予想どおり、観劇仲間と飲んでばかりな日々を過ごしています。
もはや、かまわないだろうと思い、ネタばれ感想いきますv。
ご覧になってない方は、どうぞお読みにならないで下さいませm(__)m
ローズという女性が大好きです。可愛くてしょうがないです。
バウで見た時からですが、青年館に来てから、もっともっと可愛いです。
私は物語のキャラクターとして、意地っ張りの女の子が大好きなんですよ。
感情表現が素直じゃなくて、思っている事をそのまま伝える事ができない子。
笑いたいのに、つんけんしたり。優しくしたいのに、憎まれ口をきいたり。
女の子が感情を持て余して、ぐっと言葉につまって、つい意地を張ってしまう。
そんな場面を見ると「可愛い〜」と思ってしまうんです。特に可愛い娘役さんがやると、きゅんきゅんしちゃいます。
というワケで、ローズが可愛くて。
孤独に生きてきた孤児の女の子が、突然、あんなに優しい男からの丸ごとの愛情に包まれてしまったら。
今まで周りに虚勢を張って、一人で必死に生きてきた事でしょう。
でも多分、ステファーノには虚勢も無意味で。
自分の美貌を頼りにしていた部分もあると思うのですが、彼にはそれはローズの魅力の一つでしかない。
どんなに意地を張っても、優しく包みこまれてしまう。
そりゃ、パニックも起こしますよね。
今までの人生を根本から覆される相手です。彼に愛されてから、彼女にとって、世界は全く違うもの変わってしまった。
でも、その生活がどんなに幸せでも、いえ、幸せだからこそ。
幸せを失う事があるとしたら…と思うのは、どれだけ恐ろしい事か。
怖さのあまり、自分をがんじがらめにしてしまった。そして失う恐怖に耐えかねて、自分から全て壊してしまった。
他にも色々と、複雑な想いはあったのでしょうけれど。その恐怖だけでも、逃げ出してしまう気持ちはわかる。
青年館では、一幕ラストの告白で「ひと時も離れられない程に」というような台詞が追加されて、より彼女が身近な存在になった気もします。孤児院で育った孤独な少女ではなくても、恋人に対して甘えや不安を持つのは当然の事ですから。初めての本気の恋なら、それが当然の事だという事もわからないでしょうし…。
バウで初日に見た時から、「ローズ・クリムソン」という名前の存在が大きく心に残っておりました。
恋人に「深紅の薔薇」なんて名を付ける男なんて、すっごくロマンチスト!
けれど、まだ若い彼女にとって、そのロマンと愛は…きっと重過ぎるものだったろうなー、と。
演技の経験の無い彼女に一から芝居を教えた彼の言葉は、おそらく絶対的なものであった筈。その上、年上で、愛と理解がある人ですから。8年前の二人は、ステファーノのリードの上で、ローズが自由に振舞う…という形だったのではないでしょうか。
結果的に、彼の言葉に従う事の多い彼女は「ローズ・クリムソン」と名付けられた時、無意識に深紅の薔薇のイメージを自分に重ねてしまった気がしたのです。そして、自ら「薔薇の定め」を、自分に課してしまった。「華やかに激しく生きろ」と。
そう、アニメ版「ベルばら」のあの歌です(^^)著作権に詳しくないので、歌詞は書きません。心の中で歌って下さいませね。
「ああ、ローズだ」という気がしますよね?
