月組「ME AND MY GIRL」観劇メモ
2008年6月27日 月組みりおジャッキーを見てきました。
東京公演のわりと始めのほうに、あいあいのジャッキーを見て、やっとちゃんと見た…という気分で満足しました。
でも、今日は時間がないので、メモとして。
あいあいのジャッキーは、とっても完成度の高い「宝塚の娘役芸」としての、コメディエンヌ。
みりおジャッキーは、すごーーく美人で、感情の豊かさがキュートな「普通の女の子」という印象でした。
お二人とも、ほんっとおーーーーに可愛くて、どちらを見ても「ジャッキーってこういう役なんだ!」と納得させられて、大満足(^^)
ただ、今回の演出と他のメンバーのキャラクター設定に合っていたのは、あいあいジャッキーかなー、とも思いました。
今回の演出の〜今の月組でしかできない〜「ME AND MY GIRL」は、甘く切なく、華やかにショーアップされたミュージカルコメディ。
一人の悪い人も出てこない…だけじゃなくて、一人のイヤなヤツも出てこない“明るく楽しい可愛らしい作品”という印象でした。
ヘアフォード家の人々は、みんなコミカルなキャラがたっていて、出てくるだけで面白くて。
この愉快な人達が織り成すコメディには、あいあいの「宝塚娘役芸」でしっかりとカリカチュアされたジャッキー像のほうが、私には自然に感じられました。周りのステレオタイプなキャラクター達と馴染みが良い気がして。作品全体が同じテンションで統一されて、まとまり感がある…といいましょうか。
みりおジャッキーは、宝塚的イレギュラーの存在として、一人だけ周囲から浮き上がった感じがあるんですね。それが「男役が演じる娘役」の持つ意味なのだなーと、納得。そのぶん、みりおジャッキーの存在感が大きいわけですが。
勿論、どちらが良いわけでも、悪いのでもありません。
ただ、私は先にあいあいジャッキーのバージョンを見たせいで、作品の印象を掴み易かった気がします。この順番で見たのは、正解だったかなー♪
でも、「悪い人」がいないのと「イヤな人」がいないのでは、ちょっと意味が違うんですね。
平民を見下した貴族も、貴族への反感を持った平民もいない。
「階級」による断絶をあまり感じない、甘い人々のお話になってしまったら…その隔たりを乗り越える、二人の愛にもあまり重みが感じられない。二人を隔てるのは、ただマリア叔母様の我侭のみ、だから叔母様が納得すれば、それだけでハッピーエンドとなったように見えてしまいました。
貴族社会と平民社会の間に立つ”個人”としてのビルとサリーの物語ではなく、叔母様と仲良くなるまでのホームドラマ…という感じかな?
ヘアフォードの面白い人達は、みんな偏見も無い良い人達。すぐにビルと仲良しになってしまうので、ビルは「下町で育った孤児」としての孤独感もあまり感じられず。
だから、ホームドラマではあるけれど、さみしい孤児の「家族の再生」の物語というあたりは感じないですね。
なので、今回の演出は、楽しければ、なんでもいいや♪という感じなんだなーと思い、存分に楽しんできました(^^)ランベス・ウォークでは、楽しみ過ぎて体力の限界が。一体どうやったら、上手と下手と中央後方と、客席降りを全部見られるのでしょうか?
そしてまた、鳳月杏ちゃんチェック。
パーティの場面、ランベスの人々が乱入してきて貴族が一塊になった時、上手側に麻月・あちょー・杏ちゃんと並ぶのが、私的に超ツボ!
