「バレンシアの熱い花」 1979年 月組版
2007年10月2日 宝塚CS放送「バレンシアの熱い花」月組版…宙組公演を観劇してから見ようと思って録画していたのに。
冒頭をうっかり見てしまったら、ついつい引き込まれて…最後まで見てしまいました。
いやー、さすがに全盛期の柴田作品は良いですね。
ともかく、役者に芝居をさせてくれる脚本です。舞台にちょっと出てくる、ほんの小さい役の短い芝居でも、見せ場がありますね。脇の役者さんがやる場合も若手がやる場合もあるでしょうが、その人なりの工夫をして、人生を表現できる。そして、様々な人物の思いが絡まって物語を進めていく。これが、芝居ってもんだな、と思って見てしまいました。
そして、柴田先生は女役さんを使うのが、本当に上手いですね。
この公演では、ヒロインのイサベラは本当にカッコ良くて”娘役”さんなんて呼ぶのは申し訳ないような。柴田作品にあたると女役さんは退団を決意する…と言われていましたが、納得です。
この「バレンシアの熱い花」は、男役さんが素敵な役だという事で有名…と聞いたのですが、女役さんも素晴らしい役ばかりですね。
イサベラ・シルビア・マルガリータ、そしてセレスティーナ…どの役も、美しく、カッコ良い。
何よりも、どの役も、誇り高い女達である事が印象的でした。この物語は女達の誇りが、動かしていくのではないかと思ってしまったのです。
まずは、物語の始まり。ルカノールの前に現れたセレスティーナが、領主に対して苦言を呈する場面。
前領主の妻としての誇り高さが、圧倒的。良い領主であった夫に誇りを持ち、その夫を支えた事もまた彼女の誇りの源なのかな。その責任感もあるのでしょう、真っ直ぐに権力者に向かっていく姿は、力強くて素晴らしい。
そして、ヒロインのイサベラ。小松美保さん。
主人公のフェルナンドの住む貴族社会の誇りを、母・セレスティーナ達がきっちり見せた後で、下町で生活する”庶民”として登場します。
しかし、彼女には平民の女なりの誇りがあり、真っ直ぐに気高く生きている。その鮮やかな美しい女がフェルナンドに心を動かし、彼が秘かに抱いていた孤独にただ一人気づいて、受け止める。その時、彼はは何も偽る事ができなくなってしまう。彼女に惹かれている事も、婚約者を裏切れない事も。
フェルナンドに恋をした彼女は、そんな彼の告白を受け入れて、貴族の若様ではなく何者でもない、「もう一つの顔」の男を愛する…。
全てが終わった時、彼女はフェルナンドに別れを告げます。
身分が違いの恋だから、当然…なのでしょうね。貴族の若様と平民の娘が無理に寄り添おうとしても、世間のそしりを受ける事でしょう。でも、彼女はただ、違う世界に生まれただけ。平民の女なりに真っ当に生きてきたのです。何も貴族などに馬鹿にされるいわれは無いのですから。
愛人というのは可能だったと思うのですが、誇り高い彼女はそれを自分に許す事はできない。神に背く事も「お嬢さん」を悲しませる事もできないし、フェルナンドにはクーデター後の国をまとめていく責任があります邪魔はできません。
終わりがあると分かっていても、彼女は惜しみなく、自分の心を彼と分け合った。そして別れの時。相手を失う痛みは、やはり大きい。それでも、真っ直ぐに頭を上げて別れを告げに来るイサベラの潔さは、本当に切なくかっこいいですね。
そして、もう一人のヒロイン、シルビア。舞小雪さん。
ルカノール公爵に陥れられ、彼に身を売った、貴族の美しい姫君…だった人。それは、女性にとって誇りを踏みにじられるような事で。彼女はもう”姫”ではなく、人妻の憂いと色香を漂わせる哀しい女性となった。イサベラとは対照的な存在ですね。
更にかつて恋人であったロドリーゴが、同じ屋敷に住み、常に無言で責められている状態に。大地真央さんのロドリーゴは、若く清潔な美しさにキラめいていて、いたたまれない日々だと思います。初演の瀬戸内美八さんの映像は見た事が無いのですが、清潔感と色気のある方、ですよね。
