愛しいみんな達についてもまだ書きかけですが、ちょっと一休みして、以前に書きかけた「小夏」について。

私は初演の販売ビデオを見た時に一番印象的だったのが、小夏でした。
この小夏という役、すごく大変な役ですよね。
基本として、銀ちゃんに対しては恋や愛なんかを抱いていたのだと思いますが、ヤスに対しては「情がうつった」と言ったほうがいいのかなーと思います。
ヤスに対して甘い夢を見たり、トキメキを感じたりする事は無いけれど、相手の優しさに対して、優しさを返していく事で成り立つ関係。
甘い夢を諦めた後の、穏やかで、現実的な関係。
甘い夢を諦めた寂しさと、お互いのズルさも含めて、二人で慰めあうような…現実の切なさを含んだ関係。
そんな二人の切なさが爆発する、二幕の夫婦喧嘩の場面。

小夏は叫びます。
「おなかだけは、蹴らないでよ!私の子なんだから!!」
…怖かったです。
「私の子」という言葉が。小夏の、小夏だけの、子。
それが、彼女の本音だったんだ。
黙って銀ちゃんに振り回されているように見えていた小夏の、本音。
女って怖いなーーと、心底思いました。私もまだ、若かったんだと思います(^^ゞ

銀ちゃんにあんな酷い事をされても、それでも。
小夏は子供が大事だったから。子供を守りたかったから。
田舎に帰らずに、無茶な結婚もした。
何よりも子供が大事な事は、男達には黙ったままで。

銀ちゃんを愛しているのも、彼の子供だから産みたいのも、嘘ではないとは思います。そして、ヤスに情がうつった事も、本当。
全て本当の事で嘘ではない。銀ちゃんもヤスも子供も、全て大事で捨てられない。
だから、小夏は黙り込む。

黙って銀ちゃんの部屋の鍵を返し、ヤスとの結婚に同意して。
ヤスの人生を犠牲にしても、子供を守る決意をする。ただ黙って、ヤスに頭を下げて。でも、ヤスの優しさに癒されて、彼の本気に引きずられて。
情がうつって…ヤスを受け入れて。
それでも、心の底に銀ちゃんがいる事は黙っている。
そして小夏は、自分に嘘をつく。
ヤスと一緒になって、幸せだと。
もう、銀ちゃんの事は何とも思ってない、ヤスを愛している、と。

小夏は銀ちゃんを愛しているかもしれないけれど、信じては、いない。
そして、ヤスに情をうつした小夏は、自分の愛を信じていない。
自分を信じられない小夏が、ヤスの愛にすがって愛の言葉を口にする。
まあ、ヤスにはもう一つ大事な、銀ちゃんへの想いがあるわけで。
それをうっすらと感じつつ、小夏は嘘をつく。
「あんたを、愛しているのよ」
…女って怖いなーと、思ったのですよ。自分が幸せになる為なら、本当に何だってできちゃうんですから。
嘘だけど、本当の事に…真実の嘘をつくことだってできるのです。

まあ、小夏にとっては現実に自分の中に育っている子供なのにね。
「なんとかしてくれ」なんて言うヤツは、そりゃー信じられませんよね。
そんな父親、困りますから。
なんとかって、何?!子供を殺せって事?そんな事、できるワケないじゃない!!
確かに。だから、小夏が「私の子なんだから!」と、叫ぶのは分かります。
小夏は一人で、子供を守らなければならなかったのですから。

でも、そんなまっとうな理屈が通じる相手ではないから。
銀ちゃんへの想いが消えるものでもなかった。
ただ、信じる事ができない相手とは、一緒にはいられない。
捨てられない想いは確かにあって、それはもう愛ではなく、執着といったほうがいいもので。
だからヤスに”情”をうつす事も、できるんですね。それは嘘ではない。
…もう、”愛”というものは、信じてはいないけれど。
どれも本当で、でも、何も信じていない。
確かなのは、自分のおなかで育っていく、子供だけ。

そんな複雑な思いがこもった「私の子なんだから!」という台詞は、衝撃的と言っていい程で。ひどく印象に残っていたのです。
愛を諦め、でも全てを抱えて捨てられない小夏に、女って怖いなーと、思わされたんですね。この複雑さを、ユウコちゃんは本当によく演じていたと思います。まだ研7だったのに。

銀ちゃんの再演に一番の難関だったのは、たぶん小夏役だったと思います。銀ちゃんやヤスは、芝居のできる男役ならできると思いますが。
小夏は、”愛する”事と”情がうつる”事が同時に別々にできて、しかも大女優の華を持った娘役じゃないと。赤いワンピース姿で、ヤスの汚い部屋に座る違和感を出す、迫力が必要ですから。
”情”の部分の芝居ができる個性を持った娘役は、多くはありません。
しかも、他の条件を全て揃える事ができるのは、今の宝塚で遠野あすか嬢くらいしか思いつかないくらい。
すみ花ちゃんは、情の部分の芝居ができる役者ではありますが、なにしろ若い。
勿論、彼女は天才だから、嘘の無い感情で舞台で生きられるから、ぜんぜん普通に「小夏」として存在できました。
それは、初演のユウコちゃんの小夏とはまるで違った形で、光り輝く魅力を持った「小夏」でした。
今の宝塚で、彼女をおいて他にはできない荒業だったのではないかと思います。

