MAHOROBA その2
2007年8月30日 月組「MAHOROBA」について、続きます。
盛り上がった中詰めの後、皆さんが退場して、舞台の下手の袖に残った麻子さんが上手のかなみちゃんに手を指しのべ、余韻を残して暗転。この演出、素敵ですよねー。ロマンチックで、ありふれていそうで近頃無かった新鮮な感じで、いいなーと思います。
場面は変わり、三貴神の皆さんが不思議な楽器を奏でる中、アヒちゃん、マサキ、あいあい登場です。
緑グループの神様達と、収穫を祝う場面。
ここでやっと、この作品の各場面が、神々と人間達の関係(…神々が人間界に与える影響かな?)から始まる事気づいたのが、三度目の観劇の時^^;
私、本当に全然見えてないんだなーと自分に感心しました。色々な所で、色々な事が起こるショーなので、本当に色々と気づかない事が多くて…まだ色々ある気がします。
そして、稲刈りをしているらしい「働く男・女」の踊り。
ミズラの農民達と日本の秋の風景に、見るたびになんとなくびっくりします。そういえば、今までの場面は派手なキラキラのお衣装で、踊りも割といつものタカラヅカな感じだったんだなぁ。これは「民族舞踊」がテーマのショーだったんだよね。うん。
音楽、踊りの手の使い方、小道具の笠…全てが日本の「民芸調」で、そういえば、見る前には全てこんな田舎風になるのかと予想してたよなー。
サルメとサダルの登場、その後、オウス様が登場してサダルの歌で傘の踊り。
ファンなので、思わず、歌うサダル様の耽美風ビジュアルと、民芸調のミスマッチに目を奪われます。
しかし、せっかくの見せ場ですから笠の踊りも見なければ…と、思いつつ。
次第にテンポアップしていく音楽に合わせて、どんどん早くなっていく「働く女」達の踊りから目が離せなくなってしまうのです。
サダル様の足元に膝立ちくらいの姿勢で、上半身の踊りだけがどんどん早くなるんです。祐飛さんを見ている視界の端で、スピードアップしてく「働く女」達に気を取られ始め。まるで、飛んでいる虫から目が離せないでじーっと見ている猫の気分…いや、目の前で指をくるくる回されるトンボなのかも^^;というくらい、最後はあの娘役さんを見ていて場面が終わっています。
いや、サダル様の歌は聞いているんですよ。
「ヨロズの神に手を合わす」という印象的なフレーズ。
場面の最初に出てきた緑の神々を思い出し、万の神とはつまり人間を取り巻く自然なんだなーと、改めて思います。
作者の言葉でも、出演者のコメントでも何度も読んでますし、言葉で言えば当たり前の事に思える事ですが。こうやって、歌い踊る場面を見ると「私たちに恵みをもたらす、万の神の宿る自然に、手を合わせて感謝の祈りを捧げたい」と、自然に思いますね。
それに、自然=神々と崇めた人々の謙虚な心を、美しいなーと思いますね。
歌い終わって、娘役さんに笠を渡すサダル様が、またスマートでオトコマエ♪
この場面、分からない子達ばかりと思ってプログラムを見ると、下級生さんが多いんですね。去年配属された子達も全然覚えないままに、また10人も増えてしまったんだ…。去年の組配属の後の「暁のローマ」の東京公演のプログラムを買いそびれたのが悔やまれます。大劇場版買ったからいいか…と思って(^^ゞ
下級生さんがあんなに舞台の上に飾られている公演は、滅多になかったのに。その後「パリの空よりも高く」では、下級生さん達が舞台にいる時間は本当に短くて、全然見れなかったし。一番長く見られるロケットでは、ついスタイルの良いお気に入りさんばかり見てしまうのもいけないんだけど。
さて、観劇後に興奮のままに書き始めてしまった感想ですが。
その後の発表やら、個人的に落ち込む事があったりやらで、ちっとも進みませんねー。前回書いてからもすでに時は流れています。
いつ終わるのか、不安になってきた。東宝まで終わらなかったりして^^;
盛り上がった中詰めの後、皆さんが退場して、舞台の下手の袖に残った麻子さんが上手のかなみちゃんに手を指しのべ、余韻を残して暗転。この演出、素敵ですよねー。ロマンチックで、ありふれていそうで近頃無かった新鮮な感じで、いいなーと思います。
場面は変わり、三貴神の皆さんが不思議な楽器を奏でる中、アヒちゃん、マサキ、あいあい登場です。
緑グループの神様達と、収穫を祝う場面。
ここでやっと、この作品の各場面が、神々と人間達の関係(…神々が人間界に与える影響かな?)から始まる事気づいたのが、三度目の観劇の時^^;
私、本当に全然見えてないんだなーと自分に感心しました。色々な所で、色々な事が起こるショーなので、本当に色々と気づかない事が多くて…まだ色々ある気がします。
そして、稲刈りをしているらしい「働く男・女」の踊り。
ミズラの農民達と日本の秋の風景に、見るたびになんとなくびっくりします。そういえば、今までの場面は派手なキラキラのお衣装で、踊りも割といつものタカラヅカな感じだったんだなぁ。これは「民族舞踊」がテーマのショーだったんだよね。うん。
音楽、踊りの手の使い方、小道具の笠…全てが日本の「民芸調」で、そういえば、見る前には全てこんな田舎風になるのかと予想してたよなー。
サルメとサダルの登場、その後、オウス様が登場してサダルの歌で傘の踊り。
ファンなので、思わず、歌うサダル様の耽美風ビジュアルと、民芸調のミスマッチに目を奪われます。
