今日は、5歳の男の子と2歳の女の子と遊んできました。
二人とも、絶えず笑い続け、走り続け、転げ周り、大きな声で叫んでいました。
子供達を抱っこするのも、抱きつかれるのも、不思議と人間の心を暖めてくれるものです。これが、人間にとっての幸せの一つの形なんだなーと、改めて思いました。
…絶え間なく続く、お子様達のやんちゃを叱り付けて、人間らしい生活に当てはめていかなければならない親達は、げっそり疲れていましたけれど^^;
子供を相手にするっていうのは、本当に忍耐力のいる事。全ての子供を持つ親御さん達に尊敬の念を抱いた一日でした。

そして、今の私が思い出すのは、やっぱり「シャングリラ」の保育士さんとなった二人と子供たち(^^)
ドラマシティで最初にみた時にびっくりした「俺は幸せになるわけには、いかない」という台詞のすぐ後に、美雨を受け入れるソラ。
でも、次の週に見た時には、納得しちゃったんですよね。
だって、ぶっきらぼうで、小さい女の子を泣かしながらも、似合わない保父さんをやっているソラ。
でも、子供達の笑顔に囲まれて、空気の読める子供…心優しい子供達との生活は、やっぱり、もう既に「幸せ」そのものの暮らしだとしか、思えないんですよね。子供達は自分の面倒を見てくれるソラを、力いっぱい愛していると思うから。
「俺は幸せになるわけには、いかない」というのは、美雨の前から姿を消した時の状況説明でしかないんだな。この子供達との生活を見た後では。
だから、美雨の事だって受け入れられる。既に幸せになってしまったのだから、更に美雨という大きな幸せを得ても、もういいでしょう。

最初に見た時。ソラの記憶の「パンドラの匣」を開けて、あらゆる災厄が飛び出し、全てを喪ったソラが最後に手にした「希望」は、美雨の事かと思ったのですが。
でも、次の週に見た時からは「希望」は、子供達の存在だと思ったのです。
そして、子供達を見守る、幸せ。
自分が感じた、そしておそらくはアイスも感じただろうと思う、無邪気な子供達への、愛。その、素朴で強い、暖かな想い。アイスの場合は、思いが強すぎて道を誤ってしまったけれども、原点となった愛情の暖かさを身をもって感じたから。
だから、ソラは不器用にも子供達を育てるという、アイスと同じ道を辿る。
そして、美雨を抱きしめる「希望」を持てる。
美雨と共に新しい家庭を作り、喪った家族を再生する。それは、喪った者達への愛情を示す事だから。

…しかし、小さい美雨ちゃんの名前を変えるワケにもいかないだろうし、美雨はどう呼ばれる事になるんでしょうね(^^)

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