花組 宝塚ロマン『怪談 ベルサイユのばら -アラン編- 』 見てきました。
すごい話でした。驚きの連続!想像を超える狂気の世界。
今までの、全てのトンデモ作品を、軽~く超えました。
まあ、何を語るにも、生きた人間相手じゃないと無理ですよね。
途中、何度か我慢できなくて笑ってしまったのですが、隣がお友達で良かったです。
迷っている方は一度は見てもいいと思います。
恐いものみたさででも…怪談ですし^^;
何も考えずに、笑う気で見てください。面白いものじゃないけど、異世界を見ると思って。
劇場で、下級生を見ながらならば楽しいけれど、映像だったら我慢できない脚本かもしれませんし(-_-;)

それにしても、真飛さんはトマス・キースに続き、またしても無駄死にの役。
実は、ちょうど「愛と死のアラビア」と同じくらいの時代にあたるんですよね。
もしかすると、フランスとエジプトでほぼ同時くらいに無駄死になさっているのかもしれません。
なんですかねー、演出家の先生がたというのは、美人が相手だと、悲劇を見たくて無理矢理死なせてしまうのでしょうか?トマスもアランも、何故死ぬと分かっている行動を取るのか、見ている側にはさっぱり分からない脚本ですねー。
でも、最後にマントを跳ね上げて剣を抜く姿の美しさが、とても印象的。

あやねちゃんは、「幽霊船」の場面に続き、またしても幽霊。
やっぱり、美人を見ると、この世ならぬ存在を演じて欲しくて幽霊の役をつけてしまうものでしょうか?
…しかし、想像を絶する存在のキャラクターなので、もはや何を語ることもできません。

えりたんのアンドレは美しいし、みわっちのオスカルは…なんだかすごく好きでした、私は。
暖かな人柄が滲み出るような、実(じつ)のある存在感のオスカルで。
もっとちゃんと見たいと思いました。
まっつのジェローデル、あんなに出番が無いとは思わなかったけど、思っていたよりもあの髪型は似合っていたと思います。
革命の場面は、オペラグラスをはずして、真ん中のまっつを堪能してきました。

娘役さん達は本当に皆さん可愛くて。
特に、いちかちゃんの貫禄の可愛さという不思議なワザに、感動。
そして、ゆまちゃんが、すごーーく綺麗になっていて感動。
れみちゃんの相変わらずの力強い踊りにも(^^)
実は、れみちゃんの脚の形が大好きなので、ショーではじゅりあちゃんと二人、目が離せませんでした。
花組の皆さんの頑張る姿は感動的で、本当に心から楽しんではきましたが…。
…怪談は、好きじゃないんです、私。

---結末は書き直すと言ってくれ。ハッピーエンディングに。
---甘ったるい、メロドラマ風にね!

「THE LAST PARTY」で、大衆紙向けの短編を書き散らして、ゼルダの療養費と娘の学費を稼いでいるスコット。
出版社の要求に合わせて、提出した短編の結末を変える場面です。

…小池バージョン「ギャツビー」における、原作からの変容を考えていて、思い出したのがこの場面。
まさに、小池バージョンはこの場面で書き直されたもの、だったんじゃないかなと思いまして。
ハッピーエンディングとは言っても、ギャツビーの運命という筋立ては変えず、ヒロインのデイジーのキャラクターの書き換えのみというのが見事。
「人魚姫」を、王子と結ばれて幸せに終わらせた「リトル・マーメイド」に書き直したディズニーとは違って、ここはタカラヅカですからね。
大衆向けの、甘ったるいメロドラマを見る場所です。
ハッピーエンディングに求められるものが、ちょっと違うのです。
さすがに、小池先生はそこのところをよく分かっておられるなーと思います。

ギャツビーのお墓に、白い薔薇を手向けるデイジー。
ギャツビーがデイジーに渡す「白い薔薇」という、視覚的な象徴を設定したところも凄いと思うのですが。「エリザベート」で、シシィの手から、トート、そしてルキーニの手に渡るナイフのようなものですね。

でも、ともかく原作との一番の違いは、デイジーがギャツビーを愛している、という所です。
愛しているけれど「娘を持つ母親」という鎖に縛られて、身動きがとれずにギャツビーを喪ってしまう。なので、まあ、結末だけではなく物語全てが変わっているんですよね。

原作では、5年前には母親に反対されるなんて事もなく、ただギャツビーが戦争に行って距離が遠くなってしまった時に、出合ったトムと結婚するんですね。
そして、トムがギャツビーの正体をバラした時に、トムを選ぶのは彼を愛していたから。
トムの浮気に悩まされていても、喧嘩ばかりしていても、二人で積み重ねてきた時間を選ぶ。
…原作のデイジーは、ギャツビーを愛してはいないんですね。
彼女にとっては、ギャツビーはひと時見た夢のようなもので。
そんな彼女の為に全てを賭けたギャツビーの姿の哀しさが、この小説の美しさなのかなーと思うのですが。

でも、ここはタカラヅカ。
ギャツビーは謎の過去を持つ、影のある良い男になり。信念と愛の為に命を賭けるヒーローとして描かれる。
その愛に相応しく、ヒロインはゼルダをモデルにした「生身の女性」から、「夢の女」に書き直されます。
そして。たとえ悲しい運命でも、彼は満足していたのだと。
これは良い人生だったのだと。
最後に白いお衣装で、穏やかな清々しい笑顔でカタルシスを感じさせて、観客に納得させてくれるのがタカラヅカの力ですね。それが、宝塚のハッピーエンディングなんじゃないかな、と思ったのでした。

もっと色々考えたんですが、資料として「THE LAST PARTY」の月組バウ版なんぞ見てしまって、時間切れになりました(^^ゞ
やっと、やっと、東京版が放送されますね。楽しみです♪





腕が痛いです。
今日は特に予定が無かったので、のんびり「グレート・ギャツビー」を読んで、お昼寝をして…。
目が覚めたら、右手が上がらなくなっていました。寝違えたのかな?確か、朝は痛くなかったような気がするんだけど(T_T)
でも、キーボードを打つには問題が無いようで一安心。明日、お仕事はできるらしいです。

ま、そんな事はともかく。ギャツビーを読み終わりました。
なるほど、こういう話だったのか。
ギャツビーの身の上話は、笑う所だったのですね。
確かにあまりにも嘘くさい話だとは思いましたが、瀬奈さんがあまりにもかっこ良いので、そんなもんかなーと思ってましたが。
その嘘くさくていかにも作り話めいた身の上話に、彼の教養の無い事、常識も知らない無邪気な夢想家である事が表現されていたものとは。
うーん。起こった事件は同じでも。
タカラヅカは、清く正しく美しくなきゃねー。
男は、あくまでも格好良く。
女は、運命にもて遊ばれる悲劇的な…。

瀬奈さんのギャツビーはともかく、格好良かったですね。常に眉間に皺を寄せた悲劇のヒーロー。
どの瞬間もひたすらかっこ良さを追及した、究極の男役。ファンの方はこんなにもかっこ良い役を見る事ができて、きっとお幸せだろうなーと思います。
考えてみれば、なかなかこれ程に素敵なヒーロー役って、無いですものね。
最後までほとんど笑顔を見せる事なく、黙々と運命に立ち向かう。

プログラムに掲載されていた、初演の杜さんの写真は清々しい笑顔ですね。
瀬奈さんは最後まで、ああいう清々しい笑顔は出さなかったように思えました。
…少なくとも、私にはギャツビーのカタルシスのようなものは感じませんでした。
彼はデイジーの為に全てを犠牲にして、幸福だった、というようには感じなかった。
そのへんだけは、原作のギャツビーに近いイメージなのかな?
彼女を庇うのは当然で、ただ彼女に危害が及ばないのが彼の願いだったけれども。でも、それは、決して清々しく美しい自己犠牲を捧げたかった為ではなかった。
結果的には、そうなってしまったけれども。
そのあっけなさが現実の虚しさであるというような…。それが今回の小池先生の解釈なのかなーとも思ったのですが、どうなんだろう?