しかし、せっかくの見せ場ですから笠の踊りも見なければ…と、思いつつ。
次第にテンポアップしていく音楽に合わせて、どんどん早くなっていく「働く女」達の踊りから目が離せなくなってしまうのです。
サダル様の足元に膝立ちくらいの姿勢で、上半身の踊りだけがどんどん早くなるんです。祐飛さんを見ている視界の端で、スピードアップしてく「働く女」達に気を取られ始め。まるで、飛んでいる虫から目が離せないでじーっと見ている猫の気分…いや、目の前で指をくるくる回されるトンボなのかも^^;というくらい、最後はあの娘役さんを見ていて場面が終わっています。
いや、サダル様の歌は聞いているんですよ。
「ヨロズの神に手を合わす」という印象的なフレーズ。
場面の最初に出てきた緑の神々を思い出し、万の神とはつまり人間を取り巻く自然なんだなーと、改めて思います。
作者の言葉でも、出演者のコメントでも何度も読んでますし、言葉で言えば当たり前の事に思える事ですが。こうやって、歌い踊る場面を見ると「私たちに恵みをもたらす、万の神の宿る自然に、手を合わせて感謝の祈りを捧げたい」と、自然に思いますね。
それに、自然=神々と崇めた人々の謙虚な心を、美しいなーと思いますね。
歌い終わって、娘役さんに笠を渡すサダル様が、またスマートでオトコマエ♪
この場面、分からない子達ばかりと思ってプログラムを見ると、下級生さんが多いんですね。去年配属された子達も全然覚えないままに、また10人も増えてしまったんだ…。去年の組配属の後の「暁のローマ」の東京公演のプログラムを買いそびれたのが悔やまれます。大劇場版買ったからいいか…と思って(^^ゞ
下級生さんがあんなに舞台の上に飾られている公演は、滅多になかったのに。その後「パリの空よりも高く」では、下級生さん達が舞台にいる時間は本当に短くて、全然見れなかったし。一番長く見られるロケットでは、ついスタイルの良いお気に入りさんばかり見てしまうのもいけないんだけど。
さて、観劇後に興奮のままに書き始めてしまった感想ですが。
その後の発表やら、個人的に落ち込む事があったりやらで、ちっとも進みませんねー。前回書いてからもすでに時は流れています。
いつ終わるのか、不安になってきた。東宝まで終わらなかったりして^^;
月組公演、行ってきました。
前回の観劇から一週間。ショーも芝居も見違える程良くなってました。私もキョロキョロせずに落ち着いて見る事ができましたし。
贔屓組を何回も見るのって、やっぱり楽しい(^^)
ショーは、以前よりも場面ごとの色がはっきり出ていたような気がしました。美しい場面は更に美しく、楽しい場面はより楽しく、シリアスな場面はより悲壮に。前回より、心情的に入り込んで見たような気がします。
神々のキャラクターの色合いが、更にはっきり見えてきたと思いました。
オープニングで、サルメとサダルが次々と神々を紹介する場面は、本当にワクワクしてしまいます。ここは神々の紹介でもあり、月組生が次々に登場して、自分で名乗りを上げながらデモンストレーションをしていく場面でもあります。最近のショーは場面ごとにストーリー性のあるイメージが設定されている事が多く、こういうふうに”スターさん”が次々に登場してくる場面って月組では久しぶりですよね。皆さんがそれぞれの個性で、神々の性質を表現していくのが馴染んできた感じ。
この神々は、場面ごとに登場して、人間の営みに影響を与えていくのが面白いですね。
それに三貴神様たちが象徴的に登場して…特に青い髪の「スサノオ」様が、なんだか印象的な存在です。
クマソの場面、最初に登場する、火輪を背負ったもりえちゃんの火の神が、良いです。
その後クマソの男達が力強く踊る場面、結構私のツボです。
スクリーンに大きく「火」の文字が出るところとか、舞台上で叩く和太鼓の音にも、血が騒ぎますねー。
舞台の両側の端っこで太鼓を叩いているのは、下級生さんのようですが、もっとちゃんと見えるようにしてあげればいいのに。セットの陰になってほとんど見えないのが残念。
今回、幸運な事に一階後方のどセンターで見る事ができました。
エグザイルみたいといわれている振りは、あれは、大きく燃え盛る炎の表現なんだな、と思いました。やはりセンターで真正面から見るとカッコいいし、迫力がありました。
で、やはり祐飛さんの女装姿からは、目が離せません(^^ゞ
お酒をついで回った後、後ろから壷を取られた時の表情が、特に色っぽくて好きです。ちょっとだけ目を伏せるのが、なんともいえません。
一人で先に退場するとき、惑わされた三人の男が付いて行くのですが、先頭のナホちゃんの惑わされっぷりが凄くて、面白過ぎ。
続く沖縄の場面も楽しくて大好きです。
海の中のセットが可愛いし、海の泡がぶくぶく上がっていく映像は見ていると、上下感覚がなくなっていく不思議な感覚になります。
娘役さんたちの踊りは可愛いですよねー。思わずニヤけてしまいます(^^)
平太鼓の場面は、先週よりずっと楽しくなりました。もうすっかり余裕が出てきたのかな?麻子さんと目を合わせて笑う祐飛さんが、かなり可愛いです。
武術のような振りの場面は、きりやんがカッコいいしすごい。ここも血が騒ぐ場面ですね。男役さん達が沢山出ているので、誰がどこにいるのか…かぶり物で頭の形が見えにくいと、意外に見つけにくいもので…。でも、頑張ってるみんなを見たいです♪
