縋りつく男達。静かに微笑む、芯の強い女達ー夢の浮橋ー
2009年2月3日 月組花組大劇場公演、千秋楽おめでとうございます。
寒い時期のハードな公演、本当にお疲れ様でした。
私は初日すぐの頃に行ったまま、その後は見る事ができなかったので、今ひとつ実感が無いのですが。
東京公演のお稽古が始まるまで、僅かのお休みだと思いますが、一休みしてゆっくりして欲しいですね。花組の皆さまが元気に東京に来て下さる日を、楽しみに待っております。
花組公演も見れないし、のんびりと書いていけばいいや…と思っていたら、月日の流れるのは早いですね。
風邪をひいて寝込んでいたり、パソコンが壊れたりしているうちに、あっという間に前回の更新から二週間近く^^;
花組東京公演が始まったら、観劇仲間と遊ぶばかりで書けない事は目に見えているのに。でもともかく、書いたぶんだけ少しずつ。
月組新人公演も、見てきました。面白かった~!
新人公演メンバーの皆さんの頑張りは勿論ですが、やはり今回は大野先生の作戦の成功が、とっても小気味よくて嬉しいものでした。
本公演とはまるで違った解釈による演出で、一つの脚本から描き出される、二つの物語。これによって、脚本の面白さと演出力、新人達に対する指導力等をくっきりと見せて、デビュー戦は大勝利!
荻田先生退団後、期待の脚本・演出家としての印象を残してくれました。
本公演は、やはりイベントである「源氏物語千年紀頌」として、「光源氏が遺した人々」を軸にした物語です。
うっすらと死の匂いのただよう、儚く美しく甘美な毒に満ちた世界の、罪にまみれた人々の物語。
新人公演は、逆に生命力の煌きを描く、悲しくも美しい恋の物語…だと感じました。このメンバーの中では、あまりにも圧倒的な存在である、「明日海りお」の存在ゆえに。
源氏の君が象徴する死と罪の影の世界の中は、匂宮の美しい生命力を際立たせるもの。新公は、あくまでも「匂宮」を描く物語になっていたと思います。
新公は出演者の力を引き出す事を優先した演出で、本公演は出演者皆さんの力で、演出家の思い描いた世界を作る。
本公演と新人公演を同じ演出家でやるからこその、面白さでしたね。
私が感じた、その違いを書く為には、ともかく本公演のポイントの感想を書かなければなりません。
本公演は、二回だけしか見ていないので、私のなかではまだ曖昧な部分も多いのですが。まあ、それでも書いておきます。
この、美しい舞台を見て「ああ、大野先生の世界だなー」と思いました。
実は私、ナマで大野作品を見るのは初めてだったのです。人気作品が多いですから、CSで放映されたものは、一応見たのですが。
しかし、やはりナマの舞台は全然違いますね。
あの、舞台全体の静謐な美しさは、劇場で体験してこそ!と感じました。
大野作品といえばお約束と言えるのが、権力者のオジサマに支配される、いたいけな青年。
色々なパターンで繰り返し登場する「お約束」ですが、最近の作品は出てこない事もあり、大劇場作品では我慢するのかと思っていました。
まあ、そんな「萌え」場面があればすぐに話題になっているでしょうが、特に聞こえてこなかったですし。
磯野さんの夕霧は、いかにも…な雰囲気なのになぁ…と思いつつ、見ていたのですが。
幕が下りた時に、呆然。
主役の匂宮が、薫の「支配者」になって、終幕。
…そうだよね、本公演の一幕ものだと、時間とか色々制限あるしね。
大野作品において、支配されているのは、いつも主人公ではない人物。
だったら時間のない本公演の場合、主人公が「支配者」になるのが、合理的。
「支配者」の条件は、てっきり「素敵なオジサマ」だと思っていましたが、支配される側の萌えキャラが主人公でない事のほうが、重要な条件だとは^^;
