その母をも捨て去って、彼は戦いの旅に出る。
ただ一人、彼の心の在り処に興味を示した“影”ディオは、彼に色々と問いかけ、彼の心を観客に語らせる為の存在。
ただ一人、彼に何も求めず、そばにいると語りかける“翼”ニケは、彼の心を安らかにして彼の物語を進める為の存在。
アテナは、まあ、言わずもがな。物語の枠組みを説明する存在。
そんな、この作品の形が見えてきたところで、物語はインドに行き着く。
ペルシアを征服した後に、やっと辿り着いたインド。無理な戦いを重ねて兵は疲れ、これ以上戦う事ができない、となった時。
舞台の大詰め、とうとう、アレックスの本心が明かされる。
アレックスは、誰も見た事のない所に、世界の果てに行きたかった。その為に、神々の思惑を利用した。
驚愕のどんでん返し。
今まで、多くの人々から利用され、嫌々人々の思惑に動かされているように見せかけて…その実。
それはすべて、アレックス自身が望んだ事だった?
でも、それならば。
世界の果てを目指す、という自分の望みをかなえる為には、彼は“王”である必要があった。
そして、戦い、勝ち続け、征服し続けなければならなかった。
本当は、彼は強く強く、王である事、戦い続ける事を望んでいた。その望みを叶える為に、神も人も全てを欺いていたという事?
「みんながいいなら」と、まるで受身の状態のように見せかけて、本当はアレックス自身の強い意志が周りの人々を動かしていた?
彼自身だけでなく、周りの人々が無理なく彼と供に世界の果てまで戦い続けるように。
嫌々周りの思惑に従っているような、芝居をしていたんだ。
物語の主人公が、更に周りに芝居を仕掛けていたというトリック。なーるほど。
普通は主人公が周りの人間達を騙す場合、独白等で観客にそれを告げるもの。そして、その騙していく過程を芝居として見せるものですが、この芝居では観客にも真意を見せていなかっただけの事。簡単なトリックなんですけどね。
と、いうことは。
本当は彼は“王”である必要があった。
世界の果てを見る為に、「王である事だけが、生きる意味」だったのだ。それを望んでいたのは、彼自身。
ややこしい人間達を全て拒否して、誰にも心を開かなかったのも、彼。
周りの人間達に対して、王としてある事だけを望んで、王としてある自分しか必要としなかったのも、本当は彼のほうだったんだ。
それが彼の孤独と虚無感の正体。
登場したどの人物も、一人の人間としての重みを持たない。彼は誰にも心を開く事がない。
それは、彼が、誰の事も見ていないから。理解しようとも、愛そうともしないから。
今まで描かれた彼の孤独は、本当は誰からも愛されない孤独ではなく、誰の事も愛する事ができない、孤独だった。
人間、自分の行いを相手からも返されるもの。
自分が愛さないから、人から愛されなかった、それだけの事。
なんという、空虚な人間、アレックス!
戦い続ける事ができなくなれば、ただの空っぽな人間になってしまったアレックス。
もはや周りの人間にとっては、彼は、空っぽな…誰でもない男。
孤独な、或る“王”、でしかない。
そんな真実を語り終えると、彼は一人、退場する。
残された神々、ディオとアテナが語りだし、一気に物語を収束させる。
結末が神の語りのみである事にも、またびっくり。何処の植田景子作品かと思いました。「結局、人は人でしかない」とか、言い出すのかと思ったけど(^^ゞ
そして、エピローグ。
アレックスのもとに、ロクサーヌとなったニケが現れる。
「これはハッピーエンドなのか?」と、問いかけるアレックスに、思わず先程のディオの台詞を思い出す。
「問いかける、という時点で、すでに答えは出ている。答えは否だ。」
空っぽなアレックスは、人を求めない、愛さない。だから人に、愛に、満たされる事もない。
人間となったロクサーヌの事は、どうだろう?
それは語られず、物語は終わりを告げる。
ただ、もはや、この二人は劇中劇の体裁は取らない。それがどういう意味なのかは…、ちょっと一回の観劇では解らなかったけど。
ともかく、膨大な台詞を聞き逃さないように頑張って、理解できたのはここまで。
何回か見れば、もうちょっと深く理解できたのかなーとも思うのですが。
この先の考察は、またこの次に。
「A-“R”ex」というタイトルは、「或る“王”」という意味なんですよね。見終わった後、改めて、成る程なーと思いました。
アレクサンダーを題材にしているけれども、本当のところ、語られているのは誰でもない。その為に劇中劇という体裁をとって、そこで語られるのはあくまでも「或る“王”」の話。ある、孤独な王の物語。
王である為の孤独。王であるからこその孤独。…孤独の為に王である、男の物語。
幕開きに「みんながいいなら」という台詞の後に登場したアレックスは、最初から孤独な男である事を見せ続ける。
印象的なのは、多くの人が何度も繰り返しアレックスに語りかける「王である事だけが、あなたの存在の意味」という台詞。
多くの人に王である事だけを望まれ、王である彼しか必要とされない、その孤独。
彼を利用しようとする神々も、自分の感情を押し付けるだけの両親も、誰も、彼そのものを見ない。理解しようとも、愛そうともしない。
そんな彼の孤独が淡々と描かれる。
そして王になる事と、戦に行く事は同じ事で。誰一人、彼の身を案ずる事もなく前線に立つ事を望まれ、最高指揮官として兵を率いる責任を押し付けられる。周りの人々の言葉の言いなりになるしかない事への抵抗感は、孤独と絶望と虚無感となって彼を痛めつける。
そしてここで気づくのは、役名に「ヒッピー」と書かれてない父や教師も含めて、彼をとりまく人間のキャラクター達はみんなアンサンブルである事。すべての人間たちは、アレックスの状況を説明する為だけに存在する、実体を持たない幻影。
これは作劇の上の事だけではなく、アレックスにとっては、どの人物も一人の人間としての重みを持たない。彼は誰にも心を開く事がない。
…ただ一人だけ、「母親」オリンピアスだけを除いて。
この作品の中では、オリンピアスだけがドラマを背負った一人の人間として登場し、ただ一人、人間としての“芝居”をする。
そしてアレックスは、彼女にだけは激しい感情をぶつける。彼を傷付けられるのは、この「母親」のみなんですね。
彼の心には、母の他には影響を与えられる人間はいないという、更なる孤独。
そして、その母をも捨て去って、彼は戦いの旅に出る。
ただ一人、彼の心の在り処に興味を示した“影”ディオは、彼に色々と問いかけ、彼の心を観客に語らせる為の存在。
ただ一人、彼に何も求めず、そばにいると語りかける“翼”ニケは、彼の心を安らかにして彼の物語を進める為の存在。
アテナは、まあ、言わずもがな。物語の枠組みを説明する存在。
そんな、この作品の形が見えてきたところで、物語はインドに行き着く。
ペルシアを征服した後に、やっと辿り着いたインド。無理な戦いを重ねて兵は疲れ、これ以上戦う事ができない、となった時。
舞台の大詰め、とうとう、アレックスの本心が明かされる。
アレックスは、誰も見た事のない所に、世界の果てに行きたかった。その為に、神々の思惑を利用した。
驚愕のどんでん返し。
今まで、多くの人々から利用され、嫌々人々の思惑に動かされているように見せかけて…その実。
それはすべて、アレックス自身が望んだ事だった?