彼をヒーローとして描いた、この宝塚・小池バージョンでは、最後までタカラヅカ的に白い衣装に真っ白な抜けるような笑顔で、カタルシスを感じたかったような気もしますが…。


日生劇場「グレート・ギャツビー」見てきました。
私は初演も見ていませんし、原作は読んでいません。ちょうど読み始めたところで、この作品が発表されたので、見てから読もうと思って。
今、半分ほど読みましたが、話が核心にはいる前に舞台の一応の感想を書きとめておきたいと思います。

一番印象的だったのは、二幕の「神の目」の場面。
今回の再演でプラスされた場面のとの事ですが…初めてこの作品を見た観客としては、この場面が無いなんて、ちょっと考えられない。
逆に初演のファンの方には、無駄にしか見えないかも…とも思う、あまりにも力強い場面。
二幕で心情を表現する長いナンバーを入れるのはミュージカルの定石とはいえ、こんな場面をポーンと入れてしまう小池修一郎という演出家の力を、改めて感じました。

この場面の語る「神が見ている」というのは、決して宗教的な意味での「神」ではありませんよね。少なくとも「教会」が意味する宗教では無い。
…もっと、ずっと普遍的なもの。
宗教を持たない私でも、違う宗教を持った人にも通じる「真実」というもの。
見ているのは、自分の心の中の真実。
自らの心の中の正しさ、美しい善き心の象徴。偽り無き、心の中の真実。
「人が手を下す」というウィルソンの役割は、物語を終わらせる為のものであり、象徴に過ぎません。

自分の心や意思を捨て、人生を放棄してしまったデイジーの、心を殺す象徴として。

偉大なるギャツビーは自分の愛と正義を貫き、誇りと満足のうちにその生涯を閉じますが。
デイジーは心を失う。
心の支えとしていた、美しい初恋の思い出を、自らの手で滅茶苦茶に汚してしまって。
…自ら選んで、恋を切り刻んで、投げ捨ててしまって。
娘を生んで「女の子はきれいでバカなほうが良い」と言い、「女の子で良かった」というのは舞台でも使われたセリフだったでしょうか?
この、生まれた子供が娘だったというのが、なんと切ない事か。

デイジーは「娘を持った母親」になった時、かつての自分の母親と同じ道を選び…母の行いを肯定してしまう。
ゴルフ場で、夫の家に帰る事を選んだ時に。
かつては腹いせの為に「バカな女の子になってやる!」と叫んだけれど、結局は母の行いを認めて、その母の示した道を選んだ。
自分の手で、恋を捨てた。…それだけでも、かなり切ない事だけれど。
自らの罪の行いの為に、ギャツビーを喪った時。
「バカな女の子」になり、人に言われるがまま、自分の行いをちゃんと考える事を放棄した結果として、愛する人を犠牲とした時に。
彼女は自分の手で、自分の美しい恋の思い出を…人生を汚してしまった。

原作では、デイジーはお葬式には訪れないそうですが、私はそのほうが納得出来ると思いました。
舞台としては、白い薔薇を一輪手向けるほうが、美しいとは思いますが。
あんな事があってもお葬式に来られるくらいの強さを持った人間だったら、ああいう道は選ばないと思う。お葬式なんか出ずに、世界の果てまで逃げていく女性なんじゃないかな。
なんといっても、モデルとしてゼルダという生身の女性がいたわけで。
スコット・フィッツジェラルドが描いた、デイジーという女性の行動は本当にリアルで…生身の人間の切なさを描いているなーというのが、まだ原作を読み終わる前の感想です。原作を読み終わったら、また印象が変わるでしょうか。

「THE LAST PARTY」ファンとしては、まず「自分をモデルにしてこんな話を書かれたんじゃ、そりゃ、ゼルダもアル中にくらいはなるわ」と思ってしまいました。一番自分を理解する人に、心弱く愚かで平凡な女性として全世界に公表されるって…やっぱりツライよね^^;
劇中に何度もある「THE LAST PARTY」で使われていたセリフで、懐かしい気分になり。つい「スコットとゼルダ」モードで見てしまったので、かなりデイジーに感情移入してしまいました。
自分の愚かさの為に愛する人を喪ったデイジーは、娘の恋人が「金持ち」でなかったら、どうするのだろう?
母と同じように娘に良縁を望むのか、娘には恋を貫いて欲しいと望むのか…そもそも、その時まで正気でいられるのだろうか?

こんなふうにデイジーについて色々と考えてしまうのも、あいちゃんが頑張ってデイジーの心を演じて見せてくれたから。
ローズ・ラムーア役もすごく色々な事を想像させてくれる演技でしたが、あれからまた大きく成長ましたねー。
全ツ「ダル・レークの恋」のリタ役の頃まで気になっていた、怒るときも泣くときも同じように顔を歪めるような表情になるのが、ハリラバ頃から改善されたのが嬉しいです。
今回のデイジーでは怒りの表情にぐっと強さがでて、「タカラヅカの娘役」の枠の中に、生々しくリアルな人間の感情を迸らせる技量を見せてくれました。その瞳に宿る、パワーに引き込まれ…ナマの芝居を見る醍醐味を味わせてくれたと思います。ローズの時にインタヴューで「娘役であるより、役者としていたい」というような発言がありましたが、娘役としての枠をしっかり持っているからこその言葉なんだなーと、納得。
…まあ、あくまでも「月娘」としての枠なので、他組の娘役さんの芝居より、ちょっと力強いエネルギーに溢れたものかもしれませんが^^;
ともかく、あいちゃんのデイジーを見る事ができて、本当に良かったと思えた観劇でした。
その他の方々も皆さん良かったのですが、いずれまた。

久しぶりに見て、思ったこと。
イブラヒム長官殿、本当に、トマスをイギリスに帰す気はさらさら無かったんだなー。
「数年後、トゥスンが軍の司令官になった時の理想の軍師」って…もう、明朝には捕虜交換の船が出る時に!
エジプト太守が捕虜交換の交渉が纏まった事を知らない、なんて事は有り得ないし。
トマスは捕虜交換で帰る気なのに、この人達、数年後にもトマスがエジプトに居る前提で話してますよね^^;

やっぱり、アノウドをトマスの家に連れて行ったのは、トマスをイギリスに帰さない為の策略だったのに違いないと思うのです。
あの同じタイミングで、ドナルドには捕虜交換成立の話と真新しい白い軍服が届けられてたんじゃないかしらん。

…まあ、理由は簡単なんですけどね。
「正義がどうのこうのと言うじゃないぞ」からの、父上とイブラヒム長官殿の会話は、ほぼ原作どおり。だいぶ簡略化されてはいますが、会話の流れはほとんど同じです。
しかし!原作ではトマスはこの時点でイスラムに改宗して、エジプトと共に生きる事を選んだ後の話ですから。ここで、数年後の話が出るのは、まったく自然な流れなんですよね。
なので、私はずっとこの部分に疑問を持ったことは無かったのです。
物語を変えたのに、原作のセリフをそのまま使った為、矛盾が矛盾を呼んでしまったワケですね。
でも改めて考えると酷いですよね、イブラヒム兄さん。数年後の計画にトマスを組み込むなんて、意地でもイギリスには帰さない気だわ^^;

