先日、東京に来てリックの作りが若くなった気がする…と書きましたが、原因の一つに突然気付きました。
東京公演って、大劇場公演より、音楽が早回しですよね。台詞を交わすテンポも早いです。音楽によって進む部分の多いミュージカルですから、曲のテンポが早ければ全体の動きも早くなる。
それに伴い、リックの動作も、全体に早回しに。
多分、それが若く見える原因の一つなのではないかと。

大劇場で見た時、リックの動作のひとつひとつが、ゆーーっくりとしたものである事がすごく印象的だったのです。
ゆったり、のっそり、勿体をつけた動きで、歩き、話し、肩をすくめ、タバコを取り出し火を付けて、溜息のように煙を吐き出す。
何もかもゆっくりした動作が、彼がまわりの人々から一歩離れたところにいる事、それでいて”今”を否定している事を表現しているような印象を受けました。
それがパリの場面になると、あのゆっくりした動作ではなく、普通に動いて喋るリックさんになるんですね。すごく若く溌剌としたように見えて、イルザを失って現在に戻ってまた、ゆっくりした動きに戻った時に、一気に老け込んだように見えたんです。
あまりの変貌ぶりに、初めて見た時にはパリの場面は、10年くらい昔の事かと思いました。たった一年半前だと気付いた時は、驚きましたね。
こんな大ダメージを与えられるなんて、イルザの存在のなんと大きなことか…と。
イルザによって受けた傷は、彼女だけが癒す事ができる。リックを現実の時間に戻す事は、イルザしかできないんですね。
そして、現実の時間に戻ってきたリックは、自分のあるべき戦いの世界に向かっていく。

だから「あなたを愛していた、そして今も…」という言葉を聞いてイルザを抱きしめにいく時には、動きが早いんですよね。
大劇場で初日を見た時から、「早いわっ!!」と、すごく印象的で^^;
逆に、それまでリックがどんなにゆっくりと動いていたかに、気付いたのです。
リックさん、感情を表情にはあらわさず、体で表現する人なんですね。ある意味、すごい正直。
ゆったりと重たい、疲れたような動作が、彼の背負ってきたモノを表して。倦み疲れた心の重さと痛みを見せる。
映画と違って顔のアップで見せる事のできない、あの大きな舞台でリックの心情を見せる為の、動作での表現なのでしょう。動きだけでなく、どの場面でも、肩や背中で色々な表情を語ってます。
こういった細かい表現の積み重ねで「カサブランカ」の映画が好きで見に来られた、舞台に慣れてない観客でも、十分にリックの心は伝わるのではないでしょうか。
この公演、客席にすごく多くの男性をお見かけしますが、きっとオペラグラスなんて使われていませんものね。

それともう一つ、印象的だったのが、リックの立ち方です。
両手をポケットに入れて、ちょっと肩をすくめ、上体の重心を後方におく感じにして、少し腰が前にでたような立ち方。
今までオオゾラさんがあまり見せた事のない姿勢と立ち方で、これが大空祐飛流のリックの表現なんだなーと思っていたのですが。
ある日、ふと「あの立ち方、久世さんだ」…と、思ってしまったのです。
宝塚の男役の仕草って、昔の映画を参考にしていたという事ですから、ボガードの仕草なども研究された元だったのでしょうね。
そう考えてみたら、スーツものでポケットに両手を入れて立つというのは、ありがちなポーズだとは思うのですが。
でも、首から背中や腰のラインに、久世さんを思い出したんですよね。あんなふうに立っていたのは「バロンの末裔」の記憶かな。
そういえば、バロンの末裔のラストも同じように、ヒロインを他の男に託して(双子の兄で二役なので、久世さん本人ですが^^;)一人去る物語。
「バロンの末裔」といえば、名場面「雉撃ちの丘」を思い出します。
この「カサブランカ」の深夜のカフェと、飛行場での別れのリックとイルザの会話の緊迫感は、あの「雉撃ちの丘」に並ぶ、迫力と切なさではないかと思います。
宝塚初恋の人が久世星佳さんだった私には、とても嬉しいことでした。


しかし、この姿勢の悪い立ち方も、ゆっくりした仕草も、東京に来て印象が薄れたように思います。
音楽の早さも一因だと思いますが、それだけでなく、意識的なものもあるのかなーと。
2010年のCSでのオオゾラさんの目標で「シンプル」という言葉をあげていました。東宝初日の舞台を見て、ずいぶん「シンプルでストレートになったなぁ」…と思ったのです。
意図的に、リックとしての外側や外見を作りこむ事を、薄くしてみているのじゃないかな~?と、思ったのですがどうでしょうかね。そう感じるのは、私だけかな?
まあ、まだ公演は始まったばかり、今後また変わっていくかもしれませんが…。

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