でも、それならば。
世界の果てを目指す、という自分の望みをかなえる為には、彼は“王”である必要があった。
そして、戦い、勝ち続け、征服し続けなければならなかった。
本当は、彼は強く強く、王である事、戦い続ける事を望んでいた。その望みを叶える為に、神も人も全てを欺いていたという事?
「みんながいいなら」と、まるで受身の状態のように見せかけて、本当はアレックス自身の強い意志が周りの人々を動かしていた?
彼自身だけでなく、周りの人々が無理なく彼と供に世界の果てまで戦い続けるように。
嫌々周りの思惑に従っているような、芝居をしていたんだ。
物語の主人公が、更に周りに芝居を仕掛けていたというトリック。なーるほど。
普通は主人公が周りの人間達を騙す場合、独白等で観客にそれを告げるもの。そして、その騙していく過程を芝居として見せるものですが、この芝居では観客にも真意を見せていなかっただけの事。簡単なトリックなんですけどね。
と、いうことは。
本当は彼は“王”である必要があった。
世界の果てを見る為に、「王である事だけが、生きる意味」だったのだ。それを望んでいたのは、彼自身。
ややこしい人間達を全て拒否して、誰にも心を開かなかったのも、彼。
周りの人間達に対して、王としてある事だけを望んで、王としてある自分しか必要としなかったのも、本当は彼のほうだったんだ。
それが彼の孤独と虚無感の正体。
登場したどの人物も、一人の人間としての重みを持たない。彼は誰にも心を開く事がない。
それは、彼が、誰の事も見ていないから。理解しようとも、愛そうともしないから。
今まで描かれた彼の孤独は、本当は誰からも愛されない孤独ではなく、誰の事も愛する事ができない、孤独だった。
人間、自分の行いを相手からも返されるもの。
自分が愛さないから、人から愛されなかった、それだけの事。
なんという、空虚な人間、アレックス!
戦い続ける事ができなくなれば、ただの空っぽな人間になってしまったアレックス。
もはや周りの人間にとっては、彼は、空っぽな…誰でもない男。
孤独な、或る“王”、でしかない。
そんな真実を語り終えると、彼は一人、退場する。
残された神々、ディオとアテナが語りだし、一気に物語を収束させる。
結末が神の語りのみである事にも、またびっくり。何処の植田景子作品かと思いました。「結局、人は人でしかない」とか、言い出すのかと思ったけど(^^ゞ
そして、エピローグ。
アレックスのもとに、ロクサーヌとなったニケが現れる。
「これはハッピーエンドなのか?」と、問いかけるアレックスに、思わず先程のディオの台詞を思い出す。
「問いかける、という時点で、すでに答えは出ている。答えは否だ。」
空っぽなアレックスは、人を求めない、愛さない。だから人に、愛に、満たされる事もない。
人間となったロクサーヌの事は、どうだろう?
それは語られず、物語は終わりを告げる。
ただ、もはや、この二人は劇中劇の体裁は取らない。それがどういう意味なのかは…、ちょっと一回の観劇では解らなかったけど。
ともかく、膨大な台詞を聞き逃さないように頑張って、理解できたのはここまで。
何回か見れば、もうちょっと深く理解できたのかなーとも思うのですが。
この先の考察は、またこの次に。
「A-“R”ex」-或る“王”の話- その1
2008年1月14日 月組「A-“R”ex」−如何にして大王アレクサンダーは世界の覇者たる道を邁進するに至ったか− 作・演出/荻田浩一
見てきました。
最近の宝塚一の人気作家の、賛否両論の話題の最新作。
退屈で眠くてつまらないという人もあれば、美しい舞台で、何故か泣いてしまう、ハマる作品という人も。
私がお邪魔しているブログさまでも、皆さん違う感想を書かれていて。
興味津々で行ってきました。
一度しか見られないので、一応、ある程度は色々なところの感想なども読み、見落としの無いように予習もしました。
見ながらも、感覚を研ぎ澄ませて、集中して。美しい台詞たち、掛け言葉、言葉遊び、言葉と台詞のトリックを見極めたい。
そして、舞台の感想を私なりの言葉にできたらいいなーと思いながら。
見終わって、一番最初に思った事は。
つまり、私にとってはこの作品、<主演>は瀬奈じゅん。
でも、<主役>は「作・演出/荻田浩一」だったんじゃない?
