痛い…

2008年2月8日 月組
月組集合日。
退団者の発表がありました。

(月組) 
  出雲 綾
  北嶋麻実
  彩乃かなみ  ―すでに発表済み―
  姿樹えり緒

この数日、「血と砂−愛と死のアラビア−」を読み、その後も家にある本を読み漁って読書三昧の毎日でした。
怖くて怖くて。
昨年の末、月組東京公演が終わってから、立て続けに退団が発表されて。少しずつ大事な月組生達は去っていき。次の集合日が怖くて、目をそむける為に読書三昧に溺れていました。

そして、とうとう来てしまった恐怖の日。
…えりおっと(T_T)
私に残されていた、最大の希望の星が。…また。
ああ、そういえば。なんとなく嫌な予感はあった気がする。考えないようにはしてきたけれども。

かなみちゃんの退団も残念です。あの歌声は、本当に貴重だった。
東京の「THE LAST PARTY」で、「俺のゼルダ」だった方なので。やっぱり、寂しい。…もう、ラスパのメンバーも随分減ってしまったんだなぁ。
トップさんの場合、色々な都合が絡み合いますから、いつまでもいて下さいと望んではいけないのかもしれませんが。
最後の公演、宝塚の月組娘役のトップとしての人生を楽しんで下さいね。

タキさんの退団にも、驚きました。一度専科に入られた後の組長就任だったので、任期を終えて専科に戻られる事はあっても、退団というのは考えてなかったし。
新しい副組長が正式就任する初めての大劇場公演で、組長さんが退団なんて(*_*)そんな事、あり得る事だとは思っていなかった。
ナホちゃんにとっては、最初っから大きな試練だなぁ…と思います。ちょっと気の毒な気がします。
それに、かなみちゃんと同時に、あの素晴らしい歌声を失うのは寂しい事ですね。実力といい、キャリアといい、これ程の歌姫は今後もそう出てくるものではないと思います。宝塚全体にとって、大きな損失ですね。

まちお先輩は。
とうとう、この時が来たのか…という感慨が^^;
月組77期の最後のお一人。前回の東京公演中に、ケロさんのブログで「月組の楽屋に、同期に会いに行った」というような事が書かれた時に「もしや?」とは思っていたのですが。でも、この作品でなら、月組生として退団作品になるのは良い事なのでしょうね。

それにしても、えりおっとの退団は痛い。
えりおっとの芝居、本当に好きなのに。
ハートがあって、いつでもキッチリと抑制が効いていて。それでいて、ちょっとトボけたような味があって。
色を出し過ぎない抑制具合が“品の良さ”に繋がって、ショーでのおじ様振りの美しさは、とても印象的でした。
良い男役さんになってくれたものだと、すごく喜んでいたのに。
これからの「芝居の月組」を支えてくれる人だと、月組男役の芝居の指針として、新しい世界を作ってくれる人だと思っていたのに。
今の月組男役上級生は、みなさんキャラクター勝負の人達であって、お芝居のできる人達ではないので^^;
いえ、それぞれのキャラは貴重で、皆さん大好きなんですけどね。他に退団者がいなくて、本当にホッとしていますけど。
…えりおっと一人だけで、十分に過ぎる程に痛いので(T_T)

やっぱり、月組は何かに呪われているような気がする。
どうしてこうも、芝居のできる、月組らしい“役者”ばかりが。
「芝居の月組」「月組の芝居」は、月組ファンの誇り。
息をするように自然に芝居をする…ように見せる、才能のある役者達が。僅かの間にこんなにも、一気にいなくなってしまうなんて。
勿論、皆さんの人生。ご自分で選んだ道は、確かなものだと思います。その決断は、正しいものと信じます。
…ただ、寂しいのです。あの芝居が、もう見られなくなるのが。もっともっと成長して、もっともっと良い役者さんになって…という姿を期待して楽しみにしていたので、寂しいのです。
どうか、最後の公演を、思う存分に楽しんで下さいね。そして、いっぱいいっぱい幸せになって下さいね。
ちゃんと、しっかり見に行きますから。
うめちゃん、休演との事。
心配ですね。初日を目前にした怪我で、本当につらい事と思います。
うめちゃんも辛いけど、代役になられる方も。やっぱり、私はどうしても「黒い瞳」の時の事を思い出してしまいました。
あの時は、急な代役の大空さんが心配で、私も本当に緊張しました。りかさんを心配して、客席の空気も尋常じゃなかった記憶があります。
宙組ファンの皆様、大変な時だと思いますが、どうか、頑張って生徒さんがたを応援してあげて下さいm(__)m
うめちゃんの、一日も早い回復を遠くから祈っております。

さてさて。
少しずつ「HOLLYWOOD LOVER」感想を書いていきます。
今回、「HOLLYWOOD LOVER」でホッとしたのは、エンターテイメントに徹した作品にして下さった事。

私にとって植田景子氏は、心の一番痛い処をついてくる、怖い作家です。
本当に痛くて痛くて…「THE LAST PARTY」の時は、大変でした。胸が痛くて。
比喩では無く肉体的に、本当に胸が痛くなる程に全身に力を入れて、見て、泣いていました。

植田景子氏は、作品を通して繰り返し語り、問いかけます。

愛し合っているのに、理解しあえない人々の痛みを

裏切る事、裏切られる事、そして許すことの痛みを

自分より恵まれた才能に憧れ、自分を否定してしまう事の痛みを

この三つのテーマを、色々な形で繰り返し繰り返し、描き続ける。
いや、他にも共通したテーマがあるかもしれないですが、私の心にいつも引っかかるのは、この三つです。
主に、創造に関わる人々を通しての問いかけではあるけれど、日常的に普通の人々も経験する普遍的な痛み。
…私も、経験している、痛みです。

最初にこの三つのテーマを意識したのは、「THE LAST PARTY」の時。
あれは、心に斬りこんでくるような、作品でした。
主人公のスコットが、この三つの痛み全てに真正面からぶつかって、ボロボロになる作品。
避ける事もできずに不器用に痛みを受け、傷ついて、苦しんで。
それでも人生を諦めず、愛し、許し、憧れ続けて、最期の時を迎える人でした。
大空さんは、スコット役に入りこんで、大空祐飛との区別がつかなくなってるのでは?と思いながら見ていました。自身が持っている、心の弱さも醜さも、全て客席にさらけだして見せて。そして、絶望の奥にある希望を、しなやかに力強く描いて見せてくれた…と思います。
私も感情移入してしまって、泣き過ぎて大変な事になっていました。本当に体力を使った公演だった(^^ゞ

今回の「HOLLYWOOD LOVER」では、エンターテイメントに徹して、真正面からこの「痛み」を問いかける事はしなかった。
それが、ホッとした事。前作とは違うジャンルの作品というのが嬉しかったし、今回は大空ファンも色々とツラかったし^^;
涙の量はラスパの時と同じくらいだけど、胸の痛みかたはかなり違ってました。有難い事でした。

でも、正面からではなくとも、さりげなく物語り中にまぎれて描かれていますね。
ただし、今回は主人公のステファーノさんは、除外されてます。
彼は裏切られた傷を負ってはいるものの、ローズを許す事には葛藤が無い。
ずっと愛していたのだから、許すも何も…という感じですよね。

今回、この“問いかけ”を担うのは、ローズとリチャード、そして、マギーです。

ローズは8年前、愛し合っていた男と理解しあえず、裏切った。ずっと、その痛みを抱えて生きている。
リチャードは、ローズを愛しているのに、まったく理解しあえない。彼女は彼を裏切って、ステファーノの元へ行こうとしている。
更に、ステファーノという才能ある男が撮った映画で、自分を否定されてしまう。

そして。
裏切り者のマギー。「ともだち」を裏切った…。

さて、やっと本題に取り掛かったところで、今回はこれまで(^^ゞ
そろそろ心を落ち着けて、「Hollywood Lover」の感想を書きたいと思いましたが、思う事が沢山あり過ぎます^^;
纏まらないので、思いついた事から垂れ流していきます。

以前「深紅の薔薇」というタイトルでローズについて書いた時に、私は物語のキャラクターとして意地っ張りの女の子が大好きなんです、と書きました。
女の子が感情を持て余して、ぐっと言葉につまって、つい意地を張ってしまう。
…そんな場面を見ると可愛いくて、きゅんきゅんしちゃうんです。

でも、この作品を見て確信しました。
植田景子先生も、間違いなく私と同じだ!
そして、多分、大空氏も。
絶対、意地っ張りの女の子にきゅんきゅんしてます。
可愛くて可愛くて可愛くて、どうしようもないんだと思います。
だって、お二人とも、ローズに対して全肯定ですよね。
彼女の心の弱さも、そこからくる意地っ張りも、お二人の目にはとても可愛く映っているのが、舞台から伝わってきます。

CSの「NOW ON STAGE」の雑談^^;で、悪いのは全てローズなんじゃ?
という話になったとき、大空さんは「ローズは悪くないの!弱かっただけなの、仕方ないの!」というような事を言って“ローズ”をかばってましたね。
バウの時は、一幕ラストでローズの真実の心を知ってから、ローズの意地っ張りや弱さを可愛いく思って抱きしめるような印象がありました。
(青年館では、ローズの心に気づかなかった自分を責めているようなイメージに変わった気がしましたが)

バウでは初日に見た時からずっと、「こんな男、いないよーー!!」と思って見ていました(^^ゞ
この、女の子の「意地っ張りで素直じゃない」所って、男性には理解されないもののような気がするんですけど、どうでしょう?
男性視点のフィクションを見る限り、女の子の可愛い我侭に振り回される…という風にしか思われていないような気がします。
多分、私のように可愛くてきゅんきゅんしたり、しないと思う。

そして、植田景子作品においては、「意地っ張りで素直じゃない」女の子は、肯定的に扱われているような気がします。
そんな所も、植田景子作品を、現実離れしたキレイ事の話と呼ぶ人がいる要因の一つかもしれないなーと思ったり。
でも私は、そんな女の子が大好きです(^^)

さて、まだまだ書きたい事はたくさんありますが、ぽつぽつと書いていきたいと思います。
できる事から一つずつ。

月組 大空祐飛

2008年1月25日 月組
月組 大空祐飛さん、幸せな時間をありがとうございました!

