あかねさす紫の花 その3
2007年7月20日 月組「あかねさす紫の花」について、続きです。
中大兄とは反対、にイメージだけで額田を愛したのが、天比古ですね。
天比古にとっては手の届かない遠い姫様ですから、額田を”美”の象徴として、自身の仏師になる夢と重ねて見ている。
額田が宮中に上がってから、姿を見る事さえかなわないという点では、菩薩様そのものとあまり違いがありません。
もはや彼のなかで額田は、人間ではないんですね。でも本人はそれに気づいてない所が、この役の切ないところ。
実際には天比古のような、自分のイメージを勝手に女性に押し付ける男の人は沢山いますし、かなり鬱陶しいものですが^^;
天比古の場合は身分違いで姿を見る事もできないのに、あんなに落ちぶれてまで、ただ遠くから夢見ているのが切ないですよね。
あまりにも純粋な彼が思い描く額田は、さぞ清らかで美しい夢想であった事だろうと思います。
また、遠くから額田を思う違う身分の天比古は、額田と大海人、中大兄の三人を客観的に描く視点ともなっています。
難波津で、天比古の人生を語る場面は、同時に額田の里での出会いから五年後の状況を観客に説明する場面になります。
天比古の人生が、そのままメインの額田サイドのドラマの説明になる、構成とキャラクタ造形の巧みさは何度見ても感心します。
そして天比古のドラマが、平行して動いていた額田のドラマと出合った時。
生身の人間である額田を見て絶望する天比古の姿に、観客は額田が”清らか”に生きてはいない事を納得させられます。
嘆く天比古の姿に、観客である女性はつい「勝手な事言わないでよ!」と腹を立てて、額田に同情してしまうのではないでしょうか。
でも同時に、大海人を想いながらも中大兄を受け入れる、”清らか”ではない額田の、情愛の甘美さに浸ってしまうわけですね。
更に「女には、外から見ていても分からない、生き方もあるんだよ…」という小月の台詞に、一緒に「うんうん、そうだよー」と頷いてしまう。
本当に見事な構成です。
この天比古は、役者さんにとっては本当に遣り甲斐のある役だろうなーと思います。
少ない出番ではありますが、人生の希望と悲哀がギュっと凝縮されていて、ラストにはそれまでの人生を全て否定する大芝居があって。なかなかこんなに芝居のしどころ見せ所の有る役は無いと思います。
でも、この全ツで演じたマサキ君は、私的にはちょっと…でした。歌や大きな見せ場のある「美味しい役」と思って、演じていたような…。どうも、そんな下心があるように見えてまって。
この役が「美味しい役」なのは、全霊をかけた芝居をさせて貰える役だから、なんですけどね…。
声が良くて、台詞の抑揚の付け方とかは上手いんですよ。学年を考えると、十分良くやってるとは思いました。歌もすごく良かったんです。
でも、小月のれみちゃんもですが、なんだか、二人とも清潔でさっぱりしていて、つまらない。初めてちょっとした挫折を経験した、成績優秀スポーツ万能の優等生少年と、クラスメートの気の強い女の子の、中学生日記のようでした^^;
この二人を見て、もう今後この世代で柴田作品を表現する事はできないのかもしれない…と心配になってきたくらい。
力強くて清潔感のあるれみちゃんの小月を見て「イマドキ、遊び女の後ろめたさなんて言われても困るよね。確かに、職業に貴賎は無い…というのは正しいしなぁ」なんて思ったりして。
中日のねねちゃん小月にも、少し清潔過ぎると感じたような気がしました。
ひろみ天比古はすごく良かった。天比古の複雑な感情をしっかり表現した、良い芝居をしていたとは思います。でも最後、今までの人生をすべて否定して、小月に縋りつく場面だけは、やはりキレイ過ぎるかなーと思いましたね。
まあ、私は宝塚を見始めて10年くらいの若輩ものですから、昔からのファンの方から見れば、柴田作品を語るのもおこがましいとは思いますが。
中日公演を見にいった時、隣の席の方達がイマドキの生徒さんは、何か違うと…話していらして、私もそうかもなぁと思いながらその会話を盗み聞きしていました。
確かに、CSで流れる昔の映像を見ると、何か感情の密度のようなものが違うように思えます。ま、宝塚に限らない事なのでしょうけどね。