あと、原作ではここは「軍師」ではなく「理想の幕僚長」なんですよね。
イギリス軍で歩兵隊の狙撃兵としての訓練しか受けていない彼が、何故、軍師に?と友人に言われた時は気付かなかったのですが。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 によると、幕僚(ばくりょう)とは、指揮官を補佐する高等武官又はそれに準ずる者をいう。
参謀に近い意味で用いられることが多いが、必ずしも参謀又はそれに相当する者のみを指すわけではない。英語にいうstaffとほぼ同義である。
幕とは司令官の陣地をさし(幕府の幕と同義)、「司令官の側に侍る者」の意である…との事。
それなら、狙撃兵がなっても不思議はありません。なので、ここも私は疑問は持っていませんでした。
簡単な言い方にするなら「副官」というのが近いような気もしますが、「ふ」って言いにくいんですよね。オオゾラさんの発声だと、そういう言葉はきこえにくい場合が有ります。「くかん」と言ってるようにしか聞こえない、可能性有り^^;舞台でセリフとして話した時、分かりやすいように…という変更としては、仕方がないかな?

そして、もう一つ。
「法律と信仰からいえば、君はアノウドにとって何でもない存在だ」というのは、原作ではトゥスンのセリフなんですが。
確かに、原作では暴徒と化した兵士に襲われていたアノウドを助けて、家に連れ帰っただけの状態なのでこのセリフになりますが。
この舞台では、戦利品とされたアノウド達を、馬三頭と交換してますから。
法的にはその時点で、アノウドとサミーラの二人は、トマスの奴隷として扱われているんじゃないでしょうか?
そして、ご主人様であるトマスが「兄妹プレイ」^^;を望むのであれば、やはり、イブラヒム長官殿にも口出しできる事では…ないのでは?
原作では、もちろんトマスはこの時点でイスラム教徒ですから、なんの問題も無く、さくっと結婚してしまいます。
しかしこの宝塚バージョンでは、あくまでも改宗はしない前提で話が進むので、奴隷だなんだと不思議な話が展開されていきます。
このイブラヒム君も、原作を変に捻じ曲げた為の矛盾があるんですが。
でも。なんか納得しちゃうんですよね。
イブラヒム君の、片思いの切ない友情という、芯が通っているから^^;

アノウドが10ヶ月もの間、ベドウィン族に残されていたのも、きっとイブラヒム長官殿の策略に違いない、とかね。
もっと早くに連れて来る事は可能だったけれど、イブラヒムの指示で留め置かれたように思えてならないんですよ。
だって、もっと早くに連れてきて、二人の思いが通じあったら。
アノウドがキリスト教に改宗してイギリスに付いて行く…となっても、おかしくないですよね。
やはりトマスに考える暇を与えず、捕虜交換の船に乗らせない為の作戦の一つだと思う。
気がつけば、一ヶ月以上も更新してなかったです。
ちゃんと、生きていますし、花組観劇もしていますが…。
特に忙しいわけでもなく、なんとなーく、書ききれなくて。

まだしばらく放置状態となるかもしれません。それとも、すぐに書き始める事になるか…。
まったく、不明です。
世の中で一番、自分の事が信用できないので(-_-;)
…ま、いいか。なるように、なれば。

月組特集本

2008年6月28日 月組
やっと、手に入れました。
どうしよう、読み出したら止まりません。
みんな、可愛すぎる。そして、面白すぎる。
すみからすみまで、楽しいです。
…ちょっと、過去の舞台写真コーナーのオオゾラさんを見ると切なくなるけど。

やっぱり、生徒さん同士がコメントしていくコーナーが、楽しいですね。
あと、アンケートの「なんでもNO,1」コーナー。
「ギャップのある人NO,1」の研ルイス君は、どのコメントもとぼけていて、面白いなー。
「博識家」と「ほっとけないNO,1」の両方の第三位の篁祐希君も、結構気になります。「美食家」のかえこちゃん(良基天音)は、確か前回の月組本でも同じだったような。獲得票数は、組子の8〜9割くらい?…それにしてもお菓子の天使さまの扮装が、あまりにも可愛くて、眩暈がしそうです^^;
伝言板じゅずつなぎも、とても面白かったので、もうちょっと下級生まで人数入れてくれてもいいのに。
あー、楽しかった。…って、公演の感想をまとめたいのに、ついつい寄り道してしまってます。
みりおジャッキーを見てきました。
東京公演のわりと始めのほうに、あいあいのジャッキーを見て、やっとちゃんと見た…という気分で満足しました。
でも、今日は時間がないので、メモとして。

あいあいのジャッキーは、とっても完成度の高い「宝塚の娘役芸」としての、コメディエンヌ。
みりおジャッキーは、すごーーく美人で、感情の豊かさがキュートな「普通の女の子」という印象でした。
お二人とも、ほんっとおーーーーに可愛くて、どちらを見ても「ジャッキーってこういう役なんだ!」と納得させられて、大満足(^^)
ただ、今回の演出と他のメンバーのキャラクター設定に合っていたのは、あいあいジャッキーかなー、とも思いました。

今回の演出の〜今の月組でしかできない〜「ME AND MY GIRL」は、甘く切なく、華やかにショーアップされたミュージカルコメディ。
一人の悪い人も出てこない…だけじゃなくて、一人のイヤなヤツも出てこない“明るく楽しい可愛らしい作品”という印象でした。
ヘアフォード家の人々は、みんなコミカルなキャラがたっていて、出てくるだけで面白くて。
この愉快な人達が織り成すコメディには、あいあいの「宝塚娘役芸」でしっかりとカリカチュアされたジャッキー像のほうが、私には自然に感じられました。周りのステレオタイプなキャラクター達と馴染みが良い気がして。作品全体が同じテンションで統一されて、まとまり感がある…といいましょうか。
みりおジャッキーは、宝塚的イレギュラーの存在として、一人だけ周囲から浮き上がった感じがあるんですね。それが「男役が演じる娘役」の持つ意味なのだなーと、納得。そのぶん、みりおジャッキーの存在感が大きいわけですが。
勿論、どちらが良いわけでも、悪いのでもありません。
ただ、私は先にあいあいジャッキーのバージョンを見たせいで、作品の印象を掴み易かった気がします。この順番で見たのは、正解だったかなー♪

でも、「悪い人」がいないのと「イヤな人」がいないのでは、ちょっと意味が違うんですね。
平民を見下した貴族も、貴族への反感を持った平民もいない。
「階級」による断絶をあまり感じない、甘い人々のお話になってしまったら…その隔たりを乗り越える、二人の愛にもあまり重みが感じられない。二人を隔てるのは、ただマリア叔母様の我侭のみ、だから叔母様が納得すれば、それだけでハッピーエンドとなったように見えてしまいました。
貴族社会と平民社会の間に立つ”個人”としてのビルとサリーの物語ではなく、叔母様と仲良くなるまでのホームドラマ…という感じかな?
ヘアフォードの面白い人達は、みんな偏見も無い良い人達。すぐにビルと仲良しになってしまうので、ビルは「下町で育った孤児」としての孤独感もあまり感じられず。
だから、ホームドラマではあるけれど、さみしい孤児の「家族の再生」の物語というあたりは感じないですね。
なので、今回の演出は、楽しければ、なんでもいいや♪という感じなんだなーと思い、存分に楽しんできました(^^)ランベス・ウォークでは、楽しみ過ぎて体力の限界が。一体どうやったら、上手と下手と中央後方と、客席降りを全部見られるのでしょうか?

