昨日アップした記事ですが。
雑談のついでに感想を書いたので、これだと後から分からなくなるかなーと思いまして。
雑談と分けてカテゴリ分類しました。
全体に修正もして、ちゃんと話を終わらせてみましたので、改めてお読みいただけると幸いです(^^ゞ
「HOLLYWOOD LOVER」のDVDのCMを見て。
CMは、二幕のワールドプレミア前の、ステファーノとリチャードの掛け合いの歌から。
やがて、セットが開いて、ローズの登場。
…美しいなぁ。
青年館で、ここのローズのイメージが変わった気がしていました。バウの映像を見ると、やはり変わっていたんだな、と思います。
青年館では、振り向いたローズは、少女のように初々しくあどけない、甘い表情だったと思うんです。バウでは、まだしっかりした顔をしていますね。
この場面に限らず、青年館での二幕のローズは、始終、幸福に酔っ払ってめろめろ状態になっていたと思います。
撮影所の場面、遠くからでもずっとステファーノから目を離さずに、うっとりと彼を見つめるようになったローズを見て、「なんて、弱い女だろう」と思いました。
職場ですから、ステファーノはきっちりと自分を切り替えて仕事モード。なのに、ローズは恋人気分のままです。
むしろ「この良い男は、私のモノなのよ!」というオーラを振りまいて、周りに「この二人デキてる」とアピールしているようにすら思えました。
…これが、“弱い女”の姿なのかと、深く納得しました。
バウのナウオンの座談会で、景子先生が「ローズはもっと弱く」と、何度も言ったという話しでしたが。
そうだよねー。弱々しくするって事じゃなくて。
彼女は、恋に夢中になり過ぎて自分を見失ってしまう、弱い女なんだな…と。
8年前は、その弱さの為に、ステファーノから逃げ出してしまった。
そして、現在。最終的にはその盲目さが、リチャードを刺激して悲劇に向かう。
青年館では、ローズに関する変更が幾つかありましたが、すべてがローズをより弱い女として見せる為だったように思っていました。
ヴィラで、リチャード達が踏み込んできた時の「そうよ、私が捨てたの。」の台詞が「この手で彼を」と変更になり、「最愛の人を」という言葉が言えなくなったのもその為かと。
そのかわり、ステファーノに「俺達は愛し合っている」という台詞が追加されて。
青年館初日は、リチャードに対して言う台詞かと思いましたが、あれは“弱い女”ローズに対して、二人の気持ちを言い聞かせる台詞なんだと、その後気づきました。
公演の後半になっていくにしたがって、どんどん優しい言い方になっていくのも好きでした。
残念だったのが、電話の場面。
私のツボの台詞「ねえ、ローラって呼んでよ。」の後に、青年館の初日のみ「昔みたいに」という台詞が追加されたんです。
けれどその部分は、翌日からはカットされてしまいました。
そしてバウと同じく「ねえ、ローラって呼んでよ。私の本名…」と、なってしまったんですよね。最後まで復活しなくて、残念だったなぁ。
回想シーンでもずっとみんな「ローズ」と呼んでますから、わかりにくい為でしょうか?
でも、この一言があると、微妙にニュアンスが違ってくると思うんですよ。
本名の自分としてステファーノに向かい合いたい、と同時に。
ステファーノがローズという芸名を付ける前の「出会った頃みたいに」という意味もあるような気がして。
「出会った頃のローラに戻って、最初からやり直したい」というニュアンスが追加されたようで、なるほどなーと、思ったんです。
この「ローズ」と「ローラ」についての台詞は、彼女が自分を、そしてステファーノをどう思っているのかを表現する、とても重要な台詞。
受け取り方は、人それぞれなので難しいのですが。
女優の芸名の「ローズ」ではなく、一人の女として。愛するステファーノに本名で、呼んで欲しかった。
ただの孤独な「ローラ」を、愛して欲しかった。
それは確かだと思うけれど。
「私の本名」だけだと、「ローズ」という名前を否定しているようなイメージがあるんですね。その後に「やっと本当の自分になれたような気がする」という台詞もありますし。
「ローズ」=「本当の自分では無い」から、「ローラって呼んでよ」という台詞になるのかな、と。
でも、「昔みたいに」という台詞は、「あの日のサンセット」という台詞に繋がるのかなー、とも思えます。昔=「芸名を付ける前」=出会った頃なら。私的に感じた、「ローズ」のイメージとすんなり繋がるのです。
大空さんがローズについて語った事の一つで。
「ステファーノは“深紅の薔薇”という意味で(でも名前なのでちょっとアレンジして)彼女に「ローズ・クリムソン」と名づけた。