深紅の薔薇。華やかなスカーレット(真紅)や、明るいバーミリオン(朱色)ではなく、少し紫のかかった深く昏い紅。…彼がつけたその名前に影響されて、彼女はその後の人生を生きる事になったのではないかなー、と思えて。
切なくも、いじらしい女じゃないか、と思うのです。
そして都合の良い男・リチャードと結婚した後には、リチャードの「夢の女」を演じ続けた。
愛されていると思って結婚したけれど、リチャードは結局、本来の彼女とはかけ離れた映画の中の「夢の女」しか求めていなかった。彼女の心がその「夢の女」とは別人である事に、気づかない程。
…まあ、本当は彼女もそれがわかっていて、リチャードを選んだのだと思いますが。
他人の幻想や勝手なイメージを押し付けられるのって、普通の女性にとっては、かなり苦痛だと思うんですよね。
彼女が本当に望むもの、やりたい事ではなく、リチャードの都合の良いように生きてきた。リチャードが望むような事を、彼女が望んでいるように演じる、不自然な人間関係だったのでしょう。
彼女が「夢の女」であって欲しいリチャードにとって、一番あってはならないものは、本当はローズの、いえ「ローラ・オズモンド」の心。
それは、リチャードの望みではないから。
でも、彼女はリチャードの無茶な要求に応えようと、8年間も生真面目に頑張ってきた。
…まるで、愛する人を捨てた、罰を受けるように。
ステファーノを失った後、彼女自身が本当に望むものも、やりたい事も、無かったのかもしれない。
ローズが心から笑うことは、8年間、無かったのかもしれない。
そして赤狩りの犠牲になった俳優は、少しステファーノの面影があったのかもしれない。
彼女も孤独だったから「家庭」に憧れる部分もあったのかな?黙って「理想の夫婦」であろうと、頑張った。心や体が壊れる程に、頑張った。
リチャードが、「私たちを愛し合っている」と言い訳できる程には、表面上は「愛のある夫婦」らしい生活があったのでしょう。
極度のスランプで「困ったものよね、女優なのに」なんて、外の人からは軽く言われていますが、それは現代ならば、治療を必要とする心の病なのではないかと。リチャードがその頼みを断れない程に、彼女は壊れかけていたのだと思います。
でなければ、彼だって本当は「昔の男」なんて、呼びたくはないでしょう。
彼女の望みを全て叶えるという約束でも、今まではリチャード自身が嫌な事は、結果的に叶えてやらない事が多かったような気がします。
そして彼女はステファーノに別れを告げる為に、彼を呼んだのではないかな、と思います。カマラの占いのせいでは無く、押し殺し続けて苦しい心が、死に向かっているから。
あのまま二人の心が寄り添う事なく、無事に映画ができて彼がイタリアに帰ってしまっていたら…彼女は壊れてしまったんじゃないか、と思えるのです。その時は、彼女は一人で、死に向かったのかもしれないな、と。
でも、悲鳴をあげる彼女の心に、ステファーノが気付く事は、十分に予想ができた筈。
彼女の心が、彼に助けを求めてしまう事も。
だから、この物語の結末は、本当はステファーノがハリウッドに着く前に、もう決まっていたようなものだと思います。
青年館に来てから、あいあいの芝居がすごく良くなってます。
特に、一幕終わりに二人の心が通じあってからの変化が、鮮やかで、甘やかで。
二幕の撮影所で、ローズはすっかり頼り切った甘えた目で、ずっーーーとステファーノを見てるんです。もう、他の全ての事が見えてない程に、うっとりと。
「二人きりで会いたい」と頼む時も、現実の全てがどうでもいいような甘えた雰囲気で。恋する乙女、丸出しです。公演を重ねるごとに、どんどん、少女のように甘く初々しくなってきてます。
あれじゃあ、撮影所の関係者みんなに「この二人、デキてる」と、バレバレなんじゃないかと^^;
愛される喜びが、自信と余裕に繋がって、眩しいばかり。
電話で駆け落ちを約束した後なんて、愛される喜びに輝いて、リチャードにもとても優しくなっていますね。
リチャードがどんなに頑張っても彼女を取り戻す事は不可能だと、打ちひしがれて当然。
後は、無理やりこの世から連れ去る他に、手はありません。
私は映画「サラ・ベルナール」のローズを見て、リチャードは全てを捨てる決意したのではないかと思っています。
いきいきとして、キラキラと輝いて、本当に綺麗な…「真実」のローズの姿を見て。
