---結末は書き直すと言ってくれ。ハッピーエンディングに。
---甘ったるい、メロドラマ風にね!

「THE LAST PARTY」で、大衆紙向けの短編を書き散らして、ゼルダの療養費と娘の学費を稼いでいるスコット。
出版社の要求に合わせて、提出した短編の結末を変える場面です。

…小池バージョン「ギャツビー」における、原作からの変容を考えていて、思い出したのがこの場面。
まさに、小池バージョンはこの場面で書き直されたもの、だったんじゃないかなと思いまして。
ハッピーエンディングとは言っても、ギャツビーの運命という筋立ては変えず、ヒロインのデイジーのキャラクターの書き換えのみというのが見事。
「人魚姫」を、王子と結ばれて幸せに終わらせた「リトル・マーメイド」に書き直したディズニーとは違って、ここはタカラヅカですからね。
大衆向けの、甘ったるいメロドラマを見る場所です。
ハッピーエンディングに求められるものが、ちょっと違うのです。
さすがに、小池先生はそこのところをよく分かっておられるなーと思います。

ギャツビーのお墓に、白い薔薇を手向けるデイジー。
ギャツビーがデイジーに渡す「白い薔薇」という、視覚的な象徴を設定したところも凄いと思うのですが。「エリザベート」で、シシィの手から、トート、そしてルキーニの手に渡るナイフのようなものですね。

でも、ともかく原作との一番の違いは、デイジーがギャツビーを愛している、という所です。
愛しているけれど「娘を持つ母親」という鎖に縛られて、身動きがとれずにギャツビーを喪ってしまう。なので、まあ、結末だけではなく物語全てが変わっているんですよね。

原作では、5年前には母親に反対されるなんて事もなく、ただギャツビーが戦争に行って距離が遠くなってしまった時に、出合ったトムと結婚するんですね。
そして、トムがギャツビーの正体をバラした時に、トムを選ぶのは彼を愛していたから。
トムの浮気に悩まされていても、喧嘩ばかりしていても、二人で積み重ねてきた時間を選ぶ。
…原作のデイジーは、ギャツビーを愛してはいないんですね。
彼女にとっては、ギャツビーはひと時見た夢のようなもので。
そんな彼女の為に全てを賭けたギャツビーの姿の哀しさが、この小説の美しさなのかなーと思うのですが。

でも、ここはタカラヅカ。
ギャツビーは謎の過去を持つ、影のある良い男になり。信念と愛の為に命を賭けるヒーローとして描かれる。
その愛に相応しく、ヒロインはゼルダをモデルにした「生身の女性」から、「夢の女」に書き直されます。
そして。たとえ悲しい運命でも、彼は満足していたのだと。
これは良い人生だったのだと。
最後に白いお衣装で、穏やかな清々しい笑顔でカタルシスを感じさせて、観客に納得させてくれるのがタカラヅカの力ですね。それが、宝塚のハッピーエンディングなんじゃないかな、と思ったのでした。

もっと色々考えたんですが、資料として「THE LAST PARTY」の月組バウ版なんぞ見てしまって、時間切れになりました(^^ゞ
やっと、やっと、東京版が放送されますね。楽しみです♪





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