どこまでもついていきます。

もっともっと幸せになってくださいね〜(^^)

深紅の薔薇

2008年1月24日 月組
予想どおり、観劇仲間と飲んでばかりな日々を過ごしています。
もはや、かまわないだろうと思い、ネタばれ感想いきますv。
ご覧になってない方は、どうぞお読みにならないで下さいませm(__)m

ローズという女性が大好きです。可愛くてしょうがないです。
バウで見た時からですが、青年館に来てから、もっともっと可愛いです。

私は物語のキャラクターとして、意地っ張りの女の子が大好きなんですよ。
感情表現が素直じゃなくて、思っている事をそのまま伝える事ができない子。
笑いたいのに、つんけんしたり。優しくしたいのに、憎まれ口をきいたり。
女の子が感情を持て余して、ぐっと言葉につまって、つい意地を張ってしまう。
そんな場面を見ると「可愛い〜」と思ってしまうんです。特に可愛い娘役さんがやると、きゅんきゅんしちゃいます。

というワケで、ローズが可愛くて。
孤独に生きてきた孤児の女の子が、突然、あんなに優しい男からの丸ごとの愛情に包まれてしまったら。

今まで周りに虚勢を張って、一人で必死に生きてきた事でしょう。
でも多分、ステファーノには虚勢も無意味で。
自分の美貌を頼りにしていた部分もあると思うのですが、彼にはそれはローズの魅力の一つでしかない。
どんなに意地を張っても、優しく包みこまれてしまう。
そりゃ、パニックも起こしますよね。
今までの人生を根本から覆される相手です。彼に愛されてから、彼女にとって、世界は全く違うもの変わってしまった。
でも、その生活がどんなに幸せでも、いえ、幸せだからこそ。
幸せを失う事があるとしたら…と思うのは、どれだけ恐ろしい事か。
怖さのあまり、自分をがんじがらめにしてしまった。そして失う恐怖に耐えかねて、自分から全て壊してしまった。
他にも色々と、複雑な想いはあったのでしょうけれど。その恐怖だけでも、逃げ出してしまう気持ちはわかる。
青年館では、一幕ラストの告白で「ひと時も離れられない程に」というような台詞が追加されて、より彼女が身近な存在になった気もします。孤児院で育った孤独な少女ではなくても、恋人に対して甘えや不安を持つのは当然の事ですから。初めての本気の恋なら、それが当然の事だという事もわからないでしょうし…。

バウで初日に見た時から、「ローズ・クリムソン」という名前の存在が大きく心に残っておりました。
恋人に「深紅の薔薇」なんて名を付ける男なんて、すっごくロマンチスト!
けれど、まだ若い彼女にとって、そのロマンと愛は…きっと重過ぎるものだったろうなー、と。

演技の経験の無い彼女に一から芝居を教えた彼の言葉は、おそらく絶対的なものであった筈。その上、年上で、愛と理解がある人ですから。8年前の二人は、ステファーノのリードの上で、ローズが自由に振舞う…という形だったのではないでしょうか。
結果的に、彼の言葉に従う事の多い彼女は「ローズ・クリムソン」と名付けられた時、無意識に深紅の薔薇のイメージを自分に重ねてしまった気がしたのです。そして、自ら「薔薇の定め」を、自分に課してしまった。「華やかに激しく生きろ」と。
そう、アニメ版「ベルばら」のあの歌です(^^)著作権に詳しくないので、歌詞は書きません。心の中で歌って下さいませね。
「ああ、ローズだ」という気がしますよね?

深紅の薔薇。華やかなスカーレット(真紅)や、明るいバーミリオン(朱色)ではなく、少し紫のかかった深く昏い紅。…彼がつけたその名前に影響されて、彼女はその後の人生を生きる事になったのではないかなー、と思えて。
切なくも、いじらしい女じゃないか、と思うのです。

そして都合の良い男・リチャードと結婚した後には、リチャードの「夢の女」を演じ続けた。
愛されていると思って結婚したけれど、リチャードは結局、本来の彼女とはかけ離れた映画の中の「夢の女」しか求めていなかった。彼女の心がその「夢の女」とは別人である事に、気づかない程。
…まあ、本当は彼女もそれがわかっていて、リチャードを選んだのだと思いますが。

他人の幻想や勝手なイメージを押し付けられるのって、普通の女性にとっては、かなり苦痛だと思うんですよね。
彼女が本当に望むもの、やりたい事ではなく、リチャードの都合の良いように生きてきた。リチャードが望むような事を、彼女が望んでいるように演じる、不自然な人間関係だったのでしょう。
彼女が「夢の女」であって欲しいリチャードにとって、一番あってはならないものは、本当はローズの、いえ「ローラ・オズモンド」の心。
それは、リチャードの望みではないから。

でも、彼女はリチャードの無茶な要求に応えようと、8年間も生真面目に頑張ってきた。
…まるで、愛する人を捨てた、罰を受けるように。
ステファーノを失った後、彼女自身が本当に望むものも、やりたい事も、無かったのかもしれない。
ローズが心から笑うことは、8年間、無かったのかもしれない。
そして赤狩りの犠牲になった俳優は、少しステファーノの面影があったのかもしれない。

彼女も孤独だったから「家庭」に憧れる部分もあったのかな?黙って「理想の夫婦」であろうと、頑張った。心や体が壊れる程に、頑張った。
リチャードが、「私たちを愛し合っている」と言い訳できる程には、表面上は「愛のある夫婦」らしい生活があったのでしょう。

極度のスランプで「困ったものよね、女優なのに」なんて、外の人からは軽く言われていますが、それは現代ならば、治療を必要とする心の病なのではないかと。リチャードがその頼みを断れない程に、彼女は壊れかけていたのだと思います。
でなければ、彼だって本当は「昔の男」なんて、呼びたくはないでしょう。
彼女の望みを全て叶えるという約束でも、今まではリチャード自身が嫌な事は、結果的に叶えてやらない事が多かったような気がします。

そして彼女はステファーノに別れを告げる為に、彼を呼んだのではないかな、と思います。カマラの占いのせいでは無く、押し殺し続けて苦しい心が、死に向かっているから。
あのまま二人の心が寄り添う事なく、無事に映画ができて彼がイタリアに帰ってしまっていたら…彼女は壊れてしまったんじゃないか、と思えるのです。その時は、彼女は一人で、死に向かったのかもしれないな、と。

でも、悲鳴をあげる彼女の心に、ステファーノが気付く事は、十分に予想ができた筈。
彼女の心が、彼に助けを求めてしまう事も。
だから、この物語の結末は、本当はステファーノがハリウッドに着く前に、もう決まっていたようなものだと思います。

青年館に来てから、あいあいの芝居がすごく良くなってます。
特に、一幕終わりに二人の心が通じあってからの変化が、鮮やかで、甘やかで。

二幕の撮影所で、ローズはすっかり頼り切った甘えた目で、ずっーーーとステファーノを見てるんです。もう、他の全ての事が見えてない程に、うっとりと。
「二人きりで会いたい」と頼む時も、現実の全てがどうでもいいような甘えた雰囲気で。恋する乙女、丸出しです。公演を重ねるごとに、どんどん、少女のように甘く初々しくなってきてます。
あれじゃあ、撮影所の関係者みんなに「この二人、デキてる」と、バレバレなんじゃないかと^^;
愛される喜びが、自信と余裕に繋がって、眩しいばかり。
電話で駆け落ちを約束した後なんて、愛される喜びに輝いて、リチャードにもとても優しくなっていますね。
リチャードがどんなに頑張っても彼女を取り戻す事は不可能だと、打ちひしがれて当然。
後は、無理やりこの世から連れ去る他に、手はありません。

私は映画「サラ・ベルナール」のローズを見て、リチャードは全てを捨てる決意したのではないかと思っています。
いきいきとして、キラキラと輝いて、本当に綺麗な…「真実」のローズの姿を見て。
リチャードが恋して作り上げた「ローズ・ラムーア」は、映画「ハリウッド・ラバー」でステファーノが切り取って見せた、ローズの魅力の一部分の、拡大コピーに過ぎない事を思い知って。
そして、彼女の心がその「夢の女」とは別人である事に、気づいてしまった。
だから、その映画をズタズタにしようとして。けれど、それも阻まれて。
多分、人生の全ての意味で、ステファーノに敗北感を抱いたのでしょう。…でも、今までの人生を否定する事もできなくて。
あひちゃんは、青年館の数日で、見違える程に良い芝居をするようになりましたね。
この作品に出演してくれて、この役を作り上げてくれて、良かった…と思います。

この公演も、あっという間に、あと二日。
ものすごい勢いで白熱していく舞台に、圧倒されています。
祐飛ステファーノは有無を言わさぬ迫力で、観客を泣かせにかかります。
どんな事があるか、何度も見てわかっていても、どうしても泣いてしまうのです。理屈を超えて、ステファーノの悲しみに連れ去られてしまいます。このまま、最後はどうなってしまうのか。
…楽しみなような、怖いような^^;
気がつけば、明日は「HOLLYWOOD LOVER」青年館初日です。…というかもう今日ですね(^^)
まだすごく先のような、もうすぐのような落ち着かない気分の毎日を過ごして。あっという間にこの日がきてしまいました。

公演が始まれば、観劇仲間と飲んでばかりな事は目に見えています。始まる前にに書いておかなければ…と思っていた、細々した感想も書けないままですが^^;

ともかく、初日です。おめでとうございます。
この公演が、月組 大空祐飛さんにとって、また出演者全ての皆様にとって、幸せな公演となりますように、お祈りしています。

今、この時に、この作品に出会えた事に感謝しています。
月組 大空祐飛の為に書かれた作品。
大空祐飛と城咲あいを中心に、全ての出演者の魅力を見せる為に書かれた作品。
主人公ステファーノ・グランディは、理想の男性像であり、多分誰が演じても素敵な役であるとは思うけれど。
でも、この役は大空祐飛をイメージして書かれた、大空祐飛の為の役。
別の人の主演での再演は可能だけれども。「これは大空祐飛の為の役だから」と言っても許される役が与えられるのって、ファン的にはすごく嬉しい(^^)
「THE LAST PARTY」は、植田景子の作品だけれども、この「HOLLYWOOD LOVER」は、大空祐飛の作品…と言えるように、景子先生が作って下さった事に感謝しています。