そして、中詰めは文句なしに楽しいですね(^^)手拍子をしながら、こっそり足拍子までしてしまいます。
「ハイハイハイ!」に、合わせて手を叩くのが秘かな楽しみ♪
だらだら書いていたら、時間切れ。
また〜。
前回の観劇から一週間。ショーも芝居も見違える程良くなってました。私もキョロキョロせずに落ち着いて見る事ができましたし。
贔屓組を何回も見るのって、やっぱり楽しい(^^)
ショーは、以前よりも場面ごとの色がはっきり出ていたような気がしました。美しい場面は更に美しく、楽しい場面はより楽しく、シリアスな場面はより悲壮に。前回より、心情的に入り込んで見たような気がします。
神々のキャラクターの色合いが、更にはっきり見えてきたと思いました。
オープニングで、サルメとサダルが次々と神々を紹介する場面は、本当にワクワクしてしまいます。ここは神々の紹介でもあり、月組生が次々に登場して、自分で名乗りを上げながらデモンストレーションをしていく場面でもあります。最近のショーは場面ごとにストーリー性のあるイメージが設定されている事が多く、こういうふうに”スターさん”が次々に登場してくる場面って月組では久しぶりですよね。皆さんがそれぞれの個性で、神々の性質を表現していくのが馴染んできた感じ。
この神々は、場面ごとに登場して、人間の営みに影響を与えていくのが面白いですね。
それに三貴神様たちが象徴的に登場して…特に青い髪の「スサノオ」様が、なんだか印象的な存在です。
クマソの場面、最初に登場する、火輪を背負ったもりえちゃんの火の神が、良いです。
その後クマソの男達が力強く踊る場面、結構私のツボです。
スクリーンに大きく「火」の文字が出るところとか、舞台上で叩く和太鼓の音にも、血が騒ぎますねー。
舞台の両側の端っこで太鼓を叩いているのは、下級生さんのようですが、もっとちゃんと見えるようにしてあげればいいのに。セットの陰になってほとんど見えないのが残念。
今回、幸運な事に一階後方のどセンターで見る事ができました。
エグザイルみたいといわれている振りは、あれは、大きく燃え盛る炎の表現なんだな、と思いました。やはりセンターで真正面から見るとカッコいいし、迫力がありました。
で、やはり祐飛さんの女装姿からは、目が離せません(^^ゞ
お酒をついで回った後、後ろから壷を取られた時の表情が、特に色っぽくて好きです。ちょっとだけ目を伏せるのが、なんともいえません。
一人で先に退場するとき、惑わされた三人の男が付いて行くのですが、先頭のナホちゃんの惑わされっぷりが凄くて、面白過ぎ。
続く沖縄の場面も楽しくて大好きです。
海の中のセットが可愛いし、海の泡がぶくぶく上がっていく映像は見ていると、上下感覚がなくなっていく不思議な感覚になります。
娘役さんたちの踊りは可愛いですよねー。思わずニヤけてしまいます(^^)
平太鼓の場面は、先週よりずっと楽しくなりました。もうすっかり余裕が出てきたのかな?麻子さんと目を合わせて笑う祐飛さんが、かなり可愛いです。
武術のような振りの場面は、きりやんがカッコいいしすごい。ここも血が騒ぐ場面ですね。男役さん達が沢山出ているので、誰がどこにいるのか…かぶり物で頭の形が見えにくいと、意外に見つけにくいもので…。でも、頑張ってるみんなを見たいです♪
そして、中詰めは文句なしに楽しいですね(^^)手拍子をしながら、こっそり足拍子までしてしまいます。
「ハイハイハイ!」に、合わせて手を叩くのが秘かな楽しみ♪
だらだら書いていたら、時間切れ。
また〜。
月組公演「MAHOROBA」「マジシャンの憂鬱」見てきました。
とっても楽しかったです♪
ショーは、本当に見所盛り沢山。月組ファン的には、とても一回で見きる事はできないです(^^)
とっても美しい舞台。凝った場面が次々と展開されて、目を奪われている間に夢のように終わってしまいます。
始まったら、あっと言う間に終わっている感じ。
初見が二階のS席センターブロックだったのは、とても幸運でした。フォーメーション、セット、映像全てが融合して、全体の美しさを堪能できました。
二回目は1階の端っこのほうだったのですが、群舞が多いので、人がわさわさ動いてるばっかりに見えてまるで別の作品のように感じました。半端な場所だったら、絶対二階席のほうが堪能できるショーだと思います。
舞台の上で太鼓を叩いたりするので、一階の前方だったら舞台からの迫力を感じられて良いと思いますが。…そんな席、庶民の私の手に入るものじゃ無いし^^;
ただ、照明が暗いし被り物が多いので、下級生さん達を見つけるのが大変でした。場面によってはマサオやみりお君まで分かりづらいです。
ファンとしては、祐飛さんのビジュアルの美しさだけでも満足な作品です。オウス様の先導役として紹介されますが、常にオウス様の先に立って案内…というか、エスコートしています。
手を差し伸べて道を示す姿が、とってもスマートで素敵♪
芝居のほうは、極端に言えば、まともに芝居をしているといえる役はトップコンビときりやんの三人のみ。物語に絡むのは、あいあいとシビさん。
その他の生徒さん達は主に状況説明と賑やかしとして存在する役ですね。なので、常にまとめて出てきては、いっぺんにそれぞれ面白い事をしてくれるので、見るのが大変です^^;このあたりはセリフの掛け合いで見せる役だと思うので、こなれてくるともっと面白くなりそう。一応推理ものっぽい仕立てで、麻子さんがホームズでエリさんと祐飛さんがワトソン君…という感じですね。