いやー、びっくりしました。
でも、そういえば。匂宮は最初から薫だけに関心をよせるているわけで。
宇治に行くのも、最初から薫を気にしての事。相手の女性が気になったワケじゃないし。浮舟に縋ったものの、諦める時は、あっさりとしたもの。
そして結果的には、薫から彼女を遠ざけて、二人だけの世界を完結させて、終幕、なんですね。
先日、雪組さんの「カラマーゾフの兄弟」を見た時に「宝塚の演出家には、マザコンしかおらんのか!!」…と、思ったのですが。
この作品を見て初めて分かった事。
大野先生って、ファザコンだったんですね。
と、友人に言ったら「今更何を…」と、驚かれましたが(^^ゞいや、そこはナマ大野作品は、初めての体験だったので。
父権的な男性ー力強く、権謀術数にたけ、威圧的な男ーに対しての強い憧れと、徹底的な拒否。
大野作品に多く登場する、あの支配者としての素敵なオジサマ達は「支配的な父親」のイメージなんですね。
そして今まで私が大野作品にあまり惹かれなかったのも、納得。
支配される側の青年達は皆、徹底的に拒否しているから。
支配される事、執着される事に、微塵の喜びも快楽も感じる事は無く、ただ必死に逃れようとするばかりだから。見てて、辛いじゃないですか(-_-)
少しでも、支配され、自分を失う事に背徳の喜びなどを感じているものなら、一緒になって喜ぶんですけどね。
薫も、最初から最後まで、匂宮の興味を拒否していますよね。
だから匂宮を大野作品における「支配者」なんだなーと、感じたのですが。
宮様は、薫に執着を見せますが、そこに愛や友情は感じられないんですよね。
薫を幸せにしたいと思う事もないし、理解し合い、心を分かち合おうとしているわけでもない。そういう台詞は無く、ただ彼が薫に関心を持っている事だけが、周りの人間によって語られる。
薫の心が向いている方向にだけは興味津津で、薫の拒否など気にせずに、問い詰めようとする。
でも、匂宮様はまだ若くて、今までの大野作品の素敵なオジサマ達のように人間が出来ていないから^^;
浮舟に縋る事で「支配者」としての人生を修正しようと、試みるんですね。
決して自分の心に踏み込んでくる事のない、そして自分を愛する事もない女性に、縋って甘えた。
心を閉じ込めて人形のように生きている女性だからこそ、縋る事ができた。
「期待には応える性質」などと言い、その場その場だけ相手に合わせて適当に受け答えて、世の中を誤魔化している匂宮。
心を閉じ込めている人形なのは、彼も同じ事だから。
トップ娘役がいないと、主演者が「愛ではないけど、慰め合う二人」という作品を演じる事ができるんですね、本公演でも。
確かに、宝塚の新しい可能性です。…必要な事だったのか?と問われると謎ですが。
この作品に関しては、皆さんの個性をいかせて良かったのかもしれません。ポジションによって決められた「関係性」に、支配されない芝居ができて。
浮舟もまた、匂宮が自分を愛しているのではない、でも「自分」を必要としているという状況だから、身を任せる事ができたのだと思うのですが。
けれど、薫に愛を告げられて。
今まで絶対者として見ていた薫もまた、心弱く、寄る辺のない人間だと知って。
何かに、誰かに、縋らずには生きていけない、ただの弱い男だと。
そして、彼女は薫の前から姿を消して、入水する。
薫を拒む事もできなくて、でも、愛してない匂宮との罪に溺れた記憶を消す事もできない。
…愛とは違っても、情を交わし合った、匂宮との優しい記憶を否定する事はできないから。だから決して、薫と共に歩む事はできない。
しずくちゃんの頑なな程の清潔感は、自分の”罪”を許す事ができない、浮舟という女性の説得力に繋がっていますね。
