ぼんやりしているうちに、月組公演、始まりましたね。
今さら「初日おめでとうございます」も遅いけど、どうやらとても好評のご様子。
私は東京まで見る事はできませんが、楽しみです。
先日、横浜美術館で開催された『源氏物語の1000年 −あこがれの王朝ロマン−』を見に行ってから、私のなかでは、ちょっとした源氏物語ブーム。
ちゃんと読んだ事はないのですが^^;
「あさきゆめみし」も読んでなくて、宝塚の舞台でしか「源氏物語」を知らない私としては、新しい「源氏」の世界をわくわくしながら待ちたいと思います。
月組の皆さま、どうぞお体にお気をつけて、頑張って下さいね。

さてさて、話は変わりまして。
初演の月組版「銀ちゃんの恋」と、つかさんとの座談会を見て、作品のデータが揃いました。
これらのデータを参考にしつつ、少しずつ考えをまとめていきたいと思います。
私は考えるのに時間のかかる人間なので、作品の感想が纏るのはいつも公演が終わって二週間程たってから。そして、考えが纏ると急速に忘れていきます。
なんとか、忘れる前に書留められるといいのですが…。

まず、この作品のキャラクター達は、思っている事をそのまま口にする事って、少ないですよね。
銀ちゃんは、始終憎まれ口か自慢か。
セリフのほとんどが、本当に言いたい事じゃない。
ヤスのアパートに小夏を連れて来る場面なんか、特にそうですよね。
「ヤスだと俺が安心なんだよ」「俺、この先一人ぼっちで不安なんだよ」
本当に言いたい事は、この二つだけじゃないかな。
でも、ヤスと小夏の二人はこの言葉だけで、銀ちゃんの抱える寂しさも、愛も、理解してしまうんですね。
だから無茶な結婚も受け入れるし、一幕最後の銀ちゃんの告白によって、それぞれの心は揺らぐ。
本心を誤魔化すセリフをまくしたてながら、銀ちゃんは二人が理解してくれる事を知っていて、二人に甘えて。どんどん暴言が激しくなる。
意地を張らずに、素直に「頼れるのはヤスだけだ」「お願いだから、ずっと傍にいて欲しい」と、言ってしまえばいいのに。
でもねー、そんな銀ちゃんが、本当に愛しいんですよね。
誤魔化すのは、本当はとっても強く愛を求める人だから。
人間、あんなふうに真正面から「愛して欲しい、分かって欲しい」と迫られると、なかなか逆らえないものだなーと妙に感心してしまう、オオゾラ銀ちゃんでした。

ヤスは、比較的本心からのセリフが多いけど、肝心の事は言わない人ですね。
「階段落ち、やるよ」「どうして殴ってくれないんですか?」と口にするけれど、何故その言葉が出てくるのか?
一番大事な言葉は、呑み込んだままです。
そんなヤスは、二幕の夫婦喧嘩の場面で、多くの言葉を爆発させます。
でもこのお話の面白いところは、ヤスは階段落ちの場面でもう一度見せ場があり、まだ言えない言葉があったとわかる事ですね。
ヤスの真ん中には銀ちゃんがいて、銀ちゃんとの係わりの中にこそ、ヤスの望みがあるのです。

宇宙人・朋子さんだって、思ったとおりの事なんて言いません。
小夏お姉さまの話を聞く態度から、かなりムカついているのに、言葉はあくまでも可愛らしく。
そういうふうに言えば、銀ちゃんが小夏を帰す事がわかっていて「じゃあ、お姉さまもご一緒に〜」なんて言うんですよね。
ひゃー、女って怖い^^;と、毎回思っていました。
多分、銀ちゃんが小夏に会わせたりしなければ、朋子さんはすぐに銀ちゃんと別れていたんじゃないかな?