その後、リチャードによって「ローズ・ラムーア」という名前に変えられてしまったのですが。その時、彼女が「ローズ」という名は変えたくないと言ってくれたんじゃないかな…と、思ってる」
ステファーノがそう思ってハリウッドに戻ってきたのなら、やはりそれは彼女の意思なんだろうと思うんです。
恋人を捨てた彼女は、ステファーノから貰った「ローズ」という名前を抱きしめて生きてきた。遠い存在になってしまった彼に繋がる…別れた二人にとっての、ただ一つの絆だったのだと。
そんな大切な名前だから、否定的なイメージは持ちたくないんですね。
なので、私はここでは「本当の自分」の「ローラと呼んで」とは、受け止めたくなくて。
「昔みたいに」「ローラと呼んで」という流れのほうが、しっくりするのです。
初日だけの追加でしたけれど、私は青年館の間ずっと「昔みたいに」という台詞をイメージしてこの場面を見ていたのでした。
それに、あいあいの甘えた言い方も可愛くて(^^)
出会ったばかりの、18歳のローラに戻ったように思いたいのかなー、とも思いまして。
8年間の事は無かった事にはならないけれど、ステファーノに愛されて「本当の自分」に戻れる気がするのではないかと。
だって、彼は今の、彼女の真実の姿を見てくれるから。
…それもまた、弱い女だなーと思いますが。
さすがに、そろそろ記憶も曖昧になってきました。
ほかにもローズに「弱い女」を感じた事があった気がするのですが(^^ゞ
そろそろ、感想も全部まとめてしまわなければ。
雑談のついでに感想を書いたので、これだと後から分からなくなるかなーと思いまして。
雑談と分けてカテゴリ分類しました。
全体に修正もして、ちゃんと話を終わらせてみましたので、改めてお読みいただけると幸いです(^^ゞ
「HOLLYWOOD LOVER」のDVDのCMを見て。
CMは、二幕のワールドプレミア前の、ステファーノとリチャードの掛け合いの歌から。
やがて、セットが開いて、ローズの登場。
…美しいなぁ。
青年館で、ここのローズのイメージが変わった気がしていました。バウの映像を見ると、やはり変わっていたんだな、と思います。
青年館では、振り向いたローズは、少女のように初々しくあどけない、甘い表情だったと思うんです。バウでは、まだしっかりした顔をしていますね。
この場面に限らず、青年館での二幕のローズは、始終、幸福に酔っ払ってめろめろ状態になっていたと思います。
撮影所の場面、遠くからでもずっとステファーノから目を離さずに、うっとりと彼を見つめるようになったローズを見て、「なんて、弱い女だろう」と思いました。
職場ですから、ステファーノはきっちりと自分を切り替えて仕事モード。なのに、ローズは恋人気分のままです。
むしろ「この良い男は、私のモノなのよ!」というオーラを振りまいて、周りに「この二人デキてる」とアピールしているようにすら思えました。
…これが、“弱い女”の姿なのかと、深く納得しました。
バウのナウオンの座談会で、景子先生が「ローズはもっと弱く」と、何度も言ったという話しでしたが。
そうだよねー。弱々しくするって事じゃなくて。
彼女は、恋に夢中になり過ぎて自分を見失ってしまう、弱い女なんだな…と。
8年前は、その弱さの為に、ステファーノから逃げ出してしまった。
そして、現在。最終的にはその盲目さが、リチャードを刺激して悲劇に向かう。
青年館では、ローズに関する変更が幾つかありましたが、すべてがローズをより弱い女として見せる為だったように思っていました。
ヴィラで、リチャード達が踏み込んできた時の「そうよ、私が捨てたの。」の台詞が「この手で彼を」と変更になり、「最愛の人を」という言葉が言えなくなったのもその為かと。
そのかわり、ステファーノに「俺達は愛し合っている」という台詞が追加されて。
青年館初日は、リチャードに対して言う台詞かと思いましたが、あれは“弱い女”ローズに対して、二人の気持ちを言い聞かせる台詞なんだと、その後気づきました。
公演の後半になっていくにしたがって、どんどん優しい言い方になっていくのも好きでした。
残念だったのが、電話の場面。
私のツボの台詞「ねえ、ローラって呼んでよ。」の後に、青年館の初日のみ「昔みたいに」という台詞が追加されたんです。
けれどその部分は、翌日からはカットされてしまいました。
そしてバウと同じく「ねえ、ローラって呼んでよ。私の本名…」と、なってしまったんですよね。最後まで復活しなくて、残念だったなぁ。
回想シーンでもずっとみんな「ローズ」と呼んでますから、わかりにくい為でしょうか?