三人とも細かいお芝居をしています。たのしー。
最初は三人ともすごく嫌がって、あちょーさんが「出て行けー」等、野次っているのも面白い。杏ちゃんの、すっごくイヤーーーな顔に、ちょっとときめく。
でも、だんだんノリ出すと、一気に崩れるあちょーさん。そりゃ崩れ過ぎでしょう^^;…でも上流階級の品を失わないのがさすがです。いきなりオヤジな踊り方になる麻月ちゃんも素敵。
若い杏ちゃんは、みんながバラけた途端、エスコートしてきた彼女をきょろきょろ探して、見つけた時の嬉しそうな顔が可愛いかった!…まだ、あまり表情豊かではないけれど、そんなの私は慣れてますから^^;でも、彼の目にぱっと喜びの色の色が浮かぶのが、すごく印象的。その後は、二人でラブラブに踊っていて、微笑ましいです。若いっていいなぁ(笑)
ロケットは、腰の高さと、肩の骨のしっかり具合に反して、腕や脚の細さにびっくり。もうちょっと太って身のある感じのほうが…好みですが。
フィナーレ、階段を降りてくる頭の小ささと、肩幅にびっくり。アンバランスな程に頭がちっちゃい。立派な肩幅。
笑顔もあんまり無邪気そうじゃなくて、いいなぁ(*^_^*)そこでカッコつけるのは、男役として良い心意気です。
これからも、楽しみにしています。
東京公演のわりと始めのほうに、あいあいのジャッキーを見て、やっとちゃんと見た…という気分で満足しました。
でも、今日は時間がないので、メモとして。
あいあいのジャッキーは、とっても完成度の高い「宝塚の娘役芸」としての、コメディエンヌ。
みりおジャッキーは、すごーーく美人で、感情の豊かさがキュートな「普通の女の子」という印象でした。
お二人とも、ほんっとおーーーーに可愛くて、どちらを見ても「ジャッキーってこういう役なんだ!」と納得させられて、大満足(^^)
ただ、今回の演出と他のメンバーのキャラクター設定に合っていたのは、あいあいジャッキーかなー、とも思いました。
今回の演出の〜今の月組でしかできない〜「ME AND MY GIRL」は、甘く切なく、華やかにショーアップされたミュージカルコメディ。
一人の悪い人も出てこない…だけじゃなくて、一人のイヤなヤツも出てこない“明るく楽しい可愛らしい作品”という印象でした。
ヘアフォード家の人々は、みんなコミカルなキャラがたっていて、出てくるだけで面白くて。
この愉快な人達が織り成すコメディには、あいあいの「宝塚娘役芸」でしっかりとカリカチュアされたジャッキー像のほうが、私には自然に感じられました。周りのステレオタイプなキャラクター達と馴染みが良い気がして。作品全体が同じテンションで統一されて、まとまり感がある…といいましょうか。
みりおジャッキーは、宝塚的イレギュラーの存在として、一人だけ周囲から浮き上がった感じがあるんですね。それが「男役が演じる娘役」の持つ意味なのだなーと、納得。そのぶん、みりおジャッキーの存在感が大きいわけですが。
勿論、どちらが良いわけでも、悪いのでもありません。
ただ、私は先にあいあいジャッキーのバージョンを見たせいで、作品の印象を掴み易かった気がします。この順番で見たのは、正解だったかなー♪
でも、「悪い人」がいないのと「イヤな人」がいないのでは、ちょっと意味が違うんですね。
平民を見下した貴族も、貴族への反感を持った平民もいない。
「階級」による断絶をあまり感じない、甘い人々のお話になってしまったら…その隔たりを乗り越える、二人の愛にもあまり重みが感じられない。二人を隔てるのは、ただマリア叔母様の我侭のみ、だから叔母様が納得すれば、それだけでハッピーエンドとなったように見えてしまいました。
貴族社会と平民社会の間に立つ”個人”としてのビルとサリーの物語ではなく、叔母様と仲良くなるまでのホームドラマ…という感じかな?
ヘアフォードの面白い人達は、みんな偏見も無い良い人達。すぐにビルと仲良しになってしまうので、ビルは「下町で育った孤児」としての孤独感もあまり感じられず。
だから、ホームドラマではあるけれど、さみしい孤児の「家族の再生」の物語というあたりは感じないですね。
なので、今回の演出は、楽しければ、なんでもいいや♪という感じなんだなーと思い、存分に楽しんできました(^^)ランベス・ウォークでは、楽しみ過ぎて体力の限界が。一体どうやったら、上手と下手と中央後方と、客席降りを全部見られるのでしょうか?
そしてまた、鳳月杏ちゃんチェック。
パーティの場面、ランベスの人々が乱入してきて貴族が一塊になった時、上手側に麻月・あちょー・杏ちゃんと並ぶのが、私的に超ツボ!
三人とも細かいお芝居をしています。たのしー。
最初は三人ともすごく嫌がって、あちょーさんが「出て行けー」等、野次っているのも面白い。杏ちゃんの、すっごくイヤーーーな顔に、ちょっとときめく。
でも、だんだんノリ出すと、一気に崩れるあちょーさん。そりゃ崩れ過ぎでしょう^^;…でも上流階級の品を失わないのがさすがです。いきなりオヤジな踊り方になる麻月ちゃんも素敵。
若い杏ちゃんは、みんながバラけた途端、エスコートしてきた彼女をきょろきょろ探して、見つけた時の嬉しそうな顔が可愛いかった!…まだ、あまり表情豊かではないけれど、そんなの私は慣れてますから^^;でも、彼の目にぱっと喜びの色の色が浮かぶのが、すごく印象的。その後は、二人でラブラブに踊っていて、微笑ましいです。若いっていいなぁ(笑)
ロケットは、腰の高さと、肩の骨のしっかり具合に反して、腕や脚の細さにびっくり。もうちょっと太って身のある感じのほうが…好みですが。
フィナーレ、階段を降りてくる頭の小ささと、肩幅にびっくり。アンバランスな程に頭がちっちゃい。立派な肩幅。
笑顔もあんまり無邪気そうじゃなくて、いいなぁ(*^_^*)そこでカッコつけるのは、男役として良い心意気です。
これからも、楽しみにしています。
コメント