そして、小夏。
小夏は、本当に、何を考えているのかわからない。
わからないけれども、あれだけ銀ちゃんに振り回されるからには、余程彼を愛しているのだろうと思う。
意に染まない結婚などしなくても、田舎に帰って子供を産めばいいのに。
「私生児」の社会的ハンデが大きかった時代、子供の為の選択とはいってもねー。
やっぱり納得できるものではないですよ、他の男に、というのは。

初演の月組版のビデオを見た時、一番印象深かったのが、小夏でした。
再演版を見ていて、なんとなく違和感があった部分、初演の映像を見ていて気付きました。
銀ちゃんに部屋のカギを返した後の小夏。ヤスの部屋に帰って彼の優しさにほだされて。プロポーズの言葉に「お受けしました」と、頭を下げる場面。
ここは初演では、もの凄く痛い場面だったんですね。
この時点では、三人の間で「形式だけの結婚」というのが、暗黙の了解。
小夏は、愛する男と子供の為に、一人の男の人生を犠牲にしようとしている。
…その自覚があって、それでも。
その優しさに甘えて「お願いします」と、頭を下げる。
償いきれない大きな犠牲に、ただ頭を下げるしかない。
女の複雑さが、そして「犠牲」として扱われるヤスの男心が、痛い場面。

二幕冒頭「だけど、幸せ」と歌う場面も、異常な状況の中のちょっとハイな状態なんですね。
心の奥底で銀ちゃんへの気持ちが残っている事を自覚しながら、ヤスの優しさに包まれて。半分自分に言い聞かせるように、幸せを歌う。
実は、銀ちゃんと同じくらい、小夏も思っている事とは反対の事ばかり言ってるんですね。
…初演では。

何しろ、トップコンビが演じた銀ちゃんと小夏でしたから。
小夏・風花舞はあくまでも、銀ちゃん・久世星佳の相手役。
ヤスに対して「愛している」と言うセリフがあっても、銀ちゃんへの愛はずっと持っているのです。
演じるほうも、見るほうも、それは暗黙の了解だったと思います。
この作品のラストが、「映画の撮影でした〜」でウヤムヤに終わるのも、トップ「コンビ」をたてる為の演出でした。
例え本公演じゃなくても、娘役トップさんが男役トップさんと別れて、男役四番手と結ばれる…なんて、有り得ないのがタカラヅカ。
あのラストは、初演では「なるほど〜」と言って、ホッとするような終わり方だった印象があります。
今回、終わり方の意味が分からない、という意見を見て驚きました。
結末をウヤムヤにする必要がなくなった再演版では、単に謎の終わり方になるんですね^^;
やはり相手役が固定されている“トップコンビ”というのは、特別なものなんだなーと、改めて思いましたね。
でもそれは、小夏の心を見せない為の、ラストシーン。
だから演じるユウコちゃんは、本当に難しくて大変だったと思います。

そして、”コンビ”の呪縛から解き放たれた花組版・小夏のすみ花ちゃんは、またそれはそれで大変だったようですが。
初演とは反対の選択をしたように思いました。
その選択は「小夏は、ヤスを選んだ」という事。
人吉の夜の選択から、心の奥の銀ちゃんへの愛は、思い出に変わってしまう。
小夏は、思っているとおりの言葉を口にする女性となったのだなーと感じたのです。
最初から、最後まで全てのセリフにおいて。

うーん、なるほど。
まあ、そういう解釈も有り、ですよね。
今回の花組版は、公式ページの「主な配役」で、大空祐飛 倉丘銀四郎、のところで表が区切ってあるんですよね。
通常は相手役まで書かれてから区切られる処だと思うのですが。
まあ、相手役不在の現在の月組の「主な配役」と同じ区切りです。気の合う同期^^;?
つまり、公式にも、小夏は銀ちゃんの相手役ではないのですから。
すみ花ちゃんがヤスのみつる君の相手役になる選択をしても、おかしくないワケです。
この選択により、この三人の関係性は初演とはまったく違うものになりました。
…それについては、いずれ、また。

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