書きたいものリストの中から、まずは「イルザという女」について。
以前に「小夏という女」というタイトルを使いましたが、イルザは、またもや難しい女性です。
小夏は銀ちゃんという愛する男に振り回されて、二人の男の間に立つ女性ですが、イルザは時代と戦争に振り回される女性。

この公演が始まってから沢山の感想を読みましたが、ブログなどの感想を読むと、イルザというのは女性に嫌われる女性らしいですね。
思った以上に、イルザの行動に納得できないという感想が多くて、驚きました。
イルザ目線だと切ないラブストーリーだけれども、男役さんに感情移入してみると、イルザが許せないという事になるのかな?
私はわりとヒロインの目線で物語を見るほうなので、「運命に翻弄される女性」としか思ってなかったんですよね。
パリでリックと出会い、別れたのは全て不可抗力。運命の悪戯で再会しても、挙句の果てには、二人の男達に譲り合いされちゃうし。

でも、ラズロにもリックにも「愛している」と言う事が、納得できないという感想をいくつも読みました。
色々な、感じ方はあるものだなーとはいうものの、ちょっと驚きましたね。
二人の男、それぞれに違う形の想いがあって、どちらにも「愛している」という他に、言葉が無いと思うのだけれど。
ラズロに対しては尊敬、リックに対しては恋愛…と、今回の脚本では表現されていますが。
でもやはり、どちらに対しても、その状況なりの愛しさがあるでしょう。
あの状況で、どちらかを愛したら、即座にもう一人への愛が消えてしまうといわれたら、そのほうが気味が悪いと思うんだけどなぁ。
リックを選んだら、ラズロへの愛が一瞬に消えて無くなるなんて、普通の人間でありえないと思う。

そしてラズロの命を救う「通行証」は、何があっても手に入れなければならない。
リックが通行証をタテに迫る以上、イルザはどうしてもリックと向き合わなければならなかった。
そうでなければ、パリでの事は無かった事にして、貞淑な妻のまま、リックのいるカサブランカから離れる事ができたのに。
イルザはそうして、必死にリックから離れようとしていたのに。
やはり難しいのは、ラズロに対して、ですよね。
リックに対しては、まあ、相手は主役ですから^^;
特に今回の宝塚版は、イルザがリックを愛している事は非常に明確です。
トップコンビですし^^;

東京に来てから、かな?カフェでリックと再会した時点で、イルザがまだリックを愛している事、心を押し込めようとしても全然忘れてなんていない事が、しっかり見えるようになったと思います。
そして、ラズロもリックも、それが判ってしまった事もはっきり見えます。お互いに、相手がイルザの心に気付いた事も判っている。

「イルザ、久しぶりだな」という、意味ありげな言葉で見詰め合う二人。遠くから見ていたラズロにも、二人が只の知り合いとは思えないでしょう。
一緒に一杯と誘うと、テーブルにつくまでジッとイルザを見つめるリック。たじろぐイルザ。
そんなリックに見せ付けるように、彼女の腰に手を回しエスコートするラズロ。その手付きで、二人がどういう仲か判ります。
それを見て、苦しげな顔を見せるリック。4人の会話で、リックは過去の二人の関係を匂わせ、イルザは動揺を見せる。
ラズロは会話を打ち切り、リックは「彼女はきっと来る」事を確信する。

すみ花ちゃんのイルザは、本当にとても不器用。嘘をつく事もできず、心がすべて顔にでちゃいますからね。無意識にも、リックへの愛が溢れてしまいます。
だからこそ、リックはしつこくイルザに本心を言わせようとするし、ラズロは何もきかずにイルザの答えを待っている。
イルザの瞳にリックへの愛が見える以上、彼女が逃げようとしてもリックは納得できない。
ラズロは、彼女が自分と共に歩む人生を選んでも、リックへの愛を選んだとしても受け入れるから、黙って待つ。