まだまだ続く
中大兄とは反対、にイメージだけで額田を愛したのが、天比古ですね。
天比古にとっては手の届かない遠い姫様ですから、額田を”美”の象徴として、自身の仏師になる夢と重ねて見ている。
額田が宮中に上がってから、姿を見る事さえかなわないという点では、菩薩様そのものとあまり違いがありません。
もはや彼のなかで額田は、人間ではないんですね。でも本人はそれに気づいてない所が、この役の切ないところ。
実際には天比古のような、自分のイメージを勝手に女性に押し付ける男の人は沢山いますし、かなり鬱陶しいものですが^^;
天比古の場合は身分違いで姿を見る事もできないのに、あんなに落ちぶれてまで、ただ遠くから夢見ているのが切ないですよね。
あまりにも純粋な彼が思い描く額田は、さぞ清らかで美しい夢想であった事だろうと思います。
また、遠くから額田を思う違う身分の天比古は、額田と大海人、中大兄の三人を客観的に描く視点ともなっています。
難波津で、天比古の人生を語る場面は、同時に額田の里での出会いから五年後の状況を観客に説明する場面になります。
天比古の人生が、そのままメインの額田サイドのドラマの説明になる、構成とキャラクタ造形の巧みさは何度見ても感心します。
そして天比古のドラマが、平行して動いていた額田のドラマと出合った時。
生身の人間である額田を見て絶望する天比古の姿に、観客は額田が”清らか”に生きてはいない事を納得させられます。
嘆く天比古の姿に、観客である女性はつい「勝手な事言わないでよ!」と腹を立てて、額田に同情してしまうのではないでしょうか。
でも同時に、大海人を想いながらも中大兄を受け入れる、”清らか”ではない額田の、情愛の甘美さに浸ってしまうわけですね。
更に「女には、外から見ていても分からない、生き方もあるんだよ…」という小月の台詞に、一緒に「うんうん、そうだよー」と頷いてしまう。
本当に見事な構成です。
この天比古は、役者さんにとっては本当に遣り甲斐のある役だろうなーと思います。
少ない出番ではありますが、人生の希望と悲哀がギュっと凝縮されていて、ラストにはそれまでの人生を全て否定する大芝居があって。なかなかこんなに芝居のしどころ見せ所の有る役は無いと思います。
でも、この全ツで演じたマサキ君は、私的にはちょっと…でした。歌や大きな見せ場のある「美味しい役」と思って、演じていたような…。どうも、そんな下心があるように見えてまって。
この役が「美味しい役」なのは、全霊をかけた芝居をさせて貰える役だから、なんですけどね…。
声が良くて、台詞の抑揚の付け方とかは上手いんですよ。学年を考えると、十分良くやってるとは思いました。歌もすごく良かったんです。
でも、小月のれみちゃんもですが、なんだか、二人とも清潔でさっぱりしていて、つまらない。初めてちょっとした挫折を経験した、成績優秀スポーツ万能の優等生少年と、クラスメートの気の強い女の子の、中学生日記のようでした^^;
この二人を見て、もう今後この世代で柴田作品を表現する事はできないのかもしれない…と心配になってきたくらい。
力強くて清潔感のあるれみちゃんの小月を見て「イマドキ、遊び女の後ろめたさなんて言われても困るよね。確かに、職業に貴賎は無い…というのは正しいしなぁ」なんて思ったりして。
中日のねねちゃん小月にも、少し清潔過ぎると感じたような気がしました。
ひろみ天比古はすごく良かった。天比古の複雑な感情をしっかり表現した、良い芝居をしていたとは思います。でも最後、今までの人生をすべて否定して、小月に縋りつく場面だけは、やはりキレイ過ぎるかなーと思いましたね。
まあ、私は宝塚を見始めて10年くらいの若輩ものですから、昔からのファンの方から見れば、柴田作品を語るのもおこがましいとは思いますが。
中日公演を見にいった時、隣の席の方達がイマドキの生徒さんは、何か違うと…話していらして、私もそうかもなぁと思いながらその会話を盗み聞きしていました。
確かに、CSで流れる昔の映像を見ると、何か感情の密度のようなものが違うように思えます。ま、宝塚に限らない事なのでしょうけどね。
まだまだ続く
コメント