新人公演、見てきました。
ハプニングもありましたが、逆にそこを乗り越えたパワーが光り、印象的な新人公演。一人一人の力が見えた、良い新公だったと思います。今、感想を書きかけていますが、先に書きかけだったものから、アップ。
この物語のヒーロー、ヴィクター・ラズロ氏について。


今回の小池修一郎版「カサブランカ」において、物語上の改編の特徴は大きく二つ。
パリでのリックとイルザの出会いの場面と、ラズロを中心とするレジスタンスの場面が追加された事です。
この追加によって、小池修一郎的解釈が強くでたのが、リックがどのように戦争や時代に向き合うかという事。
そこに一番関わるのが、ヴィクター・ラズロの存在です。
ラズロの英雄的描写を膨らませて、男の中の男とも言うべき存在として、主人公リックに”壁”として立ちはだかります。
いや、本当に、イイ男ですよね、らんとむさんのヴィクター・ラズロ氏は。
男役として、これほどかっこいい役もなかなか無いような完璧なライバル役だと思いますし、その説得力のある大きな存在感。

劇中で「平和主義者」と呼ばれるラズロさん、リックの夢では戦争を呼びかけているように見えて不思議だったので、ちょっと調べてみました。
モデルとなった人物は、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵。
「欧州統合に関して具体的かつ論理的な提案をした最初の人物。彼のアイデアは、第二次世界大戦後に発足したEECからECを経て現在のEUに至る過程の中に具現している。」との事。
映画では、クーデンホーフ=カレルギー伯爵に容貌の似た俳優さんが選ばれたとか。映画のラズロを演じたポール・ヘンリードさんも、カミソリのように鋭くて、
意思の強そうなイイ男ですよね。

謎だった「平和主義者」の部分は、彼が1923年に提唱した「汎ヨーロッパ主義」の事なのでしょうね。ずいぶん大雑把な表現ですが^^;
まあ、あくまでモデルなので、この部分は深く気にするものではありません。
欧州統合論はそれまでにもさまざまにあったようですが、具体的な動きとして各国に汎ヨーロッパ協会を設立し、政治運動として活動した人だそうです。
しかし「世界一優秀なドイツ民族が世界を統合する」というナチス・ドイツにとっては、これは邪魔者。彼はナチスに追われる身となり、1941年にリスボンを経由してアメリカに渡ったとの事。
調べていると懐かしくなり、この方の母上の物語、大和 和紀著のまんが「レディー ミツコ」を久しぶりに引っ張りだして読みました。明治時代、オーストリア=ハンガリー帝国の代理大使である、クーデンホーフ=カレルギー伯爵と恋に落ちてヨーロッパに渡った、日本の骨董屋の娘の物語。
すっかり忘れていたのですが、次男のリヒャルトさんも登場していました。作者は「汎ヨーロッパ主義」について「オーストリア人の父と日本人の母をもつ自分だからこそ そういう考えに至る事ができた」と言わせています。
今回、集会の場面でラズロさんが「諸君の宗教がなんであれ」と言ったり、冒頭のリックの登場で「肌の色、髪の色、瞳の色がなんであれ」平等を口にするのも、このあたりを思い出しますね。リヒャルトを英語読みするとリチャード。リックという名は、原作のタイトルになっていますから偶然でしょうが、面白い一致ですよね。

ラズロさんの一番の見せ場、国家対決場面。
タカラヅカでは百万回見たような、お約束の場面ですが、やはりじーんときちゃいます。
しかし、やはり元がよく出来た映画だけあって、この作品の場合はヴィクター・ラズロのデキる男っぷりを見せ付ける、良い演出ですよね。
酔って高揚したドイツ将校達が、ドイツ国家を歌いながらカフェの至る所で、店の客を威嚇する。客たちは、それぞれ悔しい思いで見ている。
亡命者、フランス人、フランス軍、レジスタンス、そして、この土地の本来の持ち主であるムーア人達。それぞれの立場で抵抗を諦め、ぐっと堪えたり、一人でドイツ軍人に殴りかかり、あっさり押さえ込まれたり。
そんな時に登場する、ヴィクター・ラズロが、フランス国家を歌う。
皆が心を押さえ込む中、ただ一人、堂々とナチスに抵抗の声をあげる。
歌うだけならば、立場を守らなければならないフランス軍人だって、参加できる。
力弱い立場の人々も、か弱い女性も。皆で立上がり抵抗しようと、直接ではない呼びかけ。それは色々な立場の人々を一瞬にまとめあげ、一つの大きなパワーを作り出す。
彼こそは、英雄。
勇気と知略に富み、皆を率いて”勝利”に導く力を持つ、偉大な指導者。
らんとむさんのラズロは、静かに淡々とした抑えた芝居で、逆に彼の心の強さを表現していて、とっても素敵です。