一見、か弱いように見えて、実はかなり頑固そうなところが。
運命に流されているように見えて、本当は男達の弱さを許し受け入れる、情の深さをも持っているのが、しずく浮舟の魅力。
そして、薫と匂宮の罪の穢れをうつした形代となり、その身を川に流そうとする。
人形らしく、流し雛のように。
…命が助かり、罪を弔う尼となる事を選んだ後の、迷いを捨てた、穏やかで清廉な姿は、切ない程に優しくて美しいです。
薫の霧矢さんは、前半の掴みどころない、何を考えているのかわからない様子から、後半の変貌が印象的。
かつて喪った愛する女性への追慕に沈む、抜け殻の人生。その状態を脱して生気を取り戻した姿になるのが、匂宮を裏切り陥れようとする事…というマイナス感情ばかりが描かれる人物。
薫が匂宮を陥れるのは、浮舟への愛に気づいたから…というより、謀略そのものに夢中になっているように見えた気がします。
浮舟に「やり直そう」と語っていても、結局、彼女に心から向き合う事は出来なかったのではないかと。
愛していたのは本気でも、愛するという事がどういう事なのか分からないまま、生きてきた男なんだろうな。
そして、ただ、浮舟という女性に縋っただけになってしまった。
彼女が何を望み、何を愛し、何に悲しむか…結局知る事もなく、興味も持たないまま。
ただ、彼女の微笑みと優しさだけを求めて。温かな腕に抱きしめて貰えさえすれば、良いと…。
でも薫に限らず、この作中の男性はみんな同じなんですね。
光る君も、柏木も、薫も、二の宮も…匂宮も。
皆ただ、女性達の優しさに縋るだけ。
愛して欲しい、安らぎを与えて欲しいと。ただ闇雲に欲しがるだけの、寄る辺ないコドモ達。
そして女達は、優しい微笑みを浮かべた、形代となっていく。
静かに微笑みながら、黙って彼らを支えていく彼女達の凛とした姿は「ああ、さすがに月組の娘役だなぁ」と思います(^^)
一つだけ、私のなかで結論が出なかったのは、匂宮と女一の宮の最後の会話。
昔、匂宮は実の姉に密かに恋をした…その罪が、彼に心を押し殺して生きていく人生を決定付けてしまった?
でも、一の宮も匂宮も二人ともあまりにクールで、かつて密かな恋心があったようには、全然、見えないし。
匂宮が一の宮を黙らせる為に、口から出まかせを言ったにしては、ちょっと穏やかでは無い会話。しかも、あんまり効果があるとも思えないし。
やっぱり本当の話なのかなー?
光る君が、実の母の面影を求めて藤壺に恋をして、義理の母子の恋という罪を犯した事に重ねているという事でしょうか?
まあ、もう少し考えてみます。
寒い時期のハードな公演、本当にお疲れ様でした。
私は初日すぐの頃に行ったまま、その後は見る事ができなかったので、今ひとつ実感が無いのですが。
東京公演のお稽古が始まるまで、僅かのお休みだと思いますが、一休みしてゆっくりして欲しいですね。花組の皆さまが元気に東京に来て下さる日を、楽しみに待っております。
花組公演も見れないし、のんびりと書いていけばいいや…と思っていたら、月日の流れるのは早いですね。
風邪をひいて寝込んでいたり、パソコンが壊れたりしているうちに、あっという間に前回の更新から二週間近く^^;
花組東京公演が始まったら、観劇仲間と遊ぶばかりで書けない事は目に見えているのに。でもともかく、書いたぶんだけ少しずつ。
月組新人公演も、見てきました。面白かった~!
新人公演メンバーの皆さんの頑張りは勿論ですが、やはり今回は大野先生の作戦の成功が、とっても小気味よくて嬉しいものでした。
本公演とはまるで違った解釈による演出で、一つの脚本から描き出される、二つの物語。これによって、脚本の面白さと演出力、新人達に対する指導力等をくっきりと見せて、デビュー戦は大勝利!