見る前も、見ていても、見終わった後も、結局考えるのは「如何にして荻田浩一はこの作品を作ったか」。
何を表現したくて?語り掛けたくて?問いかけたくて?考えるのは、そればかり。
確かにあさこさんは素敵だったけど、その魅力は楽しめたと思うけど。
私は贔屓の出演する舞台は結構な回数を見ますが、それ以外はほとんど1回しか見ることはありません。
何度か見る場合、初見では脚本・演出と出演者の演技を見る割合は、作・演出:6.5に対して出演者3.5くらいかなーと思っています。
そして、話の筋や見所がわかってから見る、2回目3回目以降には、作・演出の割合は下がり、出演者のパフォーマンスを見る割合が高くなる。
簡単にいえば、初見で泣いたり笑ったりするのは脚本・演出の力が大きいけれど、3回目以降くらいになると、泣いたり笑ったりするのは出演者の力が大きいのではないかと。
作品にもよりますよね。
出演者の魅力を見せる為にシンプルに作られた「HOLLYWOOD LOVER」は、初日から脚本・演出5:出演者5くらいの割合で見れました。3回目以降は、脚本・演出2:出演者8くらいで見ていた感覚です。
でも、この「A-“R”ex」については、多分何度見ても、作・演出:8に対して出演者:2くらいで見るのではないでしょうか。
15人の少ない出演者の魅力は存分にいかされた作品なので、その魅力を楽しむ事は確かなのですが…でも、考えるのはオギーの主張だと思うんですよね。一度しか見られないので、仮定の話ですけどね。
ま、そう思うのは、贔屓が出演していないから、というのもありますね。贔屓が出ていれば、私にとっては彼女が主役ですから。
荻田浩一氏が表現したいものと、オオゾラ氏が体現したいものを、両方考えながら見る事と思います(^^ゞ
作品については、まだ纏まらないので、今日はこれまで。
見てきました。
最近の宝塚一の人気作家の、賛否両論の話題の最新作。
退屈で眠くてつまらないという人もあれば、美しい舞台で、何故か泣いてしまう、ハマる作品という人も。
私がお邪魔しているブログさまでも、皆さん違う感想を書かれていて。
興味津々で行ってきました。
一度しか見られないので、一応、ある程度は色々なところの感想なども読み、見落としの無いように予習もしました。
見ながらも、感覚を研ぎ澄ませて、集中して。美しい台詞たち、掛け言葉、言葉遊び、言葉と台詞のトリックを見極めたい。
そして、舞台の感想を私なりの言葉にできたらいいなーと思いながら。
見終わって、一番最初に思った事は。
つまり、私にとってはこの作品、<主演>は瀬奈じゅん。
でも、<主役>は「作・演出/荻田浩一」だったんじゃない?
見る前も、見ていても、見終わった後も、結局考えるのは「如何にして荻田浩一はこの作品を作ったか」。
何を表現したくて?語り掛けたくて?問いかけたくて?考えるのは、そればかり。
確かにあさこさんは素敵だったけど、その魅力は楽しめたと思うけど。
私は贔屓の出演する舞台は結構な回数を見ますが、それ以外はほとんど1回しか見ることはありません。
何度か見る場合、初見では脚本・演出と出演者の演技を見る割合は、作・演出:6.5に対して出演者3.5くらいかなーと思っています。
そして、話の筋や見所がわかってから見る、2回目3回目以降には、作・演出の割合は下がり、出演者のパフォーマンスを見る割合が高くなる。
簡単にいえば、初見で泣いたり笑ったりするのは脚本・演出の力が大きいけれど、3回目以降くらいになると、泣いたり笑ったりするのは出演者の力が大きいのではないかと。
作品にもよりますよね。
出演者の魅力を見せる為にシンプルに作られた「HOLLYWOOD LOVER」は、初日から脚本・演出5:出演者5くらいの割合で見れました。3回目以降は、脚本・演出2:出演者8くらいで見ていた感覚です。
でも、この「A-“R”ex」については、多分何度見ても、作・演出:8に対して出演者:2くらいで見るのではないでしょうか。
15人の少ない出演者の魅力は存分にいかされた作品なので、その魅力を楽しむ事は確かなのですが…でも、考えるのはオギーの主張だと思うんですよね。一度しか見られないので、仮定の話ですけどね。
ま、そう思うのは、贔屓が出演していないから、というのもありますね。贔屓が出ていれば、私にとっては彼女が主役ですから。
荻田浩一氏が表現したいものと、オオゾラ氏が体現したいものを、両方考えながら見る事と思います(^^ゞ
作品については、まだ纏まらないので、今日はこれまで。
星組公演 見てきました
2008年1月11日 宝塚星組公演見てきました。
今年、初の東宝宝塚劇場。楽しかった〜。やっぱり宝塚はいいなぁ。…たとえ、作品が齋藤趣味爆裂作品でも^^;
男役さん達がかっこよくて、娘役さん達がキレイで、それだけで幸せだ。舞台の皆さんのパワーと笑顔に、幸せを貰いました。
感想は纏まらないので、ひとまず箇条書きメモ。
・トウコさんは、齋藤君に愛され過ぎて、ちょっと気の毒だと思った。
・あすかちゃんが可愛い♪
・ゆかりちゃんの笑顔が、光にとけてしまいそうだ。
・コトコトが、すんげー可愛い♪
・しかし、噂のコトコトのモノローグは、確かにスゴイ。笑いで手が震えるので、オペラグラスを持ち続ける事が不可能に。
・私的に伝説の「サラン・愛」のくららちゃんのモノローグ「まあ!素敵なお方!」とか、なんだっけ?檀ちゃんのお墓が、突然半分に割れる場面とかと同じくらいの破壊力だった。
・柚希さんは芝居でもショーでも舞台荒らしだと思った。しかも必ず舞台荒らしその2.和くんがついてくる。荒らし能力は和くんのほうがかなり上かと。しかし破壊力は柚希さんのほうが数段上だ。
・今日は一階後方席。音響が非常に悪く、この二人の会話は声が大きくて耳が痛かったので、そう思ったのかもしれない。
・でも宝塚において「舞台荒らし」というのは褒め言葉でもあると思って書いています。
・しずくちゃんが、めちゃくちゃ可愛い(^^)…いつの間に、こんなに美しくなったんだろう。月に来てくれるのが楽しみだなぁ♪
・しいちゃんは、いつ見ても変わらない笑顔が素敵だ。なんだか、そのあらゆる意味での変わらなさが、月組におけるかえこちゃんのようだ。さすがに、お顔は少し大人になったけど^^;…そこに浮かぶ表情が、最初に見た時と変わらない気がする。
・すずみん、ショーの女役がとっても可愛い。びっくり。
・すずみんの燕尾のタンゴは、ストイックな感じがあって、素敵。
・みなみちゃん、芝居もショーも、本当に本当に可愛い。エトワールは、まろやかな声の部分が素敵。最後にピンクの羽で良かった。
芝居は、これでもかこれでもかと、ギュウギュウに詰め込んだ作品。聞いてはいたけど、やっぱり、ちょっと疲れた。
ショーも、色々なものをごちゃ混ぜにした…作品としてはアンバランスな感じ。
しかし!