下級生さん達はほぼ全員の場面にしか出ませんから、お目当ての生徒さんを見つけるのは大変!これから回数を重ねて、東京公演では皆さんの「今日の小芝居」を楽しめるようになりたいです。
とっても楽しかったです♪
ショーは、本当に見所盛り沢山。月組ファン的には、とても一回で見きる事はできないです(^^)
とっても美しい舞台。凝った場面が次々と展開されて、目を奪われている間に夢のように終わってしまいます。
始まったら、あっと言う間に終わっている感じ。
初見が二階のS席センターブロックだったのは、とても幸運でした。フォーメーション、セット、映像全てが融合して、全体の美しさを堪能できました。
二回目は1階の端っこのほうだったのですが、群舞が多いので、人がわさわさ動いてるばっかりに見えてまるで別の作品のように感じました。半端な場所だったら、絶対二階席のほうが堪能できるショーだと思います。
舞台の上で太鼓を叩いたりするので、一階の前方だったら舞台からの迫力を感じられて良いと思いますが。…そんな席、庶民の私の手に入るものじゃ無いし^^;
ただ、照明が暗いし被り物が多いので、下級生さん達を見つけるのが大変でした。場面によってはマサオやみりお君まで分かりづらいです。
ファンとしては、祐飛さんのビジュアルの美しさだけでも満足な作品です。オウス様の先導役として紹介されますが、常にオウス様の先に立って案内…というか、エスコートしています。
手を差し伸べて道を示す姿が、とってもスマートで素敵♪
芝居のほうは、極端に言えば、まともに芝居をしているといえる役はトップコンビときりやんの三人のみ。物語に絡むのは、あいあいとシビさん。
その他の生徒さん達は主に状況説明と賑やかしとして存在する役ですね。なので、常にまとめて出てきては、いっぺんにそれぞれ面白い事をしてくれるので、見るのが大変です^^;このあたりはセリフの掛け合いで見せる役だと思うので、こなれてくるともっと面白くなりそう。一応推理ものっぽい仕立てで、麻子さんがホームズでエリさんと祐飛さんがワトソン君…という感じですね。
下級生さん達はほぼ全員の場面にしか出ませんから、お目当ての生徒さんを見つけるのは大変!これから回数を重ねて、東京公演では皆さんの「今日の小芝居」を楽しめるようになりたいです。
夏休みの宿題は、8月の終わりになってから手を付ける子供でした。こういう性分って、生まれつきのもので。私はきっと一生変わらないんだろうな。
というワケで、月組さん。
初日おめでとうございます。今更ですが。
ネットの評判がすごく良いようで、来週行くのが楽しみです(^^)
私は久世さんトップ時代に月組ファンになったもので、今でもあの時代の月組が最高のカンパニーだと思っております。勿論、それからずっとどの時代の月組も大好きですし、今の月組の組子はみんな可愛いですけどね。でも、あの時代は特別なんです。全ての理屈を超えて、あの時代こそが、私にとっての月組。
なので、私は正塚信者です←長い前置きだ(^^ゞ
ちょうど正塚さんと久世さんが最強タッグだった頃は、まだ宝塚を知らなくて”伝説”として聞きました。自分で見たのは「バロンの末裔」のみ。なので、私には正塚先生は伝説の演出家なのです。
まあ、見てない作品も多いですけど。他組は勿論、月組もさららん&みっちゃんバウは見てないですし。…贔屓が全然ご縁が無かったので。
久しぶりに正塚作品を月組で見られるのが、もう、楽しみ過ぎて息苦しいくらいです。
金曜日からネットに張り付いて、ただ、これだけの事を書くのにこんなに時間がかかってしまいました。本当は初日までに、「あかねさす紫の花」の思い出と「雪組エリザベート」の感想を書きあげて、ムラに行くまでに、前の作品「ダル・レークの恋」の感想も書きたいと思っていたのに(泣)
…ものすごく久しぶりに、お風呂場、磨いちゃった…。
というワケで、月組さん。
初日おめでとうございます。今更ですが。
ネットの評判がすごく良いようで、来週行くのが楽しみです(^^)
私は久世さんトップ時代に月組ファンになったもので、今でもあの時代の月組が最高のカンパニーだと思っております。勿論、それからずっとどの時代の月組も大好きですし、今の月組の組子はみんな可愛いですけどね。でも、あの時代は特別なんです。全ての理屈を超えて、あの時代こそが、私にとっての月組。
なので、私は正塚信者です←長い前置きだ(^^ゞ
ちょうど正塚さんと久世さんが最強タッグだった頃は、まだ宝塚を知らなくて”伝説”として聞きました。自分で見たのは「バロンの末裔」のみ。なので、私には正塚先生は伝説の演出家なのです。
まあ、見てない作品も多いですけど。他組は勿論、月組もさららん&みっちゃんバウは見てないですし。…贔屓が全然ご縁が無かったので。
久しぶりに正塚作品を月組で見られるのが、もう、楽しみ過ぎて息苦しいくらいです。
金曜日からネットに張り付いて、ただ、これだけの事を書くのにこんなに時間がかかってしまいました。本当は初日までに、「あかねさす紫の花」の思い出と「雪組エリザベート」の感想を書きあげて、ムラに行くまでに、前の作品「ダル・レークの恋」の感想も書きたいと思っていたのに(泣)
…ものすごく久しぶりに、お風呂場、磨いちゃった…。