荻田先生退団後、期待の脚本・演出家としての印象を残してくれました。
本公演は、やはりイベントである「源氏物語千年紀頌」として、「光源氏が遺した人々」を軸にした物語です。
うっすらと死の匂いのただよう、儚く美しく甘美な毒に満ちた世界の、罪にまみれた人々の物語。
新人公演は、逆に生命力の煌きを描く、悲しくも美しい恋の物語…だと感じました。このメンバーの中では、あまりにも圧倒的な存在である、「明日海りお」の存在ゆえに。
源氏の君が象徴する死と罪の影の世界の中は、匂宮の美しい生命力を際立たせるもの。新公は、あくまでも「匂宮」を描く物語になっていたと思います。
新公は出演者の力を引き出す事を優先した演出で、本公演は出演者皆さんの力で、演出家の思い描いた世界を作る。
本公演と新人公演を同じ演出家でやるからこその、面白さでしたね。
私が感じた、その違いを書く為には、ともかく本公演のポイントの感想を書かなければなりません。
本公演は、二回だけしか見ていないので、私のなかではまだ曖昧な部分も多いのですが。まあ、それでも書いておきます。
この、美しい舞台を見て「ああ、大野先生の世界だなー」と思いました。
実は私、ナマで大野作品を見るのは初めてだったのです。人気作品が多いですから、CSで放映されたものは、一応見たのですが。
しかし、やはりナマの舞台は全然違いますね。
あの、舞台全体の静謐な美しさは、劇場で体験してこそ!と感じました。
大野作品といえばお約束と言えるのが、権力者のオジサマに支配される、いたいけな青年。
色々なパターンで繰り返し登場する「お約束」ですが、最近の作品は出てこない事もあり、大劇場作品では我慢するのかと思っていました。
まあ、そんな「萌え」場面があればすぐに話題になっているでしょうが、特に聞こえてこなかったですし。
磯野さんの夕霧は、いかにも…な雰囲気なのになぁ…と思いつつ、見ていたのですが。
幕が下りた時に、呆然。
主役の匂宮が、薫の「支配者」になって、終幕。
…そうだよね、本公演の一幕ものだと、時間とか色々制限あるしね。
大野作品において、支配されているのは、いつも主人公ではない人物。
だったら時間のない本公演の場合、主人公が「支配者」になるのが、合理的。
「支配者」の条件は、てっきり「素敵なオジサマ」だと思っていましたが、支配される側の萌えキャラが主人公でない事のほうが、重要な条件だとは^^;
いやー、びっくりしました。
でも、そういえば。匂宮は最初から薫だけに関心をよせるているわけで。
宇治に行くのも、最初から薫を気にしての事。相手の女性が気になったワケじゃないし。浮舟に縋ったものの、諦める時は、あっさりとしたもの。
そして結果的には、薫から彼女を遠ざけて、二人だけの世界を完結させて、終幕、なんですね。
先日、雪組さんの「カラマーゾフの兄弟」を見た時に「宝塚の演出家には、マザコンしかおらんのか!!」…と、思ったのですが。
この作品を見て初めて分かった事。
大野先生って、ファザコンだったんですね。
と、友人に言ったら「今更何を…」と、驚かれましたが(^^ゞいや、そこはナマ大野作品は、初めての体験だったので。
父権的な男性ー力強く、権謀術数にたけ、威圧的な男ーに対しての強い憧れと、徹底的な拒否。
大野作品に多く登場する、あの支配者としての素敵なオジサマ達は「支配的な父親」のイメージなんですね。
そして今まで私が大野作品にあまり惹かれなかったのも、納得。
支配される側の青年達は皆、徹底的に拒否しているから。
支配される事、執着される事に、微塵の喜びも快楽も感じる事は無く、ただ必死に逃れようとするばかりだから。見てて、辛いじゃないですか(-_-)
少しでも、支配され、自分を失う事に背徳の喜びなどを感じているものなら、一緒になって喜ぶんですけどね。
薫も、最初から最後まで、匂宮の興味を拒否していますよね。
だから匂宮を大野作品における「支配者」なんだなーと、感じたのですが。
宮様は、薫に執着を見せますが、そこに愛や友情は感じられないんですよね。
薫を幸せにしたいと思う事もないし、理解し合い、心を分かち合おうとしているわけでもない。そういう台詞は無く、ただ彼が薫に関心を持っている事だけが、周りの人間によって語られる。
薫の心が向いている方向にだけは興味津津で、薫の拒否など気にせずに、問い詰めようとする。