極楽鳥達が!!
ゆかりちゃんが、みなみちゃんが、しかもあすかちゃんまで、脚を見せてくれちゃって!!!他の皆さんも…何処を見たらいいのか困るじゃないですか。
かっこよく踊る男役さん達を見る余裕もまるで無い程、大喜びしてきました(^^ゞ
あの極楽鳥さん達を見る為に、もう一回くらい行きたいなーと、結構真剣に考えた。
そして。
開演前、エスカレーターに乗る前にキャトルをふと見たら、「HOLLYWOOD LOVER」の舞台写真が出ているのが、見えまして。
あわてて、キャトルに走って…でもあまりにも沢山あって、買っている時間はありません。
ともかくどんな写真があるのか、見るだけで、客席へ。
幕間にまた走って、大急ぎで買ってきました。
またもや、めろめろ。
良い写真が沢山あります。
最初は「ここはもうちょっと…」と思った写真もありましたが、眺めているうちに全部良く思えてきました。
見ていると、また泣きたくなったりして。
今日から、お稽古開始だったんですね。あと、もう少し…。
今年、初の東宝宝塚劇場。楽しかった〜。やっぱり宝塚はいいなぁ。…たとえ、作品が齋藤趣味爆裂作品でも^^;
男役さん達がかっこよくて、娘役さん達がキレイで、それだけで幸せだ。舞台の皆さんのパワーと笑顔に、幸せを貰いました。
感想は纏まらないので、ひとまず箇条書きメモ。
・トウコさんは、齋藤君に愛され過ぎて、ちょっと気の毒だと思った。
・あすかちゃんが可愛い♪
・ゆかりちゃんの笑顔が、光にとけてしまいそうだ。
・コトコトが、すんげー可愛い♪
・しかし、噂のコトコトのモノローグは、確かにスゴイ。笑いで手が震えるので、オペラグラスを持ち続ける事が不可能に。
・私的に伝説の「サラン・愛」のくららちゃんのモノローグ「まあ!素敵なお方!」とか、なんだっけ?檀ちゃんのお墓が、突然半分に割れる場面とかと同じくらいの破壊力だった。
・柚希さんは芝居でもショーでも舞台荒らしだと思った。しかも必ず舞台荒らしその2.和くんがついてくる。荒らし能力は和くんのほうがかなり上かと。しかし破壊力は柚希さんのほうが数段上だ。
・今日は一階後方席。音響が非常に悪く、この二人の会話は声が大きくて耳が痛かったので、そう思ったのかもしれない。
・でも宝塚において「舞台荒らし」というのは褒め言葉でもあると思って書いています。
・しずくちゃんが、めちゃくちゃ可愛い(^^)…いつの間に、こんなに美しくなったんだろう。月に来てくれるのが楽しみだなぁ♪
・しいちゃんは、いつ見ても変わらない笑顔が素敵だ。なんだか、そのあらゆる意味での変わらなさが、月組におけるかえこちゃんのようだ。さすがに、お顔は少し大人になったけど^^;…そこに浮かぶ表情が、最初に見た時と変わらない気がする。
・すずみん、ショーの女役がとっても可愛い。びっくり。
・すずみんの燕尾のタンゴは、ストイックな感じがあって、素敵。
・みなみちゃん、芝居もショーも、本当に本当に可愛い。エトワールは、まろやかな声の部分が素敵。最後にピンクの羽で良かった。
芝居は、これでもかこれでもかと、ギュウギュウに詰め込んだ作品。聞いてはいたけど、やっぱり、ちょっと疲れた。
ショーも、色々なものをごちゃ混ぜにした…作品としてはアンバランスな感じ。
しかし!
極楽鳥達が!!