あかねさす紫の花 その3
2007年7月20日 月組「あかねさす紫の花」について、続きです。
中大兄とは反対、にイメージだけで額田を愛したのが、天比古ですね。
天比古にとっては手の届かない遠い姫様ですから、額田を”美”の象徴として、自身の仏師になる夢と重ねて見ている。
額田が宮中に上がってから、姿を見る事さえかなわないという点では、菩薩様そのものとあまり違いがありません。
もはや彼のなかで額田は、人間ではないんですね。でも本人はそれに気づいてない所が、この役の切ないところ。
実際には天比古のような、自分のイメージを勝手に女性に押し付ける男の人は沢山いますし、かなり鬱陶しいものですが^^;
天比古の場合は身分違いで姿を見る事もできないのに、あんなに落ちぶれてまで、ただ遠くから夢見ているのが切ないですよね。
あまりにも純粋な彼が思い描く額田は、さぞ清らかで美しい夢想であった事だろうと思います。
また、遠くから額田を思う違う身分の天比古は、額田と大海人、中大兄の三人を客観的に描く視点ともなっています。
難波津で、天比古の人生を語る場面は、同時に額田の里での出会いから五年後の状況を観客に説明する場面になります。
天比古の人生が、そのままメインの額田サイドのドラマの説明になる、構成とキャラクタ造形の巧みさは何度見ても感心します。
そして天比古のドラマが、平行して動いていた額田のドラマと出合った時。
生身の人間である額田を見て絶望する天比古の姿に、観客は額田が”清らか”に生きてはいない事を納得させられます。
嘆く天比古の姿に、観客である女性はつい「勝手な事言わないでよ!」と腹を立てて、額田に同情してしまうのではないでしょうか。
でも同時に、大海人を想いながらも中大兄を受け入れる、”清らか”ではない額田の、情愛の甘美さに浸ってしまうわけですね。
更に「女には、外から見ていても分からない、生き方もあるんだよ…」という小月の台詞に、一緒に「うんうん、そうだよー」と頷いてしまう。
本当に見事な構成です。
この天比古は、役者さんにとっては本当に遣り甲斐のある役だろうなーと思います。
少ない出番ではありますが、人生の希望と悲哀がギュっと凝縮されていて、ラストにはそれまでの人生を全て否定する大芝居があって。なかなかこんなに芝居のしどころ見せ所の有る役は無いと思います。
でも、この全ツで演じたマサキ君は、私的にはちょっと…でした。歌や大きな見せ場のある「美味しい役」と思って、演じていたような…。どうも、そんな下心があるように見えてまって。
この役が「美味しい役」なのは、全霊をかけた芝居をさせて貰える役だから、なんですけどね…。
声が良くて、台詞の抑揚の付け方とかは上手いんですよ。学年を考えると、十分良くやってるとは思いました。歌もすごく良かったんです。
でも、小月のれみちゃんもですが、なんだか、二人とも清潔でさっぱりしていて、つまらない。初めてちょっとした挫折を経験した、成績優秀スポーツ万能の優等生少年と、クラスメートの気の強い女の子の、中学生日記のようでした^^;
この二人を見て、もう今後この世代で柴田作品を表現する事はできないのかもしれない…と心配になってきたくらい。
力強くて清潔感のあるれみちゃんの小月を見て「イマドキ、遊び女の後ろめたさなんて言われても困るよね。確かに、職業に貴賎は無い…というのは正しいしなぁ」なんて思ったりして。
中日のねねちゃん小月にも、少し清潔過ぎると感じたような気がしました。
ひろみ天比古はすごく良かった。天比古の複雑な感情をしっかり表現した、良い芝居をしていたとは思います。でも最後、今までの人生をすべて否定して、小月に縋りつく場面だけは、やはりキレイ過ぎるかなーと思いましたね。
まあ、私は宝塚を見始めて10年くらいの若輩ものですから、昔からのファンの方から見れば、柴田作品を語るのもおこがましいとは思いますが。
中日公演を見にいった時、隣の席の方達がイマドキの生徒さんは、何か違うと…話していらして、私もそうかもなぁと思いながらその会話を盗み聞きしていました。
確かに、CSで流れる昔の映像を見ると、何か感情の密度のようなものが違うように思えます。ま、宝塚に限らない事なのでしょうけどね。
まだまだ続く
中大兄とは反対、にイメージだけで額田を愛したのが、天比古ですね。
天比古にとっては手の届かない遠い姫様ですから、額田を”美”の象徴として、自身の仏師になる夢と重ねて見ている。
額田が宮中に上がってから、姿を見る事さえかなわないという点では、菩薩様そのものとあまり違いがありません。
もはや彼のなかで額田は、人間ではないんですね。でも本人はそれに気づいてない所が、この役の切ないところ。
実際には天比古のような、自分のイメージを勝手に女性に押し付ける男の人は沢山いますし、かなり鬱陶しいものですが^^;
天比古の場合は身分違いで姿を見る事もできないのに、あんなに落ちぶれてまで、ただ遠くから夢見ているのが切ないですよね。
あまりにも純粋な彼が思い描く額田は、さぞ清らかで美しい夢想であった事だろうと思います。
また、遠くから額田を思う違う身分の天比古は、額田と大海人、中大兄の三人を客観的に描く視点ともなっています。
難波津で、天比古の人生を語る場面は、同時に額田の里での出会いから五年後の状況を観客に説明する場面になります。
