明日は、青年館から宙組公演「ヴァレンチノ」が始まります。
やはり、感慨深いものがありますね。
あの震災で失われた東京特別公演。
なんだか、この公演自体が、突然の事故で未来を奪われてしまったルディとイメージが重なってしまったような気持ちがありましたから。
まだまだ、被災された多くの方々は苦しい生活をされていらっしゃるのだし、余震も無くなったわけではないけれど。
それでも、あの公演がもう一度見られるのは、本当に喜ばしい事です。
私は3月12日からドラマシティ遠征のつもりでしたが、本気で「今、遠出をして、二度と家族に会えなくなってしまったら…」と不安になって、諦めました。
結局、翌週には「避難だと思って行ってくる」と、不安を抱えたまま関西に向かいましたが。それでも、再び家族の顔を見るまでは、心のどこかで不安が残っていました。…あれから、5か月。
時間がたってからの強硬スケジュールでの再演で出演者の皆様は、本当に大変な事と思いますが、お体にお気をつけて頑張って欲しいと思います。
しかし、東宝公演が終わって、一週間で次の公演というのは、本当にすごいものですね。
発表された時は、ぼんやりと「大変そう」と思っただけでしたが、その時になってみると、ファンの気持ちの切り替えすら、まだついてない。
戦国武将と姫君のストイックで美しい生涯から、ハリウッド黄金時代のアメリカを舞台に切り替えるのって…どんなものだか、想像もつきません^^;
私の頭のなかは、まだ、三成様とお茶々様モードから、戻ってきておりませんので。
実は今朝頃まで、あの「美しき生涯」と「ルナロッサ」の世界を懐かしんで、寂しかったのです。
8月7日、東宝楽の日は友人達と「また来週~」と言ってお別れして。すぐに次の公演があるから、寂しくないような気がしていたけど。
やはり、公演が終わったあとはいつもと同じ寂しさがありました。
もう、あの美しい三成様もお茶々様も、この世界のどこにも存在しえないのだ。
あのうつくしい舞台は、公演が終われば、この世から消えてしまう存在なのだ…と思うと本当に寂しくなるのです。公演が終わった後にはいつも。
もう「ヴァレンティノ」のお稽古をしているだろう事までも、寂しく感じたりしていました。
でも、消えてしまうからこその儚い美しさがいとおしいものなのだな、とも思います。
そして今回は、石田三成氏の残した「散り残る紅葉はことにいとおしき 秋の名残はこればかりぞと」という歌を、改めて思い出しました。
私は石田三成氏が、本当に「紅葉」を詠った事を知らなかったのですが、何でも知っている友人に教えてもらいました。
秀頼様を”散り残る紅葉”にみたてて、”秋の名残”を豊臣の世と重ねて詠んだのではないかと言われているとの事。関ヶ原の直前だそうで。
この美しい歌だけでも、繊細で優しい方だったのだろうなーと、思いますよね。
そしてこの歌から連想して、琵琶湖のほとりでの会話を組み立てた大石先生のセンスも、とっても素敵だと思います。
心を押し隠した恋人達のあまやかな会話から、作品のテーマへ。本当に無駄の無い見事な組み立てですよね。
今回の脚本、物語もキャラクターもすごく好きなので、基本的にはよくできた作品だと思います。歴史ものの場合は、ある程度、観客が自分で調べて納得する部分があってもいいとと思う派ですし。
ただ、最初に見た時に?と思った事が多いのも確かだし、この作品で三成さんに納得できないと言う友人の言うことも、わかる。
で、考えてみると。作中に幾つかある、キャッチフレーズのような、キメ台詞。
「愛と勇気、どちらを選べばいいのか」
「男の真実は義だけではない」
「正義は勝つ」「我等は勝つ」
「裏切り者は許さん!」
等々の、派手なキメ台詞を無かった事にすると、この話、随分と謎が減るのではないかなー。耳障りの良い言葉を選んだつもりが、逆に混乱を招いたような。
それぞれ抱えている心情は、そんなに簡単なものではないのに、状況にそぐわない紋切型のキメ台詞がたくさん。
これを、言い換えたり、もうちょい詳しく言ってくれれば…。
少なくとも、私の頭の中では、三成さんの心の動きに疑問をはさんだりする事なく台詞の置換が完了しました(^^)
…なんて事を書いている間も無く、明日からは次の公演へ。
明日、青年館に行ってみれば、自然に受け止められるのでしょうけれど…。
ともかく、これで時間切れです。いつか、三成さんと、上様について、書けるといいなー。
やはり、感慨深いものがありますね。
