思い出の日々〜「銀ちゃんの恋」青年館公演〜
2008年11月2日 花組「銀ちゃんの恋」終わってから、ぼーっとしてしまっております。
あまりに興奮した日々を送って、反動なのでしょうね。
ぼんやりと、楽しかった公演の日々を思い出しております。
もう次の作品の制作発表もあり、今さら…なんですが。
千秋楽が終わった時は、不思議に清々しい気分になり、穏やかにこの公演とお別れできたと思ったのです。
でも、さみしいものは、やっぱりさみしいですね。
楽の日は二回見ました。
昼公演は今までで最も熱い、ハイテンションで心を揺さぶられるような舞台で。
見ていて、ギュッと胸を掴まれたように痛くて。
誰の、何処のセリフで…というのでは無く、気が付いたら泣いていました。
楽の公演が始まる前は、本当に寂しくなってしまって。
友人に「始まっちゃちゃうよ〜終わっちゃうよ〜」と泣き付いていました。
でも、終わってみたら。
満たされて、とても幸せな気持ちでした。
そして、心静かに、この公演とお別れした気持ちになりました。
それなのに。翌日から、仕事をしながら、色々な場目が目の前にうかんできます。
そういえば、「THE LAST PARTY」も同じだったような気がします。
昼公演はすごく熱い公演で、スコットの心の叫びが、ガシガシ胸に響いて、沢山泣いて。
でも、楽の公演は、セリフの一言一言を噛みしめるように。
過ぎていく一つ一つの場面との、舞台の上に紡ぎだされる“その時”との、別れを惜しむように。
静かに、でも細心の注意を払って、演じているように見えした。
今までの公演で積み重ねてきたものをすべて見せるような、この作品の集大成に相応しい千秋楽だったと思います。
そして、この「銀ちゃんの恋」千秋楽も、集大成であり、一番新しい「銀ちゃんの恋」でした。
青年館の「銀ちゃんの恋」は、変わり続ける作品でした。
毎日一回見た期間があったのですが、毎日違う芝居でビックリしていました。
銀ちゃんも、ヤスも、小夏も、そして他の皆さんも。
オオゾラさんは最近キャラクター造形が安定してきて、公演の途中での変化は以前に比べてあまり大きくなくなってきたと思っていたのですが、今回は違いました。
青年館の初期の頃は、二幕後半のヤスや橘に対する態度がどんどん強くなっていき。
「こんなにリアルに“男”を演じているオオゾラさんを、初めて見るなー」と、思っていたのです。
しかし、翌日には。
銀ちゃんの子供な部分がどんどん強く出てきて。
一幕最後の場面から、「あどけない」とか、「いとけない」と言ってもいいくらいの幼い表情のまま、小夏に訴えかける。
ヤスと小夏を失う事が怖くて震えているような、その必死さが男の弱さ可愛いさとなって、愛しくて。
子供がそのまま大きくなった…という部分が、膨らんでいく公演が続いた気がしていました。
で、最後の二日?くらいで、強い”男”の部分が戻ってきて、“子供“の部分と融合したように思います。
あどけない子供のまま、ヤスと小夏を失う事に怯えながら、それでも強い意志でヤスの思いを尊重しようとする。
すべての思いを飲み込んだまま、黙ってヤスに向かい合い、その広い背中で”男”の道を示す姿が、本当にかっこいい銀ちゃん。
…と、変わっていったように、私は感じました。
小夏は、まあ。すみ花ちゃんは天才なので、その時の感情で舞台の上で自然に生きられる人ですから。
毎回毎回、動いた感情が違うのも当然なんですが。
でも、どんどん気持ちが深くなって、銀ちゃんとヤスに対する想いが、どちらもどんどん強くなったように思いました。
その想いが強くなる程、すみ花ちゃんが本来持っている純粋さ、透明感が出てくるんですよね。
この透き通った光のような小夏を、どんな事をしてでも田舎に帰してしまうなんてできない、手元に置いて見ていたいと思う銀ちゃんの気持ちがよくわかります。
小夏役がすみ花ちゃんじゃなかったら、ゆうひ銀ちゃんは少し違うキャラクターになっていたんじゃないかな?
