日生劇場「グレート・ギャツビー」見てきました。
私は初演も見ていませんし、原作は読んでいません。ちょうど読み始めたところで、この作品が発表されたので、見てから読もうと思って。
今、半分ほど読みましたが、話が核心にはいる前に舞台の一応の感想を書きとめておきたいと思います。

一番印象的だったのは、二幕の「神の目」の場面。
今回の再演でプラスされた場面のとの事ですが…初めてこの作品を見た観客としては、この場面が無いなんて、ちょっと考えられない。
逆に初演のファンの方には、無駄にしか見えないかも…とも思う、あまりにも力強い場面。
二幕で心情を表現する長いナンバーを入れるのはミュージカルの定石とはいえ、こんな場面をポーンと入れてしまう小池修一郎という演出家の力を、改めて感じました。

この場面の語る「神が見ている」というのは、決して宗教的な意味での「神」ではありませんよね。少なくとも「教会」が意味する宗教では無い。
…もっと、ずっと普遍的なもの。
宗教を持たない私でも、違う宗教を持った人にも通じる「真実」というもの。
見ているのは、自分の心の中の真実。
自らの心の中の正しさ、美しい善き心の象徴。偽り無き、心の中の真実。
「人が手を下す」というウィルソンの役割は、物語を終わらせる為のものであり、象徴に過ぎません。

自分の心や意思を捨て、人生を放棄してしまったデイジーの、心を殺す象徴として。

偉大なるギャツビーは自分の愛と正義を貫き、誇りと満足のうちにその生涯を閉じますが。
デイジーは心を失う。
心の支えとしていた、美しい初恋の思い出を、自らの手で滅茶苦茶に汚してしまって。
…自ら選んで、恋を切り刻んで、投げ捨ててしまって。
娘を生んで「女の子はきれいでバカなほうが良い」と言い、「女の子で良かった」というのは舞台でも使われたセリフだったでしょうか?
この、生まれた子供が娘だったというのが、なんと切ない事か。

デイジーは「娘を持った母親」になった時、かつての自分の母親と同じ道を選び…母の行いを肯定してしまう。
ゴルフ場で、夫の家に帰る事を選んだ時に。
かつては腹いせの為に「バカな女の子になってやる!」と叫んだけれど、結局は母の行いを認めて、その母の示した道を選んだ。
自分の手で、恋を捨てた。…それだけでも、かなり切ない事だけれど。
自らの罪の行いの為に、ギャツビーを喪った時。
「バカな女の子」になり、人に言われるがまま、自分の行いをちゃんと考える事を放棄した結果として、愛する人を犠牲とした時に。
彼女は自分の手で、自分の美しい恋の思い出を…人生を汚してしまった。

原作では、デイジーはお葬式には訪れないそうですが、私はそのほうが納得出来ると思いました。
舞台としては、白い薔薇を一輪手向けるほうが、美しいとは思いますが。
あんな事があってもお葬式に来られるくらいの強さを持った人間だったら、ああいう道は選ばないと思う。お葬式なんか出ずに、世界の果てまで逃げていく女性なんじゃないかな。
なんといっても、モデルとしてゼルダという生身の女性がいたわけで。
スコット・フィッツジェラルドが描いた、デイジーという女性の行動は本当にリアルで…生身の人間の切なさを描いているなーというのが、まだ原作を読み終わる前の感想です。原作を読み終わったら、また印象が変わるでしょうか。

「THE LAST PARTY」ファンとしては、まず「自分をモデルにしてこんな話を書かれたんじゃ、そりゃ、ゼルダもアル中にくらいはなるわ」と思ってしまいました。一番自分を理解する人に、心弱く愚かで平凡な女性として全世界に公表されるって…やっぱりツライよね^^;
劇中に何度もある「THE LAST PARTY」で使われていたセリフで、懐かしい気分になり。つい「スコットとゼルダ」モードで見てしまったので、かなりデイジーに感情移入してしまいました。
自分の愚かさの為に愛する人を喪ったデイジーは、娘の恋人が「金持ち」でなかったら、どうするのだろう?
母と同じように娘に良縁を望むのか、娘には恋を貫いて欲しいと望むのか…そもそも、その時まで正気でいられるのだろうか?

こんなふうにデイジーについて色々と考えてしまうのも、あいちゃんが頑張ってデイジーの心を演じて見せてくれたから。
ローズ・ラムーア役もすごく色々な事を想像させてくれる演技でしたが、あれからまた大きく成長ましたねー。
全ツ「ダル・レークの恋」のリタ役の頃まで気になっていた、怒るときも泣くときも同じように顔を歪めるような表情になるのが、ハリラバ頃から改善されたのが嬉しいです。
今回のデイジーでは怒りの表情にぐっと強さがでて、「タカラヅカの娘役」の枠の中に、生々しくリアルな人間の感情を迸らせる技量を見せてくれました。その瞳に宿る、パワーに引き込まれ…ナマの芝居を見る醍醐味を味わせてくれたと思います。ローズの時にインタヴューで「娘役であるより、役者としていたい」というような発言がありましたが、娘役としての枠をしっかり持っているからこその言葉なんだなーと、納得。
…まあ、あくまでも「月娘」としての枠なので、他組の娘役さんの芝居より、ちょっと力強いエネルギーに溢れたものかもしれませんが^^;
ともかく、あいちゃんのデイジーを見る事ができて、本当に良かったと思えた観劇でした。
その他の方々も皆さん良かったのですが、いずれまた。

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