薔薇とマーガレット その2
2008年2月15日 月組 コメント (2)なんだか、随分時間がたってしましまいましたが、続きます。
ローズとマギー。…薔薇と、マーガレット。
バウの初日では、恋人に「深紅の薔薇」と名付けたステファーノさんのロマンチストぶりが印象的で、アニメ版「ベルばら」の主題歌を思い出したのですが。その後で、一度だけ呼ばれる「マーガレット・コーマン」という名前が心に残りました。
そして、またあの歌を思い出して。
ああ、「マーガレット」って“名も知れず咲く花”のイメージなんだなぁ…と、思いまして。
景子先生のセンスに感心しつつ、ちょっと切なくなったのでした。
まあマーガレットは”草むらに咲く”花ではなく、園芸種だと思いますが…少なくとも日本では。素朴で可憐な、庶民的な花であることは間違いないと思います。お値段も、だいぶお安いかと思いますし^^;
花言葉は「恋を占う」「貞節」「誠実」「心に秘めた愛」「真実の友情」だそうです。
マギーを思い出すと…なんとも、ビミョーですね。花占いに使う花、という所からきているようですが。
女性にとっては「マーガレットの花のよう」と言われるのは、褒め言葉でよね。
清楚で可憐で。清潔感があり、花の姿は明朗でお日様を連想させる。「幸せ」のイメージの花だと思います。
でも、隣に深紅の薔薇の花が咲いていたら?
美しく薫り高く、鋭い棘を持つ、優雅でゴージャスな花が。
8年前の彼女達については詳細は語られてはいませんが、ステファーノがローズを主演女優として連れてきたのが、マギーとローズとの出会いだと思われます。まだ18歳くらいの、孤児院育ちのローラ。おそらく、孤児院を出て一人で生活し始めて間もない頃でしょう。
マギーは先輩女優として、少し年下のローラに色々と教えてあげたりしたんじゃないかな?女性じゃないと教えられない事は多いと思いますし。
世間に怯えた目を向ける孤児の少女に、ステファーノは「ローズ・クリムソン」と名づけて、愛し始める。
そして、おそらくローズ本人も知らなかった彼女の魅力を、「ハリウッド・ラバー」シリーズの映画で描き出していく。短編のシリーズという事ですから、二人の関係が深まっていく事と並行して、一作ごとに彼女の魅力が花開いていくように作られていた事と思います。
ステファーノに愛されて、映画のヒロインとして周りに認められて。
「孤児のローラ」から、「女優のローズ・クリムソン」に変貌していく。
…それはきっと、固い薔薇の蕾が少しずつほころんでいくような、鮮やかな変化だったのではないでしょうか。
やがてローズは、ハリウッドの帝王を魅了してしまう程の、艶やかな花の姿になる。
マギーは、ローズのすぐ近くで、その変化を見ていた。
孤児として愛に飢えて育ったローズは、おそらくその“飢え”こそが、マギーなどが持ち得ない魅力として、人を惹きつけた。
安い居酒屋で(ダニエルの店って、そういう設定ですよね?)一緒にビールかなにかを飲んでいたとしても、周囲から浮き上がって見えるような存在だったのではないでしょうか。
そして。すぐそばで、薔薇の花が咲いたら。マーガレットの花は、自分を見て貰おうとは思わなくなる。
女優の道を諦めて、暖かい陽だまりの庭で咲く幸せを選んで。
やがて、リチャードの手で過去を消されたローズとは住む世界が違ってしまい…8年後。
彼女は、「ともだち」を裏切った。
「大女優」としての成功を捨てて、ハリウッドを逃げ出そうとするローズを引き止める為。
それが間違いだと、ローズに気づかせる為に。
せっかく手に入れた「大女優」の地位を捨てるなんて。恋人を捨ててまで、手に入れたその地位を。