ラスパに続いて、景子先生の作品で主演…という事がわかった時「作品のクオリティの高さは保証済み♪」と、かなり喜んだのです。きっと、前作を超えるようなものを見せて下さるに違いない、と。
でも、果たしてあの東京公演の「THE LAST PARTY」を超えるものなんて、できるものなんだろうか?とも思いました。
ちょっと、それはハードルが高いのでは?それができるなら、景子先生は天才…というか、ネ申?とも思いました。

そして、ドキドキしながらバウの初日を見て。
すごく、嬉しかった。
この「HOLLYWOOD LOVER」が、前作とは、まるで違うジャンルの作品で。
エンターテイメント性の強い恋愛ドラマという、前作とは違う地平を目指しながら、且つクオリティの高い作品で。
…私、あの東京公演の「THE LAST PARTY」のスコット・フィッツジェラルドを超えるものって、実は見たくなかったんだ。
あの大切な思い出は、美しいままにしておきたかった。
他の先生の違う世界ならばいいと思うのですが、あのスコット・フィッツジェラルドを生み出した植田景子先生の手では。
初めてその事に気付いて。改めて景子先生に感謝したのでした。

朝、起きたら、青年館の初日。
バウからちょっと時間をおいて…その間にオオゾラさんの立場は変わってしまって。
月組とのお別れとなる、この作品。
多分、演じるほうも見るほうも、バウとはちょっと違う気持ちで向かい合う事になるでしょう。
演技もちょっと変わっている事と思います。
精一杯の気持ちで、しっかりと「月組 大空祐飛」と、その仲間達を見つめていきたいと思います。

物凄く寒くなってきましたが、皆様がお元気でこの一週間を過ごされますように。
長々と語ってきた「A-“R”ex」の、最後の語り。

エピローグで、アレックスに寄り添うロクサーヌ。
アレックスに何も求める事なく、ただ傍にいると語りかける優しい存在。
彼の全てをまるごと受け入れ、ただ無償の愛を与える人。
彼女はアレックスが求めていて、与えられなかった「母の無償の愛」ではないか…と思いました。
アレックスが感情を動かしたのは「母」に対してだけだったから。
他人を愛さず受け入れないアレックスが、唯一受け入れた人は、対等の人間関係であるとは思えなくて。
彼がどんな人間でも関係なく、何をしても許して、優しく包んでくれる暖かな胸だけなのではないかと。

というのも、実はオギーには「マザコン」のイメージがあって^^;
私は何故か、宝塚の荻田作品の芝居は「螺旋のオルフェ」しか見ていないんです。
見ているのは、外部で作・演出をした「四谷怪談」と「人魚姫」の二作。このどちらも、恐ろしく自分勝手な、マザコン男が話の中心なのです。
特に「四谷怪談」は親が愛してくれなかったからという理由で、周り中を不幸にする極悪男が主役で、もの凄く嫌な気分になる作品でした。今の感覚でいえば、親に愛されなかったと喚いて家庭内で暴力をふるう、ニートの男(33才)のようなイメージ。
しかし、外部で男優さんが演じると気味の悪いマザコン男を書いてしまうオギーも、宝塚で男役が演じれば、普遍的な親子のすれ違いの物語になるんだな…と思いつつ。
でも私はやっぱり、この物語の主人公「アレックス」も、好きにはなれなかった。
両親の勝手に振り回されたとはいえ。全篇をとおして、自分が愛されなかったという被害者意識の強さが、ちょっと怖い気がして。自分が傷付けられたから、周りの人々もどうなってもいい…みたいな。
全ての人々を欺いて利用するだけの人間というのが、うすら寒い感じがしました。
自分の望みを叶える為に、人々を欺いて利用した…というのも、「誰も見たことのない世界の果てが見たい」という部分を、夢とか希望として描いてくれれば感情的に少しは収まりがつくんですけどね。。
インドまで行って、ともかくその望みは叶えられたのか、本当はまだ先まで行きたかったのか。その部分は語られず、旅が続けられなくなった絶望だけ描かれて。
そして、自分で夢の実現の為に周りの人々を利用するだけだったのに、でも、愛されない事には傷ついているらしいのも、ちょっと納得できない気がしたような。

まあ、そうは言っても。作品としては、色々考える事ができたので面白かったです。見にいって良かった(^^)
シビさん、りんかちゃんも最後にちゃんと見る事ができましたし。
お二人の今後の幸せを、お祈りしております。
れみちゃんも、月組を離れるのは寂しいけれど、花組に一緒に行ってくれて嬉しいです。これからも、しっかり見ますね♪

そして。
みつきねこさんから、バトンというものをよろしくされてしまいました。
最初で最後かもしれないけれど、なんとかおこたえ。

Q1.バトンを回す人を5人挙げて下さい。
お友達、いないんです(^^ゞ
私でストップです。ごめんなさい。

Q2. あなたの名前は?
いつか

オオゾラユウヒさんという存在に出会った日、と昨年の月組東京公演初日、10月5日を記念して。
今では、トーコさんの日になってるらしいので、便乗して安蘭けいさんグッズを買ってみました(^^)

Q3. あなたの好きなものは?
フィクション。

以前は本を読むことだと思っていましたが。宝塚ファンになってから、読書量が激減しました。
人生に必要なフィクションを、宝塚で摂取する事ができるらしいです。

Q4.恋人はいる?
恋人は、いない。

やはり、ご贔屓さんを心の恋人と呼ぶのには、ちょっと抵抗があります。なんだかもう少し、現実的な存在です。

Q5.(いる人)その人との出会いは?
なし

Q6.好きなタイプは?
さみしい目をしているひと。
瞳で感情の揺らぎを語るひと。
舞台での場合は、ストイックである事と、ラインの美しい人が好き。キレイなスタイルで、キレイなポーズを。

Q7. 嫌いなタイプは?
目に感情が見えない人。
自己陶酔型の人。「可哀想な私」というのがほの見えると、ダメみたいです。

Q8.好きな漫画、ゲーム、小説、映画は?
ゲームは、Windowsに入っている「ソリティア」。たまに、無性にやりたくなります。

映画は、昔好きな映画があった筈なんだけど、忘れてしまった。びっくり。本当に好きだったんだろうか…。
最近見たなかでは、「指輪物語」は面白かったかな。映画は映像的な面白さがあるものが好き。宮崎駿作品の空を飛ぶ場面や、「マトリックス」等、新しい世界を見せてくれるもの。

漫画は、水上澄子、吉野朔実、内田善美、佐々木淳子、水樹和佳、中山星香、山岸涼子、萩尾望都、筒井百々子、紫堂恭子、遠藤淑子、槇村さとる…他いろいろ

小説は、川上弘美 江國香織、梨木香歩、倉橋由美子、新井素子、タニス・リー、ティプトリーJr.、マキャフリー、R.サトクリフ、モンゴメリ、ジュリー・アンドリュース…他いろいろ
田辺聖子、佐野洋子、上野千鶴子、池上正太郎のエッセイ(小説はあんまり読んでなくて、エッセイばかり^^;)
基本的に、短編小説の面白い人と、エッセイが好き。
でも、本は文庫にならないと買いません。重いから。

Q9.回してくれた人の心の色は?
なんとなく寒色系のイメージなので「ダーク・グリーン」はいかがでしょう(^^)?
この作品を見た時、以前に久世星佳さんが出演したので見た、別役実の「マッチ売りの少女」という芝居と、倉橋由美子の小説を思い出しました。
共通点は、登場人物に名前が無い事。
時も場所も明確な設定は観客には明かされず、ただ状況に即した会話だけが繰り広げられるなかで、人間の普遍的なものを問いかけたり、表現したりする…というもの。
いつか、どこかの町で。或る男性と、或る女性が会話を交わす。観客はワケがわからないまま、次第に濃密になっていくドラマに翻弄される。
多分、60年代から70年代くらいに使われた「不条理劇」の手法なのかな?演劇では、今でも普通に使われますよね、多分。

倉橋由美子の60年代から70年代頃の小説では、キャラクターが「A氏」等で表記されるものがあります。
でも、宝塚では“A”といえば、“ヒッピーA”、“王A”というようにショーの役名ですよね。
なるほどなーと、面白くて。
そのズレを、上手く使ったのがこの「A-“R”ex」という作品なんじゃないかなー、と思ったんです。

作品中の人間達のキャラクターは、いつか何処かの芝居に出演している、ある役者“A”。
けれどそれを演じているのは、宝塚の男役「瀬奈じゅん」で、この場面の役名は“王A”(トップさんだから“S”の方がいいんだけど、A-“R”exだから^^;)
他の出演者は、役名“ヒッピーA”の「龍真咲」であり「綾月せり」である。
もともと設定などないのだから、「役」として“芝居”をする事は不可能なんですね。
誰でもない、“或る役者”、“或る王”だから、それを演じるには「瀬奈じゅん」や「龍真咲」が、そのままで舞台に立つしかない。
演劇では「不条理劇」として表現されるものが、宝塚で同じ事をやると、それは限りなくショーに近い芝居になる。
この作品、「宝塚的じゃないから外部でやればよかったのに」というような声もあったようですが、その外部の演劇と宝塚との“ズレ”こそが、オギーの狙った所じゃないかな、と思いまして。
だからこそ、この作品の主役は“ショースター”「瀬奈じゅん」に宛てて書かれたんだと思います。

解りやすいからヒッピーで書いていますが、神々の三人も同じ事です。舞台にいるのは、ディオの台詞を喋る「霧矢大夢」だと思うのですが。
この作品、もともとアイディアがあって「瀬奈じゅん」主演をオギーが担当する事になった時、持っているアイデアストックの中から一番彼女に合うものとして選んだのではないか、と思います。
もともと先にアイディアがあったんじゃないかと思うのは、このアイディアは「霧矢大夢」には合っていなかったから。
キャラクターの方向性として、誘惑者・狂気の神…というのが、まず全く合わないとは誰しも感じる事だと思うのですが^^;
まあ、いつでも「又七っつぁん」ばかりをやるワケにはいかないので、そこまでは仕方のない事として。
「霧矢大夢」のまま、限りなくショーに近い芝居、というのが合わなかったと思うんですよね。
本能的に“情”で芝居をするタイプの役者さんには、やりにくい事だったような気がしました。このメンバーのなかではきりやんと、響れおなちゃんは、どうもあの作品世界と上手く馴染んではいなかったように思えました。
さすがに実力者のきりやんは、なんとか技術でねじ伏せていましたが。
でも、きりやんの持つ芝居の魅力は封印されてしまった気がしました。
歌と台詞の上手さは、もう文句無く圧倒的だったので、これも一つの経験…というしか無いでのしょうけれども。

