希望の光-ヴァレンチノ-
2011年4月2日 宙組東北地方太平洋沖地震から三週間が過ぎました。
震災の影響でお亡くなりになられた方々のご冥福を祈りますとともに、被害を受けた方々、その家族の皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
やっと三週間…特に最初の一週間は、今までの人生で一番長く感じた一週間だったような気がします。
都内在住で特に大きな被害も無かったのですが、毎日テレビで流れる被害の大きさには茫然とするばかり。強大な自然の力の前で、為すすべもなく翻弄される人間の無力さを、改めて感じる他はありませんでした。
そして次々と引き起こされる二次災害、原発事故。いつまでも続く余震に怯え、原発の被害に怯え。それでも直接の被害にあわれた方々の事を考えたら、命があるだけでも有難い事で。
翌日12日から「ヴァレンチノ」の為の大阪行きの予定だったのですが、結局その週の大阪行きは”自粛”する事となりました。その後の都内の停電と、それに伴う交通機関の混乱に「こんな中で、青年館での公演は難しいだろうなー」と思っていたら、やはり中止の発表。
かなり迷いましたが、予定を少し早めて、ドラマシティ公演に行ってきました。
…行って、良かった。救われました。
「ヴァレンチノ」は、以前にCSで放送されたものを一度見た事があり、物語は覚えている…という程度。オオゾラさんが演じると決まってからは、あえて、もう一度見たりはしませんでした。
最初の観劇時は、杜けあきさんのお芝居や、ミユさん、高嶺さん、古代さん等のお芝居を少しだけ思い出しながら、とても冷静に見ていたと思います。大阪に到着してそのまま劇場に入り、ちょっと落ち着かない状態で席につきまして、そのまま舞台に入り込めなかったのかも。
ところが、二幕のクライマックス、ボロボロになったルディが歌う姿に、打ちのめされました。
「失くした夢の大きさは、失くした時に気付くもの」
この一言に、本当に色々な思いが重なってしまって…。毎日、テレビのニュースでエンドレスで流れる、地震の被害映像も頭に浮かんで…自分自身の事も、無くなった青年館公演も。
そうしたら、突然、泣けてきました。
そして、朝日の訪れと共に「希望」を取り戻すルディの姿に、更に涙。
たとえ、多くのものを失っても。それでも人は、一筋の希望の光に向かって歩いて行ける。強くて、しなやかで、しぶとい力を持っている…その力強い美しさは、素晴らしい説得力となって。胸をギュッと掴まれるような衝撃でした。
それから後は、只々、涙を流し続けました。
ルディとジューンの心の繋がりも、ルディの最後の「チャオ!」も、幻の四人と共に去っていくジューンの姿も、あまりに美しくて。
みーちゃんのジョージの語りかける言葉は、あまりにも優しくて。
そして再び登場したルディの笑顔、アランチャを歌う希望の光が、ジューンに手渡すオレンジの枝が象徴する「希望と幸福」が、あまりにも、純粋な光に満ちていて…。
フィナーレはカッコよく、タンゴの音楽はクールで情熱的で、見とれている間に涙も止まり、呼吸を整える事ができました。
でも、最後に全員で歌う「アランチャ」に満ち溢れる、望郷や希望や哀惜や幸福や…様々な思いが混然となった皆さんの歌声に、また涙。
更にはカーテンコールでのオオゾラさんの挨拶の、真摯で力強い、思いやりに溢れた言葉にも涙を流して、劇場を出る頃にはぐったりしてしまいました。
震災以後、テレビのニュースを見ているだけで、あまりの事に涙が出る…という事をよく聞きました。まあ、私はそういうキャラではないわ、などと思っていたのですが(^^ゞ
でも、人間にとって「泣く」事って、必要な事なんですね。この最初の観劇でたっぷり泣いた後には、不思議と体が軽くなっていました。余震やその他様々な事への怯えの為、ぐっと縮こまって固まっていた体から、力が抜けたのです。同時に、心もぎゅっと固まっていたのが、ほぐれたようです。
目の前の霧がすーーっと晴れたようで、恐怖で曇っていた視界が明るく開けた気がしました。おかげで気持ちも軽くなって、その夜は地震の日のあと初めて、ぐっすりと眠る事ができました。
すべては、祐飛ルディが見せてくれた「希望の光」のちからによって。
このドラマシティメンバーが作り上げて下さった、美しく生き生きとした、ひとときの夢の舞台によって。私は救われました。
今までも、宝塚の舞台に、オオゾラさんの舞台に、慰められ力をもらった事は何度もあったけれども。今回は本当に祐飛さんと宙組の皆さんに感謝しています。
私一人では、ただ恐怖に固まる事しかできなかったのに。
あの舞台から力強い「希望」をもらって、「大丈夫だ」と励まされて、落ち着きを取り戻しました。色々な事に無駄に怯える事なく、現実に向きあっていこうと、思えるようになった気がします。
「アランチャ」の曲に象徴される、ルディの「希望の光」は、根拠も無く、無茶と言っていいほどの闇雲な希望です。
アメリカに来たばかりの、18歳のルディの若い「希望」。