そして、ヤスのみつる君。
本当に、毎回見るたびにどんどん、どんどん、良くなって。
ものすごいスピードで成長する姿をナマで見る事ができて、宝塚ファンとして、とても幸せでした。
一時も目が離せない程に、想いは深くなり、葛藤は強くなる。
私はずっと”ヤス”に感情移入して、彼に同調して、かっこいい銀ちゃんを見ていたように思います。
真っ直ぐで強い想いの力に引き込まれていくのは、とても心地よいものでした。
特に二幕、階段落ちの前の場面のヤスと銀ちゃんが好きでした。
撮影所に入って来たヤスが横暴に振る舞う姿に、銀ちゃんはヤスが自分だけを呼んでいる事を感じ取っているという、言葉がなくても通じあう二人の姿が切なくて。
ヤスが暴れる声を聞きながら、黙って切っ掛けを待つ銀ちゃん。
待たれている事を知っていて、必死で銀ちゃんを呼ぶヤス。
ヤスが「煙草に火を」と持ち出した時、ちょっとした視線の動きで、「これが切っ掛けだ」と悟った事を見せる、オオゾラさんの芝居が大好きでした。
銀ちゃんが気づいて来てくれた事が嬉しくて、切ない顔で銀ちゃんを待つ、みつる君の芝居も大好き。
煙草に火を付ける時、わずかに触れる指先に、二人が抱える様々な葛藤が感じられる場面。
千秋楽はこの場面が本当に良くて、切なくて。
舞台にいて二人を見守る、大勢の人達の作る緊迫感、それがこの二人の芝居に集中していくパワーも凄かった…と思います。
この場面からクライマックスの階段落ちまで、一人もブレる事無く、出演者の皆さんで緊迫したドラマを盛り上げて…。
この作品を見る事ができて、本当に良かった、と思いました。
オオゾラさんには、強い心と心が激しくぶつかり合うような作品を見せて欲しいと、ずっと思っていましたので、今回それが叶ってとても嬉しいです。
本当に幸せな公演でした。
花組「銀ちゃんの恋」チームの皆さん、素敵な熱い舞台を見せて下さってありがとう〜(^^)/~~~
次の公演も、楽しみにしております。
あまりに興奮した日々を送って、反動なのでしょうね。
ぼんやりと、楽しかった公演の日々を思い出しております。
もう次の作品の制作発表もあり、今さら…なんですが。
千秋楽が終わった時は、不思議に清々しい気分になり、穏やかにこの公演とお別れできたと思ったのです。
でも、さみしいものは、やっぱりさみしいですね。
楽の日は二回見ました。
昼公演は今までで最も熱い、ハイテンションで心を揺さぶられるような舞台で。
見ていて、ギュッと胸を掴まれたように痛くて。
誰の、何処のセリフで…というのでは無く、気が付いたら泣いていました。
楽の公演が始まる前は、本当に寂しくなってしまって。
友人に「始まっちゃちゃうよ〜終わっちゃうよ〜」と泣き付いていました。
でも、終わってみたら。
満たされて、とても幸せな気持ちでした。
そして、心静かに、この公演とお別れした気持ちになりました。
それなのに。翌日から、仕事をしながら、色々な場目が目の前にうかんできます。
そういえば、「THE LAST PARTY」も同じだったような気がします。
昼公演はすごく熱い公演で、スコットの心の叫びが、ガシガシ胸に響いて、沢山泣いて。
でも、楽の公演は、セリフの一言一言を噛みしめるように。
過ぎていく一つ一つの場面との、舞台の上に紡ぎだされる“その時”との、別れを惜しむように。
静かに、でも細心の注意を払って、演じているように見えした。
今までの公演で積み重ねてきたものをすべて見せるような、この作品の集大成に相応しい千秋楽だったと思います。
そして、この「銀ちゃんの恋」千秋楽も、集大成であり、一番新しい「銀ちゃんの恋」でした。
青年館の「銀ちゃんの恋」は、変わり続ける作品でした。
毎日一回見た期間があったのですが、毎日違う芝居でビックリしていました。
銀ちゃんも、ヤスも、小夏も、そして他の皆さんも。
オオゾラさんは最近キャラクター造形が安定してきて、公演の途中での変化は以前に比べてあまり大きくなくなってきたと思っていたのですが、今回は違いました。