かなみちゃんのニケは、娘役ならたいていの人は合いそうな存在だったので、良かったと思います。これが、檀ちゃんやみどりちゃんのような情の強い芝居をする娘役さんだったら、やはりちょっと合わなかったと思いますけどね。

そして、ただ一人「人間」としてのドラマを背負っていた「母親」オリンピアスを除き、全員が劇中劇の“或る役者”として、幻影のようなショーのような世界を作るこの舞台。
間違いなく「瀬奈じゅん」の為に宛書きされた作品、なんだと思います。
あ、前回書いたように、物語の中心となる「アレックス」は、一見孤独に傷付いた男にみえて、実は誰も愛さず、故に誰からも愛されず、自分の目的の為に周りの人間を欺き、利用しては捨て去る…という怖い人間だと思うので。
或る役者が演じている「アレックス」の利己的で冷酷な男の部分は、宛て書きでは有り得ないと思うのですが^^;
ショースターの延長として、この二重三重の仕掛けを力づくで押し通す「瀬奈じゅん」のパワーを利用した、オギーの勝利、かな?
さて、作品について。公演が終わったので、ネタばれもしてしまいます。

「A-“R”ex」というタイトルは、「或る“王”」という意味なんですよね。見終わった後、改めて、成る程なーと思いました。
アレクサンダーを題材にしているけれども、本当のところ、語られているのは誰でもない。その為に劇中劇という体裁をとって、そこで語られるのはあくまでも「或る“王”」の話。ある、孤独な王の物語。
王である為の孤独。王であるからこその孤独。…孤独の為に王である、男の物語。

幕開きに「みんながいいなら」という台詞の後に登場したアレックスは、最初から孤独な男である事を見せ続ける。
印象的なのは、多くの人が何度も繰り返しアレックスに語りかける「王である事だけが、あなたの存在の意味」という台詞。
多くの人に王である事だけを望まれ、王である彼しか必要とされない、その孤独。
彼を利用しようとする神々も、自分の感情を押し付けるだけの両親も、誰も、彼そのものを見ない。理解しようとも、愛そうともしない。
そんな彼の孤独が淡々と描かれる。
そして王になる事と、戦に行く事は同じ事で。誰一人、彼の身を案ずる事もなく前線に立つ事を望まれ、最高指揮官として兵を率いる責任を押し付けられる。周りの人々の言葉の言いなりになるしかない事への抵抗感は、孤独と絶望と虚無感となって彼を痛めつける。

そしてここで気づくのは、役名に「ヒッピー」と書かれてない父や教師も含めて、彼をとりまく人間のキャラクター達はみんなアンサンブルである事。すべての人間たちは、アレックスの状況を説明する為だけに存在する、実体を持たない幻影。
これは作劇の上の事だけではなく、アレックスにとっては、どの人物も一人の人間としての重みを持たない。彼は誰にも心を開く事がない。
…ただ一人だけ、「母親」オリンピアスだけを除いて。
この作品の中では、オリンピアスだけがドラマを背負った一人の人間として登場し、ただ一人、人間としての“芝居”をする。
そしてアレックスは、彼女にだけは激しい感情をぶつける。彼を傷付けられるのは、この「母親」のみなんですね。
彼の心には、母の他には影響を与えられる人間はいないという、更なる孤独。
そして、その母をも捨て去って、彼は戦いの旅に出る。

ただ一人、彼の心の在り処に興味を示した“影”ディオは、彼に色々と問いかけ、彼の心を観客に語らせる為の存在。
ただ一人、彼に何も求めず、そばにいると語りかける“翼”ニケは、彼の心を安らかにして彼の物語を進める為の存在。
アテナは、まあ、言わずもがな。物語の枠組みを説明する存在。

そんな、この作品の形が見えてきたところで、物語はインドに行き着く。
ペルシアを征服した後に、やっと辿り着いたインド。無理な戦いを重ねて兵は疲れ、これ以上戦う事ができない、となった時。
舞台の大詰め、とうとう、アレックスの本心が明かされる。
アレックスは、誰も見た事のない所に、世界の果てに行きたかった。その為に、神々の思惑を利用した。
驚愕のどんでん返し。

今まで、多くの人々から利用され、嫌々人々の思惑に動かされているように見せかけて…その実。
それはすべて、アレックス自身が望んだ事だった?

でも、それならば。

世界の果てを目指す、という自分の望みをかなえる為には、彼は“王”である必要があった。
そして、戦い、勝ち続け、征服し続けなければならなかった。
本当は、彼は強く強く、王である事、戦い続ける事を望んでいた。その望みを叶える為に、神も人も全てを欺いていたという事?
「みんながいいなら」と、まるで受身の状態のように見せかけて、本当はアレックス自身の強い意志が周りの人々を動かしていた?

彼自身だけでなく、周りの人々が無理なく彼と供に世界の果てまで戦い続けるように。
嫌々周りの思惑に従っているような、芝居をしていたんだ。
物語の主人公が、更に周りに芝居を仕掛けていたというトリック。なーるほど。
普通は主人公が周りの人間達を騙す場合、独白等で観客にそれを告げるもの。そして、その騙していく過程を芝居として見せるものですが、この芝居では観客にも真意を見せていなかっただけの事。簡単なトリックなんですけどね。

と、いうことは。
本当は彼は“王”である必要があった。
世界の果てを見る為に、「王である事だけが、生きる意味」だったのだ。それを望んでいたのは、彼自身。
ややこしい人間達を全て拒否して、誰にも心を開かなかったのも、彼。
周りの人間達に対して、王としてある事だけを望んで、王としてある自分しか必要としなかったのも、本当は彼のほうだったんだ。
それが彼の孤独と虚無感の正体。

登場したどの人物も、一人の人間としての重みを持たない。彼は誰にも心を開く事がない。
それは、彼が、誰の事も見ていないから。理解しようとも、愛そうともしないから。
今まで描かれた彼の孤独は、本当は誰からも愛されない孤独ではなく、誰の事も愛する事ができない、孤独だった。

人間、自分の行いを相手からも返されるもの。
自分が愛さないから、人から愛されなかった、それだけの事。
なんという、空虚な人間、アレックス!
戦い続ける事ができなくなれば、ただの空っぽな人間になってしまったアレックス。
もはや周りの人間にとっては、彼は、空っぽな…誰でもない男。
孤独な、或る“王”、でしかない。

そんな真実を語り終えると、彼は一人、退場する。
残された神々、ディオとアテナが語りだし、一気に物語を収束させる。
結末が神の語りのみである事にも、またびっくり。何処の植田景子作品かと思いました。「結局、人は人でしかない」とか、言い出すのかと思ったけど(^^ゞ

そして、エピローグ。
アレックスのもとに、ロクサーヌとなったニケが現れる。
「これはハッピーエンドなのか?」と、問いかけるアレックスに、思わず先程のディオの台詞を思い出す。
「問いかける、という時点で、すでに答えは出ている。答えは否だ。」
空っぽなアレックスは、人を求めない、愛さない。だから人に、愛に、満たされる事もない。
人間となったロクサーヌの事は、どうだろう?
それは語られず、物語は終わりを告げる。
ただ、もはや、この二人は劇中劇の体裁は取らない。それがどういう意味なのかは…、ちょっと一回の観劇では解らなかったけど。

ともかく、膨大な台詞を聞き逃さないように頑張って、理解できたのはここまで。
何回か見れば、もうちょっと深く理解できたのかなーとも思うのですが。
この先の考察は、またこの次に。
「A-“R”ex」−如何にして大王アレクサンダーは世界の覇者たる道を邁進するに至ったか− 作・演出/荻田浩一
見てきました。
最近の宝塚一の人気作家の、賛否両論の話題の最新作。
退屈で眠くてつまらないという人もあれば、美しい舞台で、何故か泣いてしまう、ハマる作品という人も。
私がお邪魔しているブログさまでも、皆さん違う感想を書かれていて。
興味津々で行ってきました。

一度しか見られないので、一応、ある程度は色々なところの感想なども読み、見落としの無いように予習もしました。
見ながらも、感覚を研ぎ澄ませて、集中して。美しい台詞たち、掛け言葉、言葉遊び、言葉と台詞のトリックを見極めたい。
そして、舞台の感想を私なりの言葉にできたらいいなーと思いながら。

見終わって、一番最初に思った事は。
つまり、私にとってはこの作品、<主演>は瀬奈じゅん。
でも、<主役>は「作・演出/荻田浩一」だったんじゃない?
見る前も、見ていても、見終わった後も、結局考えるのは「如何にして荻田浩一はこの作品を作ったか」。
何を表現したくて?語り掛けたくて?問いかけたくて?考えるのは、そればかり。
確かにあさこさんは素敵だったけど、その魅力は楽しめたと思うけど。

私は贔屓の出演する舞台は結構な回数を見ますが、それ以外はほとんど1回しか見ることはありません。
何度か見る場合、初見では脚本・演出と出演者の演技を見る割合は、作・演出:6.5に対して出演者3.5くらいかなーと思っています。
そして、話の筋や見所がわかってから見る、2回目3回目以降には、作・演出の割合は下がり、出演者のパフォーマンスを見る割合が高くなる。
簡単にいえば、初見で泣いたり笑ったりするのは脚本・演出の力が大きいけれど、3回目以降くらいになると、泣いたり笑ったりするのは出演者の力が大きいのではないかと。
作品にもよりますよね。
出演者の魅力を見せる為にシンプルに作られた「HOLLYWOOD LOVER」は、初日から脚本・演出5:出演者5くらいの割合で見れました。3回目以降は、脚本・演出2:出演者8くらいで見ていた感覚です。
でも、この「A-“R”ex」については、多分何度見ても、作・演出:8に対して出演者:2くらいで見るのではないでしょうか。
15人の少ない出演者の魅力は存分にいかされた作品なので、その魅力を楽しむ事は確かなのですが…でも、考えるのはオギーの主張だと思うんですよね。一度しか見られないので、仮定の話ですけどね。

ま、そう思うのは、贔屓が出演していないから、というのもありますね。贔屓が出ていれば、私にとっては彼女が主役ですから。
荻田浩一氏が表現したいものと、オオゾラ氏が体現したいものを、両方考えながら見る事と思います(^^ゞ

作品については、まだ纏まらないので、今日はこれまで。
私は持病の頭痛があります。
目の疲れ、首や肩のこり、足腰の疲れなどが酷くなると、頭痛が酷くなってくるのです。
昨夜、ちょっと飲み過ぎてしまって、最初は酔って頭痛がするのだと思ったのですが…なかなか眠れなくて。
なんとか眠って、起きても痛い。お酒が抜けても痛い。
動かないとダメかと思って、結構たくさん歩いてみたりしたのですが、まだ痛いです(T_T)
ストレッチをしたり、マッサージ椅子でゴンゴンして貰ったりしましたが…ダメみたい。
いつか、この頭痛から開放される日は来るのでしょうか?