多くの職を経て辿り着いた「マキシム」のNO.1ダンサーという仕事を失い、ハリウッドに流れて来て、ジューンに語る前向きな「希望」。
ナターシャとの愛を失い、映画スターとしての栄光も地に墜ちて。孤独の中、ボロボロになりながらも、それでもそこから立ち直り、もう一度新たな道を歩こうとする「希望」。
多くのものを失う度に、彼が抱く「希望」は、力強く、重い意味を持っていく。
「希望」は、簡単に持てるものではなくなって。傷つく事を恐れずに、真っ直ぐに見つめる勇気と、強い意志が無ければ持ち続ける事はできないものだと。
それでも、彼は立ち上がり、「希望」を歌う。
「希望」を抱いて、未来を信じる。
真っ直ぐに、純粋に。
ジョージがルディとジューンを喪った後に思い出す、回想のルディは、どの時代のルディというものではないんですよね。彼の芯にあった「希望」の結晶のようなもの。たとえ肉体を喪っても、彼の「希望と幸福」のアランチャは、ジューンに手渡される。
…そして、ジョージや、彼らの物語を知る、すべての人にも。
どんな状況でも「希望」はいつでも純粋で、ひとしく美しいもので。「アランチャ」は、この物語のルディだけでなく、もっと普遍的な、すべての人が持つ「希望の光」の象徴でもあると思います。ルディの純粋な「希望」の結晶は、この作品を見た人の心の奥にある「希望」をも、照らす光なのだと思うのです。
人間、誰もがそれぞれの「希望」を抱いて、生きている。具体的な形のある”夢”…という程ではなくても。「きっと物事はうまくいく」とか「どこかに幸せが待っている」というような、漠然とした希望でも、心の糧にして生きているものではないかと思うのです。曖昧な形でも、それは祈りのように純粋なものだと。
今まで「当たり前」の事と信じていた”日常”を失って、多くの人が、不安な日々を送る、今。
失って傷ついても、それでも人は何度でも「希望」を持つ事ができるのだと訴えるこの作品を、この時期にやっていてくれた事は本当に有難い事だったと思います。青年館公演が中止になったのは残念ではありますが、それでも。
オオゾラさんは、温かく、力強く、ルディの心の奥にある「希望」を体現して見せて下さって。まるで祈りを捧げるように、真摯にルディを演じる姿に、胸を打たれました。今回は本当に、言葉も無い程に感動しました。
願わくは、事態が落ち着いたところで、なんとか関東で公演して欲しいものです。この関東でこそ、あの美しい「希望の光」を照らして欲しいなぁ。
震災の影響でお亡くなりになられた方々のご冥福を祈りますとともに、被害を受けた方々、その家族の皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
やっと三週間…特に最初の一週間は、今までの人生で一番長く感じた一週間だったような気がします。
都内在住で特に大きな被害も無かったのですが、毎日テレビで流れる被害の大きさには茫然とするばかり。強大な自然の力の前で、為すすべもなく翻弄される人間の無力さを、改めて感じる他はありませんでした。
そして次々と引き起こされる二次災害、原発事故。いつまでも続く余震に怯え、原発の被害に怯え。それでも直接の被害にあわれた方々の事を考えたら、命があるだけでも有難い事で。
翌日12日から「ヴァレンチノ」の為の大阪行きの予定だったのですが、結局その週の大阪行きは”自粛”する事となりました。その後の都内の停電と、それに伴う交通機関の混乱に「こんな中で、青年館での公演は難しいだろうなー」と思っていたら、やはり中止の発表。
かなり迷いましたが、予定を少し早めて、ドラマシティ公演に行ってきました。
…行って、良かった。救われました。
「ヴァレンチノ」は、以前にCSで放送されたものを一度見た事があり、物語は覚えている…という程度。オオゾラさんが演じると決まってからは、あえて、もう一度見たりはしませんでした。
最初の観劇時は、杜けあきさんのお芝居や、ミユさん、高嶺さん、古代さん等のお芝居を少しだけ思い出しながら、とても冷静に見ていたと思います。大阪に到着してそのまま劇場に入り、ちょっと落ち着かない状態で席につきまして、そのまま舞台に入り込めなかったのかも。
ところが、二幕のクライマックス、ボロボロになったルディが歌う姿に、打ちのめされました。
「失くした夢の大きさは、失くした時に気付くもの」
この一言に、本当に色々な思いが重なってしまって…。毎日、テレビのニュースでエンドレスで流れる、地震の被害映像も頭に浮かんで…自分自身の事も、無くなった青年館公演も。
そうしたら、突然、泣けてきました。
そして、朝日の訪れと共に「希望」を取り戻すルディの姿に、更に涙。
たとえ、多くのものを失っても。それでも人は、一筋の希望の光に向かって歩いて行ける。強くて、しなやかで、しぶとい力を持っている…その力強い美しさは、素晴らしい説得力となって。胸をギュッと掴まれるような衝撃でした。
それから後は、只々、涙を流し続けました。