全てが終わった時、彼女は死を選ぶ。
確かに、あの清潔な若者に愛されるワケにはいかないだろう、と思います。かつて幸せな恋人だった時代があるだけに、変わり果てた自分を彼女は受け入れる事ができない。世の中を知らず穢れを知らない乙女としてロドリーゴに恋していた時の誇りが、許さない。ルカノールに踏みにじられた誇りを取り戻す為、彼女は海に身を投げたのだと、思いました。思いつめた顔で、決然と一人歩いていく姿は、哀しく、美しいですね。
最後に、何も知らない、知らされない少女マルガリータ。
彼女もまた、少女の小さな誇りを守り、泣き言も恨み事も言わず、黙って耐えています。何かがあると察しながらも、フェルナンドに無理に問い詰めたりはしません。その姿は、いずれはセレスティーナ夫人のような、立派な「貴族の奥方」になる事を予感させます。だからこそ、フェルナンドは決して彼女を裏切る事はできない。彼女と結婚して、クーデターの首謀者であるレオン将軍の後ろ盾を得る事。そしていずれは父の跡を継いで新しい領主となり、この土地を平和に豊かに治める事が、彼の背負った責任なのですから。
また、ラモンの妹ローラも、暴力に怯える事なく抵抗して、命を落とします。どの女達も皆誇り高く、強さと激しさを、たおやかさの裏に隠しています。(月娘達が、強く誇り高いのは、この時代からの伝統なのかしら?…と、思ったり^^;)
冒頭、ルカノール公爵の屋敷と、フェルナンドとレオン将軍の会話でざっと状況を説明したあとは、様々な人物たちのドラマが畳み掛けるように展開するこの作品。フェルナンドとロドリーゴ、それぞれのドラマを並べ対比させる事で、舞台の世界観を観客に納得させ、お互いのドラマを強調しあい、そこにロドリーゴが加わる事で更に新しいドラマが展開して…と、本当によくできた脚本ですよね。
どこにも無駄がなく、全てが有機的に作用して。ぱっと見た限りでは自然見えますが、もの凄く凝った作品だと思います。
「あかねさす紫の花」も同じ手法を使っていますが、時間の転移があるので、ちょっと難しい。が、多分この「バレンシアの熱い花」のほうが、作るのは大変なんじゃないかな?
なんと言ってもキャラクターがすごく多いですからね。その分、一人ひとりの人物の持ち時間は少ないワケです。脚本は、吟味した無駄のないセリフで心情を伝え、役者はセリフでは何の説明も無い部分を明確に演じなけらばならない。
…でも、その説明の少なさが、この芝居の良い所なんですよね。私は、宝塚に限らず、登場人物が心情を全て、セリフで”説明”してしまう、イマドキの風潮が嫌いなので「これこそがドラマの醍醐味よ!!」と思います。
特にフェルナンドとイサベラの、複雑な心の通い合いは、ほとんどが歌と踊り、表情、しぐさで表現されます。そして、最後の「私のイサベラも死んでしまった」というセリフで。
…二人は互いの心を分け合った。別れは、自分の心の中の、相手と分かちあった想いを失う事。別れても、もう、出会う前の自分には戻れない。心の一部が死んでしまい、相手もまた心の一部を喪った。…その傷を絆として、二人は別の人生を歩き始める。その刹那の時間の深い心の交わりが、人生を変える重みとして、しっかり伝わってきます。
やっぱりすごいよなー、柴田先生。ロマンチックな恋愛至上主義でありながら、人間の心の真実のような部分に触れてくる感じ。イマドキの、主役がずっと舞台に出ずっぱりで、えんえんと心情を説明しながらも、まるっきり心が伝わってこない演出家さん達は何やってんだろーと思いますよね。役もずいぶん少ないのに。
最近の月組作品でいえば、某キムシンの「なんちゃらのローマ」とかね。主人公が敵を倒す話…と、大きく括れば同じようなものですが、感動の度合いがかなり違うと思う^^;
その後、宙組公演を見ましたが、演出家・中村なんちゃら…さすがですね。ドラマを単調な一本調子に流す天才!