これだけでは、なんなので。
先日、CSで「ミリオンドリームズ」のロケットの場面以降のみ見ました。
大空さんロケットの真ん中付近にいて、最後のほうに映りますね。
あどけないお顔で、可愛いですね。あんまり可愛いので、ここでは、祐飛ちゃんと呼びましょう(^^)

やっぱり頭がすごく小さくて、スタイルが良くて。かぶりものがあるので、皆さんの頭のサイズがはっきり見えるので、頭の小ささが目だってますね。この時代の生徒さんの中では、ダントツのスタイルの良さだなーと、改めて思います。
しかし、足をあげつつ、みんなで繋いだ手をそのまま高く上げる振りの時、胸板の厚さに驚きました^^;

最後のパレードで階段を降りてきてお辞儀をする所も写ってますが、不審に目をパチパチっとする子は、あれは檀ちゃんでしょうか?
そして、祐飛ちゃん。お辞儀をする時、また改めてスタイルの良い子だなーと、しつこく感心。
この時代に、今のように劇場に通って、今の私のようにロケットでスタイルが良く、表情の良い子を探して見ていたら。
…やっぱり、このスタイルとあどけない笑顔の子はお気に入りになるな〜と、思ったのでした。絶対、私の趣味だ。

ちなみに、今の私のお気に入りは。
スタイルの良さでは、瑞羽奏都くん、鳳月杏ちゃん。美翔かずき君がロケットを卒業して、あの美しい脚を見る事ができなくなったのが残念。そして何故か、彩央寿音くんのロケット時代を全然見てない事に気づいて、先日愕然としました。きっしーのスタイル、大好きなのに…今頃気づくなんて(T_T)
あと、表情の可愛さ、面白さでは、蘭乃はなちゃんと、篁祐希君。二人ともスタイルも良いのですが、表情のほうが印象的です。篁君は、全ツの「ダル・レークの恋」でのロケットの表情豊かな面白さで、目が離せない子になりました。いつ見ても、表情が豊か過ぎで、めちゃくちゃ面白いです(^^)
そろそろ、もっと下級生の子達も顔を覚えていきたい…と思ってたんだけどな…。

8年前のあの人

2008年1月5日 月組
先日、思い出を書いたりしましたが、今の私はちょっと回顧モードです。青年館の幕が開くまでに、少しずつ思い出を書き留めていきたいと思います。

そういえば、以前に「あひちゃんは「LUNA」の東京公演ではマーキュリーズの一員で」…なんて事を書きましたが、あれは鳴海じゅん君の休演中の代役だったのですね。
マーキュリーズの青いテカテカしたお衣装のあひちゃんの姿を鮮明に覚えているのですが、どうやらわりと短い期間の事だったようです。確かに。あのテカテカのお衣装の、なるみんの姿も覚えてる(^^ゞ
本当に色々な事があって、皆さんの今があるんだな…と、改めて思いました。

「HOLLYWOOD LOVER」で、何度も8年前の話がでるので、どうしても8年前の祐飛さんの事を思い出してしまいます。
バウ公演中の8年前といえば、ちょうど同じくらいの日程でドラマシティ公演「プロヴァンスの碧い空」にご出演中。
なんかねー。景子先生、絶対にファンが8年前の祐飛さんを思い出すところまで計算して、8年前という設定にしたと思いながら見ていたのですが。…組替を知った今となっては、ちょっと切ない仕掛けですね。

祐飛さんの役は アラン・グラヴィエール君。…イヤな奴でした^^;
いや、主人公アンドレから見て、という事ですが。
ちょうど、今回の作品のサム君のように、主人公の昔の姿と重なって見える役ですね。でも、サムとは正反対に、主人公の過去の「罪」を象徴する若者の役です。
サムは「未来の希望」を象徴する役ですが、ステファーノさんとは正反対の姿ですよね。
小柄で華奢な体格、高い声、細面に丸い大きな瞳…この役に麻月ちゃんが選ばれたのは、この対照的な姿が必要だったからではないか?と思える程。同じ場所にいる正反対の二人の、鮮やかな対比でした。
対して祐飛さんのアラン君は、リカさん演じるアンドレと同じくらいの体格、少し似た面影のある丸い頭に、二人とも少し形の違うパーマヘアで。ほんの僅かですが、祐飛さんがリカさんの後ろに立ち、まるで影のように同じ振りを踊る場面もありました。
そして、若いアラン君は、アンドレと同じ「罪」を重ねて犯す。
アラン君がアンドレに決闘を申し込む場面は、毎回、胸がギュッと痛くなる場面でした。サムが「希望」を象徴してステファーノさんを送りだすのとは、本当に正反対。罪の痛みを見せる役を、切ない思いで見た覚えがあります。

ですが、このサムの麻月ちゃん、あの8年前の祐飛さんと同じ学年なんですよね。…二重三重の仕掛けです。
本当に、このサムの役は、麻月ちゃんでなくてはならなかったんですね、色々な意味で。最初に見た時は、るうちゃんかきっしーでもよいのでは?と思ったりもしたのですが。麻月ちゃんが役にはまっていくにしたがって、上記の理由も含めて他の人は考えられなくなりました。

今となっては、サムの最後の台詞は本当に胸に痛い。バウでも毎回泣かされていましたが、青年館では、涙の重みが違います。
…景子先生は、やっぱり、組替の事を知っていてこの作品を作って下さったんだよね?
多分、麻月ちゃんは自分の台詞がこんなに重大な意味を持つ事になるとは、知らずに台本を貰った事と思いますが^^;
麻月ちゃん。祐飛ファンは、君の台詞で泣く気まんまんです。最後に景気よく、ぱーんと頑張って下さい。
よろしくお願いしますm(__)m
2008年、一日目。
私は、苦しい一日を過ごしました。お雑煮のお餅の食べ過ぎで(^^ゞ
今年は初めて、商店街の和菓子屋さんで搗きたてのお餅を買ってみまして。今まではスーパーで買ってきた個包装のパックのお餅を食べていたのですが、まだ柔らかいお餅を、喜んでお雑煮に入れてみたのです。今までと同じ数を。
おじさんが店先で切ったのし餅は、個包装の餅の倍くらいのサイズがあった上、大きさにバラつきがある事に気付かずに。
よそってしまった後で、中でも一番大きいお餅を取った事に気付いたのですが。美味しかったので、お屠蘇を飲みながらのんびりと食べてしまえたのですね。そして、後で地獄をみました(T_T)なんとも私らしく、間抜けな一年の初め。
この一年、美味しいからといって限界を超える事には、気を付けなくては。…何事においても。

夕方になって近所の神社に初詣に行くまで、テレビを見る事もできず一人で唸っておりました。
CSの新春メッセージ等も見る事ができず。しかたがないので、昔の事でも思い出してみました。

お正月。思い出すのは2001年の東京宝塚劇場の柿落とし公演だった「いますみれ花咲く」。この公演は1月1日が初日で、NHKで舞台中継がありました。
新しい劇場のおめでたい初日、しかもマミさんの東京での最後の公演。ドキドキしながら中継を見ておりました。
祐飛さんの登場は下手の花道?この場所はせり上がりなのか、袖から出てきたのか。映像では映らなかったのでした。
MY初日は、翌日、1月2日。下手でセリ上がってくる祐飛さんの若衆姿に、ちょっと感動しました。この新しい東京宝塚劇場の、このセリを使ったのは、大空さんが最初の人。…今となっては「だから何なの?」という話ですが(^^ゞでも。この東京宝塚劇場があるかぎり、何十年たっても、私はあのセリを見ると、あの日の事を思い出すと思う。

そして。忘れる事のできない「黒い瞳」東京公演。
りかさんの突然の休演で、祐飛さんが代役でプガチョフ演じる事になった衝撃のお正月公演。
あれは1999年。まる9年が過ぎてしまったのですね。
私が見たのは、5日の二回と休演日をはさんだ7日の昼公演。夜にはりかさんが復活された、代役公演の最後の三回です。

あの時、マミさんを始め月組の皆さんが、若いプガチョフに対しての役作りに変えて下さって。代役とはいえ、月組全体で「役代わり公演」と言える程に作り上げて見せてくれた事が、月組ファンとして嬉しかったのでした。

マミさんのニコライは、若いプガチョフがまっすぐに悲劇に向かって突き進んでいく姿を、切なく見守って下さった。
ザルービン・トマーノフを始めとするプガチョフの部下達は、若く清らかな指導者に熱狂して付き従い、苦しい生活から開放される夢に、共に酔いしれていた。りかさんのプガチョフの時は、もっと生活感があるというか…リアリティのある人間的な感じだった。
るんぱさんのベロボロードフはじめユカさん達の叛乱軍の年長者は、若く世間知らずの理想主義者を、いかに担ぎ上げ甘い汁を吸うか、常に白々しくご機嫌を取り繕っていた。リカさんのプガチョフとは同年代で「狐と狸の化かしあい」のような対等の関係だったのが、祐飛プガチョフ相手だと、子供をあやすような雰囲気があった。
女帝エカテリーナやロシアの人々は、線の細い若者の率いる叛乱軍を、まるで子ども扱いして侮っていた。

そんな中、祐飛プガチョフは。全ての人々の思惑を悟りながらも、なお、一縷の希望にかけて、勝つ見込みの無い戦いにまっすぐに向かっていった。まだ男役としても線が細くて、本公演で上級生の中に入ると、欲も世俗の汚れも知らぬ少年のように見えた。敗れても、誇り高く顎を上げ、清々しい顔をして。堂々と歌いながら、処刑への道を歩いていった。
その姿が若さの痛々しさを象徴するものであるように、月組の皆さんが作り上げてくれた。芝居の月組の力を見た、改めて月組っていいなーと思った公演でした。