そんなにも、欲しかったものの筈なのに。
アメリカ中の女の子が憧れる。…自分が心の底から憧れた、その立場を捨てるなんて、いけない事。
だから、引き止めなくては。ローズの為に、ダメだと言ってあげなければ。
私はこのマギーというキャラクターは、この作中で一番痛々しく、リアリティのあるキャラクターだな〜と思うんです。
いますよねー、こういう人。
世の中に、自分の考え方と違う価値観があるという事が、見えない人。自分の考えを疑う事なく、その価値観を人に押し付ける…というつもりもなく、みんなが自分と同じように考えると思っている人。無邪気に、まっすぐに、善良に、そう信じている。
最初に見た時から、そのリアリティが恐ろしくて。とても痛くて。
多分、このマギーという人には「真実」という言葉の意味が、一生分からない。
だって、世の中に一つの考え方しか無いのだから。その奥に隠された「真実」というものも、存在しない。
私は、マギーの「あれは事故だったのよ!」という叫びは、本心からの叫びだと思うんです。
数年後には「あの事故さえなければ、あの二人は幸せになれたのにね〜」と、無邪気に、心から話していると思うんですよ。
ある意味、誰よりも丈夫な心を持った人だと思います。自分の心の底を、疑う事を知らないのだから。
マギーはローズに「あなたは、選んだ」と言いますが、同時に彼女はローズが「選ばれた」と思っているのではないか、とも感じました。
“ローズ”は選ばれた。ハリウッドから。…運命から。
リチャードからのプロポーズは、その結果に過ぎない事だと。
そして、ローズはその運命を受け入れた。
ステファーノに対するローズの葛藤を知らないマギーには、その選択は、あんなにも幸せな恋人との関係を捨てる程の、成功への強い意志での決断だったように見えたのでしょう。
それ程の強い意思も覚悟も、自分は持てない。だからこれ以上女優を続ける意味は、無い。そう納得して、ビリーとの結婚を選んだのだと思います。たとえ実際にマギーには、そのチャンスは無かったとしても。
バウの最初の頃に見た時には、あの裏切りはローズへの嫉妬によるものか…と思ったんですが。青年館のあたりでは、感じ方が変わってきました。
マギーは、ハリウッドの大女優に憧れていた。ガルボもディートリッヒも、そして、ローズ・ラムーアにも。
その憧れが大きすぎて。特に若い頃から知っているローズに対しては、格別大きな憧れと、同時に敗北感もあって。
自分が負けた「ローズ」には、ハリウッドに君臨する、輝いた女性であって欲しい。
恋の為に全てを捨てる、ただの普通の女になんか、なっちゃいけない。そんな葛藤を心の底に持ち…でもそれを意識する事は無く。
ただ、女優ローズ・ラムーアに憧れて「ハリウッドを去って欲しくない」という思いだけが強くあって、ああいう行動を取ったんだろうと思ったんです。本人にとっては、純粋な憧れの気持ちの結果として。
異性のファンより同性のファンのほうが、タチが悪いよねー、と、自分自身への感想も混ぜて思ったりして^^;
というのも、あの場面、特にローズの孤独を強く感じたんですよ。
誰からも理解されない“大スター”のローズ。夫は勿論、彼女のファンも周りの人間達もまた、「夢の女」として彼女の意思を、心を、否定する。ただただ、美しい幻であって欲しいと願う。
…そんなローズの孤独な現実を、ステファーノに見せる場面のように感じました。
8年前の幸せな恋人時代を知るマギーまでが、その幸せを取り戻す事よりも、スターの栄光のほうが大切と思う。
それが、“ハリウッドの狂気”の一つの形なのかな…と。
だって、狂ってますよね?