この、ドラマチックな場面の連続の、美味しいとこ取りだけで作られた作品を、よくもあれだけ…すげーや(-_-;)
冒頭をうっかり見てしまったら、ついつい引き込まれて…最後まで見てしまいました。
いやー、さすがに全盛期の柴田作品は良いですね。
ともかく、役者に芝居をさせてくれる脚本です。舞台にちょっと出てくる、ほんの小さい役の短い芝居でも、見せ場がありますね。脇の役者さんがやる場合も若手がやる場合もあるでしょうが、その人なりの工夫をして、人生を表現できる。そして、様々な人物の思いが絡まって物語を進めていく。これが、芝居ってもんだな、と思って見てしまいました。
そして、柴田先生は女役さんを使うのが、本当に上手いですね。
この公演では、ヒロインのイサベラは本当にカッコ良くて”娘役”さんなんて呼ぶのは申し訳ないような。柴田作品にあたると女役さんは退団を決意する…と言われていましたが、納得です。
この「バレンシアの熱い花」は、男役さんが素敵な役だという事で有名…と聞いたのですが、女役さんも素晴らしい役ばかりですね。
イサベラ・シルビア・マルガリータ、そしてセレスティーナ…どの役も、美しく、カッコ良い。
何よりも、どの役も、誇り高い女達である事が印象的でした。この物語は女達の誇りが、動かしていくのではないかと思ってしまったのです。
まずは、物語の始まり。ルカノールの前に現れたセレスティーナが、領主に対して苦言を呈する場面。
前領主の妻としての誇り高さが、圧倒的。良い領主であった夫に誇りを持ち、その夫を支えた事もまた彼女の誇りの源なのかな。その責任感もあるのでしょう、真っ直ぐに権力者に向かっていく姿は、力強くて素晴らしい。
そして、ヒロインのイサベラ。小松美保さん。
主人公のフェルナンドの住む貴族社会の誇りを、母・セレスティーナ達がきっちり見せた後で、下町で生活する”庶民”として登場します。
しかし、彼女には平民の女なりの誇りがあり、真っ直ぐに気高く生きている。その鮮やかな美しい女がフェルナンドに心を動かし、彼が秘かに抱いていた孤独にただ一人気づいて、受け止める。その時、彼はは何も偽る事ができなくなってしまう。彼女に惹かれている事も、婚約者を裏切れない事も。
フェルナンドに恋をした彼女は、そんな彼の告白を受け入れて、貴族の若様ではなく何者でもない、「もう一つの顔」の男を愛する…。
全てが終わった時、彼女はフェルナンドに別れを告げます。
身分が違いの恋だから、当然…なのでしょうね。貴族の若様と平民の娘が無理に寄り添おうとしても、世間のそしりを受ける事でしょう。でも、彼女はただ、違う世界に生まれただけ。平民の女なりに真っ当に生きてきたのです。何も貴族などに馬鹿にされるいわれは無いのですから。
愛人というのは可能だったと思うのですが、誇り高い彼女はそれを自分に許す事はできない。神に背く事も「お嬢さん」を悲しませる事もできないし、フェルナンドにはクーデター後の国をまとめていく責任があります邪魔はできません。
終わりがあると分かっていても、彼女は惜しみなく、自分の心を彼と分け合った。そして別れの時。相手を失う痛みは、やはり大きい。それでも、真っ直ぐに頭を上げて別れを告げに来るイサベラの潔さは、本当に切なくかっこいいですね。
そして、もう一人のヒロイン、シルビア。舞小雪さん。
ルカノール公爵に陥れられ、彼に身を売った、貴族の美しい姫君…だった人。それは、女性にとって誇りを踏みにじられるような事で。彼女はもう”姫”ではなく、人妻の憂いと色香を漂わせる哀しい女性となった。イサベラとは対照的な存在ですね。
更にかつて恋人であったロドリーゴが、同じ屋敷に住み、常に無言で責められている状態に。大地真央さんのロドリーゴは、若く清潔な美しさにキラめいていて、いたたまれない日々だと思います。初演の瀬戸内美八さんの映像は見た事が無いのですが、清潔感と色気のある方、ですよね。
全てが終わった時、彼女は死を選ぶ。