あの時の主要メンバーは、もう月組に残り少なくて。三人の進行役の一人だったきりやんくらいかな?当時から月組にいたメンバーを今の月組生で数えてみると、オオゾラ氏を含めて9人のみ!…時の流れは全てを押し流していくものですね。でもね、月組はやはり月組なんですね。少しずつ形を変えながら色々なものが受け継がれてきて、今の月組がある。それはとても素敵な事だと思います。

そして、懐かしいプガチョフ。
大劇場の新人公演・代役公演・東京新人公演とそれぞれ役作りに変化があり、キャラクターの違った芝居でしたが、最期の場面は基本的に同じだったんですよね。誇り高く堂々と、清々しい笑顔を見せてくれた。
この後も、プルミタス、イ・セファン、タムロン、ルドルフ、オスカル、カシウス…ちょっと形は違うけれど鎌足、ティモシー、スコットも。誇り高く潔く、何かの為に命をかけて戦う役が似合う人だと思う。
これから、どんな姿を見せて下さるのかなー。組が替われば、また変化していく事でしょうね。ファンは楽しみについていくしかないですね(^^)
「HOLLYWOOD LOVER」バウホール千秋楽、おめでとうございます。
本当に素敵な作品でした。この時期、この作品にめぐり合えた事に感謝の気持ちでいっぱいです。
2007年という年を良い形で締めくくることができました。
バウメンバーの皆さん、植田景子先生、スタッフの皆様、ありがとう〜。
そして、祐飛さん、おつかれさまでした。
青年館を楽しみにしております。

私のバウ楽は23日、午後公演。
22日23日で観劇してきました。
東京でも見るつもりなのに…とは思いつつ、でも「バウホール」という劇場で見たくて。
あの、芝居を見る為にちょうど良い劇場で「HOLLYWOOD LOVER」の世界を堪能してきました。

22日は一週間ぶりの観劇で、やっぱり泣きました。
泣いて泣いて、終演後にはなんとも清々しい気分になったりして。「泣くのって、気持ちいいねー」なんて言いながら帰ったのですが。
翌日23日の午後公演を見たら…芝居が変わってる!たった一晩明けただけなのに。
これだから、ナマの芝居を見る楽しみはやめられません。
先週、初日の翌日を見た時も、一晩で別物の芝居になっている事に驚きましたが。まあ、あくまで初日というのは特別なものなんだと納得していていたのです。でも、特別な日でなくとも変わっていくのが、オオゾラ氏がファンを油断させないところです^^;

なんだかねー。ステファーノさんのパワーが、ぐぐーーーーんとアップして、全体に感情のふり幅が広がった感じ。
光も影も、強さも弱さも、苦味も甘さも。全てが大きく広がったように思えました。
特に、甘さが強くなったように思ったんですよね。ローズには甘く優しく、モニカとシーラに対しては甘えが増したような気がしたんです。「甘い」と表現する感情は、たっぷり甘えている事、なんだな…と思ったりしました。

バウを見た状態での、纏まらない考察をなんとか文章にしておきます。そのうち、ゆっくり考えてちゃんとした感想になるかもしれない^^;

今まで私、白い主役ってどういうものなのか分かっていなかったんです。あまり見た事がないですし、正直ファンとして大空祐飛に回ってくる事はないと思っていましたし。(東京だけ見た、新人公演のトニーは好きだったんですけど)
ステファーノさんは、これでもかという程の「白い二枚目の主役」。
彼は意外に口数が少ない…というか、ほとんど自分の感情を語る事はないキャラクターなんですね。周りのキャラクターがステファーノについて語り、それについてステファーノが返答する事で、人物像と物語は描かれていく。
様々な色を持ったキャラクターと対比される為、主役はキャンバスのようにプレーンな白でなければいけないんですね。
性格に偏りが無く、精神的なバランスの取れた、優しい人。祐飛ステファーノは温かみのある白の人で、そのキャンバスに「深紅の薔薇」ローズの人生が鮮やかに咲き誇る…。

唯一、ステファーノが心情を語るのは、一幕最後のローズとの会話と、ラストの場面。一幕最後はどちらかというと、彼女を口説く為の会話の意味が大きいですから^^;ちゃんと語ってるといえるのは、ラストの独白のみですね。でも、これ程に自分を語る事の無い主役というのは、ちょっと滅多に無いと思うのですが、どうなんでしょう。

ローズやリチャードを始め、印象的なキャラクターにたっぷり芝居をさせて、ステファーノという人物を描く。今回の二番手・あひちゃんのリチャードなんかは、たっぷりと語る場面もありーのおいしい役ですし、そのかちゃんのビリーもきちんと宛書された良い役ですよね。サムのあつきちゃんは、くどい程の説明セリフでステファーノさんを語ってくれますし。ラストは泣かせてくれる。
そして、祐飛ステファーノは、ただローズとの悲劇的な恋のドラマを走り抜くのみ。
…自分を語るセリフなんか無くとも、全てを包み込む優しさを見せ、人間性も物語もきちんと表現する事ができるから。
それが、白い二枚目の主役の役割なんだな、と初めて知った公演でした。

…ま、いつかは、ちゃんと日本語として纏まるかな。まだ青年館もあるし(^^ゞ
やっと、「HOLLYWOOD LOVER」ナウオン・ステージを見ました。
和やかな座談会でしたねー。
本公演の、トップコンビさんや組長さんなどが同席する「公式な会話」とは違って、すごーく、くだけた感じ。
役に関しては、いつものように真面目に語っていましたが、他のメンバーに話す会話は普段着な感じに見えます。
もちろん、対外向けに作られた範囲でしょうが、和気藹々と楽しそうで微笑ましいです。
あひちゃんが、すごくオオゾラ氏と越乃(新)副組長に懐いている感じで、やっぱり元月組生なんだなーと思ったり。そういえば、あひちゃんは「LUNA」の東京公演ではマーキュリーズの一員で、オオゾラさんと一緒に「ハーッピーラーイフ!」なんて、歌ってたんですよね?もうよく覚えてないけど^^;

「LUNA」といえば、大劇場公演が2000年の2月ですから、まさに8年程前になるんですね。懐かしいなー。
回想の8年前のステファーノさんの声に、思わず、8年前の祐飛さんを思い出したりするんですよ。
でも、覚えているのとは違う声なんですよね。今の発声での高い声は、あの時代の声とは違う…当たり前ですけどね。
オオゾラさん、最近ますます、声に深みが増してきたと思いますから。キリーズ・ブートキャンプで腹筋を鍛えたせいかな^^;
ステファーノさんは、その優しさの表現の為に、先日の東京公演の時より更に深くやわらかい声で喋っている気がします。
あの喋りかた、好きだなー。

話を戻して。
ナウオンで、皆さん「悪い人がいない作品」と、何度も言っていますが、私もそこがこの作品のポイントでした。
悪い人のいない作品だから、心おきなく悲劇に泣ける。
映像の使用によって、この物語自体が古いハリウッドの恋愛映画のような拵えになっている…と思います。
テレビが普及する前の映画が一番娯楽だった時代に山程作られた、ありふれたハリウッドのメロドラマ、という感じ。
昔はこういう悲劇的な恋愛映画に涙する…というのも、女性の愉しみの一つだったんじゃないかなー。今でも、「泣きたい時に見る映画」というジャンルはありますが、昔のほうが涙ものがウケていた気がします。
でもハッピーミュージカルを見て沢山笑うのと同じように、甘く優しい悲劇を見て思いっきり泣く…というのも、エンターテイメントの一つの究極の形なんだな、と思いました。
初日に見て、罪の無い範囲で安心して泣けばいいんだ…と思ってからは、二回目、三回目と泣く事を楽しむような心持ちで見てきました。
若い頃の私だったら、ちょっと小バカにしちゃったかもしれないけどね^^;そんなに人生経験を積んだわけではないけれど、年をとってからこういう楽しみが増えたのは、良い事だと思いましょう。
初日、16日の昼夜と見て参りました。
良い、作品だと思います。
ただ「大空祐飛」の魅力をあます事なく見せる為に作られた作品。
出演者みんなの魅力を見せ、まだ若いメンバーにはその良さを引き出して、次へ繋げていく為に作られた作品。
本当に、みんな素敵だった。見れば見る程うっとりするような美しい作品だし、何度見ても泣けます。
この作品を今の時期に大空さんとこのメンバーにあてて書いてくれた景子先生に、ファンとして感謝します。
観客としては、景子先生作品は、これから全部見るべきだ…と改めて思ったかな。

物語はオーソドックスで、いかにもありふれていて拍子抜けしてしまう程。けれど何も考えずに見る物語のぶん、作品の世界に引き込まれて、出演者の力量を見る事ができるし、その魅力に酔う事ができます。
シンプルな展開で、少ない出演者にそれぞれたっぷり時間をかけ、一人一人の芝居を見せてくれるのは、組ファンにとっては嬉しいこと。

主人公、ステファーノ・グランディ。
めったにいない良い男です。才能ある映画監督、周りの人間から信頼され、どんなトラブルにも冷静に対処できる有能な男。
でも、何よりも、優しい人なのが嬉しいです。一つのセリフ、一つの場面が終わるごとに「なんて優しい人だろう」としみじみと思います。三回見て、毎回思いました。
関わり合う、ほとんどの人に対して優しくする場面が作ってあるんですね。これがまず、祐飛ファン的景子先生への感謝ポイント。祐飛さんは、その優しさを本当にしっかり表現してくれたな、と思います。誰に対しても真摯でまっすぐな目を向けて、祐飛さんらしい…と思えるようなさりげない自然な優しさで。

もう一つの景子先生への感謝ポイントは、余計なセリフを喋らせずに皆に「芝居」をさせてくれた事。
ステファーノさんは、意外に無口な人なんですね。基本は人の話を聞いていて、一番大切な事だけを言葉にする。あとは、表情や仕草の芝居でステファーノさんの優しさを見せてくれる。それは言葉よりもずっと雄弁で、心に響いてくる。ほんのちょっとした視線や仕草にグッときます。誰に対してもそうですが、やはりローズとモニカに対してはすごく印象的ですね。
…とりあえず、考えが纏まらないので今日はこれまでで。

最後にちょっとネタばれ。
景子先生の演出は、一つ一つはベタだなーと思っていますが、その組み合わせ、積み重ね方が上手いんですよね。
毎回、いろいろなツボがありますが、今回の私のツボは「ローラって呼んでよ」でした。ベタ過ぎる…でも。そのむず痒い感じが、クセになるんです^^;