おそらく二人共、やろうと思えば、あの優し過ぎるイルザを言いくるめて、手放さない事は簡単だろうと思います。
でも、誇り高い二人の男達は、彼女の選択を優先しようと、答えを待つ。
イルザ自身が納得して、その心を丸ごと得るのでなければ、意味が無いから。

そして、イルザは気付かないふりをして、ラズロの妻としての姿勢を保とうとする。
すみ花ちゃんのイルザは、あまりにも不器用で頑なで。本当はリックへの愛を判っているのに、心を押し込めている姿が、とても痛々しくて愛しいです。
その瞳の奥にリックへの愛を抱きしめたまま、心を押し込め、張り詰めている…。


この三人の関係は、演技の深まりと共にキャラクター造形が変わっていくのにつれて、変化していったと思います。
もしかしたら、関係性が変わったからキャラが変わったのかもしれませんが。
台詞や動きは同じでも、その中にある物語は、大劇場初日頃とは東京公演は違うのものになっていたと思いました。
なので、まず、どこからどのように書いていけばよいか、難しい^^;

実は、この文章の最初のほうは、東京の前半の頃書きかけたものなので、ちょっと変化についていけてないんですね。
大劇場初期の印象はやはり強くて、ずっとその延長線上で考えていましたし。
ただ、大劇場の後半でイルザのキャラクターが変化したのは感じていました。
初期の頃は映画のイメージを元にした役作りだったのが、大劇場の後半からすみ花ちゃん独自のイルザのキャラが確立してきた感じ。
東京に来た時には、すみ花ちゃんのイルザは、もうすっかり映画とは別物で。
そこから、リックとイルザの場面は自由な日替わり芝居となり、しばらくは変化の方向性がはっきりわかってなかったのです。

まず、映画のイルザは「勝利者に与えられる、特別な女」という存在だと思います。また、ラズロはイヤミに「Victor」~勝利者、という名前で。
周りの男たちは彼女を特別に扱うし、イルザ自身にも、その自覚はある。ま、なんと言っても美人女優さんですから。
銀橋でのラズロとイルザの会話にあたる、ホテルの場面。
映画では集会に行かないでと頼むイルザに、ラズロは「男が妻の前で勇気ある行動を披露する機会なんて、そう多くあるものじゃない」という台詞で答えます。
バーグマンのイルザは、ラズロを奮い立たせ、戦う為の原動力となる女性なんですね。
彼女を失ったら、もしかしたらラズロは勇気ある行動を取れなくなり、戦う事を避けて生きるようになるかもしれない。


そして、すみ花ちゃんのイルザは自分を「普通の女」だと、思っているのではないかと思います。
純粋で繊細な揺れ動く心を持っただけの、ごく普通の心優しい女性。
らんとむさんのラズロは、完全無欠の「英雄」だけれども、その英雄であり続ける為の苦しさを、リックの存在が描き出すんですね。
ラズロ氏も「人が死ぬのを見るのは怖い」と感じる事だって、あるでしょう。でも、彼は犠牲者に黙祷を捧げながら、あくまでも戦い続ける。
英雄にだって、心弱くなる事はあるかもしれない。ちょっと愚痴を言いたくなる事も、あるかもしれない。
すみ花ちゃんのイルザは、そんな苦しいラズロを抱きとめ”英雄”の心を癒す存在だと思うんです。
らんとむさんのラズロは、彼女を失ったら、苦しいままに戦い続け、無茶を重ねて、あっけなく命を落としそうな危険さを感じます。

だから、すみ花ちゃんのイルザがラズロの妻であろうとするのは、ものすごく納得するのです。
ラズロのほうが、より、イルザを必要としているから。
そして、多くの人々がラズロの勇気ある姿を愛するように求めるように、イルザもまた、”英雄・ラズロ”の存在を愛している。
それが、恋ではなかったとしても。
だからやはり、ラズロに「愛している」と言うほかしかない。他の言葉を選ぶ事はできなかったのかなーと思うのです。

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