天比古の人生が、そのままメインの額田サイドのドラマの説明になる、構成とキャラクタ造形の巧みさは何度見ても感心します。
そして天比古のドラマが、平行して動いていた額田のドラマと出合った時。
生身の人間である額田を見て絶望する天比古の姿に、観客は額田が”清らか”に生きてはいない事を納得させられます。
嘆く天比古の姿に、観客である女性はつい「勝手な事言わないでよ!」と腹を立てて、額田に同情してしまうのではないでしょうか。
でも同時に、大海人を想いながらも中大兄を受け入れる、”清らか”ではない額田の、情愛の甘美さに浸ってしまうわけですね。
更に「女には、外から見ていても分からない、生き方もあるんだよ…」という小月の台詞に、一緒に「うんうん、そうだよー」と頷いてしまう。
本当に見事な構成です。
この天比古は、役者さんにとっては本当に遣り甲斐のある役だろうなーと思います。
少ない出番ではありますが、人生の希望と悲哀がギュっと凝縮されていて、ラストにはそれまでの人生を全て否定する大芝居があって。なかなかこんなに芝居のしどころ見せ所の有る役は無いと思います。
でも、この全ツで演じたマサキ君は、私的にはちょっと…でした。歌や大きな見せ場のある「美味しい役」と思って、演じていたような…。どうも、そんな下心があるように見えてまって。
この役が「美味しい役」なのは、全霊をかけた芝居をさせて貰える役だから、なんですけどね…。
声が良くて、台詞の抑揚の付け方とかは上手いんですよ。学年を考えると、十分良くやってるとは思いました。歌もすごく良かったんです。
でも、小月のれみちゃんもですが、なんだか、二人とも清潔でさっぱりしていて、つまらない。初めてちょっとした挫折を経験した、成績優秀スポーツ万能の優等生少年と、クラスメートの気の強い女の子の、中学生日記のようでした^^;
この二人を見て、もう今後この世代で柴田作品を表現する事はできないのかもしれない…と心配になってきたくらい。
力強くて清潔感のあるれみちゃんの小月を見て「イマドキ、遊び女の後ろめたさなんて言われても困るよね。確かに、職業に貴賎は無い…というのは正しいしなぁ」なんて思ったりして。
中日のねねちゃん小月にも、少し清潔過ぎると感じたような気がしました。
ひろみ天比古はすごく良かった。天比古の複雑な感情をしっかり表現した、良い芝居をしていたとは思います。でも最後、今までの人生をすべて否定して、小月に縋りつく場面だけは、やはりキレイ過ぎるかなーと思いましたね。
まあ、私は宝塚を見始めて10年くらいの若輩ものですから、昔からのファンの方から見れば、柴田作品を語るのもおこがましいとは思いますが。
中日公演を見にいった時、隣の席の方達がイマドキの生徒さんは、何か違うと…話していらして、私もそうかもなぁと思いながらその会話を盗み聞きしていました。
確かに、CSで流れる昔の映像を見ると、何か感情の密度のようなものが違うように思えます。ま、宝塚に限らない事なのでしょうけどね。
まだまだ続く
あかねさす紫の花 その2
2007年7月18日 月組続きです。
「飛鳥夕映え」もあったので、この時代の本など、いくつか読みました。
石川麻呂も、祐飛さんが演じたので親しみのある人物なので、つい色々と考えてしまいます。
中大兄と石川麻呂、中大兄の妻となった石川麻呂の娘達とその子供達は本当に複雑な関係です。あまりに濃く、ドラマチックなので、その心境については色々な説があるんですね。
この作品には、そのあたりの事は全く語られてはいません。
なので、特に中大兄について調べたりせず、プログラムの年表さえ見ずにに公演を見たのですが、祐飛さんの中大兄をみていたら切れ切れの中大兄についての知識を思い出したんですよ。その後色々調べて、祐飛さんは中大兄の人生をかなり研究した上で演じていたんだなぁ…と。
歴史上の人物を演じるうえで当たり前の事ではありますが、この作品で語られていない時間の中大兄の人生と、その心情を全部作り上げた上で、「あかねさす紫の花」の中に存在しているのが感じられます。
祐飛さんが頭の中で作りあげていた中大兄中心のドラマ、見たかったです。
中大兄の人生って、本当に盛りだくさんに色々な事があっているんですよね。この作品の中では、一瞬で過ぎている間にも。
有間の温泉(ゆ)の場面は、息子の健皇子が亡くなって半年近くたった頃。
それから10年後の即位の宴の場面の間には、朝鮮に戦争しに行って大敗北して帰ってきたり、母・斉明天皇や妹・間人皇后を亡くしたり…。国内外の政治も山あり谷ありで、公私ともにものすごく大変な時期。
周囲に弱味を見せる訳にはいかない独裁者は、どんなにか孤独だっただろうかと思います。
で、祐飛中大兄の素敵なところは、そんな独裁者がまっすぐに額田を愛し、見栄も何も無く額田に屈しているところです。
あんなに冷酷で強くて立派な皇子様が、ひたすらに額田の心を求める姿に、胸を打たれます。
人間、あんなふうに愛される事って、なかなかありません。姉の鏡女王を恋人にしていた時の中大兄とは、まるで態度が違いましたし。
額田に縋る中大兄の、なんとも愛しいこと…。
私はこの「あかねさす紫の花」という作品が、本当に大好きなんですよ。
で、実は「この作品が好き」=「中大兄が好き」…というくらい、この作品の中大兄が好きなんです。