ゆかりちゃんが、みなみちゃんが、しかもあすかちゃんまで、脚を見せてくれちゃって!!!他の皆さんも…何処を見たらいいのか困るじゃないですか。
かっこよく踊る男役さん達を見る余裕もまるで無い程、大喜びしてきました(^^ゞ
あの極楽鳥さん達を見る為に、もう一回くらい行きたいなーと、結構真剣に考えた。
そして。
開演前、エスカレーターに乗る前にキャトルをふと見たら、「HOLLYWOOD LOVER」の舞台写真が出ているのが、見えまして。
あわてて、キャトルに走って…でもあまりにも沢山あって、買っている時間はありません。
ともかくどんな写真があるのか、見るだけで、客席へ。
幕間にまた走って、大急ぎで買ってきました。
またもや、めろめろ。
良い写真が沢山あります。
最初は「ここはもうちょっと…」と思った写真もありましたが、眺めているうちに全部良く思えてきました。
見ていると、また泣きたくなったりして。
今日から、お稽古開始だったんですね。あと、もう少し…。
まだ先の事ですが。
大空さんが月組の人でなくなったら。
このブログの「テーマ」というカテゴリ分類を変更しなければなりません。今まで「大空祐飛」という分類は、作ってなかったので。
私にとって大空さんについて書くものと、月組について書くものと、区別する…という発想がなくて、全部「月組」で区分してあったのです。
今まで書いたものを、今更区分するのも…なんだか変な気がするのですが、1月26日以降には、やはり「大空祐飛」というテーマに分類せざるを得ない気がします。
そして、月組以外はすべて「宝塚」で分類していたのですが、「花組」というテーマを設定しないワケにもいきません。
月組以外の舞台はだいたい1公演一回見れば良いほうですし、感想をうまく纏められなかったりしたので今まで、舞台を見ても感想をアップしてないもののほうが多いのですが。書きかけで纏まらなくて放置されているものが幾つかあって。多分、もう書けないしなぁ。うーん。
…などと思いながら、過去の日記の分類を見てみたら、設定するのを忘れてたものが、沢山^^;
大空さんが月組の人でなくなったら。
このブログの「テーマ」というカテゴリ分類を変更しなければなりません。今まで「大空祐飛」という分類は、作ってなかったので。
私にとって大空さんについて書くものと、月組について書くものと、区別する…という発想がなくて、全部「月組」で区分してあったのです。
今まで書いたものを、今更区分するのも…なんだか変な気がするのですが、1月26日以降には、やはり「大空祐飛」というテーマに分類せざるを得ない気がします。
そして、月組以外はすべて「宝塚」で分類していたのですが、「花組」というテーマを設定しないワケにもいきません。
月組以外の舞台はだいたい1公演一回見れば良いほうですし、感想をうまく纏められなかったりしたので今まで、舞台を見ても感想をアップしてないもののほうが多いのですが。書きかけで纏まらなくて放置されているものが幾つかあって。多分、もう書けないしなぁ。うーん。
…などと思いながら、過去の日記の分類を見てみたら、設定するのを忘れてたものが、沢山^^;
私は持病の頭痛があります。
目の疲れ、首や肩のこり、足腰の疲れなどが酷くなると、頭痛が酷くなってくるのです。
昨夜、ちょっと飲み過ぎてしまって、最初は酔って頭痛がするのだと思ったのですが…なかなか眠れなくて。
なんとか眠って、起きても痛い。お酒が抜けても痛い。
動かないとダメかと思って、結構たくさん歩いてみたりしたのですが、まだ痛いです(T_T)
ストレッチをしたり、マッサージ椅子でゴンゴンして貰ったりしましたが…ダメみたい。
いつか、この頭痛から開放される日は来るのでしょうか?
これだけでは、なんなので。
先日、CSで「ミリオンドリームズ」のロケットの場面以降のみ見ました。
大空さんロケットの真ん中付近にいて、最後のほうに映りますね。
あどけないお顔で、可愛いですね。あんまり可愛いので、ここでは、祐飛ちゃんと呼びましょう(^^)
やっぱり頭がすごく小さくて、スタイルが良くて。かぶりものがあるので、皆さんの頭のサイズがはっきり見えるので、頭の小ささが目だってますね。この時代の生徒さんの中では、ダントツのスタイルの良さだなーと、改めて思います。
しかし、足をあげつつ、みんなで繋いだ手をそのまま高く上げる振りの時、胸板の厚さに驚きました^^;
最後のパレードで階段を降りてきてお辞儀をする所も写ってますが、不審に目をパチパチっとする子は、あれは檀ちゃんでしょうか?
そして、祐飛ちゃん。お辞儀をする時、また改めてスタイルの良い子だなーと、しつこく感心。
この時代に、今のように劇場に通って、今の私のようにロケットでスタイルが良く、表情の良い子を探して見ていたら。
…やっぱり、このスタイルとあどけない笑顔の子はお気に入りになるな〜と、思ったのでした。絶対、私の趣味だ。
ちなみに、今の私のお気に入りは。
スタイルの良さでは、瑞羽奏都くん、鳳月杏ちゃん。美翔かずき君がロケットを卒業して、あの美しい脚を見る事ができなくなったのが残念。そして何故か、彩央寿音くんのロケット時代を全然見てない事に気づいて、先日愕然としました。きっしーのスタイル、大好きなのに…今頃気づくなんて(T_T)
あと、表情の可愛さ、面白さでは、蘭乃はなちゃんと、篁祐希君。二人ともスタイルも良いのですが、表情のほうが印象的です。篁君は、全ツの「ダル・レークの恋」でのロケットの表情豊かな面白さで、目が離せない子になりました。いつ見ても、表情が豊か過ぎで、めちゃくちゃ面白いです(^^)
そろそろ、もっと下級生の子達も顔を覚えていきたい…と思ってたんだけどな…。
目の疲れ、首や肩のこり、足腰の疲れなどが酷くなると、頭痛が酷くなってくるのです。
昨夜、ちょっと飲み過ぎてしまって、最初は酔って頭痛がするのだと思ったのですが…なかなか眠れなくて。
なんとか眠って、起きても痛い。お酒が抜けても痛い。
動かないとダメかと思って、結構たくさん歩いてみたりしたのですが、まだ痛いです(T_T)
ストレッチをしたり、マッサージ椅子でゴンゴンして貰ったりしましたが…ダメみたい。
いつか、この頭痛から開放される日は来るのでしょうか?
これだけでは、なんなので。
先日、CSで「ミリオンドリームズ」のロケットの場面以降のみ見ました。
大空さんロケットの真ん中付近にいて、最後のほうに映りますね。
あどけないお顔で、可愛いですね。あんまり可愛いので、ここでは、祐飛ちゃんと呼びましょう(^^)
やっぱり頭がすごく小さくて、スタイルが良くて。かぶりものがあるので、皆さんの頭のサイズがはっきり見えるので、頭の小ささが目だってますね。この時代の生徒さんの中では、ダントツのスタイルの良さだなーと、改めて思います。
しかし、足をあげつつ、みんなで繋いだ手をそのまま高く上げる振りの時、胸板の厚さに驚きました^^;
最後のパレードで階段を降りてきてお辞儀をする所も写ってますが、不審に目をパチパチっとする子は、あれは檀ちゃんでしょうか?