そしてまた、鳳月杏ちゃんチェック。
パーティの場面、ランベスの人々が乱入してきて貴族が一塊になった時、上手側に麻月・あちょー・杏ちゃんと並ぶのが、私的に超ツボ!
三人とも細かいお芝居をしています。たのしー。
最初は三人ともすごく嫌がって、あちょーさんが「出て行けー」等、野次っているのも面白い。杏ちゃんの、すっごくイヤーーーな顔に、ちょっとときめく。
でも、だんだんノリ出すと、一気に崩れるあちょーさん。そりゃ崩れ過ぎでしょう^^;…でも上流階級の品を失わないのがさすがです。いきなりオヤジな踊り方になる麻月ちゃんも素敵。
若い杏ちゃんは、みんながバラけた途端、エスコートしてきた彼女をきょろきょろ探して、見つけた時の嬉しそうな顔が可愛いかった!…まだ、あまり表情豊かではないけれど、そんなの私は慣れてますから^^;でも、彼の目にぱっと喜びの色の色が浮かぶのが、すごく印象的。その後は、二人でラブラブに踊っていて、微笑ましいです。若いっていいなぁ(笑)
ロケットは、腰の高さと、肩の骨のしっかり具合に反して、腕や脚の細さにびっくり。もうちょっと太って身のある感じのほうが…好みですが。
フィナーレ、階段を降りてくる頭の小ささと、肩幅にびっくり。アンバランスな程に頭がちっちゃい。立派な肩幅。
笑顔もあんまり無邪気そうじゃなくて、いいなぁ(*^_^*)そこでカッコつけるのは、男役として良い心意気です。
これからも、楽しみにしています。
ちょっと遅いですが。
日付が変わるまえに、こっそり呟いておきましょう。

「オオゾラ ユウヒさん、お誕生日おめでとうございます」
一生に一度しか無い、○○歳の一年間。どうぞ楽しく充実した、良い年になりますように。遠い土地から、ひっそり祈っております。

昨年のユウヒさんのお誕生日には、友人達と一緒にお祝いしたんだったかな?
今年は用があって一人でこっそりお祝い。
一年前には、この、ユウヒさんの今の状況はまったく予想できないものでした。
…怒涛のような一年でした。
オオゾラさん、本当によく頑張った一年だったと思います。
いや、勿論今までが頑張ってなかったという意味ではなく、人生の転機となった特別な時。
でも、今の状況は十分に頑張った甲斐があったといえる、充実したものではないかと思います。いちファンから見れば、そう見えます。

来年の今頃は、どんなふうにお祝いの言葉を呟いているのか。
でもともかく。楽しく、幸せなお祝いの時となりますように…。
友人から連絡メールがまわってきて、チケットOMCのサイトへ。

…銀ちゃんだぁ。

久しぶりに見て「うわー、すげー衣装だ」と、改めて思いつつ。
マジでかっこいい。…本気でときめく。
何故、かっこいいの?こんな素っ頓狂な、格好をして。
かすかにダンディの香りすら…いや、さすがにそこまではいかないけど^^;

私、オオゾラ ユウヒさんを、甘く見ていたのかもしれない。
そう思うのは、何度目になるかわからないけれど。こんなにオモシロいのは、初めてかも。

でも、本当に楽しみになってきました。
小夏とヤスは、誰になるのかなぁ。
小夏は大人の女のイメージだけど、どうなるのかな?
そして、ヤスは難役だけど、大きな役。出番も見せ場も、銀ちゃんより多いくらいだし。
私の中では、
主人公はヤス
主役は銀ちゃん
…の、ダブル主演というイメージなのですが。
振り分けがでるのは、まだもう少し先かな?
ドキドキしながら、待ちましょう。

今頃気付いた

2008年6月18日 月組
博多座のきりやビルの可愛い笑顔のポスターを見ていて。
初めて気付きました。

このビルの服装、下半身はランベスで、上半身が貴族様、なんですね。
こんな単純で象徴的なアピールに、どうして気付かないでいたのでしょう。
不覚です、13年も。

根っこはランベス、上のほうだけ貴族。
土台はランベス、うわっつらは貴族。
身体はランベス、頭は貴族といってもいい。
…でも、じゃあ、ハートは貴族ともいえるんだな。
なるほど。

皮肉大好きイギリス人のユーモアには、やっぱり敵わない。
花組の皆様、千秋楽おめでとうございます。
ご無事に大劇場公演を終えられて、何よりでございます。
さお太さんの状況が分からないのは心配ですが、ともかく一区切り。真飛さんのお披露目公演、終えられてホッとしてらっしゃるのではないでしょうか。
フィナーレ、オオゾラさんのまわりを取り囲む皆さん。一人一人が祐飛さんと目を合わせて笑い合うのが大好きでした。さおりさんの休演後は、その場所には誰も入らなくて、毎回さおりさんの番の時に思わずその場所を見てしまって寂しい思いをしておりました。
東宝でも休演は胸が痛いですが…早くお元気になられますようお祈りしています。

遠くで、花組さんの事を思いつつ。
今日はついつい、「カサノヴァ・夢のかたみ」を全部見てしまった。
面白かったです。やはりこの時代の小池作品は、ともかく面白いんだなー。
大勢の生徒に役をあたえ、大人数をダイナミックに動かしつつ、ちゃんとスターさんの見せ場もあり…。
知らなかったのですが「薔薇の封印」って、この作品をまんまパクったものだったんだ。
「時の河」の音楽は、この作品から転用されたものだったんだ。いや、何か原曲があるのでしょうけど。
「ファントム」のマダム・カルロッタの曲がそのまま使われているのも面白いなー。
そしてやっぱり、悪役は世界征服を目指す!!
決まりだよね。

…過去の作品を見せるのって、作家先生方には、都合が悪いのでは?
「ノバ・ボサ・ノバ」の再演で、草野作品が繰り返し使うモチーフは鴨川先生のパクリだとバレたみたいに^^;
まあ、それでも。出演者にあった作品として、ちゃんとテンポ良く楽しく見られるように上手く継ぎはぎしてくれるなら、別にいいんですけどね。
今回の『Red Hot Sea』は、なかなか成功した例だと思います。
でも、草野先生には、ヴィジュアルコーディネーターをつけてあげたほうがいいとは、思いますが。
もはや、かなり忘れてしまった月組新公話^^;
思いついた人から、書き易いように。