でも、この一言があると、微妙にニュアンスが違ってくると思うんですよ。
本名の自分としてステファーノに向かい合いたい、と同時に。
ステファーノがローズという芸名を付ける前の「出会った頃みたいに」という意味もあるような気がして。
「出会った頃のローラに戻って、最初からやり直したい」というニュアンスが追加されたようで、なるほどなーと、思ったんです。
この「ローズ」と「ローラ」についての台詞は、彼女が自分を、そしてステファーノをどう思っているのかを表現する、とても重要な台詞。
受け取り方は、人それぞれなので難しいのですが。
女優の芸名の「ローズ」ではなく、一人の女として。愛するステファーノに本名で、呼んで欲しかった。
ただの孤独な「ローラ」を、愛して欲しかった。
それは確かだと思うけれど。
「私の本名」だけだと、「ローズ」という名前を否定しているようなイメージがあるんですね。その後に「やっと本当の自分になれたような気がする」という台詞もありますし。
「ローズ」=「本当の自分では無い」から、「ローラって呼んでよ」という台詞になるのかな、と。
でも、「昔みたいに」という台詞は、「あの日のサンセット」という台詞に繋がるのかなー、とも思えます。昔=「芸名を付ける前」=出会った頃なら。私的に感じた、「ローズ」のイメージとすんなり繋がるのです。
大空さんがローズについて語った事の一つで。
「ステファーノは“深紅の薔薇”という意味で(でも名前なのでちょっとアレンジして)彼女に「ローズ・クリムソン」と名づけた。
その後、リチャードによって「ローズ・ラムーア」という名前に変えられてしまったのですが。その時、彼女が「ローズ」という名は変えたくないと言ってくれたんじゃないかな…と、思ってる」
ステファーノがそう思ってハリウッドに戻ってきたのなら、やはりそれは彼女の意思なんだろうと思うんです。
恋人を捨てた彼女は、ステファーノから貰った「ローズ」という名前を抱きしめて生きてきた。遠い存在になってしまった彼に繋がる…別れた二人にとっての、ただ一つの絆だったのだと。
そんな大切な名前だから、否定的なイメージは持ちたくないんですね。
なので、私はここでは「本当の自分」の「ローラと呼んで」とは、受け止めたくなくて。
「昔みたいに」「ローラと呼んで」という流れのほうが、しっくりするのです。
初日だけの追加でしたけれど、私は青年館の間ずっと「昔みたいに」という台詞をイメージしてこの場面を見ていたのでした。
それに、あいあいの甘えた言い方も可愛くて(^^)
出会ったばかりの、18歳のローラに戻ったように思いたいのかなー、とも思いまして。
8年間の事は無かった事にはならないけれど、ステファーノに愛されて「本当の自分」に戻れる気がするのではないかと。
だって、彼は今の、彼女の真実の姿を見てくれるから。
…それもまた、弱い女だなーと思いますが。
さすがに、そろそろ記憶も曖昧になってきました。
ほかにもローズに「弱い女」を感じた事があった気がするのですが(^^ゞ
そろそろ、感想も全部まとめてしまわなければ。
コメント
私は青年館で「ローラって呼んでよ」というセリフを聞いて
本名の自分に戻してほしい、アメリカ人の憧れ”ローズ・ラムーア”から逃れたいという風に解釈していたのですが
でもローズはステファーノがつけた名前だし・・・
と気になっていたのです。
いつかさんのおかげで、私の心の中のもやもやはとてもすっきり致しました。
本当に有難うございました。
この作品はもっと見たかったですし、主演作が「ハリラバ」だったって、本当にゆうひファンは幸せですねぇ〜
毎日観たい!と思われましたよね!
そうなんですよ。私も同じように「ローズ」という名前から逃れたいのかな?と思ったのですが、何か心に引っかかって…。
この結論が出たのは、最近なのですが^^;
初日だけの台詞が、すごく気になっていたのとあわせて、納得できたんです。
見てすぐに、考えがまとまればいいのですが。私の場合、どうしても一定期間の時間が必要なのです。
しかも、わかりにくい文章で…。
一度読んだだけで、納得していただける文章が書けるように精進してまいります(^^)
またどうぞ、いらして下さいませm(__)m