瑞々しい「大江山花伝」その2
2009年11月12日 宙組とうとう、大劇場お披露目の初日が、明日に迫ってきました。
「宙組トップスター 大空祐飛」の言葉にも、だいぶ慣れてきたつもりがでしたが。先日の月組お花渡しのお姿を見て「やっぱり本公演のトップさんは違う」と感動してから、舞台の真ん中に立つオオゾラさんを見る事にドキドキしています。
しかし。
さすがにその前に書きかけ放置のものを終わらせましょうという事で、「大江山花伝」の続き。販売DVDは、まだ未購入です(^^ゞ
さて、前回、「瑞々しい」という言葉には、「若い・新鮮」という意味がある…と、書きかけまして。「鬼」と「人」の自分の間で悩み続ける茨木は、原作よりもずっと若い印象を持ちました。
鬼が象徴する悪と人の間で、また父の後を継ぐ事はできないなどと、悩む茨木。
善と悪、周囲の人間と自分の望みの間で悩むなんて、青少年のする事ですよ。
前回の公演では、おじさんのリカルド・ロメロで渋くキメてた人が!
まあ、そのロメロさんの数十分後、「ひき潮の青年」で初恋を演じていて、凄いなーと思ったのですが。
童顔・丸顔をいかして、最近のオオゾラさんは年齢設定自由自在。
ヨン・ホゲの時も、あの細い首を微妙に線の細い様子に見せ、青年らしさを演出していて「あの首には、ああいう使いかたがあったのか!」と驚いたのですが。
意外に、微妙な身体の使いかたで年齢や身分を身体で表現する芝居が上手くなったんですよね、オオゾラさんって。役の年齢などの設定によって結構作りこんでいるので、膝の曲げ方とや肩の使いかたとか、毎回結構違ってます。今度のリックは、どんなふうに「大人の男のダンディズム」を表現するのか、楽しみ♪
…話を戻して。
原作の茨木は、萱野達を裏切った時、「鬼」としての道を選び、人としての自分を捨てた。それが、青年時代の終わりであり、その後はもう、自分の道を悩む事は無いんですね。
ふじこを見守っていても、綱に彼女を託す事に迷いは無い。もう、とうの昔に諦めた事だから。萱野と六郎太を死に追いやったのに、自分だけがふじこと幸せになる事は、できない。
だから、ふじこが死に至る事によって、やっと茨木は最期を彼女と寄り添う事ができたのだと思います。
ふじこの顔の傷は、彼女の行動を制限する為の設定であり、茨木にとっては関係のないものなのです。
柴田先生による舞台化の一番大きな脚色は、この茨木の存在を決定付ける「過去の裏切り」の記憶を封印し時を止めて、劇中で解除する事でした。
これによって、原作の本編では固まっていた茨木の人格を曖昧にして、クライマックスに茨木が道を選ぶ…という劇的な変更となるんですね。
更に、ラストの滝つぼの場面でのふじこの長台詞によって、茨木はその罪を赦され、救われる。
そしてふじこが矢に射られる事で、茨木は彼女を抱きしめる事ができ、二人は滝つぼに消えていく…。
この、後半クライマックスの畳み掛けるような展開で、劇場中をすすり泣きで埋めることなります。そのぶん、前半は説明場面の積み重ねのようだ…と言われると、そうなのかもしれません。
前半に、茨木の葛藤を丹念に描いて、その苦しむ姿に観客が感情移入しているからこそ、後半のふじこの長台詞が胸に迫るのだと思います。
その為に、ふじこはこのクライマックスまで、自分で心情を語る事は一切ありません。
原作でも、ふじこは黙って突然突拍子もない事をするキャラなのですが、柴田先生はそのキャラクターを上手く改編して、クライマックスで思いの丈を語る存在としました。
クライマックスのヒロイン長台詞で、色々な事を解決するという段取りは、イマドキはなかなか受けない手法です。植田景子氏あたりが使うと、コテンパンに叩かれると思うのですが。
このように丁寧な演出の積み重ねと、力を持った役者の芝居で畳み掛ければ、やっぱり効果的な王道の演出なんですよね。
なんといっても、すみ花ちゃんが演じるのですもの。上手くいって当たり前です。
戦場の場面、茨木の場面が長く続いた後に登場する時。すみ花ちゃんは袖から舞台を見ていたのでしょうか?
「茨木ーーー」と叫びながら登場する時、既に泣いている事が何度もありました。前の場面から、結構時間があくのに。この、役に入り込むエネルギーとテンションが、天才少女と言われる所以だと、毎回感心しておりました。
ふじこの長台詞をもの影からこっそり聞いていた茨木さん、また、良い顔で出てくるんですよね。
その、感動の表情で、ふじこの存在とその言葉の重みが、ぐっと迫ってくるのです。
この二人の、言葉少ない芝居のコンビネーションは、本当に素晴らしいものでした。お互いの芝居で、相手の芝居を強調しあえる、どんどん深い芝居を作っていける二人。組んで芝居をしたのが、たった一作だとは思えないですね。しかも、「銀ちゃん」の時は、小夏と銀ちゃんの場面は少なかったのに。
人の運と廻り合わせは不思議なものだと、改めて思います。こんな相手役に恵まれるなんて、オオゾラさんって、やっぱりすごい強運の持ち主なのかもしれない…と、今後も何度も思う事でしょうね。
「カサブランカ」初日、とうとう明日に迫ってきました。
今度はどんな芝居を見せて下さるのか。そして、宙組全員で作る、新しい世界はどんな色になるのか。
でも、きっと良い舞台になる、それだけは確かな事だと信じられる。
…それが、オオゾラさんのファンになって良かった事だなーと、思います。
今はただ、楽しみで、ドキドキしながら、明日の開演時間を待つ事にします。
「宙組トップスター 大空祐飛」の言葉にも、だいぶ慣れてきたつもりがでしたが。先日の月組お花渡しのお姿を見て「やっぱり本公演のトップさんは違う」と感動してから、舞台の真ん中に立つオオゾラさんを見る事にドキドキしています。
しかし。
さすがにその前に書きかけ放置のものを終わらせましょうという事で、「大江山花伝」の続き。販売DVDは、まだ未購入です(^^ゞ
さて、前回、「瑞々しい」という言葉には、「若い・新鮮」という意味がある…と、書きかけまして。「鬼」と「人」の自分の間で悩み続ける茨木は、原作よりもずっと若い印象を持ちました。
鬼が象徴する悪と人の間で、また父の後を継ぐ事はできないなどと、悩む茨木。
善と悪、周囲の人間と自分の望みの間で悩むなんて、青少年のする事ですよ。
前回の公演では、おじさんのリカルド・ロメロで渋くキメてた人が!