月組新公〜その5

2007年12月13日 月組
月組新公。今まで書いてないその他のこまごました事。当時印象に残った事、今でも覚えている事^^;をメモ程度に。

・記者会見の場面。コルネールさん、宇月 颯君。すごく真面目そうなコルネールさん。熱血でした。取り立てて変わった事はせず。とてもセリフの間が良かった。

・新聞記者、麻華 りんかちゃん。大劇場の新公映像で、低音で歌っているのが印象的だったのですが、高音で歌いだしてびっくり。そのまま、最後まで高いきれいな声で歌って、またびっくり。
シャンドールさんをちらり、ちらりと見ては、その都度照れている芝居が、滅茶苦茶可愛い!こっちまで照れそうでした。

・ロラーンド男爵、五十鈴ひかりちゃん。声はしっかりした艶のある低音なのに、ヴィジュアルは相変わらず可愛い。前回よりすこーし、男役らしくなったかな?もうそろそろ、もうちょっとくらい男役らしくは…ならないのね^^;このまま可愛い路線でいくのかなぁ?良い芝居をする人なだけに、気にかかります。

・シャンドールに襲い掛かるヴェロニカ、シャーロット、エヴァ。シャーロット琴音和葉ちゃん、きびきびして良い感じ。エヴァの蘭乃 はなちゃんは、お化粧が変だった!!本公演の侍女は可愛いのに、どうしちゃったんだろ。残念でした。

・事故現場。スカローシ、瑞羽奏都くん。最近、ますますがっしりして、全体が四角い感じのみづきちゃんですから、ボディガード役はぴったりでしたね。本役マギーちゃんとは違って、真面目なんだけれども、どこかトボけた雰囲気があって面白かった。ルパン三世の次元大介みたい。

・ネクチュイ、紫門ゆりやくんは、可愛いかった。元気が良くてよろしい!という感じ。最初に顔を覚えた「パリ空」新公のジャンの時はすごくしっかりした下級生という印象だったのが、全ツ、この公演と、どんどん可愛い印象になって不思議。

・酒場の場面。本公演でえりおっと&しのちゃんの「俺も透視してくれ」「逃げられた彼女のか?」の掛け合いは、美翔君&沢希理寿ちゃんかな?もはや全然覚えてない…たしか、二人とも良い声で「ほぉ。だいぶおもむきが違う」と思った気がする。というか、五人組達を見るだけでも必死だから、客達が全然見れなくて悔しかった〜。せっかく、みっしょんが明るい場所にいたのに(T_T)

・侍女たちが登場。三人を紹介する時に、可愛いエヴァに反応するヤーノシュ。まぐちゃんのヤーノシュは、空気読めないキャラではないので、「お!」と反応してからちょっと冷静になり、あたりを見回して何事も無かったような顔をします。
そして!!なんと、隣に座っているラースロの麻月ちゃんに顔を近づけ。耳元に唇を寄せて、「か・わ・い・い♪」と、囁くのです!もちろん声は聞こえないのですが、一文字一文字、はっきりと大きく口を動かしてたので、多分「可愛い」と言った気がする。
びっくりしたー!ものすごーーーーーく、色っぽいというか、イヤらしいんですけど…(@_@)。えーと、まぐちゃんって、こんなキャラだったのか…。知らなかった…。でっかいけど、子供だと思ってたのに。
麻月ちゃんは、ものすごーく迷惑そうな顔をしてました。そうだよね^^;

・ヴェロニカに乾杯を勧めるシャンドールに、応えるヴェロニカ、驚くシャンドールという二人の会話。五人組が綺麗に揃ってシャンドールとヴェロニカの方に交互に顔を向けるのが、滅茶苦茶面白くて爆笑。みんなすごく表情豊かに、嫌そうで(笑)

・本公演ではトップコンビのダンスが始まってしばらくは、五人組は客たちを見るのが楽しみな場面ですが、さすがに新公ではそんな余裕は無し。やっぱりさー、ちゃんとみんなを見れるように作って貰わないと困るよね^^;

・墓場。美夢ひまりちゃんのアデルハイド、歌が良い。エクボが可愛くて、いつも笑顔のダンサーというイメージの、ひまりん。そういえば、ダンス&コーラスの場面に入ってた覚えはあるけど、こんなに歌える人だったとは。

・シュトルムフェルド、綾月せりちゃん。本役さんとはまた全然違うトボけた感じ。丸顔なので、可愛いおじいちゃん風。何か聞かれるたびに、夫婦揃って首を傾げるのが、本当に可愛い。また絶妙な間合い。上手いんだ、二人とも。二人で手をつないで退場するのも、可愛くて微笑ましい感じでした。

・シャラモン司祭様、彩央寿音ちゃん。きっしーだったら、本役さんとは全然違うキャラクターなのかな?と思っていたら、基本、本公演と同じキャラ。ただし、セリフの間合いがまるっきり違ってました。さすが、きっしー。高等技術の使い方が、シブいよ。ああいうキャラクターの間合いって、つい耳で覚えてしまうものじゃないかと思うんですよね。それを、一からきちんと自分で作るのは、結構難しい事だと思う。新公の後、改めて本公演の園加ちゃんのセリフを聞いたら、ほんとうに全然違う感じでしたね。

今回の公演は、あひ、園加、もりえ、みんな自分の個性を確立させて、キャラクター勝負で役を印象付けてたんだな〜と、感心しました。そして新公では、お互いのセリフの間合いをきっちり作る芝居を勉強させた、正塚演出にはちょっと感動。きっとこの経験が、今後の役者人生に大きなプラスとなる事でしょう。

・教会の場面。二人を捕らえに来た「男」、貴千碧くん。出てきただけで「悪役」。無表情ですが、とっても楽しそうな雰囲気で銃を向けてます。似合い過ぎです。本役のもりえちゃんよりずいぶん小さいんですが、悪人顔でフォローできてました^^;

・カタコンベ。幽霊達のダンス。末子はんの位置で踊っている萌花ゆりあちゃんが、すごい迫力。末子はんの退団オーラに負けないくらいの、新公卒業オーラ。有無を言わせません。ゆりあちゃんは数年前からのお気に入りさんなのですが、こんなに迫力のある踊りをする子だとは、知らなかった。セリフ&歌のあったイローナ様より、この幽霊のほうがずっと良かったです。そして、ゆりあちゃんに見とれて、他の人は見れず^^;なんとなく、麗百愛ちゃんもすごい迫力だなーと思った気がする。

・マレーク様とアデルハイド。「この世で私だけがただ一人心を許せる人間なんだ」と言い募るアデルハイドが、なんとも言えない孤独感を見せるたのが良かった。社会のはずれ者の孤独な女性。れみちゃんの演じる子供に戻ったマレーク様は、とても純粋な存在感で。素朴にアデルハイドを慕う心が、彼女の孤独を癒す存在なんですね。短い会話でしたが、二人の心の繋がりが感じられて、少しうるっとしちゃいました。

・シャンドールの屋敷。琴音和葉ちゃん、シャーロットは焦りが出たのか、ちょっとヒステリックな印象になってました。今まで落ち着いた感じだったので、ちょっと意外。

・エヴァの見せ場「一刻も早くお救いしなければ!」本役のねねちゃんより、ちょっと声が細いのかな?でも、少し似た感じの声ですね。
こういう、みんなをシーンとさせるセリフって、セリフを言う本人もですが、受けてシーンとなるほうの息を合わせる力も大きいんでね。本公演程力強くは響かなくて、改めて難しい技なんだな、と感心。

・舞踏会。バルトーク、榎登也。アンドラージュ、響れおな。良いキャスティングでした。
二人とも、表情が良くてねー。セリフは無くても、それぞれのドラマがあって、犯行に及んだ事を感じさせてくれました。
とうやんは、最後の新公でこういう役…というのは気の毒ではあったけど、心意気を見せてくれた芝居でした。ま、セリフは無くても、とうやんの場合は顔だけで十分語れる濃さがあるから^^;響れおなちゃんは、相変わらず、良い目をしていました。あの目だけで全てを語る人ですね。

…ふう。とりあえず、覚えているのはこのくらいかな?
バウに行って全てが上書きされる前に、記録して保存しておきたかったのだけれど。だいぶこぼれてしまった気もしますが^^;

月組新公〜その4

2007年12月10日 月組
月組新人公演の感想です。今更ですが、切れ切れのメモがあるのでなんとか書いておきたい、と思いまして。

五人組。
五人とも、本公演の役作りとは全然違っていて面白かったですね。月組の新公は、こうでなくちゃ。
みんなそれぞれの個性でちゃんと役を作り、その上で、この五人ならではの人間関係やチームワークが見えました。
本公演では、一癖も二癖もある人物達が、ひと時チームを組む生活を楽しんでいる…という感じがしますが、この新公組は昔からの仲良しグループという感じかな?会話のテンポも良く、シャンドールも含めて和気藹々な仲間達の雰囲気がありました。

一番年長のラースロ、麻月れんかちゃん。意外にテンションが高くて熱く、アクティブな印象。やっぱりこの中ではリーダー格…とはいえ、他のメンバーはバウや今までの新公で結構役がついているのに比べて、こんな大きな役で沢山のセリフを言うのは初めてなんですよね。前回「パリ空」ではパーティの客の司祭様、「暁のローマ」では、暗殺者の一人。どちらも頑張ってはいましたが、通し役というか、一人の人間としてキャラクターを作って演じるのは初めてなのかな?会話の芝居等では、その経験不足が見えてしまった所もあり。全体に、ラースロという役にしては、ちょっと頑張り過ぎちゃった感もある。「お前を食べちゃうぞー」へのリアクションは、新公用では「よーし、よく頑張った」というようなセリフになっていましたが、「いや、頑張ったのは君じゃない?」と思ってしまった^^;でも、ラースロという役で一番大切な、シャンドールや他のキャラクターを心配する温かみがよくでていたと思う。
ガイズ&ドールズの時からのお気に入りさんなので、最後の新公でこんなに良い役ができて良かったねーと、すっかり近所のおばちゃんモードで見ていました。抜擢に応えた、良い芝居ができて良かった。