確かに、あの清潔な若者に愛されるワケにはいかないだろう、と思います。かつて幸せな恋人だった時代があるだけに、変わり果てた自分を彼女は受け入れる事ができない。世の中を知らず穢れを知らない乙女としてロドリーゴに恋していた時の誇りが、許さない。ルカノールに踏みにじられた誇りを取り戻す為、彼女は海に身を投げたのだと、思いました。思いつめた顔で、決然と一人歩いていく姿は、哀しく、美しいですね。
最後に、何も知らない、知らされない少女マルガリータ。
彼女もまた、少女の小さな誇りを守り、泣き言も恨み事も言わず、黙って耐えています。何かがあると察しながらも、フェルナンドに無理に問い詰めたりはしません。その姿は、いずれはセレスティーナ夫人のような、立派な「貴族の奥方」になる事を予感させます。だからこそ、フェルナンドは決して彼女を裏切る事はできない。彼女と結婚して、クーデターの首謀者であるレオン将軍の後ろ盾を得る事。そしていずれは父の跡を継いで新しい領主となり、この土地を平和に豊かに治める事が、彼の背負った責任なのですから。
また、ラモンの妹ローラも、暴力に怯える事なく抵抗して、命を落とします。どの女達も皆誇り高く、強さと激しさを、たおやかさの裏に隠しています。(月娘達が、強く誇り高いのは、この時代からの伝統なのかしら?…と、思ったり^^;)
冒頭、ルカノール公爵の屋敷と、フェルナンドとレオン将軍の会話でざっと状況を説明したあとは、様々な人物たちのドラマが畳み掛けるように展開するこの作品。フェルナンドとロドリーゴ、それぞれのドラマを並べ対比させる事で、舞台の世界観を観客に納得させ、お互いのドラマを強調しあい、そこにロドリーゴが加わる事で更に新しいドラマが展開して…と、本当によくできた脚本ですよね。
どこにも無駄がなく、全てが有機的に作用して。ぱっと見た限りでは自然見えますが、もの凄く凝った作品だと思います。
「あかねさす紫の花」も同じ手法を使っていますが、時間の転移があるので、ちょっと難しい。が、多分この「バレンシアの熱い花」のほうが、作るのは大変なんじゃないかな?
なんと言ってもキャラクターがすごく多いですからね。その分、一人ひとりの人物の持ち時間は少ないワケです。脚本は、吟味した無駄のないセリフで心情を伝え、役者はセリフでは何の説明も無い部分を明確に演じなけらばならない。
…でも、その説明の少なさが、この芝居の良い所なんですよね。私は、宝塚に限らず、登場人物が心情を全て、セリフで”説明”してしまう、イマドキの風潮が嫌いなので「これこそがドラマの醍醐味よ!!」と思います。
特にフェルナンドとイサベラの、複雑な心の通い合いは、ほとんどが歌と踊り、表情、しぐさで表現されます。そして、最後の「私のイサベラも死んでしまった」というセリフで。
…二人は互いの心を分け合った。別れは、自分の心の中の、相手と分かちあった想いを失う事。別れても、もう、出会う前の自分には戻れない。心の一部が死んでしまい、相手もまた心の一部を喪った。…その傷を絆として、二人は別の人生を歩き始める。その刹那の時間の深い心の交わりが、人生を変える重みとして、しっかり伝わってきます。
やっぱりすごいよなー、柴田先生。ロマンチックな恋愛至上主義でありながら、人間の心の真実のような部分に触れてくる感じ。イマドキの、主役がずっと舞台に出ずっぱりで、えんえんと心情を説明しながらも、まるっきり心が伝わってこない演出家さん達は何やってんだろーと思いますよね。役もずいぶん少ないのに。
最近の月組作品でいえば、某キムシンの「なんちゃらのローマ」とかね。主人公が敵を倒す話…と、大きく括れば同じようなものですが、感動の度合いがかなり違うと思う^^;
その後、宙組公演を見ましたが、演出家・中村なんちゃら…さすがですね。ドラマを単調な一本調子に流す天才!
この、ドラマチックな場面の連続の、美味しいとこ取りだけで作られた作品を、よくもあれだけ…すげーや(-_-;)
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