ぼちぼちと…「愛と死のアラビア」
2008年5月29日 花組「愛と死のアラビア」について、ぼちぼちと書いてみます。
ネタばれもありです。
まずは思いついた所から。
原案はローズマリ・サトクリフ作「血と砂」という事になっています。
まあ、小説の設定と、物語の三分の一くらいは使われているかな?という程度ですね。
この作品では実在の人物であるトマス・キースという主人公は、イスラムに改宗し、その世界に馴染み、風習や人々を受け入れていく懐の深い大きな人として描かれています。
イギリスの時計職人の息子が、イスラムの世界でその才覚と人柄を認められ、まだ20代終わりの若さで、イスラム第二の聖地であるメディナの街の総督になった。
これはすごい事だと思います。
この事実こそが、何よりも彼の人生を説明するものとして、サトクリフはこの誠実で勇敢な主人公を造形したものと思われます。
物語の始まりは1807年、ナポレオンのエジプト遠征の9年後です。
ナポレオンはエジプトを席巻した後、フランスの情勢が危なくなった為に、さっさとお国に帰っているんですね。
その後の混乱したエジプトで頭角をあらわしたのが、アルバニア人のタバコ商人であり傭兵隊長だった、ムハンマド・アリ。
このお話は、彼がオスマン・トルコからエジプト太守として認められてから、僅か二年後という設定です。
故にまだ彼の力は弱く、オスマントルコの大臣に逆らえずにトマス君の処刑命令を下す…という道を選びます。
原作者はトマスの結婚以外は「書かれている出来事はほとんどが実際に起きたこと」と書いていますので、実際に処刑命令が下され、そして翌朝に撤回されたのでしょうね。
「ほとんど」というのが微妙ですが、その後の暗殺すら事実として記録があるならば、この処刑命令と撤回などは本当の事っぽいですよね。
アミナ奥方の暗躍は、まあ、フィクションとして。
…しつこく書きますが、翌朝、処刑命令は取り消されます(笑)
まさか、その前夜の状態で幕が降りるとは…。
でも、そこで処刑されたら、メディナの総督にはなれません。
初日は驚きのあまり、椅子からずり落ちそうになりました。
「椅子からずり落ちる」って、今まで比喩的表現かと思ってましたが、体から力が抜けて座っていられなくなる状態なんですね。
初めて身をもって知りました。
…あまり学びたく無いものでしたが^^;
そもそも、トゥスンが営倉に乱入してきた時に、力が抜けていたんですけれどね。
多分、あの瞬間、私の座高は10センチは低くなったと思います。
ドナルドとの別れの場面でも、まさか夜明け前で終わるとは思いませんでしたから、「大丈夫、彼は助かるから、そんなに涙の別れをしなくても!」と思っていたのに。
「えー、あれは泣かなければいけない場面だったのか…」と、幕が降りてから思ったという感じで。
ここで今生の別れと思えば、感動的な場面なんだろうか…?
みわっちは、白い軍服が素敵です。
とてもよくお似合いで…とても歩兵隊の兵士が着るものには見えませんが、ま、そこは宝塚ですし^^;
今回、全体にヴィジュアルが良いなーと思います。
お衣装も、セットも非常に美しくて「宝塚を見た!!」という満足感はあります。
背景に描かれたナイルの川面に映る景色と、イスラム世界というあまりよく知らない舞台が、非日常感をたっぷり醸し出して。
そして、宝塚らしい非日常的な大芝居。
大きなお衣装には、大きなお芝居なんですね。
”外衣(アバ)”の、振袖のような大きな袖を見せる為に、常にちょっと腕を前に出して微妙なカーブでキープしているのは、結構大変そうですが、それもまた、宝塚的で。
たまにはこんな、どこからどこまで非日常もいいかもしれません。ヨーロッパやアメリカとは違う、非日常の異世界感を楽しむと思えば。
オープニングの真飛さんの「ホルス神」のキンキラお衣装は、よく見てみると凝った模様が織り込んであったり、刺繍も凄いですね。
イスラム系のお衣装のストックはあまり無いだろうと思いますし、今回、新調のお衣装ばかりなのかな?
トップコンビ、王族兄弟、ベドウィン騎馬隊や宮廷の侍女達の揃いのお衣装も、みんな新調ですよね?