先日、突然「LUNA」の博多座公演について書いてしまったりしたのは、またもや回顧モードになっていたのです。
というのも、新公で、鳳月杏ちゃんに目を奪われてしまったからです。
私が写真でしか知らない下級生の頃のゆうひちゃん、あの可愛い子が。
生きて、動いてる。
びっくりしました。すっごく、似てる。祐飛さんの下級生時代に。
杏ちゃんに最初に目がいったのは「パリ空」新公で、立ち姿や目元のお化粧が似ていたからで。それからずっと、どんどん似てきていると思って、目で追っていたのですが。
今回、召使(男)で、初めて通し役で芝居をしているのを見て…やっぱり似てる。
由緒ある貴族の屋敷に勤める、平民としてはちょっとしたエリート意識や矜持を持った、若い召使。ちょっと生意気そうな、でも生真面目な所もあり、根は良い奴かもしれない…。
他の召使達も、独自のキャラクターを作って、それぞれの個性を表現しているのですが、その中であのキャラになるあたりが、ちょっと愛しいかも。
ただ、見た目やお化粧が似ているだけなら、祐飛さんにとっても杏ちゃんにとっても失礼だと思うのですが。芝居が気に入ったので、つまり私の好みの子だ!…という事で。
多分、祐飛さんよりちょっと背が高くて、頭がちっちゃい。腰が高くて手足が長くて、肩幅もあり腰も細くて…やはり次の世代のスタイルの良さ。
ご先祖の場面、金髪ウェーブのロングヘア大きな帽子付きで、今大劇場のオオゾラさんのようなお髭を付けた姿は、ちょっと眩暈がするくらい似ていました。お髭を付けて、クールな表情で…カッコ良かった。
挨拶で全員がずらっと並んだ時、二階席からでも、すぐに見つけられるスタイルでした。最後にふにゃっ〜と笑っているのも、可愛くて(^^)
これから、どんなふうに成長していくんだろう。とても楽しみです。
オオゾラさんの下級生時代に出会えなかったのはずっと残念だったので、その無念を晴らす勢いで、こっそり見させていただきたいと思います。

初めて通し役を見た…といえば、一幕のヘザーセット、あちょーさん(華央あみり)。
今回の大ヒット!の一人。今までも、ダンディなお髭姿の素敵さには目を奪われておりましたが、こんなに良い芝居をする方とは。
前回の「マジシャン」の時の冒頭の 未沙さんの「男爵」役でも上手いなーとは思ったのですが、こんなふうに一人の人物を作った芝居を見るのは初めてだったんです。
ヘザーセットという人は、貴族階級と平民の狭間に位置する役。あくまでも平民でしかない彼は、ビルの状況を理解しながら、複雑な思いもあったりする。
ある意味、この物語の大きなテーマである、二つの「階級」を体現する重要な役。私、この役、大好きなんです。
あちょーさんは、この新公を対立する階級の人間ドラマとして成立させる土台を、きっちりと支えていたと思います。
最初にビルとサリーに挨拶をする場面では、単なる執事として御前様に対して遠く距離をおいた存在であるのが、調理場の場面、パブに出かける前と、少しずつビルという人間に対して親しみを抱いていく。
同時に複雑な感情もあるのだけれど、表には出さず、あくまで執事としてあるべき姿を守ろうとする…という変化の見せ方が素晴らしかった。そして、ランベスウォークでハジけちゃう姿も、素敵でした(*^_^*)
抑えた佇まいの奥に、彼の人生と人間的な暖かみを滲ませる、本当に良い芝居でした。

…たった、二人書いただけで、力尽きました。
続きはいずれ、また。

博多座です

2008年6月13日 月組
博多座のメインキャスト、発表されましたね。
なかなか新鮮なキャストですね。
なんだかとっても、若い!熱い!…という感じ。
改めて全メンバーを見て、主演の霧矢さんに合わせて月組の中でも特に熱いメンバーを集めたのかなー、なんて思ったりして^^;
そして、ジャッキーとジェラルドの役替りとは、びっくりです。
新公を見て我慢できなくなって、やはり博多にも行こうと思っていた私には、嬉しいニュース。
花組東宝が終わってから行く事になるので、まさきジャッキーですよ。
これは、すっごく楽しみ。
みりおジェラルドも似合いそうで楽しみだけど、みりおジェラルド、まさきジャッキーに吹っ飛ばされそうじゃないですか?
それはそれで可愛いと思うのですが(^^ゞ
新公でアルマンドとジョルジュ、 シャンドールと ボルディジャール殿下と、掛け合いの芝居を演じてきた二人。
ジャッキーとジェラルドの役替りなんて、またご縁がありますね。
きっと息が合ったお芝居を見せてくれる事でしょう。
まさきジェラルドが見られないのは残念ですが、ワクワクしてきました♪

博多座に行くのは久しぶり。
ローテーションの変更で、月組博多座公演は2000年の「LUNA−月の伝言−」「BLUE・MOON・BLUE−月明かりの赤い花−」以来ですものね。
楽しかったなー。「LUNA」という作品はくだらなかったけど^^;隅から隅まで楽しみましたし、ファン仲間と遊びまくったりで、思い出深い場所です。
本公演とは役が替り、オオゾラさんは大活躍だったんですよね。
当時としては^^;
それが、とても嬉しくて。なんともハイテンションで楽しみました。
芝居のピート役は東京では今ひとつノリが悪かったのに、博多では観客のノリの良さに気を良くされたのか、すっごくはじけていて可愛かったなぁ。
そして、何よりも「BLUE・MOON・BLUE−月明かりの赤い花−」の“戦士”役が本当に良かったんですよ。
戦場で追詰められた”戦士”の孤独、恐怖、焦り。そして、敵を撃った瞬間の高揚感。やがて再び追詰められ、絶望のうちに、銃声が響いて。
撃たれた戦士のシルエットが際立った瞬間に、暗転。そして曲調が変り、明るく華やかなフィナーレが始まる。
…なんとも、ドラマチックな場面でした。
マミさん演じる主人公の戦士・レイナのドラマと重なり、戦場での戦士の運命を見せる役。
戦士は、戦場で赤い花の幻に翻弄されるレイナを撃ち、死をもたらす。
レイナは戦場の苦しみから解放され、白い光に包まれて。解放と転生の高揚感に満たされた、白い衣装の場面は大好きでした。
レイナと戦士がオーバーラップして、ウロボロスの蛇のように、戦士の死で終わる構成も面白かったですね。ドラッグに酔って見る夢はこういうものかもしれない…というような酩酊感のあるショー。
取り留めのない、なんでもごちゃ混ぜのイメージが面白くて。最初に見た時は「?」でしたが、どんどん好きになった作品です。
今でも私的には斎藤吉正の最高傑作だと思っています。
いや、そろそろ、この作品を超えるものを作って欲しいとは思いますが^^;

大劇場・東京と、この役を演じたタニちゃんは華やかで若々しい“戦士”でしたが、かなり違うイメージで。
オオゾラさんは、戦場での苦しみと影のイメージが強く、ラストの転生に向けてのドラマ性の強い“戦士”でした。
この役のイメージが変わる事で、ショー全体のイメージが変わって見えて、すごく新鮮な気がしましたね。
大劇場、1000DAYS劇場と公演を重ね、この作品を知り尽くしたメンバーによる、集大成となった勢いのある熱い公演でした。
…懐かしい。

博多座のキャストを見て旅行計画を考えていたら、CSで「LUNA」が始まってしまい、つらつらと思い出を書いてしまいました。
まだ研3くらいかな?のウェイトレス役のとなみちゃんの顔芸を懐かしく見たり、男役時代のるいるいを見て懐かしがったり。
この公演は役も多かったし、ウラヌスセミナー等で、舞台に常に沢山の人がいて小芝居を繰り広げていたので、かなり忙しく色々なな所を見ていました。
…久しぶりに見たら、記憶の中でかなり「薔薇の封印」とごっちゃになっていたのは、ナイショ^^;
来年の花組公演の小池作品は、どうなるんでしょう…まさか、白衣のマッド・サイエンティストは出てこないよね?
月組「ME AND MY GIRL」新人公演。
だいぶ時間がたってしまいましたが、感想を少しずつ。

本当に素敵な新人公演でした。
新公メンバーの皆さんが見せて下さった、私の大好きな「ME AND MY GIRL」の世界。
若い溌剌とした勢いと、素直で暖かい心で、この作品の新たな魅力を見せられた気がしました。