普通は「ともだち」だったら、その幸福を一番に考えるものでしょうに。
その狂気と、それを自覚しない心の在り方が、痛いなーと思ったのです。
後日談。
公演が終わってしばらくして。
マギーの事を、ものすごくリアリティのあるキャラクターとして感じていた意味が分かりました。
いるよねー、こういう人。
世の中に、自分の考え方と違う価値観や考え方があるという事が、見えない人。無邪気に、まっすぐに、自分の考えを信じて善良に暮らしている人。お説教されると、仕方なく「あなたが正しいわ」と、言うほか無い。
…うちの、親だ^^;
どうりで、恐ろしいほどのリアリティだよ。
やっぱり、植田景子氏は恐ろしい作家だわ。
ローズとマギー。…薔薇と、マーガレット。
バウの初日では、恋人に「深紅の薔薇」と名付けたステファーノさんのロマンチストぶりが印象的で、アニメ版「ベルばら」の主題歌を思い出したのですが。その後で、一度だけ呼ばれる「マーガレット・コーマン」という名前が心に残りました。
そして、またあの歌を思い出して。
ああ、「マーガレット」って“名も知れず咲く花”のイメージなんだなぁ…と、思いまして。
景子先生のセンスに感心しつつ、ちょっと切なくなったのでした。
まあマーガレットは”草むらに咲く”花ではなく、園芸種だと思いますが…少なくとも日本では。素朴で可憐な、庶民的な花であることは間違いないと思います。お値段も、だいぶお安いかと思いますし^^;
花言葉は「恋を占う」「貞節」「誠実」「心に秘めた愛」「真実の友情」だそうです。
マギーを思い出すと…なんとも、ビミョーですね。花占いに使う花、という所からきているようですが。
女性にとっては「マーガレットの花のよう」と言われるのは、褒め言葉でよね。
清楚で可憐で。清潔感があり、花の姿は明朗でお日様を連想させる。「幸せ」のイメージの花だと思います。
でも、隣に深紅の薔薇の花が咲いていたら?
美しく薫り高く、鋭い棘を持つ、優雅でゴージャスな花が。
8年前の彼女達については詳細は語られてはいませんが、ステファーノがローズを主演女優として連れてきたのが、マギーとローズとの出会いだと思われます。まだ18歳くらいの、孤児院育ちのローラ。おそらく、孤児院を出て一人で生活し始めて間もない頃でしょう。
マギーは先輩女優として、少し年下のローラに色々と教えてあげたりしたんじゃないかな?女性じゃないと教えられない事は多いと思いますし。
世間に怯えた目を向ける孤児の少女に、ステファーノは「ローズ・クリムソン」と名づけて、愛し始める。
そして、おそらくローズ本人も知らなかった彼女の魅力を、「ハリウッド・ラバー」シリーズの映画で描き出していく。短編のシリーズという事ですから、二人の関係が深まっていく事と並行して、一作ごとに彼女の魅力が花開いていくように作られていた事と思います。
ステファーノに愛されて、映画のヒロインとして周りに認められて。
「孤児のローラ」から、「女優のローズ・クリムソン」に変貌していく。
…それはきっと、固い薔薇の蕾が少しずつほころんでいくような、鮮やかな変化だったのではないでしょうか。
やがてローズは、ハリウッドの帝王を魅了してしまう程の、艶やかな花の姿になる。
マギーは、ローズのすぐ近くで、その変化を見ていた。
孤児として愛に飢えて育ったローズは、おそらくその“飢え”こそが、マギーなどが持ち得ない魅力として、人を惹きつけた。
安い居酒屋で(ダニエルの店って、そういう設定ですよね?)一緒にビールかなにかを飲んでいたとしても、周囲から浮き上がって見えるような存在だったのではないでしょうか。
そして。すぐそばで、薔薇の花が咲いたら。マーガレットの花は、自分を見て貰おうとは思わなくなる。
女優の道を諦めて、暖かい陽だまりの庭で咲く幸せを選んで。
やがて、リチャードの手で過去を消されたローズとは住む世界が違ってしまい…8年後。
彼女は、「ともだち」を裏切った。
「大女優」としての成功を捨てて、ハリウッドを逃げ出そうとするローズを引き止める為。
それが間違いだと、ローズに気づかせる為に。
せっかく手に入れた「大女優」の地位を捨てるなんて。恋人を捨ててまで、手に入れたその地位を。
そんなにも、欲しかったものの筈なのに。
アメリカ中の女の子が憧れる。…自分が心の底から憧れた、その立場を捨てるなんて、いけない事。
だから、引き止めなくては。ローズの為に、ダメだと言ってあげなければ。
私はこのマギーというキャラクターは、この作中で一番痛々しく、リアリティのあるキャラクターだな〜と思うんです。