そして、祐飛ちゃん。お辞儀をする時、また改めてスタイルの良い子だなーと、しつこく感心。
この時代に、今のように劇場に通って、今の私のようにロケットでスタイルが良く、表情の良い子を探して見ていたら。
…やっぱり、このスタイルとあどけない笑顔の子はお気に入りになるな〜と、思ったのでした。絶対、私の趣味だ。
ちなみに、今の私のお気に入りは。
スタイルの良さでは、瑞羽奏都くん、鳳月杏ちゃん。美翔かずき君がロケットを卒業して、あの美しい脚を見る事ができなくなったのが残念。そして何故か、彩央寿音くんのロケット時代を全然見てない事に気づいて、先日愕然としました。きっしーのスタイル、大好きなのに…今頃気づくなんて(T_T)
あと、表情の可愛さ、面白さでは、蘭乃はなちゃんと、篁祐希君。二人ともスタイルも良いのですが、表情のほうが印象的です。篁君は、全ツの「ダル・レークの恋」でのロケットの表情豊かな面白さで、目が離せない子になりました。いつ見ても、表情が豊か過ぎで、めちゃくちゃ面白いです(^^)
そろそろ、もっと下級生の子達も顔を覚えていきたい…と思ってたんだけどな…。
先日、思い出を書いたりしましたが、今の私はちょっと回顧モードです。青年館の幕が開くまでに、少しずつ思い出を書き留めていきたいと思います。
そういえば、以前に「あひちゃんは「LUNA」の東京公演ではマーキュリーズの一員で」…なんて事を書きましたが、あれは鳴海じゅん君の休演中の代役だったのですね。
マーキュリーズの青いテカテカしたお衣装のあひちゃんの姿を鮮明に覚えているのですが、どうやらわりと短い期間の事だったようです。確かに。あのテカテカのお衣装の、なるみんの姿も覚えてる(^^ゞ
本当に色々な事があって、皆さんの今があるんだな…と、改めて思いました。
「HOLLYWOOD LOVER」で、何度も8年前の話がでるので、どうしても8年前の祐飛さんの事を思い出してしまいます。
バウ公演中の8年前といえば、ちょうど同じくらいの日程でドラマシティ公演「プロヴァンスの碧い空」にご出演中。
なんかねー。景子先生、絶対にファンが8年前の祐飛さんを思い出すところまで計算して、8年前という設定にしたと思いながら見ていたのですが。…組替を知った今となっては、ちょっと切ない仕掛けですね。
祐飛さんの役は アラン・グラヴィエール君。…イヤな奴でした^^;
いや、主人公アンドレから見て、という事ですが。
ちょうど、今回の作品のサム君のように、主人公の昔の姿と重なって見える役ですね。でも、サムとは正反対に、主人公の過去の「罪」を象徴する若者の役です。
サムは「未来の希望」を象徴する役ですが、ステファーノさんとは正反対の姿ですよね。
小柄で華奢な体格、高い声、細面に丸い大きな瞳…この役に麻月ちゃんが選ばれたのは、この対照的な姿が必要だったからではないか?と思える程。同じ場所にいる正反対の二人の、鮮やかな対比でした。
対して祐飛さんのアラン君は、リカさん演じるアンドレと同じくらいの体格、少し似た面影のある丸い頭に、二人とも少し形の違うパーマヘアで。ほんの僅かですが、祐飛さんがリカさんの後ろに立ち、まるで影のように同じ振りを踊る場面もありました。
そして、若いアラン君は、アンドレと同じ「罪」を重ねて犯す。
アラン君がアンドレに決闘を申し込む場面は、毎回、胸がギュッと痛くなる場面でした。サムが「希望」を象徴してステファーノさんを送りだすのとは、本当に正反対。罪の痛みを見せる役を、切ない思いで見た覚えがあります。
ですが、このサムの麻月ちゃん、あの8年前の祐飛さんと同じ学年なんですよね。…二重三重の仕掛けです。
本当に、このサムの役は、麻月ちゃんでなくてはならなかったんですね、色々な意味で。最初に見た時は、るうちゃんかきっしーでもよいのでは?と思ったりもしたのですが。麻月ちゃんが役にはまっていくにしたがって、上記の理由も含めて他の人は考えられなくなりました。
今となっては、サムの最後の台詞は本当に胸に痛い。バウでも毎回泣かされていましたが、青年館では、涙の重みが違います。
…景子先生は、やっぱり、組替の事を知っていてこの作品を作って下さったんだよね?
多分、麻月ちゃんは自分の台詞がこんなに重大な意味を持つ事になるとは、知らずに台本を貰った事と思いますが^^;
麻月ちゃん。祐飛ファンは、君の台詞で泣く気まんまんです。最後に景気よく、ぱーんと頑張って下さい。
よろしくお願いしますm(__)m
そういえば、以前に「あひちゃんは「LUNA」の東京公演ではマーキュリーズの一員で」…なんて事を書きましたが、あれは鳴海じゅん君の休演中の代役だったのですね。
マーキュリーズの青いテカテカしたお衣装のあひちゃんの姿を鮮明に覚えているのですが、どうやらわりと短い期間の事だったようです。確かに。あのテカテカのお衣装の、なるみんの姿も覚えてる(^^ゞ
本当に色々な事があって、皆さんの今があるんだな…と、改めて思いました。
「HOLLYWOOD LOVER」で、何度も8年前の話がでるので、どうしても8年前の祐飛さんの事を思い出してしまいます。
バウ公演中の8年前といえば、ちょうど同じくらいの日程でドラマシティ公演「プロヴァンスの碧い空」にご出演中。
なんかねー。景子先生、絶対にファンが8年前の祐飛さんを思い出すところまで計算して、8年前という設定にしたと思いながら見ていたのですが。…組替を知った今となっては、ちょっと切ない仕掛けですね。
祐飛さんの役は アラン・グラヴィエール君。…イヤな奴でした^^;
いや、主人公アンドレから見て、という事ですが。
ちょうど、今回の作品のサム君のように、主人公の昔の姿と重なって見える役ですね。でも、サムとは正反対に、主人公の過去の「罪」を象徴する若者の役です。
サムは「未来の希望」を象徴する役ですが、ステファーノさんとは正反対の姿ですよね。
小柄で華奢な体格、高い声、細面に丸い大きな瞳…この役に麻月ちゃんが選ばれたのは、この対照的な姿が必要だったからではないか?と思える程。同じ場所にいる正反対の二人の、鮮やかな対比でした。
対して祐飛さんのアラン君は、リカさん演じるアンドレと同じくらいの体格、少し似た面影のある丸い頭に、二人とも少し形の違うパーマヘアで。ほんの僅かですが、祐飛さんがリカさんの後ろに立ち、まるで影のように同じ振りを踊る場面もありました。
そして、若いアラン君は、アンドレと同じ「罪」を重ねて犯す。
アラン君がアンドレに決闘を申し込む場面は、毎回、胸がギュッと痛くなる場面でした。サムが「希望」を象徴してステファーノさんを送りだすのとは、本当に正反対。罪の痛みを見せる役を、切ない思いで見た覚えがあります。
ですが、このサムの麻月ちゃん、あの8年前の祐飛さんと同じ学年なんですよね。…二重三重の仕掛けです。
本当に、このサムの役は、麻月ちゃんでなくてはならなかったんですね、色々な意味で。最初に見た時は、るうちゃんかきっしーでもよいのでは?と思ったりもしたのですが。麻月ちゃんが役にはまっていくにしたがって、上記の理由も含めて他の人は考えられなくなりました。
今となっては、サムの最後の台詞は本当に胸に痛い。バウでも毎回泣かされていましたが、青年館では、涙の重みが違います。
…景子先生は、やっぱり、組替の事を知っていてこの作品を作って下さったんだよね?