私はビルとサリーのカップルは、若者ではなく大人の役だと思っています。
階級の違いを大きなテーマとして扱った作品だから、二人は世の中というものをちゃんと分かった大人でなければいけないと思うんです。
下町の暮らしが体に染み付いて一人前の大人になったビルだからこそ、「貴族の血」と言われても抵抗がある。本人にも、貴族達にも、使用人達にも。
そして、ヘアフォード家の人間達が徐々に彼を受け入れていく事や、サリーやマリア叔母様がビルの為にしてくれる事の重みも、きちんと理解して受け止める事ができる。
そこに大きな意味のある作品だと、思っているのです。
…本当に、ずっと思っていたのですが、しかし。
いや、もう、みりおビルには完全に負けました^^;

若くて未熟な、世の中の汚れを知らない、無垢で清らかなビルとサリー。
…いいじゃん、そんなミーマイも。
ただ真っ直ぐに互いの事を思いあい、その純粋な心が回りの人々を動かしていく。
この美しい二人の為ならどんな事でもしてあげたい…と、自然に思わせる、ビルとサリーに胸を打たれました。
舞台の上の人々も、観客も、二人の為に悲しい思いをして、二人の幸せに涙する…そんな幸せな時間。本当に、見れて良かった。

みりおビルは、舞台の真ん中にいて、この人の為に全てが動いている…という存在で。
ともかく見た目が美しいので、ちょっとガラを悪くしても、あまり胡散臭い”下町の男”にはなれていなかったかな?
でも、軽妙な感じでまくし立てるセリフの調子で、周りの貴族達からは浮き上がって見えたのでOK。
多少セリフに詰まったりしても、そこに居るのは”ビル”なので、何の問題も無しでした。逆にみりおビルが可愛いくて親しみがでて、舞台と客席の一体感となった程。
初主演がこの大役で、かなり一杯一杯な様子でしたが、それも慣れない貴族の屋敷で右往左往しているビル…というようにも見えました。
厨房での場面の使用人達への親しみとそこに馴染めない孤独感とか、ヘザーセットに甘えた感じ等も印象的。
ジャッキーに迫られた時の反応や、ヘアフォード家の歴史の本を投げ捨てる…など、ちょっと引っかかる場面も、まるで嫌味を感じさせません。
叔母様にキスされて、荷造りをしに…と一度引っ込む時に、走りながら拳で涙をぬぐっていたのには、泣かされました。
そして、二人のハッピーエンドにも。

しずくちゃんのサリーは、本当にいじらしくて可愛かった。
なんというか、無垢な無私のサリーという印象。
自分の事よりも、ともかくビルの幸せが大事で。辛さも悲しみも確かに有るんだけど…ビルの為に行動するのは自然な事で、そに悲壮感などは感じられない。
サリー本人は、淡々と自分の事を扱う様子で…そのさっぱりした感じが余計に切なかった。
ラストの変身後は、本当に美しくて、納得の美少女ぶり。
二人とも本当に良い表情で、間もぴったりで、本当に良いハッピーエンドでした。
お歌は声が細くて、頑張れ…という感じでしたが、博多座に期待という事で。
見る前は、彼女はサリーというイメージじゃないかなーと思っていたのですが、きっちりとしずくちゃんなりのサリーを作ってくれて感心しました。
(でも、しずくちゃんだったら同じ英国の恋物語でも、森薫氏の『エマ』(Emma)のほうがイメージに合うと思う^^;…ビルの両親の物語より、ちょっと前の時代かな?)

他のキャストも素晴らしくて、芝居にも挨拶にも泣いて泣いて…。
こんなに泣いてしまって恥ずかしい、と思いながら帰りましたが、客席を立った人々の多くが、同じように泣いた後の清々しい顔をしていたのでひと安心。
やっぱり、あの舞台を見たらみんな泣くよね…と納得し、微笑ましく思いながら帰りました。
きっと、あの泣いていた多くの人が「いつの日か、本役でみりおビルが見たい!」と思った筈…なんて、勝手に思っています。

他のキャストについては、また(^^ゞ
月組「ME AND MY GIRL」新人公演を見てきました。
素晴らしかった!泣きました。この私が、かなりたくさんの場面で泣かされました。
最初に演目が発表された時に予想したとおり、やはりこの作品は月組下級生にとてもよく似合います。
みりお君にはこのまま月組ですくすく成長していただいて、ぜひ、月組トップとなって本役さんとしてビルを演じて欲しいですね。
13年前の再演の時、初演の時の新人公演メンバーがメインキャストとなったように。
その為に、この新公メンバー絶対みんな退団しないで下さい!絶対です!
みんなみんな大事な子なんですから。
もっと書きたい事はたくさんありますが、先に書きかけのものを片付けてしまいましょう。

さて。
相変わらずのネタばれ「愛と死のアラビア」。
見る前に何も知りたくないお方は、どうぞご了承のうえご観劇になるまでお捨て置き下さい。
実は、この作品を見た時からずっと疑問に思っていた事に、自分なりの答えをみつけたのです。
その疑問とは。
「捕虜は全員帰れるというのに、どうして、トマスへの連絡は無かったの?」というもの。

トマスの決闘が午前中にあったとしても、午後に捕虜返還が決定して、翌朝に出航…なんて、ちょっと考えにくいなーと。
まさか捕虜は10人なんて事はないでしょうし、負傷兵まで全員帰れるという事はそれなりに帰国の準備が必要でしょう。
ドナルドにはあんなに綺麗な新品の軍服が支給されているのだし。
まあ、和平交渉の間に準備は進められているにせよ、決定の翌朝出航は早過ぎると思う。
のんびりしたエジプト人の事を考えると、せいぜい三日後の朝とかくらいが妥当な感じがします。
まあ、もし積み残しの人がでちゃっても「アッラーの思し召し」で片付けそうとは思いますが^^;

勿論、矛盾点がてんこ盛りのこの作品。
そんな事は些細な問題だと、最初は思ったのです。
でも何度か見ているうちに、どうも何かが引っかかる。
それは、太守の長男です。
彼の立場で、捕虜交換の交渉が明日にも決まろうとしている事を、知らないなんて事があるものでしょうか?
銀橋で一曲歌っちゃう程に密かに思っている友の、行く末がかかっているのに?血の涙を流す相手なのに?
普通、交渉の状態を細かくチェックしていそうなものじゃないですか?
明後日にもトマスがイギリスに返還されるような状態にある事を、知らなかったとは思えない…と、だんだん思えてきたのです。

で、トマスの家を訪ねた時、イブラヒム長官殿(パシャ)は、捕虜返還の交渉が纏まりそうな事を知っていたのではないかと考えるのが、私的には妥当と思えます。
そして、アノウドを連れて来て、トゥスンの初陣の予定を話した。
トマスがアノウドを奴隷にする事など、できないと承知で。
イスラム教徒ならば、彼女を嫁にして彼女を救う道がある事を示唆して。逆にイスラム教徒でない限り、彼女を救うことはできないと脅して。
また、トゥスンの初陣にトマスが同行したがる事を予測して、太守へ直談判を促した。
太守の謁見の間に乱入して直談判してまで、トゥスンに同行したいと志願して、まさか翌朝の捕虜返還の船に乗るなんて事は…やりにくいよね?
つまりイブラヒム兄さんは、トマスが帰ってしまうのを阻止する為に、彼の家を訪ねたのではないかと思うのです。
捕虜達の返還が近い(もしくは既に決定している)事は言わずに、アノウドとトゥスンという餌を持って。トマスをエジプトに、自分の国に留まらせる為に。
ひっそりと、片思いの友情を隠して。