ルディとジューンの心の繋がりも、ルディの最後の「チャオ!」も、幻の四人と共に去っていくジューンの姿も、あまりに美しくて。
みーちゃんのジョージの語りかける言葉は、あまりにも優しくて。
そして再び登場したルディの笑顔、アランチャを歌う希望の光が、ジューンに手渡すオレンジの枝が象徴する「希望と幸福」が、あまりにも、純粋な光に満ちていて…。
フィナーレはカッコよく、タンゴの音楽はクールで情熱的で、見とれている間に涙も止まり、呼吸を整える事ができました。
でも、最後に全員で歌う「アランチャ」に満ち溢れる、望郷や希望や哀惜や幸福や…様々な思いが混然となった皆さんの歌声に、また涙。
更にはカーテンコールでのオオゾラさんの挨拶の、真摯で力強い、思いやりに溢れた言葉にも涙を流して、劇場を出る頃にはぐったりしてしまいました。
震災以後、テレビのニュースを見ているだけで、あまりの事に涙が出る…という事をよく聞きました。まあ、私はそういうキャラではないわ、などと思っていたのですが(^^ゞ
でも、人間にとって「泣く」事って、必要な事なんですね。この最初の観劇でたっぷり泣いた後には、不思議と体が軽くなっていました。余震やその他様々な事への怯えの為、ぐっと縮こまって固まっていた体から、力が抜けたのです。同時に、心もぎゅっと固まっていたのが、ほぐれたようです。
目の前の霧がすーーっと晴れたようで、恐怖で曇っていた視界が明るく開けた気がしました。おかげで気持ちも軽くなって、その夜は地震の日のあと初めて、ぐっすりと眠る事ができました。
すべては、祐飛ルディが見せてくれた「希望の光」のちからによって。
このドラマシティメンバーが作り上げて下さった、美しく生き生きとした、ひとときの夢の舞台によって。私は救われました。
今までも、宝塚の舞台に、オオゾラさんの舞台に、慰められ力をもらった事は何度もあったけれども。今回は本当に祐飛さんと宙組の皆さんに感謝しています。
私一人では、ただ恐怖に固まる事しかできなかったのに。
あの舞台から力強い「希望」をもらって、「大丈夫だ」と励まされて、落ち着きを取り戻しました。色々な事に無駄に怯える事なく、現実に向きあっていこうと、思えるようになった気がします。
「アランチャ」の曲に象徴される、ルディの「希望の光」は、根拠も無く、無茶と言っていいほどの闇雲な希望です。
アメリカに来たばかりの、18歳のルディの若い「希望」。
多くの職を経て辿り着いた「マキシム」のNO.1ダンサーという仕事を失い、ハリウッドに流れて来て、ジューンに語る前向きな「希望」。
ナターシャとの愛を失い、映画スターとしての栄光も地に墜ちて。孤独の中、ボロボロになりながらも、それでもそこから立ち直り、もう一度新たな道を歩こうとする「希望」。
多くのものを失う度に、彼が抱く「希望」は、力強く、重い意味を持っていく。
「希望」は、簡単に持てるものではなくなって。傷つく事を恐れずに、真っ直ぐに見つめる勇気と、強い意志が無ければ持ち続ける事はできないものだと。
それでも、彼は立ち上がり、「希望」を歌う。
「希望」を抱いて、未来を信じる。
真っ直ぐに、純粋に。
ジョージがルディとジューンを喪った後に思い出す、回想のルディは、どの時代のルディというものではないんですよね。彼の芯にあった「希望」の結晶のようなもの。たとえ肉体を喪っても、彼の「希望と幸福」のアランチャは、ジューンに手渡される。
…そして、ジョージや、彼らの物語を知る、すべての人にも。
どんな状況でも「希望」はいつでも純粋で、ひとしく美しいもので。「アランチャ」は、この物語のルディだけでなく、もっと普遍的な、すべての人が持つ「希望の光」の象徴でもあると思います。ルディの純粋な「希望」の結晶は、この作品を見た人の心の奥にある「希望」をも、照らす光なのだと思うのです。
人間、誰もがそれぞれの「希望」を抱いて、生きている。具体的な形のある”夢”…という程ではなくても。「きっと物事はうまくいく」とか「どこかに幸せが待っている」というような、漠然とした希望でも、心の糧にして生きているものではないかと思うのです。曖昧な形でも、それは祈りのように純粋なものだと。
今まで「当たり前」の事と信じていた”日常”を失って、多くの人が、不安な日々を送る、今。
失って傷ついても、それでも人は何度でも「希望」を持つ事ができるのだと訴えるこの作品を、この時期にやっていてくれた事は本当に有難い事だったと思います。青年館公演が中止になったのは残念ではありますが、それでも。
オオゾラさんは、温かく、力強く、ルディの心の奥にある「希望」を体現して見せて下さって。まるで祈りを捧げるように、真摯にルディを演じる姿に、胸を打たれました。今回は本当に、言葉も無い程に感動しました。
願わくは、事態が落ち着いたところで、なんとか関東で公演して欲しいものです。この関東でこそ、あの美しい「希望の光」を照らして欲しいなぁ。
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