私が初めて見たのが博多座花組公演の中大兄編だったせいもあるとは思いますが、大海人編でもやっぱり中大兄が好き。
自分が不利な立場になると分かっていても、周りから恨まれても…それでも恋を選ぶ中大兄って、ロマンティックじゃないですか。
まわりの事よりも損得よりも恋に全てを賭ける男って、素敵だなーと思うワケです。現実的には困ると思いますが、フィクションの醍醐味です。
祐飛さんがこの役を演じる事が決まった時には、本当に嬉しかったです。
また続きます。
「飛鳥夕映え」もあったので、この時代の本など、いくつか読みました。
石川麻呂も、祐飛さんが演じたので親しみのある人物なので、つい色々と考えてしまいます。
中大兄と石川麻呂、中大兄の妻となった石川麻呂の娘達とその子供達は本当に複雑な関係です。あまりに濃く、ドラマチックなので、その心境については色々な説があるんですね。
この作品には、そのあたりの事は全く語られてはいません。
なので、特に中大兄について調べたりせず、プログラムの年表さえ見ずにに公演を見たのですが、祐飛さんの中大兄をみていたら切れ切れの中大兄についての知識を思い出したんですよ。その後色々調べて、祐飛さんは中大兄の人生をかなり研究した上で演じていたんだなぁ…と。
歴史上の人物を演じるうえで当たり前の事ではありますが、この作品で語られていない時間の中大兄の人生と、その心情を全部作り上げた上で、「あかねさす紫の花」の中に存在しているのが感じられます。
祐飛さんが頭の中で作りあげていた中大兄中心のドラマ、見たかったです。
中大兄の人生って、本当に盛りだくさんに色々な事があっているんですよね。この作品の中では、一瞬で過ぎている間にも。
有間の温泉(ゆ)の場面は、息子の健皇子が亡くなって半年近くたった頃。
それから10年後の即位の宴の場面の間には、朝鮮に戦争しに行って大敗北して帰ってきたり、母・斉明天皇や妹・間人皇后を亡くしたり…。国内外の政治も山あり谷ありで、公私ともにものすごく大変な時期。
周囲に弱味を見せる訳にはいかない独裁者は、どんなにか孤独だっただろうかと思います。
で、祐飛中大兄の素敵なところは、そんな独裁者がまっすぐに額田を愛し、見栄も何も無く額田に屈しているところです。
あんなに冷酷で強くて立派な皇子様が、ひたすらに額田の心を求める姿に、胸を打たれます。
人間、あんなふうに愛される事って、なかなかありません。姉の鏡女王を恋人にしていた時の中大兄とは、まるで態度が違いましたし。
額田に縋る中大兄の、なんとも愛しいこと…。
私はこの「あかねさす紫の花」という作品が、本当に大好きなんですよ。
で、実は「この作品が好き」=「中大兄が好き」…というくらい、この作品の中大兄が好きなんです。
私が初めて見たのが博多座花組公演の中大兄編だったせいもあるとは思いますが、大海人編でもやっぱり中大兄が好き。
自分が不利な立場になると分かっていても、周りから恨まれても…それでも恋を選ぶ中大兄って、ロマンティックじゃないですか。
まわりの事よりも損得よりも恋に全てを賭ける男って、素敵だなーと思うワケです。現実的には困ると思いますが、フィクションの醍醐味です。
祐飛さんがこの役を演じる事が決まった時には、本当に嬉しかったです。
また続きます。
とりあえず、工事を始めます
2007年7月14日 月組とりあえず、過去に書いたメモを発掘して並べておきます。
昨年秋の全国ツアー版「あかねさす紫の花」。
祐飛ファンによる、中大兄中心の感想文です。
祐飛さんの中大兄皇子を見て「大化の改心で、入鹿の首を落とし遺体を雨ざらしにした人だ」と、すごく納得しました。
冷酷で、目的の為には手段を選ばない。でも、悪人、ではない。
そこが難しい所だと思うんですよね。
悪い人にしてしまえば簡単なのに。
国を背負い政治を変えていこうとする、中大兄皇子の強い意志と激しさを見せたいらしい。
「政略」の場面で、大海人と額田が向き合って話す真ん中を、客席に背中を向けた中大兄が横切る時の、その背中の、すごい迫力…。
「私の心は大海人のもの」と言う、額田の言葉がなんとも弱々しく、空しく響きます。
激しい性格故に敵の多い中大兄と、人望のある大海人というのが歴史の定説ですね。
豪族から力を奪う改革を推し進める中大兄は、周りの豪族達は全て敵。
それを恐怖政治で押さえ込み、力づくで前に進んでいる。
中大兄を亡き者に…と考える者がでても当然。
そして、もしも大海人が兄に反目すれば、豪族達はこぞって大海人につく。中大兄は滅ぼされる事になるでしょう。
…大海人は、ジョーカーなんですね。大海人が味方である事は、中大兄にとってはとても重要な事だったのでしょう。
けれど中大兄なら、諸刃の剣である大海人が、敵に転じる前に切り捨てるというのも有り得る事です。
そんな大海人が「妻を渡せ」と言われたら。
妻としては体を売って、大海人を守るしかないでしょう。
額田が十市皇女を引き取ったのも、状況だけ見れば、中大兄が難癖をつけて大海人の妻子を人質に取ったように思えます。
大化の改新の協力者であった石川麻呂が一族ごと滅ぼされた記憶も、まだ新しい頃。
宮廷では次は誰が標的になるか…という恐れがあったでしょう。
どんな理不尽な事でも、従わざるを得ない。
そして中大兄にとっては、石川麻呂の娘である妻の遠智娘が亡くなり、しばらく過ぎた頃になるのかな?