しかし、彼の作戦はアジズの短気をキッカケにして、あえなく挫折してしまうのでした。
…切ない人だなぁ、二十歳のイブラヒム長官殿。
「愛と死のアラビア」について、ぼちぼちと書いてみます。
ネタばれもありです。
まずは思いついた所から。

原案はローズマリ・サトクリフ作「血と砂」という事になっています。
まあ、小説の設定と、物語の三分の一くらいは使われているかな?という程度ですね。
この作品では実在の人物であるトマス・キースという主人公は、イスラムに改宗し、その世界に馴染み、風習や人々を受け入れていく懐の深い大きな人として描かれています。
イギリスの時計職人の息子が、イスラムの世界でその才覚と人柄を認められ、まだ20代終わりの若さで、イスラム第二の聖地であるメディナの街の総督になった。
これはすごい事だと思います。
この事実こそが、何よりも彼の人生を説明するものとして、サトクリフはこの誠実で勇敢な主人公を造形したものと思われます。

物語の始まりは1807年、ナポレオンのエジプト遠征の9年後です。
ナポレオンはエジプトを席巻した後、フランスの情勢が危なくなった為に、さっさとお国に帰っているんですね。
その後の混乱したエジプトで頭角をあらわしたのが、アルバニア人のタバコ商人であり傭兵隊長だった、ムハンマド・アリ。
このお話は、彼がオスマン・トルコからエジプト太守として認められてから、僅か二年後という設定です。
故にまだ彼の力は弱く、オスマントルコの大臣に逆らえずにトマス君の処刑命令を下す…という道を選びます。
原作者はトマスの結婚以外は「書かれている出来事はほとんどが実際に起きたこと」と書いていますので、実際に処刑命令が下され、そして翌朝に撤回されたのでしょうね。
「ほとんど」というのが微妙ですが、その後の暗殺すら事実として記録があるならば、この処刑命令と撤回などは本当の事っぽいですよね。
アミナ奥方の暗躍は、まあ、フィクションとして。
…しつこく書きますが、翌朝、処刑命令は取り消されます(笑)
まさか、その前夜の状態で幕が降りるとは…。
でも、そこで処刑されたら、メディナの総督にはなれません。

初日は驚きのあまり、椅子からずり落ちそうになりました。
「椅子からずり落ちる」って、今まで比喩的表現かと思ってましたが、体から力が抜けて座っていられなくなる状態なんですね。
初めて身をもって知りました。
…あまり学びたく無いものでしたが^^;
そもそも、トゥスンが営倉に乱入してきた時に、力が抜けていたんですけれどね。
多分、あの瞬間、私の座高は10センチは低くなったと思います。
ドナルドとの別れの場面でも、まさか夜明け前で終わるとは思いませんでしたから、「大丈夫、彼は助かるから、そんなに涙の別れをしなくても!」と思っていたのに。
「えー、あれは泣かなければいけない場面だったのか…」と、幕が降りてから思ったという感じで。
ここで今生の別れと思えば、感動的な場面なんだろうか…?

みわっちは、白い軍服が素敵です。
とてもよくお似合いで…とても歩兵隊の兵士が着るものには見えませんが、ま、そこは宝塚ですし^^;
今回、全体にヴィジュアルが良いなーと思います。
お衣装も、セットも非常に美しくて「宝塚を見た!!」という満足感はあります。
背景に描かれたナイルの川面に映る景色と、イスラム世界というあまりよく知らない舞台が、非日常感をたっぷり醸し出して。
そして、宝塚らしい非日常的な大芝居。
大きなお衣装には、大きなお芝居なんですね。
”外衣(アバ)”の、振袖のような大きな袖を見せる為に、常にちょっと腕を前に出して微妙なカーブでキープしているのは、結構大変そうですが、それもまた、宝塚的で。
たまにはこんな、どこからどこまで非日常もいいかもしれません。ヨーロッパやアメリカとは違う、非日常の異世界感を楽しむと思えば。

オープニングの真飛さんの「ホルス神」のキンキラお衣装は、よく見てみると凝った模様が織り込んであったり、刺繍も凄いですね。
イスラム系のお衣装のストックはあまり無いだろうと思いますし、今回、新調のお衣装ばかりなのかな?
トップコンビ、王族兄弟、ベドウィン騎馬隊や宮廷の侍女達の揃いのお衣装も、みんな新調ですよね?
やはりお披露目は景気が良くなきゃ!という感じ。

いや、ショーのウロコのお衣装も、間違いなく新調だと思うと、ちょっと寂しくなりますが(^^ゞ
あれ、ウロコを一枚一枚縫い付けてあるようですが、あの人数分作るのは大変だったんじゃないかなー。
…そんなに頑張らなくても、よかったのにね(遠い目)
何故かオオゾラさんだけ、ウエストのあたりを少し絞った形にしてあって、後ろ向きの振りの時に広い肩幅と背中が強調されています。
周りの人達に比べると、なんだか違うお衣装のよう。
きっとオオゾラさんだけ、横幅のウロコ一枚くらい、多いんじゃないかな?…なんて、考えちゃいました^^;

わすれもの

2008年5月27日 花組
一番書きたかった事を書き忘れていました。

ベドウィン族の族長って…なんじゃい???

遊牧民の、何族??
ま、そんな事は。
ザイドのキャラクターの変貌に比べればたいした事じゃないですけどね(泣)
…あんな、おっちゃんキャラにするなら、ザイドという名前は使わないで欲しかったよ。百歩譲って他のどんな変更も許したとしても、あれだけは、キツかった。
原作読んだ派は、あの素敵なおじ様キャラにどれ程ときめいた事か…(T_T)
とりあえず、「愛と死のアラビア」のツボを纏めて箇条書きメモしておきました。
私の笑いのツボのメモとなってしまいました。まだ、公演をご覧になってない方は読まないでいただいたほうがいいかもしれません(^^ゞ

・まず、スフィンクスの目が光っているのに笑ってしまう。何度見ても笑います。
・その後のピラミッドが開いて吊り物になった時の内側に書いてある顔も目が光る。笑う。
・最初に真ん中にいるのがまっつ。しばらくは安心して真ん中のまっつを堪能する。他の人がどこにいるのかを見る余裕は無いです。
・しばらくすると、銀橋の真ん中に大きなお衣装でよじ登ってくる時のオオゾラさん。丸まった背中がツボです。
・ナウオンで、お客様と目が合ったら気まずい…と話してらっしゃいましたが、何かの間違いで最前列に座って目が合ったら楽しいだろうなー。…と、こっそり夢みてみる。
・銀橋の真ん中で、背中を向けてポーズを取ってライトが当たる前のオオゾラさんというシチュエーションが面白い。
・本舞台に行って、ひとしきり踊る。こういう時の振り付けはたいてい面白い。
・「ホルス神」と「心のハヤブサ」と「愛の伝道師」の繋がりを教えて欲しいと思っていると「でーーんどーし」というコーラスにトドメをさされる。

・娘役さん達登場。すみ花ちゃんとれみちゃんがちょっと違う衣装。可愛い。…と、思ったら一花ちゃんが目に入る。かーわーーいいーー。
・皆さん着替えて登場…と思ったら、すぐに終わり。わざわざ着替えたのにねー。
・プロローグが終わると、行列が。嘆きのエジプト市民らしい。ヌビア人奴隷の舞城さん、さすがの踊り。
・娘役さんの脚が見れるのは、この奴隷と雌豹ちゃん達。しっかり見なければ。