まあ、そのロメロさんの数十分後、「ひき潮の青年」で初恋を演じていて、凄いなーと思ったのですが。
童顔・丸顔をいかして、最近のオオゾラさんは年齢設定自由自在。
ヨン・ホゲの時も、あの細い首を微妙に線の細い様子に見せ、青年らしさを演出していて「あの首には、ああいう使いかたがあったのか!」と驚いたのですが。
意外に、微妙な身体の使いかたで年齢や身分を身体で表現する芝居が上手くなったんですよね、オオゾラさんって。役の年齢などの設定によって結構作りこんでいるので、膝の曲げ方とや肩の使いかたとか、毎回結構違ってます。今度のリックは、どんなふうに「大人の男のダンディズム」を表現するのか、楽しみ♪
…話を戻して。
原作の茨木は、萱野達を裏切った時、「鬼」としての道を選び、人としての自分を捨てた。それが、青年時代の終わりであり、その後はもう、自分の道を悩む事は無いんですね。
ふじこを見守っていても、綱に彼女を託す事に迷いは無い。もう、とうの昔に諦めた事だから。萱野と六郎太を死に追いやったのに、自分だけがふじこと幸せになる事は、できない。
だから、ふじこが死に至る事によって、やっと茨木は最期を彼女と寄り添う事ができたのだと思います。
ふじこの顔の傷は、彼女の行動を制限する為の設定であり、茨木にとっては関係のないものなのです。
柴田先生による舞台化の一番大きな脚色は、この茨木の存在を決定付ける「過去の裏切り」の記憶を封印し時を止めて、劇中で解除する事でした。
これによって、原作の本編では固まっていた茨木の人格を曖昧にして、クライマックスに茨木が道を選ぶ…という劇的な変更となるんですね。
更に、ラストの滝つぼの場面でのふじこの長台詞によって、茨木はその罪を赦され、救われる。
そしてふじこが矢に射られる事で、茨木は彼女を抱きしめる事ができ、二人は滝つぼに消えていく…。
この、後半クライマックスの畳み掛けるような展開で、劇場中をすすり泣きで埋めることなります。そのぶん、前半は説明場面の積み重ねのようだ…と言われると、そうなのかもしれません。
前半に、茨木の葛藤を丹念に描いて、その苦しむ姿に観客が感情移入しているからこそ、後半のふじこの長台詞が胸に迫るのだと思います。
その為に、ふじこはこのクライマックスまで、自分で心情を語る事は一切ありません。
原作でも、ふじこは黙って突然突拍子もない事をするキャラなのですが、柴田先生はそのキャラクターを上手く改編して、クライマックスで思いの丈を語る存在としました。
クライマックスのヒロイン長台詞で、色々な事を解決するという段取りは、イマドキはなかなか受けない手法です。植田景子氏あたりが使うと、コテンパンに叩かれると思うのですが。
このように丁寧な演出の積み重ねと、力を持った役者の芝居で畳み掛ければ、やっぱり効果的な王道の演出なんですよね。
なんといっても、すみ花ちゃんが演じるのですもの。上手くいって当たり前です。
戦場の場面、茨木の場面が長く続いた後に登場する時。すみ花ちゃんは袖から舞台を見ていたのでしょうか?
「茨木ーーー」と叫びながら登場する時、既に泣いている事が何度もありました。前の場面から、結構時間があくのに。この、役に入り込むエネルギーとテンションが、天才少女と言われる所以だと、毎回感心しておりました。
ふじこの長台詞をもの影からこっそり聞いていた茨木さん、また、良い顔で出てくるんですよね。
その、感動の表情で、ふじこの存在とその言葉の重みが、ぐっと迫ってくるのです。
この二人の、言葉少ない芝居のコンビネーションは、本当に素晴らしいものでした。お互いの芝居で、相手の芝居を強調しあえる、どんどん深い芝居を作っていける二人。組んで芝居をしたのが、たった一作だとは思えないですね。しかも、「銀ちゃん」の時は、小夏と銀ちゃんの場面は少なかったのに。
人の運と廻り合わせは不思議なものだと、改めて思います。こんな相手役に恵まれるなんて、オオゾラさんって、やっぱりすごい強運の持ち主なのかもしれない…と、今後も何度も思う事でしょうね。
「カサブランカ」初日、とうとう明日に迫ってきました。
今度はどんな芝居を見せて下さるのか。そして、宙組全員で作る、新しい世界はどんな色になるのか。
でも、きっと良い舞台になる、それだけは確かな事だと信じられる。
…それが、オオゾラさんのファンになって良かった事だなーと、思います。
今はただ、楽しみで、ドキドキしながら、明日の開演時間を待つ事にします。
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