やはりお披露目は景気が良くなきゃ!という感じ。
いや、ショーのウロコのお衣装も、間違いなく新調だと思うと、ちょっと寂しくなりますが(^^ゞ
あれ、ウロコを一枚一枚縫い付けてあるようですが、あの人数分作るのは大変だったんじゃないかなー。
…そんなに頑張らなくても、よかったのにね(遠い目)
何故かオオゾラさんだけ、ウエストのあたりを少し絞った形にしてあって、後ろ向きの振りの時に広い肩幅と背中が強調されています。
周りの人達に比べると、なんだか違うお衣装のよう。
きっとオオゾラさんだけ、横幅のウロコ一枚くらい、多いんじゃないかな?…なんて、考えちゃいました^^;
ネタばれもありです。
まずは思いついた所から。
原案はローズマリ・サトクリフ作「血と砂」という事になっています。
まあ、小説の設定と、物語の三分の一くらいは使われているかな?という程度ですね。
この作品では実在の人物であるトマス・キースという主人公は、イスラムに改宗し、その世界に馴染み、風習や人々を受け入れていく懐の深い大きな人として描かれています。
イギリスの時計職人の息子が、イスラムの世界でその才覚と人柄を認められ、まだ20代終わりの若さで、イスラム第二の聖地であるメディナの街の総督になった。
これはすごい事だと思います。
この事実こそが、何よりも彼の人生を説明するものとして、サトクリフはこの誠実で勇敢な主人公を造形したものと思われます。
物語の始まりは1807年、ナポレオンのエジプト遠征の9年後です。
ナポレオンはエジプトを席巻した後、フランスの情勢が危なくなった為に、さっさとお国に帰っているんですね。
その後の混乱したエジプトで頭角をあらわしたのが、アルバニア人のタバコ商人であり傭兵隊長だった、ムハンマド・アリ。
このお話は、彼がオスマン・トルコからエジプト太守として認められてから、僅か二年後という設定です。
故にまだ彼の力は弱く、オスマントルコの大臣に逆らえずにトマス君の処刑命令を下す…という道を選びます。
原作者はトマスの結婚以外は「書かれている出来事はほとんどが実際に起きたこと」と書いていますので、実際に処刑命令が下され、そして翌朝に撤回されたのでしょうね。
「ほとんど」というのが微妙ですが、その後の暗殺すら事実として記録があるならば、この処刑命令と撤回などは本当の事っぽいですよね。
アミナ奥方の暗躍は、まあ、フィクションとして。
…しつこく書きますが、翌朝、処刑命令は取り消されます(笑)
まさか、その前夜の状態で幕が降りるとは…。
でも、そこで処刑されたら、メディナの総督にはなれません。
初日は驚きのあまり、椅子からずり落ちそうになりました。
「椅子からずり落ちる」って、今まで比喩的表現かと思ってましたが、体から力が抜けて座っていられなくなる状態なんですね。
初めて身をもって知りました。
…あまり学びたく無いものでしたが^^;
そもそも、トゥスンが営倉に乱入してきた時に、力が抜けていたんですけれどね。
多分、あの瞬間、私の座高は10センチは低くなったと思います。
ドナルドとの別れの場面でも、まさか夜明け前で終わるとは思いませんでしたから、「大丈夫、彼は助かるから、そんなに涙の別れをしなくても!」と思っていたのに。
「えー、あれは泣かなければいけない場面だったのか…」と、幕が降りてから思ったという感じで。
ここで今生の別れと思えば、感動的な場面なんだろうか…?
みわっちは、白い軍服が素敵です。
とてもよくお似合いで…とても歩兵隊の兵士が着るものには見えませんが、ま、そこは宝塚ですし^^;
今回、全体にヴィジュアルが良いなーと思います。
お衣装も、セットも非常に美しくて「宝塚を見た!!」という満足感はあります。
背景に描かれたナイルの川面に映る景色と、イスラム世界というあまりよく知らない舞台が、非日常感をたっぷり醸し出して。
そして、宝塚らしい非日常的な大芝居。
大きなお衣装には、大きなお芝居なんですね。
”外衣(アバ)”の、振袖のような大きな袖を見せる為に、常にちょっと腕を前に出して微妙なカーブでキープしているのは、結構大変そうですが、それもまた、宝塚的で。
たまにはこんな、どこからどこまで非日常もいいかもしれません。ヨーロッパやアメリカとは違う、非日常の異世界感を楽しむと思えば。
オープニングの真飛さんの「ホルス神」のキンキラお衣装は、よく見てみると凝った模様が織り込んであったり、刺繍も凄いですね。
イスラム系のお衣装のストックはあまり無いだろうと思いますし、今回、新調のお衣装ばかりなのかな?
トップコンビ、王族兄弟、ベドウィン騎馬隊や宮廷の侍女達の揃いのお衣装も、みんな新調ですよね?
やはりお披露目は景気が良くなきゃ!という感じ。
いや、ショーのウロコのお衣装も、間違いなく新調だと思うと、ちょっと寂しくなりますが(^^ゞ
あれ、ウロコを一枚一枚縫い付けてあるようですが、あの人数分作るのは大変だったんじゃないかなー。
…そんなに頑張らなくても、よかったのにね(遠い目)
何故かオオゾラさんだけ、ウエストのあたりを少し絞った形にしてあって、後ろ向きの振りの時に広い肩幅と背中が強調されています。
周りの人達に比べると、なんだか違うお衣装のよう。
きっとオオゾラさんだけ、横幅のウロコ一枚くらい、多いんじゃないかな?…なんて、考えちゃいました^^;
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