でも、この場面のラズロが切なく見えてしまうのです。
彼こそは、英雄。
彼は、弱く黙っている事しかできない多くの人々の中、昂然と戦いを挑む。
人々は、その勇気ある気高い姿を見て、一緒に戦う事を選ぶ。弱い人々は、彼についていく事で、戦いに一歩踏み出す。
常に危険の矢面に立ち、人々の為に戦う英雄への尊敬は、やがて崇拝となり、人々は彼を愛し、求める。
危険にさらされる英雄を守る為に、自らを犠牲にする人だって、でてくるでしょう。彼の収容所脱出の為に、多くの同士達は、危険を省みず命を懸けて力を尽した筈。
その期待に、愛に、応える為に、英雄は戦いをやめる事はできなくなっていく。
更に力強く危険に立ち向かい、より多くの英雄的行為を重ね、人々の希望となるべく戦い続ける。
”英雄”としての名前が、彼の存在の意義となっているから。ナチスにとって、”英雄”の死は、一人の人間の命とは比べられない価値を持つ。その名前の為に、彼だけが危険に陥る。
…まるで人々の為の、生け贄のように。
古代からの英雄譚が悲劇的に終わる事が多い意味が、らんとむさんのラズロを見て初めて判った気がしました。

そして、スペインで戦い「勇者」と呼ばれたリックも、やはりそんな重荷を背負いかけて…戦場に背を向けたのだろうなーと、思います。
パリで、セザールが戦いの過去を語る時に顔を背けるのは、自分を庇い、目だけではなく命を失った戦友を思い出したからではないかと、私は勝手に思っています。
「人が死ぬのを見るのは、怖い」と彼が歌うのは、「自分の為に」という言葉も含まれるのでは。
当然ラズロ氏も「人が死ぬのを見るのは」平気な事ではないでしょう。
でも、彼は犠牲者に黙祷を捧げながら、あくまでも戦い続ける。
この物語の中、ラズロの背負う使命を一番実感しているのは、きっとリックなのだろうなーと、切なくなるのです。

パリにナチスがやって来る時、リックが「パンドラの匣」の夢を見るのは、リックの心の声なのですよね。
リックの夢なのですから、セザールの台詞はリックの心の中の葛藤。
「今だぜ、立ち上がるのは!」
「いや、武器の入ったあの匣はパンドラの匣。絶対にあけてはいけないんだ」
「思い出せ、戦場の熱さを!」
セザールの姿を借りた、リックの中で押さえ込んだ心の声との対話。
本当はあの時、戦うべきだった…と、彼は思っている。
でも、目の前で煌めくイルザという光を守る事を口実に、リックはその心の声を無視したから。セザールの声を心の中で葬り去り、マルセイユでの結婚式の夢を見たから。
イルザを失った時、リックは自分の心も夢も…自分の価値をも、見失ってしまった。
それなのに。
戦いをやめなかった”英雄”ラズロが、イルザを得ていたという衝撃の事実。なんという皮肉な運命。

セザールとの会話と「パンドラの匣」のナンバーにラズロのイメージが登場する事で、この英雄をリックに対する”壁”の象徴とした小池先生の演出は見事だと、思います。
映画よりも、具体的にリックを打ちのめす存在となりますし、宝塚の二番手としてこれ以上ないくらいのライバルとなったわけです。
そして、二人の男達の間に信頼関係が結ばれるに至って、宝塚的カタルシスが生まれるのです。大劇場で初日を見た時から、この演出はすごいと思っていましたが、オオゾラさん、らんとむさんの二人の芝居が深まるにつれ、更に対比の面白さが出てきたように思います。

公演も中盤に入りましたが、私はしばらく観劇の予定がなくて、寂しいです。きっと、舞台は白熱して、最後に見た時よりずっと深くなっているのでしょうね。
次の観劇が、待ち遠しいです(^^)

コメント