青年館の初期の頃は、二幕後半のヤスや橘に対する態度がどんどん強くなっていき。
「こんなにリアルに“男”を演じているオオゾラさんを、初めて見るなー」と、思っていたのです。
しかし、翌日には。
銀ちゃんの子供な部分がどんどん強く出てきて。
一幕最後の場面から、「あどけない」とか、「いとけない」と言ってもいいくらいの幼い表情のまま、小夏に訴えかける。
ヤスと小夏を失う事が怖くて震えているような、その必死さが男の弱さ可愛いさとなって、愛しくて。
子供がそのまま大きくなった…という部分が、膨らんでいく公演が続いた気がしていました。
で、最後の二日?くらいで、強い”男”の部分が戻ってきて、“子供“の部分と融合したように思います。
あどけない子供のまま、ヤスと小夏を失う事に怯えながら、それでも強い意志でヤスの思いを尊重しようとする。
すべての思いを飲み込んだまま、黙ってヤスに向かい合い、その広い背中で”男”の道を示す姿が、本当にかっこいい銀ちゃん。
…と、変わっていったように、私は感じました。
小夏は、まあ。すみ花ちゃんは天才なので、その時の感情で舞台の上で自然に生きられる人ですから。
毎回毎回、動いた感情が違うのも当然なんですが。
でも、どんどん気持ちが深くなって、銀ちゃんとヤスに対する想いが、どちらもどんどん強くなったように思いました。
その想いが強くなる程、すみ花ちゃんが本来持っている純粋さ、透明感が出てくるんですよね。
この透き通った光のような小夏を、どんな事をしてでも田舎に帰してしまうなんてできない、手元に置いて見ていたいと思う銀ちゃんの気持ちがよくわかります。
小夏役がすみ花ちゃんじゃなかったら、ゆうひ銀ちゃんは少し違うキャラクターになっていたんじゃないかな?
そして、ヤスのみつる君。
本当に、毎回見るたびにどんどん、どんどん、良くなって。
ものすごいスピードで成長する姿をナマで見る事ができて、宝塚ファンとして、とても幸せでした。
一時も目が離せない程に、想いは深くなり、葛藤は強くなる。
私はずっと”ヤス”に感情移入して、彼に同調して、かっこいい銀ちゃんを見ていたように思います。
真っ直ぐで強い想いの力に引き込まれていくのは、とても心地よいものでした。
特に二幕、階段落ちの前の場面のヤスと銀ちゃんが好きでした。
撮影所に入って来たヤスが横暴に振る舞う姿に、銀ちゃんはヤスが自分だけを呼んでいる事を感じ取っているという、言葉がなくても通じあう二人の姿が切なくて。
ヤスが暴れる声を聞きながら、黙って切っ掛けを待つ銀ちゃん。
待たれている事を知っていて、必死で銀ちゃんを呼ぶヤス。
ヤスが「煙草に火を」と持ち出した時、ちょっとした視線の動きで、「これが切っ掛けだ」と悟った事を見せる、オオゾラさんの芝居が大好きでした。
銀ちゃんが気づいて来てくれた事が嬉しくて、切ない顔で銀ちゃんを待つ、みつる君の芝居も大好き。
煙草に火を付ける時、わずかに触れる指先に、二人が抱える様々な葛藤が感じられる場面。
千秋楽はこの場面が本当に良くて、切なくて。
舞台にいて二人を見守る、大勢の人達の作る緊迫感、それがこの二人の芝居に集中していくパワーも凄かった…と思います。
この場面からクライマックスの階段落ちまで、一人もブレる事無く、出演者の皆さんで緊迫したドラマを盛り上げて…。
この作品を見る事ができて、本当に良かった、と思いました。
オオゾラさんには、強い心と心が激しくぶつかり合うような作品を見せて欲しいと、ずっと思っていましたので、今回それが叶ってとても嬉しいです。
本当に幸せな公演でした。
花組「銀ちゃんの恋」チームの皆さん、素敵な熱い舞台を見せて下さってありがとう〜(^^)/~~~
次の公演も、楽しみにしております。
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