ジグモンドの光月るうちゃんは、落ち着いて演じてくれて本当に良かった!
役柄的に、五人組の場面をリードする役ですが、ピシっと皆を引っ張ってくれた感じ。
今まで可愛い役が多かったので、今回の男らしいジグモンドはすごく意外な感じでした。前回の「ファンシーダンス」の時あたりから、笑い方が男役になったなーとは思っていましたが、この間の全ツの経験が力になったのかな?特に後半になっていく程存在感が増して、力強さが感じられました。温かみや情が感じられる、”実(じつ)のある男役”の力強さというか。
次回、ミーマイではジョン卿が見たいなーと思ってしまった。
今後、どんな芝居を見せてくれるのか、すごく楽しみになりました。

ヤーノシュのまぐちゃん(流輝一斗)は、とにかく間が良かったという印象です。本役さんが強烈なキャラクタ性でコメデイにしているところを、きっちりと間の取り方等の芝居で表現した感じ。本公演と同じでも「刺激的だ」等の、一言のセリフの印象が全然違っていました。
昔の少女漫画で、色々なタイプのかっこいい男の子が出てくる話で、美形キャラタイプってあったじゃないですか。金髪ウェーブヘアでナルシスチックな。たいていちょっとクールで、世の中から一歩距離を置いているような。ああいう感じの、ちょっとワルフザケなのか、皮肉なのか…という、一言コメントになってたんですね。
あひちゃんは気取った仕草等も含めてコメディキャラクターとして作っていましたが、まぐちゃんは格好良い俳優の範囲で演じていて、その違いも新鮮で面白かった♪

ギゼラの夏月都ちゃんは、すっごく可愛いかった〜。元気溌剌で、押せ押せ!GO!GO!…という感じ^^;
あまりにも明るくて、力強いけれども嫌味を感じさせないんですね。陽性のキャラクターが、とても魅力的。ヒロインタイプではないかもしれないけれども、いくらでも見ていたい芝居でした。
しかし、そのぶん本役のタキさんより、更に胡散臭い占い師だったなー。タキさんは占い師でも人生相談がメインの「なんとかの母」みたいなイメージですが、ナッツは「占いの館」でギター占いとか、ダンス占いとか意味の分からない事をやってそう^^;

レオーの彩星りおん君は…変な顔芸をやめていました。
大劇場の新人公演映像でものすごく印象的だったので、またあれをやっているのかと思って興味深々で見たのですが。
最初にちょっと拍子抜けしちゃって(^^ゞ
でも、ちゃんと芝居をしても、やはり表情豊かでしたねー。本役のまさお君とは違う、素朴な可愛さが出ていて良かったです。
あの顔芸が癖として身に付く前の下級生時代に、正塚先生の演技指導を受けられて幸運だと思いました。芝居は心の動きを作るもの。顔の筋肉を派手に沢山動かせばいい…なんて甘い事を考えちゃいかんよ。いや、あの顔芸も面白かったので、どこまでもやってやろうという心意気はかっていましたが。今回は心からの芝居を作ってくれていたと思います。これから成長して、次はどんな個性や面白みを見せてくれるのか。やはり、今後を楽しみにさせてくれる人だと思います(^^)

まだ書きかけなんですが、追いつかないのでとりあえずここまでで。
なんとかバウ初日までに書き上げないと…もう、一生書けないよね^^;
来年のラインアップが追加されましたね。
月組ファン的に一番のニュース!だったのが、
博多座『ME AND MY GIRL』主演(月組)霧矢 大夢 です。
なんとなく、前回のミーマイで中日公演が久世さん主演だった事を思い出させるキャスティングじゃないですか。
いや、トップさんの退団という意味ではなくて、ですよ。
本公演が洗練された男役トップさん、別の場所では、ハートフルな芝居が持ち味の役者さんで…というところが。
一つの作品を別の味わいで見せてくれるなんて、すごく楽しみ!
あの中日公演は、すごく見たかったのに行けなかった、私にとっては幻の公演。だって、当時は宝塚を見始めたばかりで、表向き売り切れな日の公演でも、行けばサバキで見れた…なんて知らなかったんで^^;
もはやトラウマになっています。ああ、今でも悔しい…見たかった〜!!!久世ビル、ゆうこサリー、樹里ジャッキー…豪華キャストだ。

今度のきりやん主演は、なんとか見たいなぁ。
あったかくて優しくて、ちょっと情けない感じが愛しい、素敵なビルになるだろうなー。
他のキャストは謎ですが、贔屓の出演は不明ですが、なんとか行きたい、見たい!…宝くじ、当たらないかな^^;

そして、日生劇場の「華麗なるギャツビー」は意外でした。
さんざん聞いたタイトルですからねー。
ネット上の噂では、原作者遺族とのいざこざで、再演は不可能とか言われてましたよね。原作者の遺族って、スコッティちゃんなのかな?と思いながら諦めていたのですが。
名作との声の高いこの作品を、瀬奈さんと月組で見る事ができるなんて…なんだかすごいですね。一幕ものだったのが、二幕ものに書き換えられるとの事。
ゼルダのかなみちゃんが、デイジーもやるのかな?

…そういえば、12月21日も、もうすぐですね。1940年12月21日…あの瞬間を息を止めて見詰めた日々から、もう三年も過ぎてたんですね。スコットが葉書を投函したのは何日だったっけ?というくらい、セリフもかなり忘れてしまった。
今、「ギャツビー以上の傑作を!!」というセリフが頭の中に響きました。
遠い空の下、オオゾラ氏は「THE LAST PARTY」以上の傑作を!
…と、もがきながらお稽古してるんだろうなー。
ハードル高いわ^^;
先の事はともかく、今はバウが楽しみです。
もう、あと一週間だよー。

※一つだけ、雪組さんの正塚作品「スリリングなサスペンス・ミュージカル」って…「マジシャンの憂鬱」とは違って、本気でスリリングでサスペンスをやるって事だよね?…そういえば、サスペンスって、どういう意味か知らないなぁ。

月組新公〜その3

2007年12月1日 月組
月組新公、続きです。だいぶ忘れてきたかも^^;
…な状態で書き始めて、止まっていました。
東宝楽付け退団とか、集合日の退団発表の事なんてまだ思いもしないで暢気に書いてある。今見ると、かなり切ないなぁ。退団者それぞれの選択で、たまたまこの時期に重なったのでしょうが、これだけ続くとは。…月組ファンとしては、何かに呪われている気分(T_T)
というわけで。書きかけなのですが、当時書いたものをそのままアップします。

幕開き。まさお君の登場は銀橋から。後ろのマジシャンの影達にライトが当たると。
みっしょん(美翔かずき)が、素敵過ぎ!やはりスタイルが良いし、化粧も良くなって断トツ綺麗。思わず見とれてしまって、他の人はまるで見ていません。ごめんなさい^^;
イローナ様。萌花ゆりあちゃん可愛いなぁ。末ちゃんの上手過ぎるセリフが耳に残ってるので、芝居はちょっと…と思った部分もありましたが、立ち上がった姿と声が美しいので満足。
男爵のあちょーさん(華央あみり)。なんて、ナチュラルに素敵なお髭。本公演のフィナーレでも、とってもダンディなオジ様で素敵ですが、あちょーさんはお髭があると更に素敵だわ。お歌もすごく良かったです。また次の新公が楽しみです。
後ろに立っている侍従に、頭ちっちゃくてスタイル良くて、お化粧した顔が祐飛さんに似てる人がいて目がクギヅケ。鳳月杏ちゃんかな?とても綺麗で雰囲気があって、いいなあ。

貴族達が登場して、オープニング。
燕尾の背中とテールを綺麗に見せる子がいるなーと思って見たら、まぐちゃん(流輝一斗)でした。広い背中を印象的に使って素敵。…最近、友人に言われたのですが、私は男役背中フェチらしいです(^^ゞ
舞台を見回していたら、息も絶え絶えに悲壮な顔で歌っている羽咲まなちゃんが。いつもはす〜っと聞いている歌ですが、やっぱりタキさんって凄い人なんだなー。まなちゃんは、息が足りてないみたい。まず肺活量が違うのかな?確かに、タキさんとは体の厚みも幅もまるで違…いやいや^^;
スタイルが良くて踊れるまなちゃんと、美人で芝居がイケるりんかちゃんの二人の若手歌姫の成長は、本当に楽しみに見ていますからね。

今回、大劇場の映像で見たのとちょっと違う感じ?と思ったら、東京では新公演出が正塚先生に変更になって、ずいぶん練り直したようですね。インタビュー等で、皆さん、一から作り直したと話していますね。
…どおりで。
中盤からのテンポが凄く良くて、物語をわーーっと盛り上げていたので、演出家上手いなーと感心したんですよね。そしたら正塚演出という事で、なーーんだという感じでした。
上手いの当たり前じゃん^^;
生徒の持ち味を活かしつつ指導をして、芝居を演出するのは、やはり今の宝塚では第一の人なんですね〜。

本公演では一人二役の部分を、一人ずつ演じる事で、結構多くの生徒さんの芝居を見る事ができて楽しかったのも、この新公の良かった点。
本公演ではあまりにも役が少な過ぎだし。しかも出てくる時は、舞台に何十人も一緒に出てくるわ、メインキャストが芝居をしているはで、下級生を見るのがとっても、もの凄く、大変、困難な公演でしたから。
月組は芝居の組ですから、トップさんやその候補の一部の生徒のみでは無く、できるだけ沢山の生徒さんの芝居が見たい。ダンスの組では群舞が見所であるように、月組は脇の芝居も大きな売りであり、見所です。
この新公メンバーはそれぞれ短い出番でしっかり自分をアピールしてくれて、頼もしかったです。
それぞれの役が小さいから、一人二役になっているのでしょうが、それがあの程度の役なら本公演でも二役にする必要は無かった気がしました。意味があったのは、教会の男に名前も付けてもらえなかった、もりえちゃんくらい。あとは、まあさすがに上手かったシビさんの新聞記者もだけど…。
以前の正塚作品は、役自体は少なくても喫茶店の客やウェイトレス、街角ですれ違う人々などに、ドラマを感じさせる芝居をさせてくれましたが、今回はそいう少人数口も無かったですしねー。本当に寂しかったなー。
次は『ME AND MY GIRL』。セリフのある役はほんの僅かです。
…それでも、アンサンブルの曲があるから、この「マジシャンの憂鬱」よりは、沢山の生徒さんの顔が見れるだろうと思う^^;
まあ、その分ショーが無いから、平均すると今回と同じくらいかな。
青年館を頑張って見るしかないか。バウワークショップに行けないのが残念…。

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