石川麻呂を仲間にする為に妻にした人ではありますが、3人の子を産んでいます。
夫によって親兄弟を殺され一族を滅ぼされた悲嘆で、三人目の子を産んですぐに亡くなった妻。
その子、健皇子は生まれつき口がきけず、8歳で亡くなっています。
母親の深い悲しみがお腹の子供に影響したのだろうと、誰もが自然に思いますよね。
病弱なうえ、口がきけない忘れ形見の幼子は、無言で中大兄の行いを責める存在だったのではないでしょうか。
祐飛さんの中大兄は、大化の改新の前の額田の里の場面とはまるで別人のように、暗く冷たい孤高の人となって現れます。
そんな時に再会した額田は。
母になったばかりの喜びに輝いて、誇らしげに愛し子を抱いている。
幸せに満ち足りたその姿は、中大兄にとってよほど眩しいものだったのだろうな、と思えます。
その時中大兄は、額田の里で初めて出合った時の額田が「ある若い仏師が私の姿を菩薩に…」と話した事を、思い出したのではないかなーと思ったりもしました。
まるで、菩薩様が向こうから歩いてくる...くらいの衝撃で、中大兄は額田に恋をしたのではないかと。
自ら入鹿を斬り、多くの人を死に追いやり滅ぼしてきた中大兄にとって、額田は菩薩様のイメージと重なり「救い」の存在だったのではないか…と、今回の祐飛中大兄を見て思いました。
でも、決してイメージだけを愛しているのではないのが、祐飛中大兄の素敵なところでした。
…ここまでしか、書かれてなかった^^;
とりあえず、続きはまた。
昨年秋の全国ツアー版「あかねさす紫の花」。
祐飛ファンによる、中大兄中心の感想文です。
祐飛さんの中大兄皇子を見て「大化の改心で、入鹿の首を落とし遺体を雨ざらしにした人だ」と、すごく納得しました。
冷酷で、目的の為には手段を選ばない。でも、悪人、ではない。
そこが難しい所だと思うんですよね。
悪い人にしてしまえば簡単なのに。
国を背負い政治を変えていこうとする、中大兄皇子の強い意志と激しさを見せたいらしい。
「政略」の場面で、大海人と額田が向き合って話す真ん中を、客席に背中を向けた中大兄が横切る時の、その背中の、すごい迫力…。
「私の心は大海人のもの」と言う、額田の言葉がなんとも弱々しく、空しく響きます。
激しい性格故に敵の多い中大兄と、人望のある大海人というのが歴史の定説ですね。
豪族から力を奪う改革を推し進める中大兄は、周りの豪族達は全て敵。
それを恐怖政治で押さえ込み、力づくで前に進んでいる。
中大兄を亡き者に…と考える者がでても当然。
そして、もしも大海人が兄に反目すれば、豪族達はこぞって大海人につく。中大兄は滅ぼされる事になるでしょう。
…大海人は、ジョーカーなんですね。大海人が味方である事は、中大兄にとってはとても重要な事だったのでしょう。
けれど中大兄なら、諸刃の剣である大海人が、敵に転じる前に切り捨てるというのも有り得る事です。
そんな大海人が「妻を渡せ」と言われたら。
妻としては体を売って、大海人を守るしかないでしょう。
額田が十市皇女を引き取ったのも、状況だけ見れば、中大兄が難癖をつけて大海人の妻子を人質に取ったように思えます。
大化の改新の協力者であった石川麻呂が一族ごと滅ぼされた記憶も、まだ新しい頃。
宮廷では次は誰が標的になるか…という恐れがあったでしょう。
どんな理不尽な事でも、従わざるを得ない。
そして中大兄にとっては、石川麻呂の娘である妻の遠智娘が亡くなり、しばらく過ぎた頃になるのかな?
石川麻呂を仲間にする為に妻にした人ではありますが、3人の子を産んでいます。
夫によって親兄弟を殺され一族を滅ぼされた悲嘆で、三人目の子を産んですぐに亡くなった妻。
その子、健皇子は生まれつき口がきけず、8歳で亡くなっています。
母親の深い悲しみがお腹の子供に影響したのだろうと、誰もが自然に思いますよね。
病弱なうえ、口がきけない忘れ形見の幼子は、無言で中大兄の行いを責める存在だったのではないでしょうか。
祐飛さんの中大兄は、大化の改新の前の額田の里の場面とはまるで別人のように、暗く冷たい孤高の人となって現れます。
そんな時に再会した額田は。
母になったばかりの喜びに輝いて、誇らしげに愛し子を抱いている。
幸せに満ち足りたその姿は、中大兄にとってよほど眩しいものだったのだろうな、と思えます。
その時中大兄は、額田の里で初めて出合った時の額田が「ある若い仏師が私の姿を菩薩に…」と話した事を、思い出したのではないかなーと思ったりもしました。
まるで、菩薩様が向こうから歩いてくる...くらいの衝撃で、中大兄は額田に恋をしたのではないかと。
自ら入鹿を斬り、多くの人を死に追いやり滅ぼしてきた中大兄にとって、額田は菩薩様のイメージと重なり「救い」の存在だったのではないか…と、今回の祐飛中大兄を見て思いました。
でも、決してイメージだけを愛しているのではないのが、祐飛中大兄の素敵なところでした。
…ここまでしか、書かれてなかった^^;
とりあえず、続きはまた。