多分、麻月ちゃんは自分の台詞がこんなに重大な意味を持つ事になるとは、知らずに台本を貰った事と思いますが^^;
麻月ちゃん。祐飛ファンは、君の台詞で泣く気まんまんです。最後に景気よく、ぱーんと頑張って下さい。
よろしくお願いしますm(__)m
2008年、一日目。
私は、苦しい一日を過ごしました。お雑煮のお餅の食べ過ぎで(^^ゞ
今年は初めて、商店街の和菓子屋さんで搗きたてのお餅を買ってみまして。今まではスーパーで買ってきた個包装のパックのお餅を食べていたのですが、まだ柔らかいお餅を、喜んでお雑煮に入れてみたのです。今までと同じ数を。
おじさんが店先で切ったのし餅は、個包装の餅の倍くらいのサイズがあった上、大きさにバラつきがある事に気付かずに。
よそってしまった後で、中でも一番大きいお餅を取った事に気付いたのですが。美味しかったので、お屠蘇を飲みながらのんびりと食べてしまえたのですね。そして、後で地獄をみました(T_T)なんとも私らしく、間抜けな一年の初め。
この一年、美味しいからといって限界を超える事には、気を付けなくては。…何事においても。
夕方になって近所の神社に初詣に行くまで、テレビを見る事もできず一人で唸っておりました。
CSの新春メッセージ等も見る事ができず。しかたがないので、昔の事でも思い出してみました。
お正月。思い出すのは2001年の東京宝塚劇場の柿落とし公演だった「いますみれ花咲く」。この公演は1月1日が初日で、NHKで舞台中継がありました。
新しい劇場のおめでたい初日、しかもマミさんの東京での最後の公演。ドキドキしながら中継を見ておりました。
祐飛さんの登場は下手の花道?この場所はせり上がりなのか、袖から出てきたのか。映像では映らなかったのでした。
MY初日は、翌日、1月2日。下手でセリ上がってくる祐飛さんの若衆姿に、ちょっと感動しました。この新しい東京宝塚劇場の、このセリを使ったのは、大空さんが最初の人。…今となっては「だから何なの?」という話ですが(^^ゞでも。この東京宝塚劇場があるかぎり、何十年たっても、私はあのセリを見ると、あの日の事を思い出すと思う。
そして。忘れる事のできない「黒い瞳」東京公演。
りかさんの突然の休演で、祐飛さんが代役でプガチョフ演じる事になった衝撃のお正月公演。
あれは1999年。まる9年が過ぎてしまったのですね。
私が見たのは、5日の二回と休演日をはさんだ7日の昼公演。夜にはりかさんが復活された、代役公演の最後の三回です。
あの時、マミさんを始め月組の皆さんが、若いプガチョフに対しての役作りに変えて下さって。代役とはいえ、月組全体で「役代わり公演」と言える程に作り上げて見せてくれた事が、月組ファンとして嬉しかったのでした。
マミさんのニコライは、若いプガチョフがまっすぐに悲劇に向かって突き進んでいく姿を、切なく見守って下さった。
ザルービン・トマーノフを始めとするプガチョフの部下達は、若く清らかな指導者に熱狂して付き従い、苦しい生活から開放される夢に、共に酔いしれていた。りかさんのプガチョフの時は、もっと生活感があるというか…リアリティのある人間的な感じだった。
るんぱさんのベロボロードフはじめユカさん達の叛乱軍の年長者は、若く世間知らずの理想主義者を、いかに担ぎ上げ甘い汁を吸うか、常に白々しくご機嫌を取り繕っていた。リカさんのプガチョフとは同年代で「狐と狸の化かしあい」のような対等の関係だったのが、祐飛プガチョフ相手だと、子供をあやすような雰囲気があった。
女帝エカテリーナやロシアの人々は、線の細い若者の率いる叛乱軍を、まるで子ども扱いして侮っていた。
そんな中、祐飛プガチョフは。全ての人々の思惑を悟りながらも、なお、一縷の希望にかけて、勝つ見込みの無い戦いにまっすぐに向かっていった。まだ男役としても線が細くて、本公演で上級生の中に入ると、欲も世俗の汚れも知らぬ少年のように見えた。敗れても、誇り高く顎を上げ、清々しい顔をして。堂々と歌いながら、処刑への道を歩いていった。
その姿が若さの痛々しさを象徴するものであるように、月組の皆さんが作り上げてくれた。芝居の月組の力を見た、改めて月組っていいなーと思った公演でした。
あの時の主要メンバーは、もう月組に残り少なくて。三人の進行役の一人だったきりやんくらいかな?当時から月組にいたメンバーを今の月組生で数えてみると、オオゾラ氏を含めて9人のみ!…時の流れは全てを押し流していくものですね。でもね、月組はやはり月組なんですね。少しずつ形を変えながら色々なものが受け継がれてきて、今の月組がある。それはとても素敵な事だと思います。
そして、懐かしいプガチョフ。
大劇場の新人公演・代役公演・東京新人公演とそれぞれ役作りに変化があり、キャラクターの違った芝居でしたが、最期の場面は基本的に同じだったんですよね。誇り高く堂々と、清々しい笑顔を見せてくれた。
この後も、プルミタス、イ・セファン、タムロン、ルドルフ、オスカル、カシウス…ちょっと形は違うけれど鎌足、ティモシー、スコットも。誇り高く潔く、何かの為に命をかけて戦う役が似合う人だと思う。