でも、嘘のない感情で舞台で生きたからこそ、彼女の若さがでていたとも思いました。
すみ花ちゃんの「小夏」は、嘘をつかない、と思ったのです。
そして、”愛”と”情”は別のものではない…のではないかと思います。
彼女は、心からヤスを愛したのだと。銀ちゃんの事は、心の底からなんとも思わなくなったと、感じました。
…そして、嘘をつく必要は、なくなってしまった。
嘘をつかなければ、心の奥に隠した「本音」も無い。
だから、初演であれほど衝撃を受けた台詞も、普通の台詞となりました。
むしろ、その後に続く、ヤスの「てめえと銀ちゃんのガキなんざ、しるかよ!」という台詞を引き出す為の台詞になっていたと思います。
ヤスの為の、台詞に。

初演では、銀ちゃん・小夏・ヤスの三角関係は、銀ちゃんを頂点にしたものだったと思います。
けれど、小夏の心が銀ちゃんから完全に離れてヤスに向かう事で、再演花組版では、ヤスを頂点とした三角形に変化したのではないかと思うのです。
でもそうなると、青年館にきて銀ちゃんとヤスの関係が強くなってしまった後は、小夏は若干孤立気味になった気がしました。
そこが、この作品の面白くて、難しいところですよね。
銀ちゃんは主人公ではありませんが、やはり物語の流れの真ん中にいるのは銀ちゃんなので、小夏がヤスにだけ付属してしまうと、孤立してしまうのです。
ヤスだけしか愛さなくなった小夏は、もう銀ちゃんとは係わりがないのですから、彼の物語で語られる存在ではなくなるのです。
たとえば、クライマックスに三人が歌い継ぐ場面。小夏の後に銀ちゃんが歌う意味が、あまり無いように感じました。
「愛し合ってもいない俺達が」「眠れぬ夜を過ごす」相手が、小夏ではないかのようで。ここは受取り方次第ではありますが、初演では小夏の事を歌っているのだろうと思っていました。再演では、もはや小夏は遠い存在過ぎた気がしましたね。
ユウコちゃんが歌う時には、銀ちゃんとヤスの二人の男を思う気持ちが見えたから、その後に歌う銀ちゃんが小夏を思っているように見えたのかな、と思います。
銀ちゃんが小夏に依存していた事、ヤスと銀ちゃんが互いに依存しあっていた事は見えるのですが、小夏は銀ちゃんに依存も執着もしないんですね。

やっぱり、すみ花ちゃんが純粋だからでしょうね。
ヤスに対して「愛している」という台詞がある以上、ヤスだけを愛するのが当然だったのでしょう。
小夏について語る時「銀ちゃんからヤスに向かう心の動きをしっかり作らなければ…」と、何度も話していますし。
石田先生も、特に演技指導として言わない部分なのかな。
初演では、トップコンビだから当たり前だったので、ユウコちゃんが自主的に演じたものだったのかもしれません。
すみ花ちゃんは、心の底に銀ちゃんへの愛も残していて、心に二人の男を抱える…というのは考えなかったのじゃないかなと思います。
だから「女って怖い」なんて、微塵も感じる事はなかったのです。
ただひたすらに、いじらしい小夏でした。
そのいじらしさに、観客は自然に同情できるんですね。
素直に、たっぷり泣かされる事ができました。
すみ花ちゃんのそんな純粋さを、切なく美しいと…若干のノスタルジーをもって、だーだー泣きながら見てしまいまして。私も、すっかりおばさんなのだな~と、改めて思いましたよ(^^ゞおそらく、もはや一生子供を産む事は無理だと思うので、子供を持つ女性の気持ちは分からないですけど。やはり女性としては半人前な気がするので、こんなにだらだら戯言を書いても的外れかもしれないなぁ…。

銀ちゃんのような、変な男を愛してしまったばっかりに。
女優として落ち目になっていったのも、銀ちゃん振り回され過ぎて、女優として真ん中で輝くパワーを失ってしまったのではないかとも思えたんですよね。

でも、すみ花ちゃんはあまりにも純粋過ぎて。
実は。銀ちゃん、小夏と一緒に住んでいても手が出せなかったんじゃないか…という疑いも消えませんでした。
小夏があまりにも清らか過ぎて、子供ができるような事は、できなかったんじゃないかと^^;
そうしたら不安になった小夏は、またもや(?)想像妊娠してしまった。
慌てた銀ちゃんは、とりあえず一緒に住むのはやめて距離をおいたほうがいいかなーと思って、小夏をヤスの部屋に連れてきた…なんてね。
という事を、毎回こっそり思ってしまいました(^^ゞ
ごめんなさい~。でもすみ花ちゃんが、あまりにも純粋で綺麗で可愛いから(汗)
あ、でも。オオゾラ銀ちゃんも、すみ花ちゃんに負けはしなかったと思うのですよ。それについては、また~。

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