でも、匂宮様はまだ若くて、今までの大野作品の素敵なオジサマ達のように人間が出来ていないから^^;
浮舟に縋る事で「支配者」としての人生を修正しようと、試みるんですね。
決して自分の心に踏み込んでくる事のない、そして自分を愛する事もない女性に、縋って甘えた。
心を閉じ込めて人形のように生きている女性だからこそ、縋る事ができた。
「期待には応える性質」などと言い、その場その場だけ相手に合わせて適当に受け答えて、世の中を誤魔化している匂宮。
心を閉じ込めている人形なのは、彼も同じ事だから。
トップ娘役がいないと、主演者が「愛ではないけど、慰め合う二人」という作品を演じる事ができるんですね、本公演でも。
確かに、宝塚の新しい可能性です。…必要な事だったのか?と問われると謎ですが。
この作品に関しては、皆さんの個性をいかせて良かったのかもしれません。ポジションによって決められた「関係性」に、支配されない芝居ができて。
浮舟もまた、匂宮が自分を愛しているのではない、でも「自分」を必要としているという状況だから、身を任せる事ができたのだと思うのですが。
けれど、薫に愛を告げられて。
今まで絶対者として見ていた薫もまた、心弱く、寄る辺のない人間だと知って。
何かに、誰かに、縋らずには生きていけない、ただの弱い男だと。
そして、彼女は薫の前から姿を消して、入水する。
薫を拒む事もできなくて、でも、愛してない匂宮との罪に溺れた記憶を消す事もできない。
…愛とは違っても、情を交わし合った、匂宮との優しい記憶を否定する事はできないから。だから決して、薫と共に歩む事はできない。
しずくちゃんの頑なな程の清潔感は、自分の”罪”を許す事ができない、浮舟という女性の説得力に繋がっていますね。
一見、か弱いように見えて、実はかなり頑固そうなところが。
運命に流されているように見えて、本当は男達の弱さを許し受け入れる、情の深さをも持っているのが、しずく浮舟の魅力。
そして、薫と匂宮の罪の穢れをうつした形代となり、その身を川に流そうとする。
人形らしく、流し雛のように。
…命が助かり、罪を弔う尼となる事を選んだ後の、迷いを捨てた、穏やかで清廉な姿は、切ない程に優しくて美しいです。
薫の霧矢さんは、前半の掴みどころない、何を考えているのかわからない様子から、後半の変貌が印象的。
かつて喪った愛する女性への追慕に沈む、抜け殻の人生。その状態を脱して生気を取り戻した姿になるのが、匂宮を裏切り陥れようとする事…というマイナス感情ばかりが描かれる人物。
薫が匂宮を陥れるのは、浮舟への愛に気づいたから…というより、謀略そのものに夢中になっているように見えた気がします。
浮舟に「やり直そう」と語っていても、結局、彼女に心から向き合う事は出来なかったのではないかと。
愛していたのは本気でも、愛するという事がどういう事なのか分からないまま、生きてきた男なんだろうな。
そして、ただ、浮舟という女性に縋っただけになってしまった。
彼女が何を望み、何を愛し、何に悲しむか…結局知る事もなく、興味も持たないまま。
ただ、彼女の微笑みと優しさだけを求めて。温かな腕に抱きしめて貰えさえすれば、良いと…。
でも薫に限らず、この作中の男性はみんな同じなんですね。
光る君も、柏木も、薫も、二の宮も…匂宮も。
皆ただ、女性達の優しさに縋るだけ。
愛して欲しい、安らぎを与えて欲しいと。ただ闇雲に欲しがるだけの、寄る辺ないコドモ達。
そして女達は、優しい微笑みを浮かべた、形代となっていく。
静かに微笑みながら、黙って彼らを支えていく彼女達の凛とした姿は「ああ、さすがに月組の娘役だなぁ」と思います(^^)
一つだけ、私のなかで結論が出なかったのは、匂宮と女一の宮の最後の会話。
昔、匂宮は実の姉に密かに恋をした…その罪が、彼に心を押し殺して生きていく人生を決定付けてしまった?
でも、一の宮も匂宮も二人ともあまりにクールで、かつて密かな恋心があったようには、全然、見えないし。
匂宮が一の宮を黙らせる為に、口から出まかせを言ったにしては、ちょっと穏やかでは無い会話。しかも、あんまり効果があるとも思えないし。
やっぱり本当の話なのかなー?
光る君が、実の母の面影を求めて藤壺に恋をして、義理の母子の恋という罪を犯した事に重ねているという事でしょうか?
まあ、もう少し考えてみます。
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