リチャードが恋して作り上げた「ローズ・ラムーア」は、映画「ハリウッド・ラバー」でステファーノが切り取って見せた、ローズの魅力の一部分の、拡大コピーに過ぎない事を思い知って。
そして、彼女の心がその「夢の女」とは別人である事に、気づいてしまった。
だから、その映画をズタズタにしようとして。けれど、それも阻まれて。
多分、人生の全ての意味で、ステファーノに敗北感を抱いたのでしょう。…でも、今までの人生を否定する事もできなくて。
あひちゃんは、青年館の数日で、見違える程に良い芝居をするようになりましたね。
この作品に出演してくれて、この役を作り上げてくれて、良かった…と思います。
この公演も、あっという間に、あと二日。
ものすごい勢いで白熱していく舞台に、圧倒されています。
祐飛ステファーノは有無を言わさぬ迫力で、観客を泣かせにかかります。
どんな事があるか、何度も見てわかっていても、どうしても泣いてしまうのです。理屈を超えて、ステファーノの悲しみに連れ去られてしまいます。このまま、最後はどうなってしまうのか。
…楽しみなような、怖いような^^;
もはや、かまわないだろうと思い、ネタばれ感想いきますv。
ご覧になってない方は、どうぞお読みにならないで下さいませm(__)m
ローズという女性が大好きです。可愛くてしょうがないです。
バウで見た時からですが、青年館に来てから、もっともっと可愛いです。
私は物語のキャラクターとして、意地っ張りの女の子が大好きなんですよ。
感情表現が素直じゃなくて、思っている事をそのまま伝える事ができない子。
笑いたいのに、つんけんしたり。優しくしたいのに、憎まれ口をきいたり。
女の子が感情を持て余して、ぐっと言葉につまって、つい意地を張ってしまう。
そんな場面を見ると「可愛い〜」と思ってしまうんです。特に可愛い娘役さんがやると、きゅんきゅんしちゃいます。
というワケで、ローズが可愛くて。
孤独に生きてきた孤児の女の子が、突然、あんなに優しい男からの丸ごとの愛情に包まれてしまったら。
今まで周りに虚勢を張って、一人で必死に生きてきた事でしょう。
でも多分、ステファーノには虚勢も無意味で。
自分の美貌を頼りにしていた部分もあると思うのですが、彼にはそれはローズの魅力の一つでしかない。
どんなに意地を張っても、優しく包みこまれてしまう。
そりゃ、パニックも起こしますよね。
今までの人生を根本から覆される相手です。彼に愛されてから、彼女にとって、世界は全く違うもの変わってしまった。
でも、その生活がどんなに幸せでも、いえ、幸せだからこそ。
幸せを失う事があるとしたら…と思うのは、どれだけ恐ろしい事か。
怖さのあまり、自分をがんじがらめにしてしまった。そして失う恐怖に耐えかねて、自分から全て壊してしまった。
他にも色々と、複雑な想いはあったのでしょうけれど。その恐怖だけでも、逃げ出してしまう気持ちはわかる。
青年館では、一幕ラストの告白で「ひと時も離れられない程に」というような台詞が追加されて、より彼女が身近な存在になった気もします。孤児院で育った孤独な少女ではなくても、恋人に対して甘えや不安を持つのは当然の事ですから。初めての本気の恋なら、それが当然の事だという事もわからないでしょうし…。
バウで初日に見た時から、「ローズ・クリムソン」という名前の存在が大きく心に残っておりました。
恋人に「深紅の薔薇」なんて名を付ける男なんて、すっごくロマンチスト!
けれど、まだ若い彼女にとって、そのロマンと愛は…きっと重過ぎるものだったろうなー、と。
演技の経験の無い彼女に一から芝居を教えた彼の言葉は、おそらく絶対的なものであった筈。その上、年上で、愛と理解がある人ですから。8年前の二人は、ステファーノのリードの上で、ローズが自由に振舞う…という形だったのではないでしょうか。
結果的に、彼の言葉に従う事の多い彼女は「ローズ・クリムソン」と名付けられた時、無意識に深紅の薔薇のイメージを自分に重ねてしまった気がしたのです。そして、自ら「薔薇の定め」を、自分に課してしまった。「華やかに激しく生きろ」と。
そう、アニメ版「ベルばら」のあの歌です(^^)著作権に詳しくないので、歌詞は書きません。心の中で歌って下さいませね。
「ああ、ローズだ」という気がしますよね?