いますよねー、こういう人。
世の中に、自分の考え方と違う価値観があるという事が、見えない人。自分の考えを疑う事なく、その価値観を人に押し付ける…というつもりもなく、みんなが自分と同じように考えると思っている人。無邪気に、まっすぐに、善良に、そう信じている。
最初に見た時から、そのリアリティが恐ろしくて。とても痛くて。
多分、このマギーという人には「真実」という言葉の意味が、一生分からない。
だって、世の中に一つの考え方しか無いのだから。その奥に隠された「真実」というものも、存在しない。
私は、マギーの「あれは事故だったのよ!」という叫びは、本心からの叫びだと思うんです。
数年後には「あの事故さえなければ、あの二人は幸せになれたのにね〜」と、無邪気に、心から話していると思うんですよ。
ある意味、誰よりも丈夫な心を持った人だと思います。自分の心の底を、疑う事を知らないのだから。
マギーはローズに「あなたは、選んだ」と言いますが、同時に彼女はローズが「選ばれた」と思っているのではないか、とも感じました。
“ローズ”は選ばれた。ハリウッドから。…運命から。
リチャードからのプロポーズは、その結果に過ぎない事だと。
そして、ローズはその運命を受け入れた。
ステファーノに対するローズの葛藤を知らないマギーには、その選択は、あんなにも幸せな恋人との関係を捨てる程の、成功への強い意志での決断だったように見えたのでしょう。
それ程の強い意思も覚悟も、自分は持てない。だからこれ以上女優を続ける意味は、無い。そう納得して、ビリーとの結婚を選んだのだと思います。たとえ実際にマギーには、そのチャンスは無かったとしても。
バウの最初の頃に見た時には、あの裏切りはローズへの嫉妬によるものか…と思ったんですが。青年館のあたりでは、感じ方が変わってきました。
マギーは、ハリウッドの大女優に憧れていた。ガルボもディートリッヒも、そして、ローズ・ラムーアにも。
その憧れが大きすぎて。特に若い頃から知っているローズに対しては、格別大きな憧れと、同時に敗北感もあって。
自分が負けた「ローズ」には、ハリウッドに君臨する、輝いた女性であって欲しい。
恋の為に全てを捨てる、ただの普通の女になんか、なっちゃいけない。そんな葛藤を心の底に持ち…でもそれを意識する事は無く。
ただ、女優ローズ・ラムーアに憧れて「ハリウッドを去って欲しくない」という思いだけが強くあって、ああいう行動を取ったんだろうと思ったんです。本人にとっては、純粋な憧れの気持ちの結果として。
異性のファンより同性のファンのほうが、タチが悪いよねー、と、自分自身への感想も混ぜて思ったりして^^;
というのも、あの場面、特にローズの孤独を強く感じたんですよ。
誰からも理解されない“大スター”のローズ。夫は勿論、彼女のファンも周りの人間達もまた、「夢の女」として彼女の意思を、心を、否定する。ただただ、美しい幻であって欲しいと願う。
…そんなローズの孤独な現実を、ステファーノに見せる場面のように感じました。
8年前の幸せな恋人時代を知るマギーまでが、その幸せを取り戻す事よりも、スターの栄光のほうが大切と思う。
それが、“ハリウッドの狂気”の一つの形なのかな…と。
だって、狂ってますよね?
普通は「ともだち」だったら、その幸福を一番に考えるものでしょうに。
その狂気と、それを自覚しない心の在り方が、痛いなーと思ったのです。
後日談。
公演が終わってしばらくして。
マギーの事を、ものすごくリアリティのあるキャラクターとして感じていた意味が分かりました。
いるよねー、こういう人。
世の中に、自分の考え方と違う価値観や考え方があるという事が、見えない人。無邪気に、まっすぐに、自分の考えを信じて善良に暮らしている人。お説教されると、仕方なく「あなたが正しいわ」と、言うほか無い。
…うちの、親だ^^;
どうりで、恐ろしいほどのリアリティだよ。
やっぱり、植田景子氏は恐ろしい作家だわ。
コメント
コメントありがとうございます。
マギーの「ともだち」という台詞が怖いこと、賛同して下さって、嬉しいです。
私は本当に怖いと思ったんですが、観劇仲間はあまり納得してくれなかったので。
周囲の人間には、悪意の「裏切り」にしか見えないのに、本人は心からの善意のつもりなのが、本当に恐ろしいと思うんです。
だから、マギーはあの「裏切り」について、後悔も反省もしないと思うんですよ。あれは、確信犯だから。
自分が酷い行いをしたのに気づかずに生きていく人、なのだと思います。