あの震災で失われた東京特別公演。
なんだか、この公演自体が、突然の事故で未来を奪われてしまったルディとイメージが重なってしまったような気持ちがありましたから。
まだまだ、被災された多くの方々は苦しい生活をされていらっしゃるのだし、余震も無くなったわけではないけれど。
それでも、あの公演がもう一度見られるのは、本当に喜ばしい事です。
私は3月12日からドラマシティ遠征のつもりでしたが、本気で「今、遠出をして、二度と家族に会えなくなってしまったら…」と不安になって、諦めました。
結局、翌週には「避難だと思って行ってくる」と、不安を抱えたまま関西に向かいましたが。それでも、再び家族の顔を見るまでは、心のどこかで不安が残っていました。…あれから、5か月。
時間がたってからの強硬スケジュールでの再演で出演者の皆様は、本当に大変な事と思いますが、お体にお気をつけて頑張って欲しいと思います。
しかし、東宝公演が終わって、一週間で次の公演というのは、本当にすごいものですね。
発表された時は、ぼんやりと「大変そう」と思っただけでしたが、その時になってみると、ファンの気持ちの切り替えすら、まだついてない。
戦国武将と姫君のストイックで美しい生涯から、ハリウッド黄金時代のアメリカを舞台に切り替えるのって…どんなものだか、想像もつきません^^;
私の頭のなかは、まだ、三成様とお茶々様モードから、戻ってきておりませんので。
実は今朝頃まで、あの「美しき生涯」と「ルナロッサ」の世界を懐かしんで、寂しかったのです。
8月7日、東宝楽の日は友人達と「また来週~」と言ってお別れして。すぐに次の公演があるから、寂しくないような気がしていたけど。
やはり、公演が終わったあとはいつもと同じ寂しさがありました。
もう、あの美しい三成様もお茶々様も、この世界のどこにも存在しえないのだ。
あのうつくしい舞台は、公演が終われば、この世から消えてしまう存在なのだ…と思うと本当に寂しくなるのです。公演が終わった後にはいつも。
もう「ヴァレンティノ」のお稽古をしているだろう事までも、寂しく感じたりしていました。
でも、消えてしまうからこその儚い美しさがいとおしいものなのだな、とも思います。
そして今回は、石田三成氏の残した「散り残る紅葉はことにいとおしき 秋の名残はこればかりぞと」という歌を、改めて思い出しました。
私は石田三成氏が、本当に「紅葉」を詠った事を知らなかったのですが、何でも知っている友人に教えてもらいました。
秀頼様を”散り残る紅葉”にみたてて、”秋の名残”を豊臣の世と重ねて詠んだのではないかと言われているとの事。関ヶ原の直前だそうで。
この美しい歌だけでも、繊細で優しい方だったのだろうなーと、思いますよね。
そしてこの歌から連想して、琵琶湖のほとりでの会話を組み立てた大石先生のセンスも、とっても素敵だと思います。
心を押し隠した恋人達のあまやかな会話から、作品のテーマへ。本当に無駄の無い見事な組み立てですよね。
今回の脚本、物語もキャラクターもすごく好きなので、基本的にはよくできた作品だと思います。歴史ものの場合は、ある程度、観客が自分で調べて納得する部分があってもいいとと思う派ですし。
ただ、最初に見た時に?と思った事が多いのも確かだし、この作品で三成さんに納得できないと言う友人の言うことも、わかる。
で、考えてみると。作中に幾つかある、キャッチフレーズのような、キメ台詞。
「愛と勇気、どちらを選べばいいのか」
「男の真実は義だけではない」
「正義は勝つ」「我等は勝つ」
「裏切り者は許さん!」
等々の、派手なキメ台詞を無かった事にすると、この話、随分と謎が減るのではないかなー。耳障りの良い言葉を選んだつもりが、逆に混乱を招いたような。
それぞれ抱えている心情は、そんなに簡単なものではないのに、状況にそぐわない紋切型のキメ台詞がたくさん。
これを、言い換えたり、もうちょい詳しく言ってくれれば…。
少なくとも、私の頭の中では、三成さんの心の動きに疑問をはさんだりする事なく台詞の置換が完了しました(^^)
…なんて事を書いている間も無く、明日からは次の公演へ。
明日、青年館に行ってみれば、自然に受け止められるのでしょうけれど…。
ともかく、これで時間切れです。いつか、三成さんと、上様について、書けるといいなー。
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