深紅の薔薇。華やかなスカーレット(真紅)や、明るいバーミリオン(朱色)ではなく、少し紫のかかった深く昏い紅。…彼がつけたその名前に影響されて、彼女はその後の人生を生きる事になったのではないかなー、と思えて。
切なくも、いじらしい女じゃないか、と思うのです。
そして都合の良い男・リチャードと結婚した後には、リチャードの「夢の女」を演じ続けた。
愛されていると思って結婚したけれど、リチャードは結局、本来の彼女とはかけ離れた映画の中の「夢の女」しか求めていなかった。彼女の心がその「夢の女」とは別人である事に、気づかない程。
…まあ、本当は彼女もそれがわかっていて、リチャードを選んだのだと思いますが。
他人の幻想や勝手なイメージを押し付けられるのって、普通の女性にとっては、かなり苦痛だと思うんですよね。
彼女が本当に望むもの、やりたい事ではなく、リチャードの都合の良いように生きてきた。リチャードが望むような事を、彼女が望んでいるように演じる、不自然な人間関係だったのでしょう。
彼女が「夢の女」であって欲しいリチャードにとって、一番あってはならないものは、本当はローズの、いえ「ローラ・オズモンド」の心。
それは、リチャードの望みではないから。
でも、彼女はリチャードの無茶な要求に応えようと、8年間も生真面目に頑張ってきた。
…まるで、愛する人を捨てた、罰を受けるように。
ステファーノを失った後、彼女自身が本当に望むものも、やりたい事も、無かったのかもしれない。
ローズが心から笑うことは、8年間、無かったのかもしれない。
そして赤狩りの犠牲になった俳優は、少しステファーノの面影があったのかもしれない。
彼女も孤独だったから「家庭」に憧れる部分もあったのかな?黙って「理想の夫婦」であろうと、頑張った。心や体が壊れる程に、頑張った。
リチャードが、「私たちを愛し合っている」と言い訳できる程には、表面上は「愛のある夫婦」らしい生活があったのでしょう。
極度のスランプで「困ったものよね、女優なのに」なんて、外の人からは軽く言われていますが、それは現代ならば、治療を必要とする心の病なのではないかと。リチャードがその頼みを断れない程に、彼女は壊れかけていたのだと思います。
でなければ、彼だって本当は「昔の男」なんて、呼びたくはないでしょう。
彼女の望みを全て叶えるという約束でも、今まではリチャード自身が嫌な事は、結果的に叶えてやらない事が多かったような気がします。
そして彼女はステファーノに別れを告げる為に、彼を呼んだのではないかな、と思います。カマラの占いのせいでは無く、押し殺し続けて苦しい心が、死に向かっているから。
あのまま二人の心が寄り添う事なく、無事に映画ができて彼がイタリアに帰ってしまっていたら…彼女は壊れてしまったんじゃないか、と思えるのです。その時は、彼女は一人で、死に向かったのかもしれないな、と。
でも、悲鳴をあげる彼女の心に、ステファーノが気付く事は、十分に予想ができた筈。
彼女の心が、彼に助けを求めてしまう事も。
だから、この物語の結末は、本当はステファーノがハリウッドに着く前に、もう決まっていたようなものだと思います。
青年館に来てから、あいあいの芝居がすごく良くなってます。
特に、一幕終わりに二人の心が通じあってからの変化が、鮮やかで、甘やかで。
二幕の撮影所で、ローズはすっかり頼り切った甘えた目で、ずっーーーとステファーノを見てるんです。もう、他の全ての事が見えてない程に、うっとりと。
「二人きりで会いたい」と頼む時も、現実の全てがどうでもいいような甘えた雰囲気で。恋する乙女、丸出しです。公演を重ねるごとに、どんどん、少女のように甘く初々しくなってきてます。
あれじゃあ、撮影所の関係者みんなに「この二人、デキてる」と、バレバレなんじゃないかと^^;
愛される喜びが、自信と余裕に繋がって、眩しいばかり。
電話で駆け落ちを約束した後なんて、愛される喜びに輝いて、リチャードにもとても優しくなっていますね。
リチャードがどんなに頑張っても彼女を取り戻す事は不可能だと、打ちひしがれて当然。
後は、無理やりこの世から連れ去る他に、手はありません。
私は映画「サラ・ベルナール」のローズを見て、リチャードは全てを捨てる決意したのではないかと思っています。
いきいきとして、キラキラと輝いて、本当に綺麗な…「真実」のローズの姿を見て。
リチャードが恋して作り上げた「ローズ・ラムーア」は、映画「ハリウッド・ラバー」でステファーノが切り取って見せた、ローズの魅力の一部分の、拡大コピーに過ぎない事を思い知って。
そして、彼女の心がその「夢の女」とは別人である事に、気づいてしまった。
だから、その映画をズタズタにしようとして。けれど、それも阻まれて。
多分、人生の全ての意味で、ステファーノに敗北感を抱いたのでしょう。…でも、今までの人生を否定する事もできなくて。
あひちゃんは、青年館の数日で、見違える程に良い芝居をするようになりましたね。
この作品に出演してくれて、この役を作り上げてくれて、良かった…と思います。
この公演も、あっという間に、あと二日。
ものすごい勢いで白熱していく舞台に、圧倒されています。
祐飛ステファーノは有無を言わさぬ迫力で、観客を泣かせにかかります。
どんな事があるか、何度も見てわかっていても、どうしても泣いてしまうのです。理屈を超えて、ステファーノの悲しみに連れ去られてしまいます。このまま、最後はどうなってしまうのか。
…楽しみなような、怖いような^^;
コメント