・捕虜の値踏みをしに、わざわざ自分でやってくる太守の長男。まず声がしてから登場…という、古めかしい演出。でも登場時に拍手できるのは、やっぱり楽しいかも。
・トマスの銃に肩を貸す時に「ふんっ」と胸を張って威厳を出す長官殿がキュート。でも耳元で発砲されるのは、煩さそうだなー。
・雌豹ちゃんは、なぜだかきらりちゃんが目について仕方がない。可愛いなー。
・でも、ゆまちゃんは見たい。黒塗りのお化粧だと、ゆまちゃんは見つけにくくて困る。…二階席の時は、胸でみつかりました。

・ベドウィン音頭。やっぱり面白い踊りで、めちゃくちゃ楽しめます。
・まっつのお髭は、すごく気合が入ってます。
・しかし、みつる君…あまりにもナチュラルに髭が似合い過ぎ。本当にアラブ人みたい。声を聞くまでみつる君だと気付かなかったよ。
・めおちゃんが、いつでもどんな時でもカッコつけていて、目が離せません。いったい、花組で何があってあんなに変わってしまったのだろう。
・皆さん、かぶりものの下のお衣装がこっそり色違いで、ちゃんと帯とコーディネートしてあってお洒落?
・みつる君だけ、妙に胸元が開き気味で気になります。どきどき。
・戦利品やら捕虜を奴隷にする事に、文句をつけるトマス君。しかし、ナポレオンとか、ロゼッタストーンとかいう言葉が浮かんでくる。
・あと一つ何か忘れてる…と思ったら「大英博物館」だった!
・「大英博物館」は世界有数のエジプトコレクションだそうです。エジプトに限らず、イギリス人って世界中の植民地からなんでも戦利品として持ち帰ってる、というイメージ。
・イギリスでは奴隷売買は1807年に禁止されたらしいです。ちょうどこのお話の年。つまり、この時までイギリスでも奴隷売買は有りえたのね。
・アメリカでは、黒人奴隷売買…ふつうにある時代ですね。
・どーも、谷先生らしい安っぽいヒューマニズムが鼻につきます。
・原作は、そういう西洋的オリエンタリズム蔑視思想を感じさせないところが魅力なんだけどなー。

・ベリーダンスの場面。今からでも、脚の部分が透ける布地に変えませんか?
・下手のきらりちゃんとゆまちゃんが並んで踊っている所が、私のツボ。
・最初に見た時は、普通の宝塚の娘役ダンスだったのが、次に見た時は全体にベリーダンスらしいニュアンスがでていました。
・さらにセクシーになって欲しいな♪
・侍女たちは脚が見えないのに、ナイリお嬢様だけ脚を出すのが、かなり不思議。
・そして、太守の家族の私的な宴らしいのに、マムルークのおじさん達が見ているのが、謎。

・ムハンマド・アリ太守の謁見。ベドウィン騎馬隊の訓練成果を「トゥスンの報告によれば…」と答える長男。
・その報告、信じるの?あの人、随分話を大きくしそうだよ?いいの?絶対、通常の三倍くらいの報告してそうだよ。
・10ヵ月後、登場してきた太守の長男は、10ヶ月前と同じ服を着ている。超お気に入り?
・奴隷を斡旋する、長官殿。しかし、彼女は「来ちゃった!えへっ(*^_^*)」というノリのように見えて仕方がないです。
・謁見の間に乱入して、得意げに「神は一人なのです!」と叫ぶトマス君。宗派が違えば殺し合いが起こりうるイスラム教徒相手に!
・異教徒が、異教の神とアッラーの神が同じだと叫ぶなんて、なんと不謹慎な。殺されてもおかしくないんじゃない?
・でも、こっそり感動しているらしいイブラヒム長官殿は、可愛いです。(谷ヒューマニズム的で私は納得できないけど)
・決闘の後、長官殿に「友よ!」と呼ばれて、かなり吃驚しているトマス君。友情の片思いも、悲しいね。
・ところで、みわっちの軍服がやけに綺麗だけど…将校の軍服?歩兵でも、あんな綺麗なの着せて貰えるの?
・着替えて、被り物無しで登場するお兄様。でも最初の場面と同じ服でした。お気に入り?
・毎回、終演後に「え、これで終わりなの??」という声が聞こえます。

…というわけですが、実は結構楽しいです。
一度は見ても損は無いかと思います。
ショーは、また今度。

ぴゅあーな心

2008年5月22日 花組
CSの舞台レポート、面白いですね。
色々と放送される、花組の皆さんのトーク。
…なんというかめちゃくちゃ面白いですね。
ほのぼのというか、ぐだぐだというか、みんな好き勝手というか^^;えーと、本当に皆さんナチュラルで遠慮の無い感じで、楽しそうです。

舞台レポートで、祐飛さんがお気に入りの場面として「ひき潮」の場面と答えてくれて嬉しかったです。
あの場面、生徒さん達は「初恋の場面」と呼んでいるのかな?
ナウオンといい、この場面の事を語る時、皆さん微妙に照れ気味なのがなんだかおかしいです。
そこで照れてしまわれると、こっちまで照れちゃうじゃないですか(^^ゞ

「ピュアな感じ」の場面だそうですが、この場面の大空さん、本当に若いですよね。
ちょっとした肩の落とし具合とか、立つ時の首や背中の丸め方などの工夫で、こんなふうに若者に見えるものかと感心。
そして、表情が本当に純粋で初々しくて!
下手すると、みほちゃんより若いくらいに見えたりして…びっくり。いやいや、役者さんですからね、あんまり驚くのは失礼ですけど。
でも、若くても真剣に恋人を愛して守っていこうとしてるのが、伝わってきて。見ているほうも、柄にも無く、胸がキュンとしたりしちゃいます(^^ゞ

最初に見た時から一番大好きな場面ですが。
実は毎回「WEST SIDE STORY」の新人公演のトニーを思い出してしまうんです。
二人が向かい合って立ち、頬に手を伸ばす振の時に、ダンスパーティでのトニーとマリアの出会いの場面、向き合って会話する二人を思い出します。
マリアが「手が、冷たいの」と言って、トニーの頬に手をふれる場面です。
もう、あれから10年。私は東京の新人公演しか見ていませんし、映像にも残っていないので曖昧な10年前の記憶なんですが…。
祐飛トニーは、あの場面、とても切ない顔をしてマリアを見つめていた…と思います。
初めて恋を知った少年が、こんなにも切なく真剣な目で恋する人を見るのかと、とても驚いたのを覚えています。
映画のトニーとも本役のマミさんとも全然イメージの違う芝居でしたが、その切なさがとても印象的で。私は密かに、心のなかで「憂い顔のトニー」というキャッチフレーズをつけて呼んでいました。
全ツのドン・ミケロットで出会い、本公演のチノ役でファンになった私は、大空さんの役の作り方というのも分からなかった頃。
恋を表現する時に優しく愛しげに微笑む…とかじゃなく、真剣過ぎて切ない顔をしてしまうのが「大空祐飛」という役者さんなんだな…と、納得したのでした。

今、大人になった祐飛さんが演じる「ひき潮の青年」も、やはり切ないまっすぐな目で「ひき潮の乙女」を見ていますね。
初々しいけれど、あの時の何も知らないトニーとは違う、大人の目をして。
大きな心で彼女を守り、包みこみ、優しく愛しげに微笑んだりもする。
でも、やっぱりあの頃のまま、切ない顔をするところが一番好きだな。

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