これから、どんな姿を見せて下さるのかなー。組が替われば、また変化していく事でしょうね。ファンは楽しみについていくしかないですね(^^)
私は、苦しい一日を過ごしました。お雑煮のお餅の食べ過ぎで(^^ゞ
今年は初めて、商店街の和菓子屋さんで搗きたてのお餅を買ってみまして。今まではスーパーで買ってきた個包装のパックのお餅を食べていたのですが、まだ柔らかいお餅を、喜んでお雑煮に入れてみたのです。今までと同じ数を。
おじさんが店先で切ったのし餅は、個包装の餅の倍くらいのサイズがあった上、大きさにバラつきがある事に気付かずに。
よそってしまった後で、中でも一番大きいお餅を取った事に気付いたのですが。美味しかったので、お屠蘇を飲みながらのんびりと食べてしまえたのですね。そして、後で地獄をみました(T_T)なんとも私らしく、間抜けな一年の初め。
この一年、美味しいからといって限界を超える事には、気を付けなくては。…何事においても。
夕方になって近所の神社に初詣に行くまで、テレビを見る事もできず一人で唸っておりました。
CSの新春メッセージ等も見る事ができず。しかたがないので、昔の事でも思い出してみました。
お正月。思い出すのは2001年の東京宝塚劇場の柿落とし公演だった「いますみれ花咲く」。この公演は1月1日が初日で、NHKで舞台中継がありました。
新しい劇場のおめでたい初日、しかもマミさんの東京での最後の公演。ドキドキしながら中継を見ておりました。
祐飛さんの登場は下手の花道?この場所はせり上がりなのか、袖から出てきたのか。映像では映らなかったのでした。
MY初日は、翌日、1月2日。下手でセリ上がってくる祐飛さんの若衆姿に、ちょっと感動しました。この新しい東京宝塚劇場の、このセリを使ったのは、大空さんが最初の人。…今となっては「だから何なの?」という話ですが(^^ゞでも。この東京宝塚劇場があるかぎり、何十年たっても、私はあのセリを見ると、あの日の事を思い出すと思う。
そして。忘れる事のできない「黒い瞳」東京公演。
りかさんの突然の休演で、祐飛さんが代役でプガチョフ演じる事になった衝撃のお正月公演。
あれは1999年。まる9年が過ぎてしまったのですね。
私が見たのは、5日の二回と休演日をはさんだ7日の昼公演。夜にはりかさんが復活された、代役公演の最後の三回です。
あの時、マミさんを始め月組の皆さんが、若いプガチョフに対しての役作りに変えて下さって。代役とはいえ、月組全体で「役代わり公演」と言える程に作り上げて見せてくれた事が、月組ファンとして嬉しかったのでした。
マミさんのニコライは、若いプガチョフがまっすぐに悲劇に向かって突き進んでいく姿を、切なく見守って下さった。
ザルービン・トマーノフを始めとするプガチョフの部下達は、若く清らかな指導者に熱狂して付き従い、苦しい生活から開放される夢に、共に酔いしれていた。りかさんのプガチョフの時は、もっと生活感があるというか…リアリティのある人間的な感じだった。
るんぱさんのベロボロードフはじめユカさん達の叛乱軍の年長者は、若く世間知らずの理想主義者を、いかに担ぎ上げ甘い汁を吸うか、常に白々しくご機嫌を取り繕っていた。リカさんのプガチョフとは同年代で「狐と狸の化かしあい」のような対等の関係だったのが、祐飛プガチョフ相手だと、子供をあやすような雰囲気があった。
女帝エカテリーナやロシアの人々は、線の細い若者の率いる叛乱軍を、まるで子ども扱いして侮っていた。
そんな中、祐飛プガチョフは。全ての人々の思惑を悟りながらも、なお、一縷の希望にかけて、勝つ見込みの無い戦いにまっすぐに向かっていった。まだ男役としても線が細くて、本公演で上級生の中に入ると、欲も世俗の汚れも知らぬ少年のように見えた。敗れても、誇り高く顎を上げ、清々しい顔をして。堂々と歌いながら、処刑への道を歩いていった。
その姿が若さの痛々しさを象徴するものであるように、月組の皆さんが作り上げてくれた。芝居の月組の力を見た、改めて月組っていいなーと思った公演でした。
あの時の主要メンバーは、もう月組に残り少なくて。三人の進行役の一人だったきりやんくらいかな?当時から月組にいたメンバーを今の月組生で数えてみると、オオゾラ氏を含めて9人のみ!…時の流れは全てを押し流していくものですね。でもね、月組はやはり月組なんですね。少しずつ形を変えながら色々なものが受け継がれてきて、今の月組がある。それはとても素敵な事だと思います。
そして、懐かしいプガチョフ。
大劇場の新人公演・代役公演・東京新人公演とそれぞれ役作りに変化があり、キャラクターの違った芝居でしたが、最期の場面は基本的に同じだったんですよね。誇り高く堂々と、清々しい笑顔を見せてくれた。
この後も、プルミタス、イ・セファン、タムロン、ルドルフ、オスカル、カシウス…ちょっと形は違うけれど鎌足、ティモシー、スコットも。誇り高く潔く、何かの為に命をかけて戦う役が似合う人だと思う。
これから、どんな姿を見せて下さるのかなー。組が替われば、また変化していく事でしょうね。ファンは楽しみについていくしかないですね(^^)