続きです。

「飛鳥夕映え」もあったので、この時代の本など、いくつか読みました。
石川麻呂も、祐飛さんが演じたので親しみのある人物なので、つい色々と考えてしまいます。

中大兄と石川麻呂、中大兄の妻となった石川麻呂の娘達とその子供達は本当に複雑な関係です。あまりに濃く、ドラマチックなので、その心境については色々な説があるんですね。
この作品には、そのあたりの事は全く語られてはいません。
なので、特に中大兄について調べたりせず、プログラムの年表さえ見ずにに公演を見たのですが、祐飛さんの中大兄をみていたら切れ切れの中大兄についての知識を思い出したんですよ。その後色々調べて、祐飛さんは中大兄の人生をかなり研究した上で演じていたんだなぁ…と。
歴史上の人物を演じるうえで当たり前の事ではありますが、この作品で語られていない時間の中大兄の人生と、その心情を全部作り上げた上で、「あかねさす紫の花」の中に存在しているのが感じられます。
祐飛さんが頭の中で作りあげていた中大兄中心のドラマ、見たかったです。

中大兄の人生って、本当に盛りだくさんに色々な事があっているんですよね。この作品の中では、一瞬で過ぎている間にも。
有間の温泉(ゆ)の場面は、息子の健皇子が亡くなって半年近くたった頃。
それから10年後の即位の宴の場面の間には、朝鮮に戦争しに行って大敗北して帰ってきたり、母・斉明天皇や妹・間人皇后を亡くしたり…。国内外の政治も山あり谷ありで、公私ともにものすごく大変な時期。
周囲に弱味を見せる訳にはいかない独裁者は、どんなにか孤独だっただろうかと思います。

で、祐飛中大兄の素敵なところは、そんな独裁者がまっすぐに額田を愛し、見栄も何も無く額田に屈しているところです。
あんなに冷酷で強くて立派な皇子様が、ひたすらに額田の心を求める姿に、胸を打たれます。
人間、あんなふうに愛される事って、なかなかありません。姉の鏡女王を恋人にしていた時の中大兄とは、まるで態度が違いましたし。
額田に縋る中大兄の、なんとも愛しいこと…。

私はこの「あかねさす紫の花」という作品が、本当に大好きなんですよ。
で、実は「この作品が好き」=「中大兄が好き」…というくらい、この作品の中大兄が好きなんです。
私が初めて見たのが博多座花組公演の中大兄編だったせいもあるとは思いますが、大海人編でもやっぱり中大兄が好き。
自分が不利な立場になると分かっていても、周りから恨まれても…それでも恋を選ぶ中大兄って、ロマンティックじゃないですか。
まわりの事よりも損得よりも恋に全てを賭ける男って、素敵だなーと思うワケです。現実的には困ると思いますが、フィクションの醍醐味です。
祐飛さんがこの役を演じる事が決まった時には、本当に嬉しかったです。

また続きます。

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